キューバ危機

登録日 :2011/03/14(月) 01:20:52
更新日 : 2017/06/04 Sun 22:15:44
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キューバ危機


1962年10月15日~1962年10月28日

  • 主要対立国家
アメリカ


キューバ
ソ連



  • 概要
アメリカとキューバ・ソ連の間に起きた争い。
世界が第三次世界大戦の一歩手前まで秒針を進めた争いにして、「冷戦の雪解けデタント」に一歩踏み出した争い。

核兵器の政治的な威力と抑止力を世界に知らしめた。

  • プロローグ(アメリカ)

1959年元旦、カリブ海に浮かぶ島『キューバ』で革命が起きた。

アメリカの傀儡であったバティスタ政権は倒され、新たにフィデル・カストロ政権が出来上がった。


時の大統領アイゼンハワーは部下の
「パターン・レッド赤です!!」
の報告を受け、これを共産主義政権と認定。
以後距離を取る。



次いで就任したジョン・ケネディ(以降JFK)はさらに態度を強硬化し、「PBサクセス作戦 *1 」を決行。
後に『ピッグス湾事件』と呼ばれる政府転覆計画は失敗に終わり、キューバとの仲は修復不能となる。


この作戦はJFKの度重なる作戦変更や米軍との連携不足で失敗に終わる。

というかそもそもの原因はCIAの
「キューバの土人なんざ1500人も送れば十分だろw」
「敵軍もがっつり寝返るってw」
等々、希望的観測満載な作戦に問題が…


結果、後日JFKは会見で今回の失敗は私の責任であるとしたうえで、役立たずなCIAの解散を宣言する。


以降アメリカはゲリラの支援等、キューバに嫌がらせを続けるも、
1962年10月14日状況は一変。

「最近キューバにソ連船の出入り激しいなぁ…」
と偵察をしていた米軍機がキューバ内に核ミサイルの発射施設を発見。

ここに世界を震撼させた『キューバ危機』の幕が開けた。


  • プロローグ(キューバ)
1959年元旦、旧政権を打ち倒したカストロは自分等を親米政権であると明言しつつアメリカ政府と会談した。
しかしアメリカの態度は冷たいものだった。


キューバは元々スペインの植民地であり、一度独立の一歩手前まで行くもアメリカに潰され再度植民地にされたという経緯が有り、上記の態度で反米が加速。

結果、キューバは東側に付くことになった。



その後、度重なるアメリカの嫌がらせに「ぷっちーん」(×ぷーちん)ときたカストロはソ連に核ミサイルの配備を要請。

ここに世界を震撼させた『キューバ危機』が幕を開けた。

  • 本編
いきなり喉元にナイフを突き付けられた形となったアメリカは、即キューバ周辺を海上封鎖したうえで欧州に配備していた核ミサイルの照準をソ連にセット。
世界に向けて会見を流してソ連を非難した。


当然ソ連も黙ってはおらず、当時の書記長フルシチョフは世界に向けて「報復の準備は整っている」と放送。

世界は一夜にして『核戦争』の危機に陥った。



だが、アメリカはもちろん、ソ連の方も『核戦争』なぞ望んではいなかった。
米ソ戦争になれば米ソ間の戦力差は歴然。肝心の核兵器は実は、アメリカの10%にも満たない数しか持っていない。おまけに、欧州諸国も(もしかしたら日本も加わって)参入してくると見込まれる。
第一ソ連海軍によって、核兵器を輸送する船舶をキューバまで無事に護衛することが困難であることは、当のソ連が熟知していた。
ソ連に勝ち目は全くなかった。

かといって、弱腰になれば、ソ連名物クーデターでシベリア送りである。黙って引き下がる訳にはいかない。

JFKとフルシチョフの間では、こうしてギリギリな睨み合いが続いた。

そんな中でも、JFKには、

勝手に上陸部隊を編成しつつ、
「行け!と一言ご命令さえ頂ければあっという間に奴等を始末してきます大統領!」

ミサイルのスイッチを前に、
「アメリカを、そして世界を救うのです、大統領!」

勝手に爆撃機を飛ばしつつ血気盛んな空軍参謀は、
「我々には今なら確実に爆撃を成功させることができます!さぁご命令を!大統領」
etc.etc.…
と、CIAとかルメイとかCIAとかルメイとかCIAとかルメイとかからの悪魔の囁きが吹かれまくっていた。


しかし、そんなアホ共の誘惑を振り切って、なんとか米ソは和解。

互いに、

  • ソ連はキューバのミサイルを撤去し、以降キューバに出兵しない
  • アメリカはトルコの中距離ミサイルを撤去する

という形で合意した。
また、さすがに米ソ首脳も今回のトラブルには肝を冷やしきったのか、以降、これらの首脳の間に、直通のホットラインが引かれることになった。

だが、納得いかないのはキューバである。
頭上で総てが解決してしまってオレの怒りが有頂天状態のキューバは
「冷戦なんて、言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」
「汚い流石大国きたない」
「米ソは勝手にやっとれ」
と、捨て台詞を吐きながらソ連から離反。
独自の路線を走りだした。



  • エピローグ
これにより米ソ和解か?とも思われるも、
JFKはダラスで暗殺、
フルシチョフはブレジネフにクーデターを起こされて失脚、
となり御破算となった。


  • 水面下のキューバ危機
キューバ危機の真っ最中における米ソ両軍の睨み合いは海中も例外でなく、
当時カリブ海には核魚雷を装備した4隻のフォックスロット級通常動力型潜水艦が展開していた。
無論核魚雷はモスクワからの指令が届かない限り、発射することが出来ないことになっていたが、
外部との通信が遮断される水面下で隠密作戦を行う潜水艦においては、核の使用の判断も、場合によっては彼ら自身の裁量に委ねられることから、
艦長、副長および政治将校の三名が合意すれば、いつでも発射可能となっていた。

10月27日の午後6時半、その内の一隻であるB59潜水艦は合衆国海軍に追い詰められ、強制浮上を迫られていた。
合衆国海軍は演習用の爆雷を用いて浮上するよう信号を送っていたのだが、その結果B59の船体は大きく揺れてダメージを受け、艦内の空気供給設備が損壊。
結果、艦内の二酸化炭素が致死レベルになり、酸欠や温室効果による艦内温度の上昇で倒れる船員が続出。
しかし、その後もアメリカ軍から爆雷の攻撃は続いたのである。

もともとB59はアメリカ軍の監視の目を逃れる為、長い間、海底に隠れていた。そのせいで、しばらくの間、モスクワとの連絡ができない状態だった。
その状態でアメリカ軍からの爆雷の攻撃を受けたので、B59艦長であるバレンティン・サビツキー中佐は既に米ソは開戦したと判断、
部下に核魚雷の発射を準備させイワン・マシリニコフ政治将校もこの判断を支持した。

しかし、副長であるワルヒー・アルヒーポフ中佐は「モスクワ本部からの連絡を待つべきだ」と主張、核魚雷発射に断固反対し、艦長を何とか説得、
B59を海上に浮上させ、モスクワ本部と連絡できる状態にさせた。
そして、モスクワからの連絡によって、戦争はまだ発生していないことを確認、こうして水面下のキューバ危機は去ったのである。

なお、ワルピー・アルヒーポフ中佐は前年にK-19の副長として原子炉事故に遭遇しておりこの時の経験が冷静な判断に繋がったのかもしれない。

その後、アルヒーポフ中佐は海軍中将までに昇進し、1980年代半ばに引退、1998年に72歳で亡くなっている。

また、2012年にはこの事件を元にキューバ危機50周年を記念して、
合衆国のPBS(公共放送サービス)が制作した番組、「世界を救った男」"The Man Who Saved the World"が公開された。


  • MGSでのキューバ危機
冷戦期を題材にした「MGS3」では、キューバ危機を和解に至らしめたのは、トルコからのミサイル撤去ではなく、
ニコライ・ステバノヴィッチ・ソコロフ――ソ連のあらゆる場所から、米国全土を核攻撃の範囲内に収められるチート兵器「シャゴホッド」の開発技術の持ち主――の身柄の受け渡しであった、
という設定になっている。
「これ以上刺激を与えないでくれよ、俺もブレジネフ派への対応で手一杯なんだよ(意訳)」と焦る失脚直前のフルシチョフが出てきたりと、
キューバ危機前後の冷戦に関する知識を持っていると、より楽しめる作品である。



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