ハレとケ(文化)

登録日:2011/09/22(木) 19:49:41
更新日:2020/12/21 Mon 14:19:20
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なんとなく昨日は良くなかったけど、明日は良いに違いない
――博麗神主・ZUN



「ハレとケ」とは柳田国男が提唱した、日本の冠婚葬祭における概念の一つ。


「ハレ(晴れ)」とは、日常から乖離した特別な非日常状態のこと。分かり易く言うなら「祀り・祭り」を指す。
古来日本ではこの日になると神様が降りてくると考え、赤飯や餅、寿司、酒などを飲食していた。


一方の「ケ(褻)」とはハレに対して「日常」を指す。
普段の何気ない生活。仕事に従事し淡々と日暮らすことを昔の人はケと表現した。


現在では酒を日常的に呑んだりとハレ・ケの概念は曖昧になりつつあるが。


よく、フランスの社会学者E.デュルケムがオーストラリア文化の研究から提唱した「聖俗二元論」と対比される。
これは豪州の部族が乾季と雨季に労働と祭儀を繰り返す、その社会リズムを指している。

しかし日本のハレ・ケは明確に二分されてはおらず、日常の節目節目に祭事を行っていた。
他にも神籬(ひもろぎ)(竹を四方に建て注連縄で結び、中央に榊を建てた神降ろしの座。地鎮祭のあれ)が示すように日本では俗界と聖域の境界は明確なれど至極曖昧であり、
対立ではなく相互補完の関係であったと考えられている。

それを仲介するのが第三の概念「ケガレ」である。



【ケガレ】
神道に多少なり通じている人は知っているだろうが、日本では「ケガレ」を嫌う風習がある。

これは単純に骸などの「穢れ」も指すが、同時に「褻枯れ」にも通じる。
つまりケの日続きで気(ケ)が枯れた、という意味である。

一説によると、そうして消耗した気を、ハレの日に特別な食(ケ)でもって回復する、というサイクルが考えられていたのだ。
特に神前に供えた食事には神気が宿り、それを食べることは神と食事を共にすることに等しく、気を回復するのに重要であるとして人神共食の観念を重視していた。

そうして気を充足させ、再びケの日常を過ごすのである。


ちなみにこの解釈には諸説あり、例えば葬式である。
葬式は古来の観念に基づけば「死」に関する行事で穢れ=ケガレであるが、祭という言葉の原義や「非日常」という定義からハレとする説もある。




追記はハレ、修正はケの日によろしく

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最終更新:2020年12月21日 14:19