文責:きょうよ

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第五章 基本的人権の原理

・基本的人権は、人権ないし基本権などとも呼ばれ、信教の自由、言論の自由、職業選択の自由などの個別的人権を総称することばである。

・人権思想の歴史的変化、人権のカタログの歴史的変遷、人権保障のあり方の相違などのために、人権概念が様々に理解されてきている。

一 人権宣言の歴史

・人権宣言の歴史を概観してみると次のような流れである。
①国民権から人権へ
②自由権から社会権へ
③法律による保証から憲法による保障へ
④国内的保障から国際的保証へ

1.人権宣言の萌芽

・人権の思想が歴史的に最も早く登場したのは、イギリスであった。
・1215年のマグナ・カルタ、1628年の権利請願、1689年の権利章典、は近代人権宣言の前史において大きな意義を有する。もっとも、これらの文書において宣言された権利は、「人権」というより「国民権」というべきものであった。

2.人権宣言の誕生

・18世紀末の近代市民革命とともに、はじめて近代的な人権宣言が誕生する。
・1776年から89年の間にアメリカ初秋憲法において人権宣言の規定が設けられた。
→それらの憲法は、社会契約説の影響のもとで制定され、人権を生来の前国家的な自然権として、宣言し保証した。

3.人権宣言の普及

・フランス人権宣言の影響かで、ヨーロッパ諸国に人権宣言を含む近代立憲主義の憲法が制定されていくが、20世紀前半までは、「国民」の権利を保障するものが多く、自然権的な人権の観念は必ずしも採用されなかった。
→この時期の人権は「外見的人権」であると言われる。

・19世紀において、市民革命時の人権観念が衰退していった背景には、
①合理主義や社会主義の思想が発達し、自然法思想にとって変わったこと
②議会制が確立氏、議会による権利の保障という考えが有力になったこと
③法学の対象を実定法に限定し、自然法的なもの政治的なものを排除し、実定法の論理的解明飲みを法学の任務と考える法実証主義が広まったこと
などがある。

・しかし、第二次世界大戦におけるナチズム・ファシズムの苦い経験によって、初期の人権思想が見直されることになる。
→人権は法律によってもおかしてはならない、という「法律からの」保証が強調されるようになった。

4.人権宣言の社会化

・人権宣言の歴史を振り返るとき、人権の内容の面でも大きな変化がみられる。
→それは、19世紀の人権宣言が、自由権を中心とする自由国家的人権宣言であったのにたいし、20世紀以降の人権宣言は、社会をも保障する社会国家的人権宣言となったことである。その最初の典型はワイマール憲法である。
・それ以降、世界各国の憲法は、公正な配分に重きを置く実質的な平等主義に基づいて、多かれ少なかれ、社会権の保障を取り入れ、社会国家として国民の福祉の工場に務める義務を国家に課すようになっている。

5.人権の国際化

・人権思想の進展にともない、人権を国内法的に保障するだけでなく、国際法的にも保障しようとする傾向が強まってくる。
→その最初の代表的な試みが、1948年の世界人権宣言である。

・国際人権規約は、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の二つの規約を言い、前者を社会権規約(またはA規約)、後者を自由権規約(またはB規約)と略称する。
→世界人権宣言とは違って加盟国を直接に拘束するものであり、法的にも極めて需要である。

二 人権の観念

・日本国憲法における人権宣言は、明治憲法の「外見的人権宣言」と異なり、現代人権宣言のもつべき要素を全て含み、自由権も社会権も、ともに「人間の尊厳」性に由来する自然権的な権利として保障していると解することができる。

1.人権の固有性・不可侵性・普遍性

(一)固有性
・人権が憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく、人間であることにより当然に有するとされる権利であることを、ここでは人権の固有性と呼ぶ。
→日本国憲法が、人権を、「信託されたもの」(97条)、「現在及び将来の国民に与へられる」もの(11条)と規定しているのは、この趣旨を表している。
→このような考え方の淵源は、アメリカ独立宣言に求められる。

(二)不可侵性
・人権が不可侵であるということは、人権が、原則として、公権力によって侵されないということを意味する。
→人権の不可侵性もまた、日本国憲法11条・97条において「犯すことのできない永久の権利」という文言に示されている。

・なお、人権の不可侵性は、人権が絶対無制限であることを意味するものではない。

(三)普遍性
・人権は、人種、性、身分などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利である。
→この人権の普遍性は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」という憲法11条に示されている。

2.人間の尊厳性-人権の根拠

・基本的人権とは、人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するため、それに必要な一定の権利が当然に人間に固有するものであうrことを前提として認め、そのように憲法以前に成立していると考えられる権利を憲法が実定的な法的権利として確認したもの、ということができる。

・この人間尊厳の原理は「個人主義」とも言われ、日本国憲法は、この思想を「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)という原理によって宣明している。

・もっとも、基本的人権と憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利」とはおなじではなく、国または公共団体に賠償を求める権利(17条)や刑事補償を求める権利(40条)は、後者には属するが基本的人権ではない、と解する説も有力である。

三 人権の内容

・一口に人権といっても、そこには様々な個人的人権がある。

1.自由権・参政権・社会権

・人権は大別して、自由権・参政権・社会権に分けることができる。

(1)自由権は、国家が個人の領域に対して権力的に介入することを排除して、個人の自由な意思決定と活動とを保障する人権である。その意味で、「国家からの自由」と言われる。
→その内容は、精神的自由権、経済的自由権、人身の自由に分けられる。
・精神的自由権は内面的な精神活動自由と外面的な精神活動の自由に分けて考えるのがわかりやすい。

(2)参政権は、国民の国政に参加する権利であり、「国家への自由」とも言われ、自由権の確保に仕える。
→具体的には、選挙権・被選挙権に代表されるが、広く、憲法改正国民投票や最高裁判所裁判官の国民審査も含まれる。

(3)社会権は、資本主義の高度化にともなって生じた失業・貧困・労働条件の悪化などの弊害から、社会的・経済的弱者を守るために保障されるに至った20世紀的な権利である。それは、「国家による自由」とも言われる。
→憲法の規定だけを根拠として権利の実現を裁判所に請求することの具体的権利ではない。

・以上の分類を踏まえて日本国憲法における人権を分類すると
①包括的基本権(13条)
②法の下の平等(14条)
③自由権
④受益権(国務請求権)
⑤参政権
⑥社会権
の六つになる

2.分類の相対性

・人権の分類にあたって特に注意すべきことを二つ指摘したい。


(1)第一は、人権分類の体型をぜっていてきなものと考えてはならない。
・たとえば、表現の自由の保障から導き出される「知る権利」は単に、情報の受領を妨げられないという自由権としての性格を有するのみではなく、積極的に、情報の公開を請求するという社会権ないし国務請求権としての性格をも有している。

・権利の性質を固定的に考えて厳格に分類することは不適当であり、個々の問題に応じて、権利の性質を柔軟に考えていくことが必要である

(2)第二は、自由権と社会権の関係をどのように理解するかという問題である。
・自由権は、自由国家・消極国家を基礎とするが、社会権は社会国家・積極国家を前提とする。

・もっとも、社会国家の思想を課題に重視すると自由権の領域にまで国家が介入することを認める結果になるおそれが生じるので、個人の人格的自律を第一にかんがえるならば、今もなお「国家からの自由」の思想が基本とされなければならない。

3.制度的保障

・人権宣言は、権利・自由の保障と密接に結び合って一定の「制度」を保障すると解される規定を含んでいる。

・いわゆる制度的保障の理論は、制度の核心を立法権の侵害から守ることを目的とするものであるから、「法律の留保」を否定している日本国憲法の下では、その働く範囲も法的意義も、著しく限定されたものと解すべきである。

・ところが、伝統的な制度保証の理論は、制度が人権に優越する可能性すらある理論である。
→したがって、日本国憲法についてもちいるとしても、
①立法によっても奪うことのできない「制度の核心」の内容が明確であり
②制度と人権との関係が密接であるもの
に限定するのが妥当である。

四 人権の享有主体

・人権は人間である以上当然に享有できる普遍的な権利である。
→しかし、日本国憲法は、人権の主体を一般国民に限定するかのような外観をとっている。

1.天皇・皇族

・天皇・皇族も、日本の国籍を有する日本国民であり、人間であることに基づいて認められる権利は保証される。ただ、皇位の世襲と職務の特殊性から必要最小限の特例が認められる。

2.法人

人権は、個人の権利であるから、その主体は、本来人間でなければならない。しかし、法人その他の団体の活動の重要性が重大し、法人もまた人権共有の主体であると解されるようになった。

・わが国で、人権規定が、性質上可能な限り法人にも適用されることは、通説・判例の認めるところである。
→法人が現代社会において一個の社会的実体として重要な活動を行っていることを考え合わせると、法人ん煎対しても一定の人権の保証が及ぶと介されるのが妥当であろう。

・法人に対して人権保証が及ぶとしても、その保障の範囲は自然人の場合とは当然に異なる。例:八幡製鉄事件

3.外国人

・人権が前国家的・前憲法的な性格を有するものであり、人権の国際化の傾向が顕著に見られるようになったことを考慮するならば、外国人にも、権利の性質上適用可能な人権規定は、すべて及ぶと考えるのが妥当である。通説および判例もそう解する。

(一)保障されない人権
・従来、外国人に保障されない人権の代表的なものとして、参政権、社会権、入国の自由が挙げられている。

(1)参政権は、国民が自己の属する国の政治に参加する権利であり、その性質上、当該国家の国民にのみ認められる権利である。
→地方自治体、特に市町村という住民の生活に最も密着した地方自治体レベルにおける選挙権は、永住資格を有する定住外国人に認めることもできる、と解すべきであろう。

・公務就任権は狭義の参政権と異なるので、外国人がすべての公務に就任することができないわけではない。
→公定解釈の基準はあまりにも包括的すぎ、漠然としているので、公権力を行使する職務であっても、少なくとも直接国の制作に影響を及ぼすところの少ない調査的・諮問的・教育的な職務などは、定住外国人に道を開くことを考慮する必要があろう

(2)社会権も、各国の所属する国によって保障されるべき権利であるが、参政権と異なり、外国人に対して原理的に認められないものではない。
・とりわけ、わが国に定住する在日韓国・朝鮮人および中国人については、その歴史的経緯およびわが国での生活の実体などを考慮すれば、むしろ、できるかぎり、日本国民と同じ扱いをすることが憲法の趣旨に合致する。

(3)入国の自由が外国人に保障されないことは、今日の国際慣習法条当然であると解するのが通説・判例である。
→国際法上、国家が自己の安全と福祉に危害を及ぼすおそれのある外国人の入国を拒否することは、当該国家の主権的権利に属し、入国の拒否は当該国家の自由裁量によるとされている。

・ニュ国の自由がない以上、在留の権利も憲法上保障されているとはいけない。
→最も、正規の手続きで入国を許可された者、とくに定住外国人は、その在留資格をみだりに奪われないことを保障されていると解される。
→この点、再入国の自由が問題となる。

・最高裁は、憲法22条2項を根拠として外国人の出国の自由を認めるが、再入国の自由は保障されないとといている。もっとも特別永住者の再入国は認められるようになった。

・学説では、外国人の出国の自由が認められる根拠も国際慣習法にあるとし、再入国については、外国人の場合は、在留地である「外国」への入国という性質をもつので、新規の入国と異なる特別の拝領を加える必要はあるが、裁縫限度の規制は許され、「著しくかつ直接にわが国の利益を外することのない限り、再入国が許可されるべきである」と特見解が有力である。

(二)保障される人権の限界
・以上の権利の他の、自由権、平等権、受益権は、外国人にも保障されるが、その保証の程度・限界は、日本国民とまったく同じというわけではない。

・特に問題となるのは、政治活動の自由である。
→種々の議論があるが、外国人には国政レベルの選挙権など一定の参政件が否定されているので、日本国民よりも大きな制約を受けると介すべきであろう。

・経済的自由軒は、権利の性質上、国民と異なる特別の制約を加える必要があるので、種々の制限が課されている。




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最終更新:2013年01月28日 19:13