不知火(駆逐艦)

登録日:2009/07/20(月) 15:35:58
更新日:2020/05/09 Sat 16:59:15
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不知火 しらぬい

竣工1939年12月20日
戦没1944年10月27日
除籍1944年12月10日

全長118.5m
速度35.5
排水量2.033t


大日本帝国海軍が保有した「陽炎型駆逐艦」の二番艦
艦名である「不知火」とは、8月初旬に九州地方で見られる蜃気楼現象の事である





  • 経歴
1939年竣工
第二水雷戦隊に編入


1941年12月8日太平洋戦争開戦
不知火は真珠湾攻撃部隊の警備や航路の確保に当たる


1942年
機動部隊の南方方面進出に伴い不知火も南方へ

1942年4月
船体、兵装整備の為内地へ

1942年5月
太平洋方面の作戦に従事

1942年7月
キスカ島への輸送艦隊を護衛中、敵潜水艦の雷撃を受け艦首切断の大損害を被るも、なんとか帰還
翌年11月まで舞鶴港で修理




1943年~
北方部隊に編入
千島樺太方面の護送作戦などに従事

1943年10月
レイテ作戦において志摩中将率いる「第二遊撃部隊」に編入
規定の作戦を終え、26日無事コロン湾に帰投

翌日、同部隊所属で別動していた巡洋艦「鬼怒」駆逐艦「浦波」より空襲により被弾、航行不能との報を受け駆逐艦「不知火」「藤波」を急派
その後「敵機来襲」の電文を残し、行方を絶つ







  • 不知火の最期
後日、「不知火」捜索中の水上機が同海域で大破・着底している駆逐艦「早霜」を発見
「早霜」生存者の報告によると
27日の午後「鬼怒」「浦波」を探索中の「不知火」「藤波」は中破・微速航行中の「早霜」を発見
救助に近付くも東方より米艦載機が多数襲来
対空砲火で応戦するも敵は早霜を見捨てられない「不知火」「藤波」に攻撃を集中
四時間に渡る激闘の末「藤波」は沈没、「不知火」も炎上、力尽きる
「早霜」を目前にして「不知火」もまた、海中に消えていった



洋上の陽炎は不知火の如く燃え上がり、蜃気楼のように儚く消え去った

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最終更新:2020年05月09日 16:59