文責:きょうよ

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(1)十九世紀の資本主義像

・19世紀のイギリスの経済学を支配したのはリカード派です。
→彼の学説はジェームズ・ミルやマカロックなどの活発な著作活動で普及され、ベンサム主義者の政治改革運動と結びついて19世紀の時代思潮を彩るものとなりました。

・リカードは、地主・資本家・労働者の三回級に生産物が配分される法則の探求を経済学の主要課題と考えました。
→リカードのいう労働者階級は過剰人口による貧困に支配されています。 →工業都市の出現によって、かつての牧歌的な社会像に変わって、資本家を中核とした豊かな中産階級(ブルジョア)と貧しいが数の上では圧倒的な労働者階級(プロレタリア)からなる階級社会という資本主義像が定着した。

(2)マルサスの呪い

・社会と人間性の進歩は貧困を解消できるのかという問いがトマス・ロバート・マルサスによって発せられました。
→マルサスは、人間の生存に食料が必要であり、また人間の情欲の強度に大きな変化は怒らないという前提を議論の出発点にします。
→そして、序文な食料があれば人口は必ず増加するが、工作できる土地には限りがあるはずだという認識は、「人口は制限されなければ、幾何級数的に増加する。生活資料は算術級数的にしか増加しない」という有名な定式に祭り上げられました。

・彼の著作「人口論」は進歩思想を粉砕して現体制を擁護する保守主義者の著作と受けとめられました。
・マルサスはのちの経済学者としての活動においても、工業に対して農業が調和して発展することを重視しましたが、人口増加圧力を統制できないことの経済学上の帰結は賃金が生存水準を大幅に超えて上昇するということはないということです。

(3)地金論争と穀物法論争

・リカードは地金論争と穀物法論争に参加したのち、「経済学および課税の原理」(1801年)を公刊しました。

・地金論争というのはなポレをん戦争以来の兌換停止のもとで物価騰貴とスターリング為替の価格下落が生じ、ポンド紙券と金地金に価格の乖離が生じたことの原因をめぐる論争です。
→この時リカードは兌換再開をめざす地金委員会の側にたちました。
→リカードの属した地金主義の考え方は、通貨学派に継承されます。それにたいして、反地金主義は銀行学派につながります。

・穀物法論争
→この当時イギリス農業は、対仏戦争の集結と豊作とによる穀価の急落に直面して、恐慌状態に陥っていました。
→議会は小麦の国内価格が一定水準以下になった時には禁止的な輸入関税を課すことによってイギリス農業を保護しようとしていましたが、リカードはこれに反対しました。
→その論拠は、自由貿易による低穀価は、安いパンと低い賃金をもたらし、高利潤を可能にする、そして、小売順が資本蓄積を推進し、経済の反映を生む、ということです。
・これに対し穀物法を支持したマルサスは疑問を挟みます。
→マルサスにとって、国民の安全の確保は経済的利益に優先すべきであり、また、農業・工業のアンバランスが生み出す経済的・社会的不安定も考慮すべき重大事でした。

・この論争においてリカードは、貨幣ヴェール観=実物経済重視、自由貿易=国際分業論、低賃金=小売順による資本蓄積、という古典的なヴィジョンを表明しました。
・穀物法は1814年まで存続しますが、そののちイギリスは世界史にも類例のない自由貿易国家となります。

(4)配分理論の探求

・穀物法をめぐる論争の理論的な焦点は、高穀価が階級間の分配関係に及ぼす影響とその国民経済的帰結でした。
→リカードはこの問題に迫るため、差額地代論をもっていました。
→「リカード全集」の編集をしたスラッファは、リカードは実物的モデルを想定していたと推測しましたが、この解釈には批判的な人も多いようです。

・リカードはマルサスとの議論のやりとりを経て、農業のみにとどまらない一般的価値論が必要なことを悟りました。
→生産の難易によって価値を一義的に規定し、「配分を規定する諸法則を確定すること」、これが投下労働説に基づく「原理」をリカードが執筆した理由です。

(5)リカードの価値論

・「原理」第一章の価値論の趣旨は、「ある商品の価値、すなわちこの商品と交換される他のなんらかの商品の分量は、その生産に必要な相対的労働量に依存するのであって、その労働にたいして支払われる対価の大小に依存するのではない」ということです。
→リカードが「価値」といっているのは、のちのマルクス言葉で言えば「生産価値」です。

・リカードが気づいたことは、このような価値体系のもとでは、交換比率が投下労働量の比率に厳密に等しくなるのは、流動資本と固定資本の比率、固定資本の回転機関が等しい場合だけだということです。

・資本の回転期間に伴う価値修正の問題と並んで論じられているのは、賃金の騰落の影響です。
→リカードは賃金の影響は消失すると考えていましたが、賃金の及ぼす影響が商品によって異なる事に気づきました。

・潔癖な理論家であったリカードは、こうした配分関係が及ぼす影響を遮断して、生産条件に基づく価値の変動だけを図ることのできるような「不変の価値尺度」の探求を晩年にいたるまで続けました。

(6)古典派の賃金理論

・リカードは、賃金は労働者が子孫を育てながら平均的に見て同数の人口を維持し得るような生涯賃金(労働の自然価格)に惹きつけられる傾向があると考えました。
→労働に対する需要が多ければ、「労働の市場価格」はこの水準を上回ることができます。
→もちろん、リカードは「労働の自然価格」は時代ごと社会ごとの人々の生活習慣によって変化すると考えていました。

・資本と人口の配置が古典派の賃金理論を規定するもので、その代表が賃金基金論です。
→賃金基金論のもっとも単純な携帯は資本の大部分は労働を雇用する流動資本であり、他方で人口の大部分は労働者だから、賃金は前者を後者で割った水準になるというものです。
→古典派は供給は需要を自ら想像するという性の法則を前提としていたので、失業や有給は問題ありません。
→社会には賃金に回るべき食料その他賃金財からなる一定の「賃金基金」が存在するという議論になりました。
→もっともリカードは資本の全てが「賃金基金」ではなく、固定資本に投資が行われる際には。労働者はくじゅうを舐めざるを得ないことも指摘しました。

・多くの古典派経済学者は賃金決定は市場で行われるしかないと考え、労働運動で評価したのは教育的効果でした。

・重要なことは文化的な生活水準が労働者の間に普及することです。
→そうした生活水準についての意識が確立すれば労働供給の増加は抑制されるからです。
→こうした生活水準についての得意な理解は、後期のマルサスからJ・S・ミルを経てA・マーシャルにまで受け継がれるイギリス経済学の特徴的な考えです。

(7)理論家j・S・ミル

・J・S・ミルの経済理論家としての役割はその優れた分析力をもって、リカード経済学を継承するとともに、その適用可能範囲を確定したところにあります。
→価値論について言えば、リカード価値論の批判者が「希少性」や「効用」を上げて批判したのを受けて、ミルは、需要供給分析の枠組みのなかにリカード価値論を位置づけています。

・価値論における彼のいま一つの貢献は、国際貿易の利益についてリカードの理論を発展させて、比較生産説を定式化したことです。
→ミルは、国際的な商品の交換比率が、それぞれの交換比率に応じて変化する両国の相手商品に対する需要(相互需要)によってきまってくることを明らかにしました。
→これも、ミルが、労働価値説の意義と限界を確認した上で、需要を考慮した価格理論を構築していたことを示すものです。

(8)古典派経済学と社会思想

・ミルは「経済学原理」(1848年)を出版しましたが、彼が経済学のエッセンスと考えるものを当時の社会思想上の諸問題と結びつけようとした著作です。

・ミルがまず行ったことは、富の生産の法則と富の配分の法則を分離したことです。
→前者は社会からある程度独立して論じることが可能ですが、後者は社会の法制度および監修に依存しているからです。
→ミルの配分論は現在でいえば社会経済学とでもいうべきものですが、ミルは社会制度の考察が交換・流通の分析に先行すべきだと考えました。

・ミルは所有制度を取り上げた箇所で資本主義と社会主義・共産主義の比較を行いますが、これらを比較するのは不公平だと見ています。
→ミルは最終判断を将来世代に委ねますが、「もしあえて推測を試みるとするならば、おそらく結論を左右するものは、ただ一つ、二制度のうちどちらが人間の自由と自主性の最大料を許すか、という事項であろう」と書いています。

・ミルの社会の進歩の帰結の展望でよく知られているのは、富と人口の停止状態への到達を積極的に再評価したことと、雇用関係の排気の方向に社会が向かっていると診断したことです。




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最終更新:2013年01月24日 19:24