パンター(戦車)

登録日:2011/08/04 (木) 18:43:55
更新日:2023/07/12 Wed 04:44:36
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パンターとは、ナチスドイツ軍で使用された戦車、あるいは2022年に発表されたラインメタル社製主力戦車である。
本項目では主に前者を取り扱う。


概要

初代パンターは 第二次世界大戦 半ばに登場し、ティーガーと共にドイツ軍戦車の代名詞的存在である。
制式名称はPanzer kampf wagen V panther。後にPz.Kpfw.pantherに替えられた。制式番号はsdkfz171。
日本では「V号戦車」「パンター(独語読み)」「パンサー(英語読み)」「パンテル(古い独語)」等と呼ばれる。
例によって例の如くどれも正解であるが、この項目ではパンターで統一する。
本項目では主にこちらを取り扱う。

2代目パンターは2022年の「ユーロサトリ2022」でラインメタル社より発表された次世代戦車のコンセプトである。
正式名称は「KF51*1 Panther」
主砲として130mm滑腔砲、副武装として12.7mm同軸機銃を装備する他、7.62mm機銃を搭載したNatter RCWS*2やHERO120徘徊型弾薬用ランチャーを搭載可能。
また、優れた通信システムを搭載することで各軍種の領域を横断して包括的な情報の収集と提供が可能とのこと。更に無人航空機や無人車両の制御能力も持つ。
防護能力としては装甲の他にアクティブ防御システム(APS)を併用することで昨今の戦車開発で問題となっている重量の増加を抑えている。戦闘重量は59t以下となるようだ。
上記通信機能を防護するための電子・サイバー防護能力も備える。
乗員数は3+1名。車長、砲手、操縦手の他、オプションとして中隊長等指揮官や無人機オペレーターが登場する席が設けられるらしい。
本戦車はレオパルト2の後継採用を目指しているものと思われる。競合機種として、独仏共同開発のEMBTがある。

ちなみにパンターとは黒豹の事であり、他には韓国製のK2戦車にも同様の相性が名付けられている。
なお、VK.16.02軽戦車や戦後の主力戦車に名付けられたレオパルトは斑模様の豹を指している。



開発経緯

1941年6月。ドイツ軍のバルバロッサ作戦を皮切りに、ドイツとソビエト連邦間で戦端が開かれた。
俗に言う独ソ戦の幕開けである。
ちょび髭伍長率いるドイツ軍は、フランス戦で見せつけた電撃戦を生かし、
またソ連内部の混乱、赤い嵐もとい偉大なる同志による大粛清によるソ連軍弱体化等も重なり、各地で勝利を重ねていく。

しかし、各地の兵士から共通の悲痛な話がドイツ軍上層部に届いていた。

ドイツ軍兵士「ソ連の戦車に対抗できません!我が軍の戦車砲も対戦車砲もロクに効かなくて話になりません!!」

その「ソ連の戦車」こそ、救国の鬼戦車、T-34中戦車である。
詳しくは項目を。

最初こそ、既に英仏と二年も戦争しているドイツ軍の経験と戦術で何とか対応してきたが、ソ連がT-34の数を揃えてきては不味い。
T-34を正面撃破できるのは有名な8.8cm高射砲や野戦重砲である10.5cm加農砲の徹甲榴弾くらいで、5cm対戦車砲は高速徹甲弾で辛うじて可能といったところだった。
III号戦車の42口径5cm砲やIV号戦車の24口径7.5cm砲ではお話にならず、脆弱な履帯や装甲の薄い側背面への射撃を余儀なくされた。
これが俗に言われるT-34ショックで、何か対策を考えねばと考えたドイツ陸軍の偉い将軍は、

グデーリアン「早急に対策せねばならない。…とは言え、まずは調査するしかないな。」

…と、後に戦車委員会と呼ばれる調査団を立ち上げ、T-34の調査を行った。その結果、

1、装甲が傾いてる。傾斜装甲TUEEEE!!
2、幅広履帯で泥沼雪道でもなんのその
3、76mm砲の貫通力凄ぇ!!

以上の3点が重要な特徴と結論づけるに至った。

グデーリアン「と言うわけです総統。」

総統閣下「じゃあそのT-34に勝てるような新型中戦車作ってね。」

そんな感じで、1941年11月末、開発が始まった。

ちなみに独ソ戦開始前から始まっていたティーガーよりも開発開始は遅かったりする。
スタートも実戦投入もティーガーより遅いパンターが「V号」戦車となるのは奇妙にも見えるが、理由の一つはパンターの開発が、これ以前にあったIII号戦車やIV号戦車の後継戦車の開発計画をやり直す形で行われたため。
またパンターをドイツ軍が戦車開発の「本命」としたこと、防諜にも都合が良い、といった理由もありティーガーよりも若い「V号戦車」の名称がつけられた。



特徴

この中戦車を開発するに辺り、ダイムラー・ベンツ社(DB)とMAN社の二社が担当した。
なおT-34をフルコピーする案もあったが、軽合金を多用するアルミディーゼルエンジンの量産が不可能で断念している。
(パンターのマイバッハ社製ガソリンエンジンも量産車は軽合金素材を節約した物を採用している)
最初は傾斜装甲・RR駆動方式等、戦訓をギッシリ詰め込んだDB社の戦車が有力であったが、最終案でDB社の戦車をパク…参考にしたMAN社の戦車が採用された。

DB「恥を知れ恥を」

MAN「戦争は手段を選ばないのだよ(笑)。では我が社の素晴らしい中戦車はこちら!」


  • 装甲と重量
車体正面の装甲は当初60mmの筈だったのだが、
総統閣下の鶴の一声により急遽80mmとなった。
またT-34をパk……参考にした傾斜がつけられているため、水平方向からの攻撃に対しての実効厚は140mm近くに達する。
重量?最初30トン級戦車の筈だったのに計画纏まった所で40トン級に、総統のおかげで43~45トンさ!
言っておくが、パンターはチハたん(15トン)と同じ中戦車である。重戦車ではない。
当然重量は超過し、足まわりに大きな負担を掛けたが…
だがその装甲は「藍より出て藍より青し」、T-34を軽く超え1対1なら、ほぼ負け知らずだった。

しかし側面の装甲は比較的薄めだった。側面が薄いのは大体の戦車にも言えるが、パンターは正面に比べて特に薄かった。
中口径対戦車砲や野砲・軽榴弾砲級火砲の徹甲弾*3に耐える厚さにすると、
ティーガーIやティーガーIIのようにメタボ化してしまうから仕方ない面もあるのだが。

  • 70口径7.5cm砲(7.5cm Kwk 42)
パンターは砲身長5.25mというとんでも無い長さのを装備していた。
大重量弾・強装薬で撃ち出す17ポンド砲には敵わないが、ティーガーIのアハトアハトよりも貫通力に優れていた。
射距離1,000mで傾斜角30度の装甲板に対する貫徹力は、Pzgr.39/42APCBC-HEで111mm、Pzgr.40/42(Hk)APCRで149mmに達した。
特殊仕様のM4A3E2中戦車シャーマン“ジャンボ”や実戦未投入のT-44中戦車という例外はあるが、敵側の主力戦車を遠距離で仕留められた。
流石にティーガーI対抗で開発されたM26パーシング重戦車A41センチュリオン重巡航戦車及びIS-2重戦車に対しては火力不足だったが
(M26やIS-2の正面撃破するには400~600mまで引きつける必要はあるが、同車の90mm砲や122mm砲は遠距離からパンターの砲塔前面を撃ち抜けた)。
なお実現はしなかったものの火力強化策として、100口径7.5cm砲やティーガーIIと同じ71口径8.8cm砲に変更する案が検討されていて、
特に後者は携行弾数の減少と重量1トン増と引き替えに可能とされており、実際に搭載が計画されていた。
F型ではトレー式自動装填装置を組み込んだ7.5cm Kwk 44/2となる予定だったが、量産前に終戦を迎えてしまい実力は未知数である。
弱点として砲塔旋回の遅さ(D型は60秒/360度)が挙げられるが、A型とG型では最短18秒/360度に改善されて一応解消している。
F型は生産簡略化で30秒/360度に低下したが、IV号戦車J型と同様に手動式旋回補助機構が追加されて短時間なら旋回速度を上げられた。

  • 高性能光学照準装置
大戦後期のドイツ戦車共通の特徴といえるが、他国を上回る高性能の照準装置を装備していたため、同クラスの砲でも有効射程が長かった。
つまり一方的に射てるということなのだが、以前のドイツ戦車の火力では長射程にしても威力がショボくて意味がなかったのである。
パンターやティーガーの主砲は、大遠距離でも敵戦車を撃破できる威力を備えていたため、
場合によってはそれこそ倍近い遠距離から砲撃を行うことさえあった。

以後ドイツ軍と連合軍の戦車戦闘は、正面から激突する場合、まずドイツ側が一方的に砲撃を開始し、
次々味方が撃破されていく中で犠牲を払いながら突進、接近戦に持ち込んで相討ちというのが基本パターンになる。
つまりドイツ戦車を撃破するために味方は大量の返り血を浴びねばならなかったのだ。
ただし実際の戦車戦は中距離で行われる場合が最も多く、日本戦艦のアウトレンジ戦法と同様に神話化している部分も少なからずある。
また大戦後半のドイツ戦車兵は練度低下が著しく、局地戦ではM4やT-34に後れを取る事も決して珍しい事では無かった。

  • 幅広履帯と機動性
パンターの最高速度は55km/h。「総統閣下のもう一声事件」以前は60km/hの筈だったが、45トンの重量の為、低下してしまった。
それでも55km/hと言うのは当時としては高速。高性能なエンジンとサスペンション、ティーガーと同じ幅の広い履帯のおかげである。
1943年11月以降はエンジンの回転数を落とす等の足回りの負担軽減策が講じられた影響で、46km/hまでに低下しているが、
設計時に想定していた平均速度は路面上で30km/h、不整地で25km/hであるため、実用上は問題が無かったようである。

MAN「堅くて強くて速い!しかも御値段は12万ライヒスマルク!
___IV号の10万ライヒスマルクに比べれば値は張りますが、ティーガーIなんて30万ライヒスマルクですよ!
___この性能で12万ライヒスマルクは破格だと思いますが、いかがでしょうか…?」


1942年5月、パンターは正式に採用されることとなった。
そして既に不利となりつつある戦局を打破する為、急ぎ生産が行われたのである。

…しかし



実戦と問題

パンターは採用が決まると、ろくなテストもしないまま(死亡フラグ)急遽生産に向かった。
それほど当時は切迫した状況だったので仕方なく、また、それだけパンターへの期待も高かったのである。

そして1943年夏、200両程のパンターは早速配備され、東部戦線を一発逆転させる大作戦、
ツィタデレ作戦(またの名をクルスクの戦い)で大挙としてソ連の前に現れた。

総統閣下「あれだけ期待を持たせたんだ。さぞ大活躍したんだろう?」

総統閣下…大変申し上げにくいのですが…

エンジンはオーバーヒートするわ、トランスミッションは壊れるわでまるで戦いになりませんでした。
しかも極秘の戦車だったために、自軍兵士を恐慌させてしまい、誤射を食らいました。


そもそも構造的欠陥と初期不良に基づく故障率の高さの報告は、運用部隊から装甲兵総監だったグデーリアンの耳にも入っており、
だからこそ彼が作戦決行に反対する理由の一つに挙げていた訳だが、前線展開でその不安が的中した形になってしまった。

パンターは圧倒的なカタログスペックを持ちつつも、
敵と戦う前に故障。「こりゃ戦えない」と撤退してる最中にまた故障…と、正しく凄惨な状況だった。
更に器材だけではなく用兵側にも問題があり、初の実戦部隊となった第10装甲旅団(実際は連隊規模で、二個大隊基幹)は練度不良で、
中隊以上の作戦行動や実弾射撃の訓練も満足に行えないまま投入されたという。

200両程あったパンターも、戦いが終わってみると40両程しか残っていなかった…

総統閣下「ちくしょうめえええ!」


一方で、戦闘能力そのものは連合軍を震撼させた。
特にソビエト連邦は迅速で、回収したパンター31両を徹底的に調べ尽くした。
うち、砲撃で撃破されたのは22両。だが正面装甲を撃ち抜かれた戦車は一両も無かった。
しかし、側面が比較的脆い、車体後部の燃料タンクが容易に燃え上がる事を発見している。

対してアメリカは
「いや、無闇に戦車の種類増やすの合理的ではない。対戦車戦闘には戦車駆逐車(GMC)が既にある。
_とりあえずM4の砲を少し強くする(40口径75mm砲→52口径76.2mm砲)から、頑張ってね!」
パンターをティーガーIと同様に独立重戦車大隊で運用される戦車だと誤解したせいもあるが、合理主義も考え物である。
英軍は以前から17ポンド砲の整備を注力していた事もあり、同砲搭載のシャーマン・ファイアフライを間に合わせている。



ティーガーとパンター、そして戦後。

パンターは改良されつつ第二次世界大戦を駆けた。
足回りの問題は最後までネックとなり、資源不足に因る装甲板の品質低下などの課題も残したが、
稼働率はIV号戦車には劣るとはいえ、その後は6~7割まで改善されている(ただし戦局の悪化した大戦末期では約5割という記録も残している)。
よく言われている最終減速機の金属疲労はティーガーI用の物に換装すれば解決可能だったが、
量産に難があって今度は部隊配備に支障をきたすために見送られた経緯があったという
(最終減速機にも遊星歯車を導入すれば負荷を低減できたが、内歯車の加工に必要な工作機械が足りないせいで見送られている)。
平歯車でも設計上の走行距離は1500kmまで耐える筈だったが、実際は1/10の150kmに留まってしまった(初期のT-34の半分程度である)。
後には700~1000kmまで改善されたようだが、整備体制の悪化が祟りティーガーと同様に遺棄される車両が相次いだ。
稼働率についてティーガーにも及ばないと指摘する識者もいるが、部隊編成も考慮に入れると必ずしも頷ける見解ではない。
何故ならば独立重戦車大隊も装甲師団の装甲連隊も配備される整備中隊は1個で、更に戦車定数も大きな開きがあるからである。
(1944年型編制だと、独立重戦車大隊はティーガー45両で、装甲師団の装甲連隊はIV号戦車101両及びパンター99両である)
1両あたりの整備体制はティーガーの方が手厚く、平等な条件で比較検証された訳ではない事に留意すべきであろう。

戦後はドイツの武装解除に伴いドイツからは姿を消したものの、フランスがヴィシー政権下に建てられた工場でパンターを生産して配備していたり、
ソ連の衛星国がT-55までのつなぎとしてモスクワから与えられていたりした。最終的には50年代後半まで稼動していたとも言われている。
また車体はともかく主砲はその優秀さから改良型がフランスのAMX-13軽戦車に採用され、AMX-13は地味ながらもベストセラーとなった。
このフランス製の改良砲は砲や砲塔だけでもイスラエルのスーパーシャーマンや装甲車改造戦闘車*4などにポン付け砲として幅広く用いられたりした。

ナチスドイツは、パンターを最終的には装甲師団の主力にしようと考えていた。
ティーガーが陣地突破や対戦車戦を主眼に置いていた、「特定の状況で活躍できる戦車」だったのに対し、
パンターはIII号戦車の後継として、「何でもそつなくこなす、万能戦車」として考えていたのである。

しかし、実際の所、パンターは終戦時に2,000両程度しか残っておらず、総生産数も6,000両近くに留まった。
各装甲師団に配備されたのは2個大隊中1個大隊のみで、終戦までIV号戦車(総生産数約8,500両)に頼る羽目になった。

しかし、この万能戦車の思想は現代まで続く「主力戦車」(MBT)の概念を形作っている。
この点も、現代では滅びた、ティーガー等の「重戦車」と違う所だ。

何かと調子が悪かったパンターだが、その血脈は確かに現代まで流れている。
そう、豹は今も戦場を走っているのだ。

……2代目の豹が戦場を走れるかはまだわからないが。



派生

ドイツ軍屈指の働き者、IV号戦車の後輩とあってか色々と変な派生車両が存在する。
派生云々以前に、パンター自身、型番がD→A→G→F型と進んでいくという変な車両であるが……

  • パンターII
D型以降A型以前に開発が進められていた、パンターの強化車両。
「パンターじゃ連合国の戦車に勝てない!さっさと新型車両を作れ!」との総統閣下の一声で計画された。
その性能は装甲が正面100mm側面60mm、各種パーツは効率のため開発中の新型重戦車と共通化することを目論んでいたとされる。それもう重戦車では?
1943年からさぁ作るぞ!と意気込んでいたものの、各種性能を向上させたG型の生産が始まると、パンターIIはなかったことにされた……*5

IIの車体にGの砲塔をくっつけた車両がパットン戦車博物館に残る。
しかし実際のIIの砲塔はF型のようなシュマールトゥルム(小型砲塔)であったとされる。

  • ヤークトパンター
恒例の駆逐戦車化。砲塔を取り払い、車体前方に大口径の砲を直接取り付けている。
ヤークトティーガー同様こいつもとんでもない攻撃力と防御力を兼ね備えており、撃てば2km3km離れた戦車を正面から貫通、撃たれても実質160mm相当の傾斜装甲のおかげで頑強
スペック上、正面から撃たれて危険視すべき車両はIS-2程度で、側背面さえ取られなければ事実上無敵の化け物。
足回りも(元々の駆動系の弱さ以外は)十分で、元のパンターと同等の機動力はあったとか。

その性能は総統閣下を惹きつけ「ティーガーⅡ数両の価値がある」と述べたとか、総統直々に「ヤークトパンター」と名付けたなどの話でも知られている。

  • パンター指揮戦車
恒例の指揮官機。おしゃれなアンテナを増設し、代わりに機銃を失った姿が特徴。

  • ケーリアン
恒例の?対空戦車化。
ヴィルベルヴィントら奇怪な見た目の対空戦車が多い中では、比較的まともな外見をしている。
肝心の機関砲は3.7センチでは火力が足りないということで、5.5センチに強化予定であったが、結局どちらもお蔵入りに。
マイナー車両のはずだが、3.7も5.5もプラモ化されている。

  • ベルゲパンター
恒例の……変な車両化。
ドイツ軍も貴重な戦車を各種車両で回収していたのだが、ティーガーやパンターなど重量級戦車を持って帰ると引っ張る方が壊れる恐れが出てきたため、「パンターでパンター達を引っ張れ!」という発想で産みだされた車両。
パンターの上半身(砲塔)を引っぺがしたその見た目はインパクト大。
ただ一部では無くなった上半身に別の砲塔や機関砲を取り付けた即席戦闘車両にされたとか……じゃあ最初からパンターでいいです。

なお戦後ドイツにはその名も「回収戦車」のベルゲパンツァーが存在する。ややこしい。

  • M10偽装パンター
あえて変にした車両。
バルジの戦いの最中、一発逆転を目論んだドイツの秘密作戦、グライフ作戦のために生み出された車両。
グライフ作戦とは総統閣下からヨーロッパでもっとも危険な男ことオットー・スコルツェニー*6に託された「アメリカ人のふりをして連中を背後から奇襲してこい!」という物凄く色んな所から怒られそうな作戦である。
そのためにパンターをM10ウルヴァリンそっくりに改造したものがこちら。
特徴的だった丸い砲塔にプレートを張り付けて、角ばったM10の雰囲気を見事に再現している。
結局は普通に連合軍との戦闘で撃破されている。
本来の作戦には渋滞で間に合わなかったらしいです……

ちなみにこのグライフ作戦、米兵を偽装したドイツ兵(英語堪能、アメリカ文化に詳しい、破壊工作経験豊富)で奇襲するという、スパイ映画なら面白いがドキッ!!条約違反だらけの大問題作戦なのだが、
  • ブラッドレー、モンゴメリーといった名だたる将校が不審者扱いされて拘留される
  • 捕まったドイツ兵の「アイゼンハワーを攫いにきた」との虚偽の自白を信じて、アイゼンハワーも(護衛のためだが)半ば監禁される
といったエピソードを生み出している。

  • オストヴァルトゥルム
変な車両……どころかただただ変
その正体はパンターの砲塔を地面に設置して砲台にしたもの。ベルゲパンターと合わせれば一両完成だ!
走れる大砲を自走砲と呼ぶが、こいつは逆に走れない戦車でただの砲である
戦車を埋めて奇襲したり、トーチカ代わりに用いたりは他にも例はあるが、わざわざ改造を加えてまで「ただの砲」に生まれ変わった例はそうそうない
こんな珍兵器だが腐ってもパンター。その辺の対戦車砲よりは強敵であったらしい……


  • ガスタービン搭載車
レシプロ式ガソリンエンジンではなく、ガスタービンを搭載した試作車。


  • 空冷星型エンジン搭載車
航空用エンジンとして信頼性を確立していたBMW132をG型に搭載した試作車。
メーカーであるMAN社が勝手に試作した車両であり、パンターの弱点であったエンジンの寿命の短さを補える上に、試作車両のエンジン冷却性能は十分で製造者を歓喜させた。
試験成績の良さからMAN社は増加試作の意欲満々であったが、「信頼性が高くて故障し難いエンジンとは言っても、空冷星型では下に位置した点火プラグやバルブの交換が大変なのでは?」と軍部に突っ込まれて製造許可が下りなかった。


プラモデルにおけるパンター

現代の戦車を始めとする陸軍系のミリタリープラモデルは1/35スケール、すなわち実物の35分の1スケールのものが主流なのだが、これは1961年に日本の田宮模型(現・タミヤ)が発売した「パンサータンク」のスケールがもととなっている。
当時の戦車プラモは有線式リモコンで操る電動走行玩具だったため、電池サイズから逆算してこのサイズになったのだが、そのパンサータンクが飛ぶような売れ行きを記録*7したことで、同社の戦車を始め日本及び世界のミリタリーモデル業界におけるデファクトスタンダードとなったのが現在に繋がっている。
いわば世界のタミヤとしての第一歩を踏み出したのがこのパンサータンクのヒットからで、模型の歴史を語る上では決して外せない存在となっているのだ。




追記・修正はパンターを整備してからお願いします。

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最終更新:2023年07月12日 04:44

*1 KF=Kettenfahrzeug:無限軌道(キャタピラ)

*2 遠隔操作型機銃

*3 APDSやHVAPではなくても射距離1kmで70mm前後は貫通可能

*4 中には西ドイツのマルダー装甲車の改造車まであった

*5 それだけG型への改良が素晴らしかったということではある。

*6 捕まっていたムッソリーニをグライダーで救出してきた人物である。

*7 優秀なギア比から他社のものよりも速かった