津山事件

登録日:2010/05/21 Fri 01:44:37
更新日:2024/04/12 Fri 15:49:32
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この項目では実際に起こった殺人事件を取り扱っています。







本事件は1938年(昭和13年)5月21日未明に、岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落で発生した大量殺人事件。
1時間半ほどの短時間にたった1人の犯人によって30人が殺害され、3人が重軽傷を負うという日本の事件史でも類を見ない事件となった。

犠牲者の数から、津山三十人殺害事件、津山三十三人殺傷事件などとも呼ばれる。

なお上記のように現場は津山ではないため津山事件との呼び方にはやや語弊があるが、
現在は市町村合併によって津山市に編入されている。

犯人は村に住む青年、都井(とい) (むつ)()(21)。
名前については当時の新聞などで「睦雄」「睦夫」など混乱が見られる。
資料によっては22歳と書かれているものもあるが、これは当時一般的な数え年が使われているため。

ちなみに
  • 短時間
  • 単独犯
  • 銃以外で大量殺戮を容易に可能にする手段(爆弾や放火等)の不使用
に限った場合、日本ではワースト1位。世界でも2017年のデータでワースト7位。
これ以上ない最悪の条件が重なった事件な為、日本ワースト1位は絶対に更新されることはないだろう。


【事件のあらまし】


事件前日の午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾部落のみを全面的に停電させる。
村人たちは不審に思って騒いだものの(ちなみに生存者の証言では都井もその中にいたらしい)、電力が不安定な戦時中の田舎でもあり、誰もが電力会社へ通報することなくいつもより早く就寝についた。

翌21日1時40分頃、都井は自室としていた屋根裏部屋で詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、
頭には鉢巻を締め小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。
首からは自転車用のナショナルランプ(電池式のヘッドライト)を提げ、腰には日本刀一振りと匕首(合口のような短刀)を二振り、
手には5連発を9連発に改造したブローニング猟銃(ダムダム弾を装填)を持った。

なお犯人像として映画『八つ墓村』の影響からか懐中電灯を角のように鉢巻に垂直にぶっ差している絵がよく描かれるが、これをしても頭の上を照らすだけで何の意味もないので間違い。
映画「丑三つの村」のDVDパッケージにあるように、懐中電灯は正面を向くように取り付けられている。

そして階下で寝ていた祖母の首をで切断して殺害。
その後、闇に乗じて、鍵をかける習慣のなかった近隣の家に次々と押し入り、住民を次々と殺害していった。

その結果、
  • 刺殺: 4人(1人は斧、3人は日本刀による)
  • 射殺: 26人
  • 侵入軒数: 11軒
  • 一家全滅: 3軒
  • 重傷: 1人(胸を撃たれたものの一命を取り留めた)
  • 軽傷: 2人(脚などを撃たれた)
という凄惨なものとなった。

しかし一見すると無差別殺人だが、
  • ターゲットは特定の人物並びにその縁者に限られていること(逃げてきた住民をかくまったため巻き添えになった家もある)
  • 通常なら無差別殺人事件では死者と共に大勢出るのが一般的な負傷者が、本事件では(軽傷者込みで)3人とかなり少ないこと
  • とある家では「お前は自分の悪口を言わなかったから」と老人を見逃していたこと
などから、都井は計画的、かつ冷静に犯行を進めていたことがうかがえる。

その後、隣の部落の一軒家に押し入り、以前から知り合いだった子供から鉛筆と雑記帳を借りて立ち去る。

翌朝、山狩りによって3.5km離れた荒坂峠の山頂にて、猟銃で自殺した都井が発見された。
遺体のそばには借りた雑記帳に書いた遺書が残されていた。
また、事件前に書いた遺書が自宅から2通発見されている。

遺書には、
  • 自身が犯行へ至る動機となった病への不安
  • 病による住民の迫害への恨み
  • 関係を持ちながら離れていった女性たちや、不仲だった男たちへの憎しみ
  • 残される不憫を思いやむなく殺害した祖母と、残された姉(既に結婚して家を出ていた)への謝罪
  • そして「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」無念
が記されていた。

都井の姉は弟を丁重に葬りたがったが、夫や親族の反対により、近くの川から持ってきた人の頭ほどの大きさの何の変哲もない石が彼の墓標代わりとなっている。


【事件が起きるまで】


犯人の都井睦雄は1917年3月5日、岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。
3歳までに両親を相次いで結核で亡くし(父親の死亡時に家督も継いでいる)、姉とともに祖母のもとに引き取られる。
6歳のときに祖母の生まれ故郷の貝尾部落に引っ越した。

見知らぬ土地というのもあったせいか、幼少期の都井の遊び相手は近所の子供たちではなくもっぱら姉で、引きこもりがちな子供だった。
また祖母は過保護なところがあり、病気を理由に小学校入学を1年遅らせたり(実際には3月生まれなためクラスで落ちこぼれることを防ぐためと思われる)、入学後も度々休ませたりしていたとか。

しかし休みが多いこととやや内向的なことを除けば、成績も態度も悪くないごく普通の真面目な子供で、成績自体はむしろ上位であったらしく、級長に選ばれることもあった。

高等小学校卒業時に教師から進学を勧められ、祖母に岡山市内の中学校へ進学したいことを相談するも、都井を手元に置きたがった祖母の反対により断念している。

その高等小学校卒業後、心の拠り所であった姉が結婚し、家を出ることとなる。
姉が家からいなくなったことで都井はそれまで真面目に取り組んでいた勉強にも消極的になり、ますます引きこもりがちになっていくが、
同年代とは関わらない代わりに近所の子供たちとは仲良くしており、当時の少年向け雑誌に掲載されていた小説を子供向けにアレンジして読み聞かせたり、紙芝居を読んでやったりしていた(事件当時、雑記帳を借りたのも仲良くしていた子供の一人だった)。

そして、20歳頃から都井は女に興味を持つようになる。
当初は娼婦を買っていたが、やがて当時田舎の村では一般的だった夜這いの習慣に倣い、村の女たちに手をつけるようになっていった。

しかし事件の前年、1937年に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。
当時の徴兵検査は一種のステータスであり、これに落ちるということは相当な恥であった。
この情報はすぐに広まり、これまで関係を持った女性たちは「お前は徴兵をハネられたんやないか!」と関係を拒絶するようになった。
都井は躍起になり、都井家の土地を切り売りして金品を出して迫るも、拒む女性たちは増える一方だった。
*1

この頃から都井は狩猟免許を取り、猟銃や日本刀を買い集めて猟銃をぶら下げて徘徊したり、射撃練習をしたりした。
これは村人が悪口を言わないよう脅したり、女性たちを言いなりにさせたりするのが当初の目的だったと推測されるが、やがて殺意に変わっていったようである。
そんな都井を不審に思った村人から通報を受けた警察に家宅捜索され、武器はすべて没収されるが、本人は懲りることなく、むしろこれで周りの人間は油断したと考えて再び武器を極秘裏に買い集めた。

そして特に懇意にしていたが都井を振って他の男と結婚した女性2人が里帰りしてきた日に事件は発生した。
*2

しかしこれは遺書と数少ない証言や証拠と状況証拠による推測であり、確実さには欠ける。
生存者たちも事件について語ることは少なく、語ったとしても夜這いや村八分などの村の暗部については否定しており信頼性は低い。
一方80年近くを経た今、ぽつぽつと語られる内容の中には夜這いや村八分を認めるものも含まれている。


近年、あるTV番組で津山事件が特集された際、事件直前に電話線を切って回っていた都井とすれ違い、言葉を交わしたという女性が証言をした。
彼女は「彼は見るからに好青年で、その時も別れ際に『気をつけて帰れよ』と言ってくれた」と語った後、
「わたし達がもう少し優しくしていれば、あんなことにはならなかったのじゃないか」と声を震わせていた。


事件当日に都井に雑記帳と鉛筆を貸した、以前から彼と顔見知りだったという子供も、自身の家族が都井の異様な風体に怯えて動けなくなる中、
別に「貸さないと殺す」と脅されたわけでもないのに、素直に都井が所望したものを渡しているところを見るに、交流していた近所の子供たちからは純粋に慕われていたことがうかがえる。
なお、都井はこの子供やその家族を傷つけることなく、「いっぱい勉強して偉い人になれよ」と言って立ち去ったという。



【その後】


貝尾部落は事件によって世帯が大きく減り衰退したが、現在でも人は住んでいる。
都井家は空き地となっている。

都井の姉はその後、津山市街にて家族でうどん屋を経営し、そして90年代後半に亡くなった。

また前述の生き残った女性は2008年まで存命であることが確認されている。
ちなみに事件直後に妊娠したことから「都井の子ではないか」と親族から離縁を迫られたが、
ご主人は「あの都井が執着したほどの女を手放すわけにはいかない」と豪胆に断ったとかなんとか。

先にあげた都井家の墓所だが、現在は天然の竹が侵食してきており、祖母の墓の隣にある都井睦雄の墓も埋まりつつある。
自業自得、と思うかもしれないが、さしもの地元民でも「流石にそれは可哀想」と墓所の荒れ具合を哀れんでいるとのこと。
とはいえ竹林を切り開くのは容易ではなく、このままいけば都井睦雄の墓があった痕跡も消えていくと思われる。

そして、長らく日本史上最悪の死者を出した殺人事件として名前が挙がっていたこの津山事件だが、
2019年、アニメ制作会社「京都アニメーション」の第一スタジオにて発生した放火殺人事件、通称「京アニ(放火)事件」にて、津山事件の30人を超える36人もの犠牲者が出てしまったのである。
「大量殺戮を容易に行える手段を使用していない」、すなわち凶器殺人という点を加味すれば*3津山事件が未だ最悪であるが、
この事件が、単独犯が起こした殺人事件で起こった犠牲者数の国内ワースト1位を更新してしまうこととなった。
両事件の犠牲者の冥福を祈ると共に、これ以上更新されるようなことがないように願うばかりである。


【事件を扱った作品】


津山事件は大きく報道され*4、影響を受けた創作も作られた。

  • 事件に関する文献
「闇に駆ける猟銃」松本清張
「津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇」筑波昭

  • 小説
「八つ墓村」横溝正史:冒頭で描かれる過去の事件のモデルが本事件。
「龍臥亭事件」島田荘司:本事件が起こった村を舞台にし(村の名前等は架空のもの)、この事件が「切っ掛け」等になって連続殺人が発生する。
「丑三つの村」西村望:古尾谷正人主演で映画化もされた。
「夜啼きの森」岩井志麻子

  • 漫画
「負の暗示」山岸凉子
「夜見の国から~残虐村奇譚~」池辺かつみ
「サタノファニ」山田恵庸

  • ゲーム
SIREN」SCE:本事件をベースにしたと思しき「××村三十三人殺し」という都市伝説が、主人公の一人を物語の舞台に導くこととなった。*5

またこの事件をベースに杉沢村の都市伝説が作られたと見られる。
もっともこの事件も発生から80年が過ぎ、大きな証言が語られる事なく事件当時の生存者が全て亡くなった為、都市伝説の域になっている。


【注意】


興味本意での現地探訪はおすすめしない。
狭い上に他に何もない部落なので、よそ者がいるとすぐに事件目当てとバレる。

なお、2010年に現地を訪問し、住人のおばあさんから快く事件について話を聞くことができたブログがあるが、
ブログ主のコミュ力と、おばあさんが事件後に嫁いできたので事件を見ていない方だったためで、気安く真似しない方が賢明だろう。

近年はYoutuberなどが足を運んでいる動画がアップされているが、その多くは事件地を探訪するのが目的での来訪ではあったが、
地元の人に気を遣っての訪問をしている動画が多く見られる。
それによると近年は空き家が倒壊したり、空き地にソーラー発電施設が出来上がるなどして、衰退と開発の両面が見られる状況になっているようである。


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最終更新:2024年04月12日 15:49

*1 もっとも自殺現場に選んだ荒坂峠はいくら興奮状態にあったとはいえ、結核患者が楽に登れるような山ではなく、診断は誤診ではないかとの説もある。

*2 尤もその女性たちのうち1人は軽傷を負わせただけで取り逃がし、特に恨みを感じていた女性も当日に部落を出ており、結果、遺書で名指ししていたターゲットを全員殺すことはできなかった。

*3 上述の通り、この「手段」に「放火」も該当するため。

*4 皮肉にも彼が愛読していた、少年倶楽部でも特集された

*5 詳細は伏せるが、実はこの都市伝説も、このゲームのとあるテーマを象徴する要素の一つであることが最終盤で明かされている。