錦織圭

登録日:2012/02/02(木) 09:43:08
更新日:2021/07/26 Mon 15:32:26
所要時間:約 11 分で読めます




錦織(にしこり)(けい)は島根県松江市出身のプロテニスプレイヤー。現在はアメリカ・フロリダ州に在住。

1989年12月29日生まれ
身長 178cm 体重 70kg
テニス選手としては小柄な部類。近年は190cmを超える長身選手が増えてきているのでなおさらである。


5歳からテニスを始め、2001年に全国小学生テニス選手権大会で優勝する等幼少から才能を見せる。
2006年には全仏オープンの男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たす。
だがしかし、この後ある意味優勝よりも凄い事が起こる。

なんと、この大会の男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダルが決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラーとして錦織を指名したのだ。
「正直その練習の方がダブルス決勝より緊張しました。」

この年の世界ランキングは603位(日本人10位)。

アメリカへ行く前、修造チャレンジに参加した折、松岡修造本人がその才能を見初め留学できるように奨学金を盛田テニスファンドに願い出た経緯がある。


〇2007年
この年はジュニアで優秀な成績を残しつつプロ相手にはボコられるといった発展途上な年であった。
初のグランドスラムである全米オープンに出場するも予選2回戦でストレート敗けを喫した。

10月にプロ転向。17歳9ヶ月でプロテニスプレイヤーとなり当時世界ランキング286位。


〇2008年
2月17日の「デルレイビーチ国際テニス選手権」で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレークを破りツアー初優勝を果たす。
これは松岡修造以来である。

国別対抗戦デビスカップでは初の日本代表に選抜。
ランキングも99位に上がり、松岡修造以来の100位圏内に入る。

全仏オープンは予選で敗退したものの、ウィンブルドンの前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダルと対戦。
4-6,6-3,3-6とナダル相手に1セットを奪う大健闘。
試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている。

ウィンブルドンでは初の予選免除だったが、初戦で途中棄権している。
6月には北京五輪に推薦枠で出場。勿論、松岡修造以来であるが残念ながら初戦敗退。

全米オープンでは初戦、二回戦を勝ち、三回戦で当時世界ランキング4位のフェレールと対決。
フルセットの末に勝利し、ベスト16入りを果たすも四回戦では19歳のデルポトロにストレートで敗退。

この年の最終ランキングは63位。


〇2009年
自己最高となる世界ランキング56位に、プロ選手投票による最優秀新人賞に選ばれるも、5月に右肘の疲労骨折が判明。
8月に右肘の内視鏡手術を行い、以降のツアーを全てキャンセルしリハビリに励む。
ランキングは418位まで降下。


〇2010年
年始からしばらくは大会に出場せずリハビリに専念。結果としてランキングポイント(有効期限は1年間のみである)を全て失いランク圏外になる。

しかし、復帰後は下部大会を中心に勝利を重ね順調にランキングを回復。
プロテクトランキング*1を利用してエントリーした全仏オープンは繰り上げで本戦初出場。初戦に勝利したものの、二回戦でノバク・ジョコビッチと対戦。フルボッコにされる。
主催者推薦を得て出場したウィンブルドンでは初戦でいきなりラファエル・ナダルと対戦。まあノーシード選手にはよくあること。
因みにナダルはこの年のウィンブルドンで優勝。

全米オープンでは予選を勝ち上がり本戦出場。二回戦で第11シードに勝利。

世界ランキングは98位まで復活。


〇2011年
覚醒の年である。
まず全豪オープンでは三回戦まで進出。
他の大会でラファエル・ナダルと三回目の対戦。やっぱりボコられる。

全米男子クレーコート選手権では決勝進出を果たすが、惜しくも敗退。
全米オープンでも二年連続で二回戦に進出したが敗れている。

デビスカップでは日本のエースとしてシングルス・ダブルスで大活躍(5戦全勝)し、
あの松岡修造でもなし得なかった日本の27年ぶりのワールドグループ昇格に大きく貢献。

10月の上海オープンでは世界ランキング8位のツォンガにセットカウント2-1で勝利する等活躍し、松岡修造の持つ日本人最高ランクである46位を更新し17日付で30位となった。

そして11月、事件が起こる。
スイス・バーゼルで行われているスイス・インドアに主催者推薦枠で出場した錦織は、初戦で世界ランキング7位のベルディヒに逆転で勝利。
ツォンガに続き二回目のトップ10に勝利である。

続く準決勝。相手は第1シード、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ。
この年のジョコビッチの強さは異次元のものがあり、当然誰もがフルボッコにされると思っていた…


が、なんと錦織圭は勝ったのである。
スコアは2-6, 7-6(7-4), 6-0。大逆転歴史的快挙であった(ジョコビッチは明らかに本調子ではなく右肩の負傷によりメディカルタイムも使用していた)。
この時の芸スポ板の盛り上がりは凄かった。

決勝では幼い頃から憧れの選手であったロジャー・フェデラーとの初対決。
この勢いでまさかの優勝!?と結構な人が思っただろうがやっぱりフルボッコ。
世界ランキングも25位にまで上昇。まさに飛躍の年であった。


〇2012年
今年最初の大会は二回戦で敗退してしまうものの、ランキングが32位以内である為、全豪オープンにおいて日本男子シングルス初のシード権を獲得。

前哨戦では世界ランキング6位のツォンガ、同16位のロディックに勝利し調子は上向きであった。

そして三回戦では39位のベネトー、四回戦では再びツォンガを共に逆転で勝利し全豪では80年ぶり、グランドスラムでは松岡修造以来のベスト8に進出した。
この活躍により1/30付の世界ランキングにおいて20位まで上昇。



〇2013年
マドリード・オープン3回戦にて、ついにあのロジャー・フェデラーを撃破し準々決勝に進出。
スコアは6―4、1―6、6―2であり、特に2セット目からほぼ万全状態のフェデラーを打ち破ったことになる。
一体どこまで行ってしまうのか…

この年の終わりに4大大会男子史上最年少優勝記録を持つ*2台湾系アメリカ人の元世界ランク2位マイケル・チャン氏をコーチに迎える。

〇2014年
チャンコーチの指導もあり、錦織にとって飛躍の年となる。
全豪オープンでは3年連続16強入りを果たすも待ち構えるはナダル。
2セットでタイブレークまで持ち込むも結果的にはストレート負けとなった。
3月には再びフェデラーと対戦し、2-1で勝利、彼から2勝目を奪った。続く準決勝でジョコビッチとの対戦が決まっていたが怪我のため途中棄権。
5月ではクレーのマドリード大会で決勝まで進出。相手は当然ながら赤土の王者ナダル。
しかし大方の予想に反し第1セットを6-2とナダルを圧倒し先取。このまま行くかと思われたが第2セット途中で腰を痛め途中棄権。惜しくも準優勝となった。
とはいえ、クレーコートで圧倒的な強さを誇るナダルを怪我するまで圧倒していたことは世界に衝撃を与えた。
ウィンブルドンでも自身初のベスト16進出を果たしたものの、7月のシティ・オープンの後に足の指の手術を行い全米オープンまで3週間ほど休養。

そして第10シードで迎えた全米オープン、彼はハジけた

ベスト16まで1セットも落とすことなく勝ち上がり、迎えるはウィンブルドンで敗れている世界ランク6位のビッグサーバー、ラオニッチ。
彼の230km/hを超えるサーブに苦しみながらも持ち前の粘りで食らい付き、日付が変わった午前2時26分、フルセットの末勝利をもぎ取った。
日本男子92年ぶりとなる全米8強入りを果たし、続く準々決勝では今年の全豪覇者、世界ランク4位のワウリンカと対戦。
こちらもフルセットまでもつれ試合時間が2試合連続で4時間を超える激闘の末にワウリンカを破り96年ぶりとなる全米4強を果たした。
そして迎えた準決勝、相手はこの大会の第1シードにして世界ランキング1位の人外トリオが筆頭、ノバク・ジョコビッチである。
事前のオッズではジョコ1.1に対し錦織6.5と、大方の予想はジョコビッチが圧倒的に有利と見られていた。
しかし、気温が35度を超える猛暑の中、これまでの試合で計14時間以上戦ってきた錦織が躍動する。
常にアグレッシブに攻め続け、終盤はほぼ主導権を渡さずセットカウント3-1(6-4、1-6、7-6、6-3)で人外を撃破した
この後、マレーシアオープン、日本開催の楽天オープンと2週連続優勝を果たし、世界ランクは6位へと上昇。
10月のパリマスターズでもツォンガやフェレールといった強敵を倒し準決勝へと進出。
これにより、年間獲得ポイント上位8人*3によって争われるATPワールドツアーファイナルへの出場権をアジア選手として初めて獲得した。
年間最終ランキングは5位。



〇2015年
2月のメンフィス・オープンでは自身初の大会3連覇を達成。3月2日発表の世界ランキングでは自己最高の4位となった。
4月のバルセロナ・オープンで2連覇を達成。ATPツアーでの9度優勝はクルム伊達公子を抜き日本人最多となった。
第5シードで迎えた全仏オープンでは準々決勝で敗れるものの、日本人としては82年振りとなる全仏ベスト8入りを果たした。
しかしこの後ふくらはぎの筋膜炎が再発、ウィンブルドンは2回戦で棄権となってしまった。
ただしこの勝利により生涯獲得賞金がアジア選手として初めて1000万ドルを突破した。
シティ・オープンでは前年全米決勝で敗れたチリッチを決勝で破り初優勝。
ロジャース・カップでは今まで勝てていなかったナダルからついに初白星を奪っている。
そして過去最高の第4シードで迎えた全米オープン、前年決勝進出したことからも期待が大きかったがまさかの初戦敗退を喫した。
その後は怪我もあり調子が上がらず、2年連続でツアーファイナル出場は果たしたものの2015年の最終ランキングは8位と前年よりランキングを下げた。



〇2016年
全豪オープンでは昨年に続きベスト8進出。また全豪通算20勝となり男女合わせて日本人最多となった。
今年は人外ジョコビッチが錦織の前に悉く立ちはだかり、3月のマイアミ・オープン、5月のマドリード・オープン、7月のロジャース・カップでジョコビッチと対戦し敗れている。
8月のリオデジャネイロ五輪では準々決勝でモンフィスと激闘を繰り広げ、マッチポイントを握られてから怒濤の5連続ポイントを奪い逆転勝利で準決勝へと進出。
準決勝では最近人外じみてきたアンディ・マレーに敗れ決勝進出を逃すも、3位決定戦でナダルを破り銅メダルを獲得、日本人として96年振り2人目のテニス競技の五輪メダリストとなった。
第6シードで出場した9月の全米オープンでは準々決勝でリオ五輪金メダルを獲得し今大会第2シードのマレーと対戦。
フルセットの末マレーを破り2年振りとなるベスト4入りを果たした。またこの勝利によりTOP4と呼ばれる4人全てから複数回勝利をもぎ取った。
この年もツアーファイナルに出場。年間最終ランキングは5位。



〇2017年
昨年優勝した年始のブリスベンでは決勝でブルガリアのグリゴール・ディミトロフに敗れた。
全豪オープンでは4回戦でフェデラーと対戦。4大大会では初の対戦。
またフェデラーは膝の負傷のため今大会が昨年のウィンブルドン以降半年ぶりの公式大会出場であり、フルセットまでもつれたが最終的にフェデラーが勝利。
世界屈指のストローカーである錦織に勝利して自信を得たフェデラーはこの全豪オープンで優勝を果たした。

だが錦織の方はこのフェデラーへの敗戦以降歯車が少しずつ狂い始める。
2月は全仏を見据えた修行として例年の北米ハード大会ではなく南米のクレー大会に出場したものの、整地の良くない荒れたクレーにストレスをためていく。
マナーの良さが評判だった錦織にコート上で声を荒らげたりラケットを叩きつける場面が見えるようになり、客席からブーイングを受けることが増えていった。

ウィンブルドンでは3回戦で過去5戦負け無しだった第18シードのロベルト・バウティスタ・アグートに初黒星。
優勝経験のあるシティ・オープンでは準決勝で次期王者の呼び声高い20歳のアレクサンダー・ズベレフ(サーシャ)に完敗。
続くカナダのロジャーズカップでは初戦のモンフィスにセットポイントやマッチポイントを何度も逃して敗れるという苦しい負けが続いた。

そしてついに決定的な出来事が起きる。

8月第二週のシンシナティ大会に向けた練習中に手首を負傷し病院に急行。しばらくして錦織が全米オープンを含む2017年残り全ての大会を欠場することが発表された。
負傷内容は手首の腱の部分断裂。サーブやバックハンドなど手首を曲げ伸ばしする際に負荷がかかる場所であった。
実は春先にも手首の痛みを訴えており回復のため4月のバルセロナ大会を欠場。5月のマドリード大会でも痛みが再発したため大会途中で棄権していたのである。
念を入れて複数の医師に相談した結果、手術はせずにギブスによる固定で対応。ベルギーで治療とリハビリにあたった。

前年度にベスト4まで進んだ全米オープンやツアーファイナルの出場を逃した結果、年間最終ランキングは22位までダウン。
2017年は昨年怪我で調子を落としていたフェデラーとナダルが劇的な復活を見せる一方、マレー、ジョコビッチ、ラオニッチ、ワウリンカ、錦織の2016年最終ランキング上位5名が怪我のため揃って全米を欠場し早期休養に入るという、男子テニス界が混迷を極めた年であった。



〇2018年
「リハビリは進んでいるがまだ試合で戦う準備ができていない」として年始のブリスベンから全豪オープンまで欠場。
全豪後のチャレンジャー(下部大会)ニューポートビーチで大会で5ヶ月ぶりに公式戦復帰。
だが錦織はここで世界ランキング238位のデニス・ノビコフに1回戦負けを喫してしまう。
ここ数年100位以下の選手に負けることはなく、怪我明けのブランクで仕方ないとはいえかつての精彩を欠いた姿にファンは不安になった。
しかし翌週に続けて出場したチャレンジャーのダラス大会では1回戦でノビコフへのリベンジを果たしそのままチャレンジャー大会で優勝。ファンを一安心させた。
次のニューヨーク・オープンでは100位以内の選手にも勝利を重ねた。

4月のモンテカルロ・マスターズでチリッチ、サーシャのTOP5選手2人を破り2年ぶりとなるマスターズ決勝に進出。クレーキング・ナダルに挑むがストレートで敗れた。

一球入魂サーブを習得して挑んだウィンブルドンで初となるベスト8進出を果たし、これをもって4大大会全てでベスト8進出を果たした。
その後は全米でベスト4、楽天オープン準優勝、上海マスターズベスト8、ウィーン準優勝、パリマスターズベスト8と安定した勝ち進みを見せ、
年末にはランキングを9位まで上昇させTOP10復帰を果たす。
さらに当時4位のデルポトロと2位のナダルが負傷でツアーファイナルの出場辞退を発表し、繰り上がりとはいえ2年ぶりにツアーファイナル出場権を獲得。
しかし調子があがらずRR敗退に終わり、そのまま9位で2018年シーズンを終えた。

ちなみに怪我や病気から復帰した選手に贈られるカムバックオブザイヤーの候補にノミネートされたが、年始の初白星献上状態から後半の怒涛の活躍で1位復帰を果たしたセルビアの戦士ジョコビッチに贈られることとなり受賞はならず。


〇プレースタイル
オールラウンダー。基本的にベースライン付近での打ち合いを好む。両手でのバックハンドショットに年々磨きがかかっている。
それほど強力なサーブやパワーはないものの、ストロークの正確さ、深さを武器にしている。スピンのかかったドロップショットも得意としている。
サーブに関してはMAXでも190km/hそこそこといったところであり、平気で200km/hを超えてくるトップクラスの選手たちと比べるとどうしても見劣りする。
その分サービスリターンは強烈であり、2ndサーブ時はポイントを奪い返すことも多く、高く評価されている。
怪我は多いもののスタミナには優れており、2014年全米で2試合で8時間以上を戦いベスト4入りした際は現地で「マラソン・マン」と称された。
チャンをコーチに迎えてからは特にメンタル面が鍛えられ、相手が根負けするような試合でも競り勝ち勝利を収めている。
特にフルセットに持ち込んでからの勝率78.7%(2016年9月現在)はジョコビッチらTOP4の選手をおさえて歴代最高の勝率である。



追記・修造はウィンブルドンに出場してからお願いします。

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   三三三三三三
  三ミ三ミミ三三三
  ミi′ ` ̄ ̄`i三
  ‖ _、ハ _、|ミ
  1^炎′`炎` ||
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 _|! |、||ニニノ || ,-)_
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圭!世界1を目指せ!お前ならやれる!

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最終更新:2021年07月26日 15:32

*1 怪我で半年以上大会を欠場した選手への救済制度。最後に出場した大会から3ヶ月前までのランキングの平均値を算出し、大会エントリー用ランキングとして使用できる。

*2 17歳3ヶ月で全仏オープン優勝

*3 9位以下に4大大会優勝者がいた場合は8位に代わって出場権を得る。