ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道

登録日:2013/12/24(火) 10:49:46
更新日:2023/09/07 Thu 10:35:03
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 陸上の交通機関の代名詞である『鉄道』。たくさんの人々や貨物を迅速に遠くまで運べる輸送手段として、古くから人々に親しまれているのはご存じのとおりだろう。
 そんな鉄道が、を越えて二つの場所を結ぶ、と言う例は数多い。かつての青函連絡船、本四連絡船のようなフェリーを使う場合や、現在の青函トンネルやドーバートンネルのような海底トンネル、そして瀬戸大橋を代表する巨大な橋など、世界各地には様々な「海」を越える鉄道路線が存在する。特に日本にある関門トンネルは世界初の海底鉄道トンネルとして知られており、青函トンネルも世界で屈指の長さの鉄道トンネルとなっている。

 ……だが、今をさかのぼる事100年以上前、とんでもない方法で海を越えた鉄道が存在した。

 その名は「ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道(Brighton and Rottingdean Seashore Electric Railway)」。かつてイギリスに存在した、世界で最も風変わりな鉄道路線(※ギネス公認)である。
 日本風に言うと『ブライトン・ロッティングディーン海岸電鉄』と言った感じかもしれない。

目次



◆誕生まで


 この鉄道が存在していたのは、イギリスにある観光都市『ブライトン』。古くから海水浴客が多数訪れ、貴族や王族の人たちなどセレブからも人気を得ていたこの町には、世界でもかなり早い時期から『電車』が活躍している事でも知られている。

 観光都市ブライトンとロンドンの間には古くから蒸気機関車による鉄道が走っていたが、それとは別に1883年に、イギリス初の電気鉄道『ブライトン電気鉄道』が開通した。日本の地下鉄銀座線や地下鉄御堂筋線と同じ、線路の横に架線がある「第三軌条」方式を用い、小柄な可愛い電車が導入された。現在もなお活躍を続けており、世界最古の電気鉄道として親しまれている。

 このブライトン電気鉄道を建設したのは、「マグナス・フォルク」と言う名の技術者。公共火災警報装置の発明や大がかりな電飾の施行など様々な面で活躍しており、ブライトン電気鉄道も彼の功績から「フォルクの電車」と呼ばれている。
 そんな彼は、このブライトン電気鉄道に続いて、ブライトンの町から少し離れた場所にある「ロッティングディーン」まで、新たな鉄道路線を築く事を計画した。ところが、その中で厄介な問題が浮上した。二つの地域を結ぶ鉄道を完成させるためには、その間にそびえ立つ巨大な崖を乗り越えなくてはならなかったのである。高架橋で跨いでしまう、急勾配の路線を建設するなど様々な対策はあったものの、どれも凄まじく金がかかる……。

 そこで考え出されたのが、陸ではなく「海」を越える鉄道であった。


 ……詳細は置いておいて、まずその「ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道」の全貌をご覧いただきたい。


 ……色々と突っ込みはあるかもしれないが、これでも正真正銘、実在した「電車」である。


 なんとこの鉄道、海の「中」に線路が敷いてあるのだ。


◆仕組み


 この鉄道の線路が敷設してあったのは、海の中でも「潮間帯」と呼ばれる部分。潮が満ちると海の中に隠れてしまうが、潮が引くと陸上に姿を現わす場所である。建設費用を削減するため、フォルクはこの場所を有効活用しようと決めたのである。

 ただ、いくら陸上に近いとは言え、この場所は潮が満ちれば海水に覆われてしまうため、普通の電車では海の中に沈んでしまう。そこで考え出されたのが、画像のようなとんでもない「電車」であった。

 台車と車体を繋ぐやぐらのような巨大な支柱の高さは7mもあり、その下、つまり海の中には巨大な車両を支えるために二本のレールが二組用意され、8つの車輪で走っていたと言う。合計四本あるレールの一番端と端の間の長さは何と5486mm、普通の鉄道では考えられないほどの広さである。なお、巨大な支柱の中はモーターの動力を車輪に伝えるための構造となっていた。

 ちなみに駅のホームもこの巨大な支柱に合わせた高さになっていたとか。

 一方、船にそっくりの車体の方は二階建ての構造になっており、二階部分は屋根のない吹き抜けの構造になっていた。安全のために浮き輪やボートも設置してあり、ますます船にそっくりな外見である。
 そして、写真を見ても分かる通り、その上空にはなんと架線が敷いてあった。最初は蓄電池を使う事も考えられていたのだがまだ当時は技術が未熟だったため、わざわざ海の中に何メートルもの電柱を建てて架線を敷いたのだと言う。
 ショートしなかったのかどうかは不明だが、取りあえず運行に関わるような事態は、電気系統に関しては起きていなかったようである。

 ちなみに車両の全体はこのような感じである。

(画像出典:『Brighton and Rottingdean Seashore Electric Railway』 - wikipedia)

 この異様な外見から、「あしながおじさん(Daddy Long Legs)」と言うあだ名も付いているとか。

 ……海の上に橋を敷いた方が安上がりだったんじゃないかと突っ込んではいけない。


◆運行


 ギネスブックにも『世界一風変わりな鉄道』と言われてしまった「ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道」が開業したのは1896年。

 ところが、開業して一ヶ月も経たないうちにいきなり鉄道は長期の運休を強いられてしまった。ブライトンを襲った大嵐によって大打撃を受け、鉄道車両も嵐の中で転覆するなど甚大な被害が生じてしまったのである。だが、開発者であるフォルクは諦めず、何とか翌年の夏には復旧し、その後は多数の乗客を乗せて走る立派な交通機関として活躍した。

 しかし、その後も鉄道路線の維持には相当な労力が必要になった。何せ線路があるのは潮の満ち引きが激しい場所、ひとたび大波が襲えばあっという間に線路はズタズタになってしまうのである。しかも塩水に浸ると言う事で線路の老朽化も相当大変だったようである。そんな訳で運休が相次いだこの鉄道の経営は、少しづつ悪化していった。

 そして、ブライトンの海岸で大規模な護岸工事が行われる際に、この電気鉄道が海の中に敷いた線路が邪魔になる事が判明し、移設が必要になってしまった。
 結局、開業からわずか5年の1901年、海の中を走った電車「ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道」は廃止されてしまったのである。


 車両もホームも解体されたが、現在も多くの写真が残されており、また線路の土台の一部が今もなお潮間帯に見えていると言う。



 ちなみに廃止後、改めてフォルクは橋を使った普通の電気鉄道を考えたが予算などで建設されなかった。
 最初からそうしろと言ってはいけない。


◆余談

 このブライトンの町に60年代初頭までトロリーバスが運行していた。しかしこちらも普通のトロリーバスとは違い、ロンドンバスのような二階建てだったと言う。連接バスタイプのトロリーバスは世界各地で見られるが、さすがに「二階建てバス」はあまり例が無い様子。
 また、それ以前に路面電車も走っていたが、こちらも二階建てだったと言う。ついでに現在も二階建ての路線バスが町の中を走っている。

 この町を走る乗り物は、一癖も二癖もあるものばかりのようだ。



◆おまけ:琵琶湖疏水のインクライン


 海ではないが、実はかつて日本にも水の中を走る線路があった事が知られている。

 琵琶湖の水を京都まで運ぶ水路「琵琶湖疏水」は、現在は京都の町の水源として重要な要素になっているが、かつてはこの上を何隻もの船が行き来し、旅客や貨物の輸送の要所にもなっていた。しかし、疏水の間にはいくつか上下の差が激しい場所があり、そのまま船で通るのは危険と判断されてしまった。そこで、これを乗り越える手段として考え出されたのが、船を「鉄道」の上に乗せてしまうと言うものだったのである。

 貨物用のケーブルカー『インクライン』を疏水の途中区間に設置し、その区間の水はトンネルを伝って下流へ流れる一方、まるで橋のような形の「車両」の上に乗った船は水の中からそのまま陸に上がり、終点まで坂道を登って行ったという。ちなみにこのような感じである。

(画像出典:『ケーブルカー』 - wikipedia)

 線路の幅は2m以上とこちらもかなり広かったようである。

 この船が鉄道の上に乗ると言う変わった光景は、琵琶湖疏水の客船や貨物船が消える戦後まで見られた。廃止された現在でも車両や線路の一部が保存されており、復活計画も上がっている模様。





 追記・修正はでかいやぐらの上に架線を敷いて海の上を走ってからお願いします。

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最終更新:2023年09月07日 10:35