島風(駆逐艦)

登録日 :2009/05/26(火) 21:09:19
更新日 : 2017/06/01 Thu 15:11:37
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読み しまかぜ

起工1941年8月8日
戦没1944年11月11日
除籍1945年1月10日

排水量約2500t
全長120.5m
最大速度40.9ノット(公試)

旧大日本帝国海軍所属、島風型駆逐艦1番艦
姉妹艦は無し。
一応、陽炎型駆逐艦に同じ機関を使用した(というかこっちに使われてるものを島風にも採用した)天津風がいる。


島風型駆逐艦は「次世代型駆逐艦量産計画」のもと、「高速・高火力」をコンセプトに開発された駆逐艦である。

島風型が登場する以前の日本駆逐艦は、運用思想からだいたいが最高速度35ノット前後を目安に設計されていて、
その要求を満たすものとして開発されたのが陽炎型駆逐艦だった。
しかし、仮想敵のアメリカ海軍が速力を中心に駆逐艦の性能向上を目指しているとの情報から、新造の駆逐艦には陽炎型以上の速度と火力が求められた。
日本のお家芸である水雷戦分野で負けてなるものかというプライドもあったのかもしれない。

そんな思惑の下で生まれたこの島風は、主兵装として零式5連装魚雷発射管を3基搭載している上、
公試にて40.90ノット(当時の魚雷艇を除いた艦艇で最速)を記録。
ただ、最高速度だけならイタリアあたりがもっと速い駆逐艦を作っている。
島風が凄まじいのは重雷装艦の上、航続距離や外洋航海能力も高く太平洋戦域できちんと作戦行動が出来るということである。ただの最高速度バカではないのだ。
コンセプト通り高速高火力を実現した、正に大日本帝国海軍が誇る水雷戦技術の結晶と呼ぶべき傑作。









…になるはずだった。

島風は性能自体は紛れもなく傑作と呼べるものなのだが、
「構造が複雑すぎて量産に向かない」
「ハイスペックだが生産・維持ともに高コスト」
という高性能兵器にありがちな問題を抱えていた。質と量ではどちらかといえば量が重要な駆逐艦にこれは重大な問題だった。
さらに、太平洋戦争の開戦とともに台頭した航空機の存在、それによる戦術の変化も島風型の存在意義低下に拍車をかけた。
洋上戦闘は空母艦載機による遠距離戦が主体になると予想され、
中~近距離の砲戦・水雷戦の頻度は下がり、得られる成果も低いものになるだろうという考えが主流になったのだ。
そして戦局の悪化がトドメとなり、次世代型駆逐艦建造計画は放棄。
16隻の建造が決定していたはずの島風型はネームシップの島風を除いてすべて建造中止となるのだった。
4隻一組で駆逐隊を組んで行動することが多かった(というか4隻で「軍艦」1隻扱いされていた)帝国海軍の駆逐艦で、
姉妹艦がいない上にその最高速度についていける船もなかった島風は運用がかなり難しく、
計画当初の期待とは裏腹に華々しい戦果を挙げることはできなかったという。



「時代に取り残された」「近距離戦特化」の「ワンオフ機」…まさに漢の浪漫ではないだろうか。




ちなみにこの島風は二代目だったりする。
初代は大正年間に建造された峯風型駆逐艦4番艦「島風」。
公試運転時に当時の日本駆逐艦として最高速度記録を塗り替えたことで有名で、そこに二代目も因んでいるとか。
さらに海上自衛隊にもはたかぜ型護衛艦2番艦「しまかぜ」が現役だが、残念ながら三代目は速度レコードを塗り替えることはなさそう。



戦歴は
キスカ島撤退作戦の護衛
マリアナ沖海戦
捷一号作戦
(シブヤン海海戦)(サマール沖海戦)
レイテ沖海戦
(レイテ沖西海域にて沈没)


最後の戦闘となったオルモック湾では、その高速性能を活かして爆弾や魚雷を回避し続けていたという。
しかし、海上最速39ノット(時速約70キロ)オーバーの快速も所詮は艦船というカテゴリ内での話。
航空機の速さにはかなわず、爆弾や魚雷が当たらないとみなされると張り付かれて機銃掃射を浴び、穴だらけになってボイラーが異常加熱し爆沈したという。

駆逐艦ということもあり、仮想戦記を始めとした後年のフィクションでは影が薄い。
しかし、近年は艦隊これくしょん -艦これ-にて新参ホイホイの役目を果たしている。
紐パンの露出狂にしか見えないが、一応紐パンもZ旗をイメージしているんだとか。
こちらの詳細は島風(艦これ)を参照されたし。


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