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ブロディン(SC50年~SC123年)

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ブロディン(SC50年~SC123年)
所属勢力:
アスラン→抵抗軍(ドーラ)→ドーラ(正規軍)→独立勢力

ドーラ旗揚げの時からの忠臣。
正規軍出身で元はハーゲンの治安維持に当たる下級士官であった。
元々は士官学校を優秀な成績で卒業したエリートであり、
将来を大変期待された逸材であったが、領主の非常徴収(略奪)命令を拒否した結果
命令違反の責任を問われ、官位剥奪の上ハーゲンに左遷された経緯を持つ。

ある時、齢10にも満たない少女が危険分子として投獄されてくる。
取調べを行ったブロディンに対し少女は
王族政治の腐敗と堕落、それを追従する正規軍の無能振りを語り、
平民による政を行うと言う理想を高らかに叫んだ。
敵を恐れず自らの気高き理想を叫ぶその少女に感銘したブロディンは
その日の夜、少女を連れて軍を脱走し、その際に強奪した戦力を元手に
抵抗軍を結成した。
この時、ブロディンが出会った少女こそ幼き日のドーラであった。

ドーラと共に立ち上げた抵抗軍は当初こそ小規模な勢力であったが、
平民解放、王制打倒を旗印に徐々に支持者を増やし、
ジランやフリックと言った現体制に不満を持つ正規軍兵士も参加し、
ハーゲン細大の抵抗勢力となる。
しかし、正規軍との彼我勢力差は大きく、アドルセム軍の猛攻を受け
拠点を壊滅させられ敗走する事もあった。
だが、ブロディンの優れた撤退戦のお陰で再起不能になる事は無く、
アドルセム軍の軍師ギマに「見事」と言わしめたほどである。
だが、所詮は抵抗軍であり、歴史の表舞台に経つ事は無かった。

それから数十年後、ハーゲンの領主がテンオウに変わった時代
優れた技術力を誇るテンオウ軍お前に流石のブロディン指揮するドーラ軍も大敗し
壊滅の憂き目を見る。
ドーラもブロディンも捕らえられ流石に死を覚悟した両者だったが、
(この時、ドーラがテンオウに対しヒステリーを起こしたのは有名な話である)
ドーラの理想に共鳴したテンオウによって釈放され、
ハーゲンを譲渡されるという超展開が待っていた。

ハーゲンで独立したドーラは民主制が確立するまで臨時の覇王に即位する。
この時、ドーラは民主政治の説明として『選挙』という古のシステムを提示した。
当然ブロディンら側近も知らないことであり、ドーラにどの様な制度か問い詰めるも
「民が政を行う制度」と言う以外に詳細な説明も無かった。
また、テンオウ軍と同盟関係にあるとは言え、危うい状況にあることには変わらず、
当分は現状維持を図るとしてブロディンも深く問い詰めなかった。
また、他の抵抗勢力との連帯にも「急激な膨張は火種を抱える」と内心反対であり、
ドーラが傭兵を徴用すると言った時は懸念を示したものの
背に腹は変えられないと最終的にはドーラに一任した。
だが、これが後々の悲劇を生むことになる。

独立したドーラ軍で分1位に任命され招致されたショーンと共にツートップとして
ドーラを支えた。
リヨンヒの策略によってテンオウの死の真相が暴露され
ミカド王朝が分裂するとバルゴ、ザクソンを制圧する活躍を見せ
分将に昇進して挑んだソース制圧戦においても活躍し、
ドーラ王朝をセントラルからソースに至る大国へと導いた。
だが、ドーラ王朝の急激な膨張、来る者は拒まない精神は
内部に争いの種を生み、ブロディンの危惧したとおり暴発の危険を孕んだ。
その最初の出来事はトットンの謀反であった。

トットンは、嘗てバン軍で活躍した武将であり、
テンオウ軍においても常勝将軍と称えられた名将であった。
彼もまたショーンと同じくドーラに招かれた存在であり、
ドーラよりノーズ方面軍の指揮を任されていた。
ある時、同盟国であるアベグル王朝から援軍要請が出される。
ドーラはこれに応じトットンにアベグル王朝の救援を命じ
ノーズに派遣された。

周囲の期待通り敵を蹴散らし宿敵アカフリを滅ぼしたトットンは、
ドーラの帰還命令を無視。セタで旗揚げをし反旗を翻したのである。
これには同盟国のアベグルも怒り同盟を破棄される羽目となり
結果、アベグルはバニアウとトットンの挟撃を受け滅亡。
今後の戦略の見直しをせざるを得なくなった。

これによる諸将の動揺は凄まじく、ドーラの権威は著しく失墜した。
それに拍車を掛けたのが、ドーラの暗殺であった。
クルトニオより派遣されたバイオノイドによりドーラが暗殺されたのである。
これを機会に政体を民主政治に移行させようと計画するも、
選挙制度の詳細を知らない諸将はかえって混乱。
また、「今は戦時中であり権力の空白を生んで欲しくない
自分達は安心して暮らせればそれで良い」と言う民衆の声もあり
やむなく、ドーラの養子が覇王として擁立される。
だが、「事実上の王位継承だ」「結局ドーラも他の王族と変わらない」と
諸将の不満が爆発。

ブロディン自身も「これはドーラの目的を潰す者による謀略」と幼帝擁立を非難
また、覇王の護衛を任されていた特命長官のワードの責任問題に追求した結果、
「俺はドーラを懸命に守った。にも関わらず何もしなかった馬鹿どもに
とやかく言われるくらいなら、こんな国出て行ってやる!!」と
激怒したワードが派閥の者を率いて独立してしまう。
これにより、他の派閥の者も次々に独立し、頼みの綱であったショーンも
愛想を尽かし独立。壮大な内ゲバを始めてしまう。
ブロディン自身も「反乱を起こした諸将の討伐と傀儡覇王の廃位」を旗印に
派閥の者と独立した。

独立したブロディンだったが既に齢70であり
体が付いて行かず、他の王朝と小競り合いを繰り返す程度であった。
そして北上して来たクルトニオに「主君の敵」として果敢に立ち向かうも
圧倒的な物力差を埋める事は敵わず、SC123年クルトニオ王朝の猛攻を前に敗北。
捕らえられ処刑された。享年73歳
他の独立した他の諸王朝もショーン王朝を残し、バニアウとクルトニオ両王朝によって
跡形も無く滅亡してしまった。

後世の歴史家はこう記している
「彼にとって不幸だったのは、
ドーラが死んだ事でも『選挙制度』説明を受けなかった事ではない
生まれ出時代を間違えた事である。」



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