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デイビス(SC46年~SC118年)

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デイビス(SC46年~SC118年)
所属勢力:アスラン(開拓船団)→ミディア→デルゴダ→バン→アカフリ→テンオウ→ミカド→トットン

ミディア率いる開拓船団の若き士官でデルゴダの甥。
デルゴダがミディアと共に外宇宙へ旅立つ際に
一族の中で最も出来の良かった事から誘われ、
新たなる惑星を目指す冒険心から快諾し同行した。
開拓船団では移民船の防衛任務に着き、海賊の襲撃などから船を守り抜き
ミディアからもその才を高く評価されていた。

SC70年初頭、ノーズ恒星系探索の際にミディアの命令で新惑星に初めて降下。
人類で初めて惑星セタに降り立った。
そこでデイビスはヘルメットを脱ぎセタの空気を体一杯に吸い込んだ。
帰還後、ミディアに報告を求められると
「空気が美味い!!」と答えミディアも大笑いしたと言う。
同年、アスラン崩御の報を受け旗揚げを決めたミディアに協力。
叔父デルゴダと共にミディアの側近を務める。
アビー王朝とペレスを巡る攻防選では先鋒を務めその制圧に貢献した。
ミディア軍内では叔父デルゴダ派に属していたが、
叔父デルゴダから地球に残された両親(デルゴダの弟)が
アグデッパに反乱幇助の連座を受け処刑された事を聞かされる。
そして、デルゴダから今まで積り積ったミディアへの不満を聞かされ
ミディアへの謀反の協力を求められる。
デルゴダと違い、両親とは今生の別れのつもりでいたデイビスは
両親の死はショックを受けつつも割り切っていたが、
ここで拒否すれば自らの身が危ない事を理解し、デルゴダの謀反に協力した。

SC77年。遂にデルゴダが謀反を起こすとミディア捕縛に動くが
サーティの手引きで捕縛に失敗する。
その後は、デルゴダから分将の地位を貰い、ミディアが亡命したキルビスへの侵攻を行う。
そして小惑星帯を利用したかく乱作戦によりバン艦隊を壊滅させ、バンを驚かせた。
だが、物力に勝るバン軍やアビー軍の挟撃を受け惑星ペレスを喪失。
セタは陥落しデルゴダは処刑されデイビスもバン軍に捕らえられた。
捕虜謁見の際、バンとミディアから裏切った理由を咎められるが
「貴方達の部下と同じように、私も上官の命令に従っただけです」と答えた。
そして「もし殺すなら、私だけを殺してください。部下達は私の命令に従っただけです」
と部下を気遣ったと言う。
この返答にバンは納得、部下を気遣う彼の心意気に感服し、
自らを破った敵将に敬意を表しこれを許した。
その後はバン軍の将として活躍し、旧ミディア領の奪還、アビー量の平定と活躍し
降将であるにも拘らず分将へと任ぜられ、事実上バン軍の家臣団筆頭となる。

ミディア死後、バンの寵愛を受けたトットンの事は
派閥員であったブルフが王子アカフリの教育係だった事もあり
「才能はあるが実績が伴っていない」と重用される事には否定的であった。
よく、敵からの降将で同じく新参者のデイビスがトットンの重用に反対なのは
「自らの事は棚に上げている」「トットンに自らの権益を奪われると言う古い考え」
との意見があるが、それは筋違いの批判と言える。
実績を上げ今の地位にいるデイビスからしたら、
実績も上げず縁故で出世するトットンを許せないのも納得である。
王妃ニナが死に神経衰弱に陥ったバンがアカフリの王位継承を否定し
アカフリに殺されるとブルフと共にこれを隠蔽しアカフリを即位させる。

プライベートでは元アビー妃バレリーと結婚し
アカフリ家臣筆頭としてテンオウ軍への侵攻を推し進めるが、
テンオウ軍の高度な技術力の前に敗退を続け、
ミディアの故地である惑星セタを巡る攻防戦で敗北し、
テンオウ軍の捕虜となる。
その際、その才を惜しんだテンオウの命を受けたトットンから説得されると
「部下の助命」を条件にトットンと和解し、これを受け入れたテンオウ軍に恭順。
一説では、部下を人質に取られ止む無くテンオウ軍に寝返ったともい割れている。
アカフリ王朝の帝都キルビス攻略戦に参加し活躍。
アカフリは降伏しノーズ恒星系を平定する。

地球制圧戦でもトットンの副官として参加。
火星方面への陽動部隊として制圧部隊の守備を行いその制圧に貢献する。
しかし、直後にテンオウが暗殺され、替え玉のミカドと言うバイオノイドとすり変えられていた事が発覚。
多くの者がミカドとそれを操るバースァに愛想を尽かし分裂する中、
トットンと共にミカド軍に在籍していたが、
トットンがバースァの勘気に触れ処刑されかけるとトットンと共にジパングを脱出。
ミディアの故地セタでトットンの挙兵に協力した。
嘗てミディアが目指した国造りを標榜するトットンに賛同し、その覇業に協力したが
肉体的な衰えには逆らえず、妻バレリーが亡くなると退役を申し出た。
退役式の際、訪れたトットンに
「お前は才能はあるが、それを驕ってはダメだ。
 部下への気遣いを忘れないように」と告げ退役した。
そして退役から6年後のSC118年その生涯を終えた。
享年72歳

しかし、その後、トットン王朝は躍進せず、激動の歴史に関わる事も無く
呆気なく滅亡した事からもデイビスの言葉は生きなかったようである。






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