文責:きょうよ

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2.システム理論の新たな展望

一般社会システム理論の三つの発展段階

・既に述べたように1984年に出版された「社会システム」で、社会システム理論の構想の組み換えが行われている。
→ルーマンは、この本の序論で、一般システム理論の発展における三つの段階を区別している。

・第一段階は全体とその部分という図式によって特徴づけられる。
→全体はその諸部分の総和以上のものであり、それは個々の部分のネット化の特殊な形態によって、質的に新しい特性をもつものとなる。

・第二段階では、全体とその部分との差異に変わって、システムと環境との区別が登場する。
→この第二のもでるは、システムを、その環境との交換仮定によって維持される開放的な構造物としてとらえる。

・開放システムの理論は、次第にオートポイエーシス的システムの理論によってとって代わられる。

マトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス概念

・一般システム理論における新たなパラダイムへの最初の決定的な思想上の刺激を与えたのは、生物学者であり神経生理学者であるフンベルト・R・マトゥラーナとフランシスコ・j・ヴァレラの二人である。

・オートポイエーシスという人工語はマトゥラーナが作ったもので、それは自己産出とか自己制作といったようなことを意味している。
・彼ら、生命体の組織の特性を記述するためにこの概念を用いた。
→彼らは、すべて生命体に妥当する組織原理を定式化するのである。

・彼らは、オートポイエーシス的なシステムを次のように定義している。「オートポイエーシス的な機会とは、もろもろの構成部分を生産する(変換する、そして破壊する)過程のネットワークとして組織されている(統一体として定義される)機械のことであって、このネットワークは次のよような構成部分を生み出す」
→「(1)それらの構成部分は、自らの相互作用と変換によって、みずからが生み出した過程(関係)のこのネットワークを絶えず新たに発生させ実現させる。」
→「(2)それらの構成部分は、そうしたことが実現される位相的領域をネットワークとして規定することによって、このネットワーク(機械)をそれらの構成部分が存在する空間におけるひとつの具体的な統一体として構成する」

・継続的な生産過程のなかで自分の構成部品から自分の構成部品を制作し、そのことによってみずから自分を他の物と区別されうる統一体として維持するシステムは、彼らの目にはどう見ても生きたシステムなのである。

・組織という概念がシステムの構成要素の循環的な生産過程の統一に焦点を合わせているのに対し、構造という概念は構成部分間の具体的な関係を意味している。
・オートポイエーシス的なシステムは、少なくとも生き続けているかぎり、組織的には不変であると同時に構造的には可変的である。

・生きたオートポイエーシス的システムは構造ないし状態によって決定されているシステムとしても特徴づけられる。

オートポイエーシス的システムの閉鎖性と開放性

・マトゥラーナとヴァレラは、細胞を例にとって、オートポイエーシスの概念を詳しく説明している。

・細胞は分子レベルで、その組織を維持するために必要な構成部分を不断に産出している。あるいは、個々の要素の側から言えば、分子的構成部分は、相互に作用し合う構成要素のネットワークをその働きを通じて不断に産出し維持するとともに、逆にこのネットワークを通じて産出されるという仕方で、このネットワークの中に組み込まれている。

・細胞は閉鎖的なシステムとして記述されうる。これはオートポイエーシス的システム一般についていえることである。

・オートポイエーシス的システムは自己関係的ないし自己準拠的に作動する。もっと具体的に言おうとすれば、回帰性という概念を用いることができる。
・自分のはたらきの結果をさらなるはたらきの基礎として不断に用いる再生産過程は、回帰的とわれる。

・オートポイエーシス的システムは、それと同時に、開放的なシステムでもある。
→細胞はその環境と接触し、この環境とエネルギーや物質を交換している。

・生命システムは環境との接触を意のままにすることができる(開放性)のであるが、そもそもこの環境との接触はオートポイエーシス的な組織のありかた(閉鎖性)によって初めて可能となる。
→細胞はその環境との交換をみずから規制するのである。

・オートポイエーシス的な生命システムの閉鎖性(継続的な過程をなしている自己制作と自己保存)と開放性(そのときどきの環境とのエネルギーや物質の交換)とは制約関係にある。
→オートポイエーシス的システムは自律的であるが、自立的ではない。

神経システムについてのマトゥラーナとヴァレラのテーゼ

・構造主義的認知理論に関する彼らの仕事、とくに神経システムに関する彼らの研究は一般システム理論の発展にとって重要な意義をもつこととなった。

・光の物理的性質と神経節細胞の活動との間には一義的な相互関係が全く存在しないという驚くべき結果が計測によって明らかになった。
→したがって、神経システムは、外界の忠実な像を作り上げるカメラのような仕方で機能するのではないのである。

・神経システムが外界のならかの出来事によって刺激されたり、興奮させられたりすることはないということを意味するものではない。
→閉鎖性が排他的な条件時ではなく、開放性を可能にする条件であるということは、神経システムについても妥当する。
→神経システムは、環境の写像をつくるのではなく、むしろ、自分自身の働きを通じて、環境世界についての自分に固有な像を構成するのである。

・神経生理学者ゲルハルト・ロートはこうした理由から、生物電気的な減少ないしニューロンの活動は統一言語をもっていると言っている。
→神経システムは、様々な感覚的知覚に対して、その時々にシステムに固有な同一の言語を用いる。脳が様々な電気的な神経インパルス一般に対してはじめて意味が与えるのである。

・人間の脳-感覚器ではない-が知覚をになっているのである。

・これらの成果はあらゆる認識理論と近く理論に対して重大な帰結をもたらす。
→それによれば、知覚は、外部の世界をそのままに映し出すような反映ではなく、むしろ、システムの外部にある世界をシステムの内部で構成したものだと考えられるのである。

・神経システムは、閉鎖性、回帰性、自己準拠性、自立性といった概念で特徴づけられうる。
→しかし、マトゥラーナとヴァレラは、神経システムもオートポイエーシス的に組織されているのかという問いに明確に「否」と答えた。
→神経システムは、そのはたらきの過程のなかで事故を産み出し維持することがないからである。

・自己準拠性という概念は閉鎖システムの自己関係性を指すものであり、オートポイエーシスという概念は生命システムの自己産出的自己保存的な正確を強調したものである。

オートポイエーシス概念は一般化しうるか

・マトゥラーナとヴァレラはオートポイエーシス概念を社会的連関に転用することに反対している。
→彼らの理解では、社会システムは人間からなるシステムである。この場合、システムは人間を産出し出現させると主張することはできない。

・われわれは、マトゥラーナとヴァレラの理論がどのような仕方で社会学に受け入れられとりわけルーマンによって取り上げられたのかという問いに、焦点を絞って行くことにしよう。




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最終更新:2013年01月25日 20:07