エディ・ゲレロ

登録日:2012/11/13(火) 00:22:45
更新日:2022/09/05 Mon 11:01:37
所要時間:約 6 分で読めます




ビバ ラ ラッサ~!

エディ・ゲレロはアメリカのプロレスラー。テキサス州エル・パソ出身。

【プロフィール】
本名:エドゥアルド・ゴリー・ゲレロ・ジャネス
誕生日:1967年10月9日
死亡日:2005年11月13日
没年:38歳
身長:174cm
体重:102kg
ニックネーム:ラティーノ・ヒート


【人物】
プロレスの名門であるゲレロ家の末っ子として生まれたメキシコ系アメリカ人で、厳密にいうと、国籍はメキシコである。ただし、アメリカ、メキシコ両方の市民権を持っている。
父親のゴリー、兄のチャボ(クラシック)、マンド、ヘクター、クラシックの息子チャボジュニアもプロレスラーである。
ちなみに、チャボクラシックとエディは18歳差。

試合運びやパンプが巧みで、多くのレスラーから信頼と尊敬を集めていた。
TAKAみちのく「世界で一番早いレスラー」
TAJIRI「小さいけれどプロレスの神様」
CIMA「世界最高峰のレスラー」などなど…


【来歴】
プロレス一家であるためか、リングデビューは早い。3歳でヘクター相手にドロップキックを放ったと言われている。
また、甥チャボとは3歳差で兄弟のように育ち、二人で興行の休憩中に余興的な試合を息ピッタリに行い、観客の目を釘付けにしてしまう。
正式にプロレスデビューしたのは1987年で、兄たちとのコンビでCMLLを主戦場とする。

初来日は1992年で素顔で新日に登場。正統的な動きの中に優雅で切れのある空中技を使い、天才レスラーと呼ばれる。クリス・ベノワ、ディーン・マレンコと出会ったのもこのころ。
同じころ、メキシコでは自身の扱いが悪いと感じ、CMLLを脱退してAAAに移籍。その際、自らマスクを脱いで正体を明かした。これはあとにも先にもエディただ一人。

その後も、日本とメキシコを往復する日々が続き、
日本では二代目ブラックタイガーとして獣神サンダーライガーや三代目タイガーマスク、ベノワ、マレンコらと新日本ジュニア黄金時代を築く。1996年には新日本プロレスのジュニアの祭典「BEST OF THE SUPER Jr」で優勝を果たす。
メキシコではトップヒールとして活躍する。

1995年にECWを経てWCWに移籍。
しかし、ヘビー級のベテラン達が権力を独占していたWCWではクルーザー級選手とどんな名勝負をしても重用されることはなく、終始中堅的な位置に甘んじる日々を過ごす。
nWoブームが下火になったころから、睡眠薬などの過剰摂取も始まり、このことが後々の人生を大きく変えて行くこととなる。

WCWには2000年まで在籍したが、内部の腐敗や扱いの悪さに耐え切れず、ベノワ、マレンコ、ペリー・サターンと一緒にWWFへ移籍。4人でラディカルズを結成する。
その後、チャイナと熱愛メロドラマを展開して人気を博す。
しかし、2001年11月9日にミネソタ州ミネアポリスで飲酒運転による事故を起こし、解雇。

翌年、心を入れ替えて再契約。
甥チャボとロス・ゲレロスを結成してタッグ戦線に殴り込むと、チームのキャッチコピーの「Lie Cheat Steal(ズルして、ダマして、盗み取れ)」を活かし、
ずる賢いファイトスタイルで人気を一気に掻っ攫い、一躍トップに上り詰めた。
2004年2月に当時無敵状態だったミネアポリス出身の絶対王者ブロック・レスナーを倒してWWE王座を奪取。
史上初のメキシコ系&史上最も小柄なWWE王者になった。
この時リングサイドでは母親が観戦しており、ベルトを持って抱き着いたシーンは視聴者の涙腺を崩壊させた。
翌月のレッスルマニア20ではカート・アングル相手にズルしてダマして王座を防衛、世界ヘビー級王者になったベノワとリング上でハグしてまたも視聴者の涙腺を崩壊させた。
2005年11月13日早朝、ミネアポリスのホテルで急死。38歳、まだまだこれからというときに旅立ってしまった。死因は動脈硬化性疾患。

エディの訃報は日本にもすぐに伝えられ、多くのファンが悲しみに包まれた。
直後のRAWとスマックダウンはストーリーラインを一旦中止してエディ・ゲレロ追悼興行となった。
RAWでは冒頭から全選手が入場口に集まりビンス・マクマホンがスピーチした後にテンカウントが鳴らされた。屈強なレスラーがボロボロ涙を流し、故人の冥福を祈った。
鳴り響くテンカウントの最後の方でカメラはとある子供が親の胸で号泣する様を映した。どうにか涙をこらえていた視聴者の多くはこのシーンで涙腺がぶっこわれたはずだ。


【エディの死後】
在籍していたスマックダウンのバックステージは大きな穴が開いたように寂しくなったという。
年が明けると、地元エル・パソ市がエディに市民栄誉賞を与え、妻のヴィッキーが受けとった。さらに、WWE殿堂入りも発表された。

その後、WWEには妻のヴィッキーが登場して強烈なキャラクターで接見。また、長女のシャール・ゲレロが下部のFCWに所属していた(後に学業優先で退団)。


【得意技】
●フロッグ・スプラッシュ

WWEでの絶対的フィニッシャー。
メキシコを離れてからの相棒で、若くして夭逝してコンビ解消となってしまった“ラブマシーン”アート・バーから引き継いだ技。*1
余りのモーションの美しさから、空中で静止したようにすら見えた程。

●スリーアミーゴス

ブレーンバスターの3連発。ここからフロッグスプラッシュに繋げるのが必勝パターン。現在のWWEでは多くのレスラーが使用する定番ムーブの一つとなっている。
元祖は全日本プロレスで活躍した“火の玉小僧“菊地毅。

●ラッソ・フロ・エルパソ
逆エビ固めの一種。

●スイングDDT
●垂直落下式ブレーンバスター
●BTボム
新日時代の技。基本WWEでは使用していない。

●ライ・チート・スティール(ズルして頂き)
技ではないが、エディが大人気を博したスタイル。
例を挙げると、レフェリーを背後から椅子で殴り、ダウンさせる。起き上がるタイミングを見計らって相手選手に椅子を投げ渡す。
レフェリーが気づくと椅子を持っている相手が自分を殴ったと思い込んでそのまま反則裁定を下してしまい、エディが反則勝ちになる。


【逸話】
新日時代の某地方大会での話。

第一試合、小原vs大谷。
先に入場した小原に大谷がスワンダイブドロップキックで先制、会場が一気に盛り上がる。そして、二発目を狙ったー!

が、軽くすかされて自爆。そして小原の喉輪落としがきまってカウント3。時間にして1分。

観客「えーーーーーー!」

第二、第三試合も3分ほどで終了。無気力とも思われかねない試合が続いた第四試合、ブラックタイガー(エディ)が登場。相手はエル・サムライ。
実はこの日の前日がテレビ放送がある興行で、観客もそれを知っていた。この試合が休憩前とあって会場はどっちらけ状態になってしまった。
そのとき、一人の観客が叫んだ。

エディ!なんとかしてくれ!!

この行為自体は褒められたものじゃないが、この野次を聞いたエディとサムライは華麗なロープワークから始め、ドロップキックの相打ち。
ショルダースルーを切り替えして場外に逃げるサムライに対してトペ!に見せながらフェイント。
観客の「なぁ~んだ」という声が聞こえた瞬間にきびすを返して三角飛び式のトペ・コンヒーロが炸裂!
結局20分にも及ぶ熱戦が繰り広げられ、会場が一気に盛り上がった。


小さい体でWCWやWWEでデカいレスラーと渡り合い、観客が何を求めているかを肌で知り、それをそのまま試合に反映させることのできる数少ないレスラーである。


【余談】
  • 2000年に、隠し子が発覚してヴィッキーとは1度離婚している。しかし、縒りを戻すために昔の恋人時代に戻って、待ち合わせてからデートを繰り返しして、許してもらい復縁に至った。

  • エディ・ゲレロ(ゲレロ家四男)、エディ・ファトゥ(ウマガ、リキシの弟)、エディ・コロン(プリモ、カリートの弟)など、エディという名前はWWEには弟キャラが多い。




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最終更新:2022年09月05日 11:01

*1 フロッグ・スプラッシュ(屈伸式ボディプレス)の元祖とされる。エディはラブマシーンの技を「本当にカエル式だった」と評している。尚、ラブマシーンのそれは現在は開脚式フロッグ・スプラッシュとも呼ばれる型である。