Ⅳ号戦車

登録日:2012/10/29 (月) 04:48:34
更新日:2023/01/09 Mon 12:01:18
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IV号戦車とは、ナチスドイツ軍で使用された戦車である。



概要

制式名称はPanzer kampf wagen IV。
制式番号はA型~F型はSd.Kfz.161、G型はSd.Kfz.161/1、H型~J型はSd.Kfz.161/2である。
対空戦車や指揮戦車を除く派生型にはSd.Kfz.162~167のナンバーが与えられた。
開発時の秘匿名称は大隊指揮車両(BW=Bataillonsführerwagen)だった。
ティーガーパンターのような愛称も無く、知名度も低いが第二次世界大戦を通して戦場にあり続けた、兵士から最も身近だったと言える名戦車。
最後まで装甲防御力の不足に泣かされたが、傾斜装甲の導入は量産体制の都合、砲塔再設計による増厚は時期的な問題から実施されなかった*1


開発経緯

ナチスがドイツの政権を取る前から、軍部は密かに新型戦車の開発をしていた。
しかし、これらは重すぎたり信頼性が無かったりと問題があった。
そこへ、グデーリアン(構想段階や開発要求時の階級は佐官で、最終的には上級大将まで昇進)から戦車の開発要望が来る。

グデーリアン「電撃戦のために新しい戦車が必要だ」

開発局「頑張ります」

…と言うわけで、ドイツ陸軍の主力となるべき戦車が、2つ開発されることになった。
III号戦車IV号戦車である。

IV号戦車は、III号戦車を火力支援する為の「随伴戦車」として開発された。
III号を主人公とするなら、それを常にサポートする名脇役とか、親友とか、幼なじみと言ったところだろう。
WWII初期の機甲戦における弾丸陣/楔形隊形(パンツァー・カイル)を形成した際の第一陣では、
主力のIII号戦車やチェコ製の35(t)/38(t)戦車が先頭、補助のII号戦車とI号戦車が側面に就き、
IV号戦車は工兵や砲兵の前進観測班及び空軍の前線航空管制班とともに中央へ配置されて、
榴弾で戦車の敵となる対戦車ライフルや対戦車砲が配置された防御陣地(パックフロント)を制圧したり、徹甲榴弾で対戦車戦闘の援護を図り、
機動打撃時における障害の排除に務めたのである。
第二陣の自動車化歩兵(装甲擲弾兵)と行動を共にする事もあったせいか歩兵直協戦車と解説される場合もあるが、一時的な任務に過ぎず本業ではない。
そもそも歩兵直協用には突撃砲が開発されており、戦車とは役割分担している*2

III号戦車「こんな挑発に乗っちゃいけない…うおおおおお!」

IV号「ちょっと!一人で突出しないで、って言ったでしょ!!…し、仕方ないわね!」

私もIV号に夜まで随伴……おや、お寺の卍みたいな旗を持った人が家の外に…
ちなみに帝国陸軍でも同種の構想はあり、長砲身中口径砲搭載の中戦車と短砲身大口径砲搭載の砲戦車を戦車連隊に配備して運用する筈だった。
チハの後継である47mm砲搭載中戦車チヘ(後の一式中戦車で、更に三式中戦車チヌへ発展)と75mm砲搭載砲戦車ホイ(後の二式砲戦車)、
57mm砲搭載中戦車チト(後に75mm砲搭載の四式中戦車へ発展)と75mm/105mm砲搭載砲戦車ホチ(開発中止)といった具合にである。
諸事情で実現しなかったが。


特徴

そういうわけで、IV号戦車はIII号戦車に比べ火力が強化されている。
Stummel(切り株)と称される程の短砲身ながらも、榴弾の炸薬量がM4中戦車や三式中戦車の同口径砲よりも多かった7.5cm KwK(L/24)を搭載していた*3
徹甲榴弾でも炸薬が多目で、特火点(トーチカ)(コンクリート堡塁)や装甲掩蓋(ケースメート)に対する破甲榴弾としても使用されている。
よく誤解されがちだが対戦車戦闘も最初から考慮されており、当時の戦車戦としては標準的な中距離以内であれば十分な貫通力を有している*4
対戦車戦闘のメインはあくまでもIII号戦車だったが、自衛や援護程度の任務は十分に果たせたのである。
とはいえWWII勃発前から仮想敵の仏軍重戦車に対する貫徹力不足が懸念された事も事実で、IV号戦車用として34.5口径砲が試作されている*5
もっとも後に生じたある出来事が原因で量産に移されなかった。

最高速度は約40km/h(A型は35km/h、H型とJ型は38km/h)。
リーフ・スプリングボギー式サスペンションを使っており、III号戦車のトーションバー式に機動力や乗り心地こそ劣るが整備性は良好だった。
実は軍兵器局がトーションバー方式の採用を迫っていたが、クルップ社の拒絶と緊急生産の必要性により断念した経緯がある。
VK20.01(K)の初期設計では、トーションバーサスペンションとオーバーラップの転輪配置だったので、何らかの技術的な問題もあったのかもしれない。

また、地味であるが砲塔とターレットリング(砲塔を車体にはめ込む穴)が大きめで車長、 射手、装填手の三人が入れた。
当時は一人か二人用の小型砲塔が多かった事を考えると珍しい。
これで車長が状況判断をし易くなり、車内での連携、更に他の車両との連携が取りやすくなった。
「電撃戦」という連携が重要視される戦略化では、無視できない点である。

また、ターレットリングの大きさは後に大きな影響を与えることになる。


実戦での活躍

1936年にA型が制式採用、その後エンジンを換装して装甲も若干強化したB型/C型、1939年にはD型の量産が開始されたが、
戦時体制の立ち遅れと戦車部隊の拡張が祟って戦前に構想していた編制に必要な編成需要を満たす事は出来なかった*6

英仏を大陸から追い出すと、戦いの舞台は北アフリカ、東部戦線へと移る。
IV号戦車はE型F型となり、III号戦車と共に戦うが、東部戦線でドイツ軍に激震が走った。
パンターなどの項目を見てくれている察しのよいウィキ篭もり諸君なら分かるだろう。

ソビエトの救世主、T-34中戦車である。
この戦車はIII号戦車、IV号戦車の両方に火力、装甲、機動力全てで勝っていた。
独ソ戦以降損害が激化したドイツ陸軍にとっては死活問題で、パンターなどの新型戦車や強力な対戦車兵器の開発を余儀なくされた。
T-34対策は、IV号戦車と後に戦車部隊へも配備される事となるIII号突撃砲にも施された。
IV号戦車は以前から武装強化が検討されていて、60口径5cm砲や前述の34.5口径7.5cm砲に換装する予定だったが、
いずれも威力不足で新型砲(7.5cm KwK 40)の開発が決定し、徹甲榴弾も炸薬減と引き替えに硬度を増したPzgr.39に変更された。
F型に43口径7.5cm砲を搭載したF2型(後日G型に編入)や生産途上で48口径7.5cm砲に切り替えられたG型が生産され、
T-34や1942年秋以降に対峙する事となったM4中戦車シャーマンにも対抗可能となった*7

しかし、これがIV号戦車の大きな転換点になった。
開戦当初から共に戦ってきたIII号戦車が、ここでリタイアしたのである。
III号戦車はターレットリングが小さいため、全周旋回砲塔に43乃至48口径7.5cm砲は装備できなかった*8
既存の5cm砲では高速徹甲弾のPzgr.40を用いてもT-34に対抗することはできない…。
帝国陸軍の穿孔榴弾ことタ弾の元にもなった成形炸薬弾のGr.38シリーズ*9を使用すればN型の24口径7.5cm砲でも対抗できなくはないが、
長砲身砲程の有効距離や命中精度は望めず、貫徹後の破壊効果も徹甲榴弾に劣る事から撃破しても回収された場合は復帰される可能性も高かった。


このIII号戦車の脱落により、IV号戦車は数的にも主力戦車として装甲師団の主力を担うことになったのである。
その後、次期主力戦車としてパンターが開発されるが、全ての工場をパンター生産に移行させるほど、ドイツには余裕が無かった。
IV号戦車はH型J型へと改良されつつ、終戦の5月8日までナチスドイツと共に終末へ向かったのである。

ちなみに脱出口は乗員の数より多かった
一応おかしいことではない。


バリエーション

A型
プロトタイプの先行量産型。
正面装甲でも20mmと小銃弾を弾く程度しか装甲が無かったが、この頃から砲塔バスケットを採用していた。
35両が作られ、ソ連侵攻時までこき使われた。


B型/C型
正面装甲を30mmまで強化したり、エンジンをマイバッハHL120に替えたりと色々改良したタイプ。
同じC型でも細部が違ったりするので区別しにくい。
このエンジンがかなりの傑作で、A型より重くなったのに最高速度が上がったりした。
ちなみにB型では車体機関銃が一端廃止されたが、C型で復活している。
地味な改良などはあったが、IV号戦車はずっとこのエンジンで戦う事になる。
170両程生産され、ノルマンディー上陸までこき使わry


D型
側面装甲が15mmから20mmに。
それでも装甲不足で後々増加装甲を取り付けられた。
本格的に量産され始めた型で、生産数は230両程。
大戦末期には長砲身7.5cm砲を装備したりと最後までこき使ry


E型
装甲厚が最大30mmから50mmに。
これも増加装甲を取り付けられたりした。
アフリカ戦線、東部戦線初期での主力。
生産数は220両程。


F型
車体その物を見直し、根本的に大規模改修がされた。
正面装甲は50mm、側面装甲は30mmとなっている。
重量増加による接地圧悪化に備えて、履帯も大きめなっている。
最後の短砲身型である。
生産数は393両。


F2型
ヒトラーの要求でG型で導入される予定だった43口径75mm砲を前倒しして装備したF型。
F型393両の内、175両がこれで、F1型から改造された25両も加わったが、1942年中にG型へ編入された。
僅か9両のF2型が、アフリカ戦線で大暴れし、「人IV(読ん)で、マークフォー・スペシャル!」
でも最終的には70両程しかアフリカでは暴れられなかった。
アフリカ戦線からドイツは撤退し、逆に東部戦線は激化していく。


G型
当初から43口径7.5cm砲を武装した型。
これも生産途中でよく改良された。
1943年から48口径7.5cm砲に強化されたり、
「シュルツェン」と呼ばれる対戦車ライフル用の付加装甲*10が取り付けられたり、車体前面に30mmの増加装甲が取り付けられたり。
III号戦車が脱落した影響で増産され、生産数は約2,000両。


H型
車体前面装甲を一枚板の80mmにして、新型の変速機も乗っけた。
航空機の機関砲掃射対策で砲塔上面の装甲を増厚したが、曲射弾道の大口径榴弾が直撃した場合はまだ貫通されるおそれがあった。
ゴムの節約から転輪を全金属にしたりとこれも細かい改修が多かった。
重量は25トンに達し、最高速度が低下している(整地40km/h→38kn/h、不整地19km/h→16km/h)。
2,300両程が生産されたが、途中で対空戦車や突撃砲に改造されたりした。
ドイツの切迫感が伝わってくる。
余談だが、シュルツェンを装備したG型やH型は、ティーガーによく誤認されて敵兵をビビらせたとか。
ティーガーがどれほど怖れられたか分かる話である。
なお戦闘室前面装甲板の傾斜化と側面装甲増厚による装甲強化等を図った改修案もあったが、
作業工程の変更に伴う一時的な生産量の減少が生じる事から見送られている。


J型
生産性の向上の為、無駄を省き簡略化したもの。
発電用の補助エンジンや、マフラーの消音機能が無くなった。
またエンジンが回転数を上げたHL120TRM112に変更されている。
砲塔の回転も手動と不便になったが、装填手と協力した場合は以前よりも旋回速度が向上し、車体が傾いた状態の旋回も容易になったという。
燃料タンクの増設により、航続距離が整地では210kmから320km、不整地では130kmから210kmに延長されている。
また、シュルツェンがノーマ・シールド*11と言う金網状の物に変更された。
生産数は約3,000両で最多。


IV号戦車がIII号戦車と違い、終戦まで戦えたのは「拡張性」があったからだろう。
未来を見据えて長く使える事、それも優秀な兵器の重要な要素だろう。


各種メディアでの活躍

長い間ドイツ陸軍を支え続けた軍馬ではあるが、映画やゲーム等ではV号VI号の影に隠れ気味。
登場したとしても前記車両への橋渡し的な所謂「前期主役メカ」的な扱いが多い…と割と不遇な位置にある。

マジンガーZ』のOPにちらりと登場している事はしばしばネタになる。
もしかしたらこれが本邦初の「アニメに登場したIV号戦車」かも知れない。

ガールズ&パンツァー』では主役メンバーである「あんこうチーム」の戦車として抜擢された事で一躍有名になった。
同アニメでは自動車部の協力を得て、D型→D型改(F2型仕様)→D型改(H型仕様)と段階的に改修・改造されている。
武装のみならず、装甲、各種パーツにまで手が入っており、性能面では各バージョンと同等の性能を持つとか…
自動車部、パねぇ。




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最終更新:2023年01月09日 12:01

*1 砲塔前面の50mmは英6ポンド砲/米75mmM3/ソ76.2mmF-34、車体前面の80mmは英17ポンド砲/米76.2mmM1/ソ85mmZiS-S-53に無力。

*2 1943年以降は戦車部隊にも突撃砲が配備されたため紛らわしいが、戦車不足を補完するための措置であり、両方が配備された戦車大隊の戦訓でも、機動打撃は戦車、歩兵直協は突撃砲の方が良いとする結果を残している

*3 余談だが、超重戦車 マウスの副砲として採用された7.5cm KwK 44は7.5cm KwK(L/24)の発展型で、砲身長を36.5口径に延長している。

*4 射距離500m命中角60度の条件で、III号の46口径3.7cm砲は29mm、42口径5cm砲は46mm、IV号の24口径7.5cm砲は約40mm。ただし初速は遅いので、距離800m以上だと移動目標の戦車に命中させる事は困難だった。

*5 野砲級の初速を持つ40口径砲になる筈だったが、後に撤回される砲身長の制限規定から切り詰められており、不測の事態には硬芯徹甲弾(タングステン弾芯の高速徹甲弾)で対処しようとしていた。

*6 訓練用のI号戦車や応急開発のII号戦車、併合したチェコの35(t)及び38(t)軽戦車で補完してなお定数分を賄えず編制の方を縮小した。

*7 ただし1944年以降は85mm砲搭載のT-34-85や76.2mm砲ないし17ポンド砲搭載のM4に火力を再逆転され、再び劣勢に追い込まれた

*8 III号はその後、リング拡張改造ではなく、より低コスト短納期での改造で済む「突撃砲への転換」へと舵を切っている

*9 初期は45~52mm程度しか貫通できなかったが、改良で100~115mmまで可能になり、実戦投入に間に合わなかったHl/Dでは140~160mmに達する見込みだったという。

*10 後に成型炸薬弾や榴弾にも有効である事が判明した。IV号戦車の側面装甲は20mm乃至30mmと薄いため、硬芯徹甲弾を用いる14.5mm対戦車ライフルPTRD1941/PTRS1941のみならず、榴弾でも距離2000m以内なら30°傾けた25mm~30mm厚の装甲板を貫通できるソ連の76mm師団砲も侮れなかった。

*11 ノーマ・シールドもソ連が多用した対戦車ライフル対策で開発された付加装甲で、従来のシュルツェンよりも製造の手間は掛かるものの、軽量かつ隠蔽性が優れて(※光の反射が少ない)砂煙も籠りにくいという利点が存在した。