島の設定

■島の詳細設定
 緒仁ヶ島(おにがしま)。日本海に浮かぶ凄く小さな離島。朝鮮半島と近畿地方の中間に位置している。


■鬼伝説について
 本作の舞台となる「緒仁ヶ島」が、桃太郎の話に出てくる「鬼が島」であり、いまだ人食い鬼が住んでいるといった、話。
 桃太郎の伝説は諸説あり、また舞台となった場所もいくつもある。(起源をたどれば日本国発祥のものではない、とする説もある。)

 島には数々の文献が残り、そこから確かにそういった情報が散見される。
 どうやら、この島の伝説の場合、それら本来の桃太郎伝説よりも後につけられたようである。


■島の名称の由来
 島に残る文献から、鬼が島伝説の発祥は西暦1300年代。日本の南北朝時代と読み取れる。
(日本の中も混乱していた時代であり、南北朝という複雑な政権が存在した時期である。)

 「鬼が島伝説」とは言われるが、本作品の舞台となる島は「緒仁ヶ島」が正式名称であり、北朝第四代天皇の後光厳天皇(ごこうごんてんのう、延元3年/暦応元年3月2日(1338年3月23日) - 文中3年/応安7年1月29日(1374年3月12日))の第二皇子:緒仁親王(後円融天皇)(1359-1393)が島の名前の元となっている。


(推測と補足)
 南北朝時代の日本については、実にややこしく、現在のアフリカのほうの治安の悪い国々での内戦のような状況だったと推測できます。
 また、北と南の間で、色々な要所を取り合ったり、武士たちもある時は北につき、ある時は南につき、どちらが正義かもわからない状況であったと見られます。
 緒仁親王はずいぶんと若くして亡くなっています。
 当時の日本人の寿命からすればめずらしくないことと思いますが、とりたてて何か目立った事をやったこともなく、当時の混迷する政治の中で翻弄され、嫁さんの浮気を疑ってDVで暴れ、挙句自殺騒動まで起こしているろくでなしです。


 島の名前の由来はこの人が亡くなった直後、当時発見された謎の隕石に目を付けた北朝側が、島を南朝への化学兵器製造所(当時はそんな認識はなく、おそらくと天から降ってきた隕石と、その光跡から神の力として利用しようとした)として確保するため、表向きには緒仁親王を奉る寺社を建てる為として島に当時の政権がこの人の名前を付けた。
 それが、「緒仁ヶ島」の由来。


■そもそも島に鬼は本当に存在していたのか?
 たまたま漂着した異人が、「鬼」とされてしまった。
 1300年代はまだ大航海時代も始まっておらず、当時は航海術もあまり発達していなかったはずなので、当時モンゴル帝国の支配下で、交易をおこなう為、陸路で元(げん)まで辿りついたヨーロッパの商人達が、海を渡って日本に来ようとして、漂流した先が該当の島であった。
 なお、当時は無名の島で、緒仁ヶ島という呼称はまだ用いられていない。

 彼らは交易品として持ってきた積み荷や島の原生の木の実や根野菜、魚などをとって、細々と漂流民として暮らしていた所、それを発見した、漁師たちの噂によって、当時の北朝側の権力者の耳に入ることになる。武士を配置し、見晴らせていたところ、島に隕石が落下する。(意図したわけではない。偶然である。)
 その様子を見た武士は、鬼が妙な儀式をしたせいだと判断、討ち入りする。
 このときのリーダーが後に「桃太郎」とされ、三人の仲間がいたので、それぞれ、雉、猿、犬と伝説では捻じ曲がった。

 当時は漁師がたまに立ちよるくらいで人の住んでいなかった島に突然白人が現れたら当然混乱することだし、その白人を鬼と勘違いして討伐しにいった武士たちの噂や、隕石の落下、またその後に、緒仁天皇の名前をつけられ確保された島のうわさなどが、当時の下々の人達の間でごっちゃになって、おとぎばなしの「桃太郎」の話と結びつく。
 そして、島に上陸し、隕石の力(実際には未知のバクテリア)の存在を確認した北朝側は、捕えた南朝側の役人や武士たちを島に連行し、実験の為、隕石の近くに縛り付ける等してバクテリアの効果を調べたりしていたので、話に尾ひれがついて、島には人食い鬼が住んでいるということになってしまう。

 ただ、その当時の科学力ではとてもバクテリアの性質や安全な使用法もわからずじまいで、軍事利用には至らず、結局隕石を祀った祠は放置され、南北朝時代の終焉と共に、利用されることもなくなり、やがて歴史の中に埋もれていく……。


■明治維新と伊達家の出現

 明治維新を迎え、古い文書や天皇家の歴史に詳しかった伊達家により、偶然伊達家の領土内だった鬼が島に調査の手が入り、バクテリアの研究が再開する。

 そしてそれ以降、着々と大日本帝国軍の細菌研究部隊までこのバクテリアの研究は引き継がれ、実戦でも研究成果を確かめる為、中国のある村で大量にばら撒かれ、無差別に村全体を壊滅させたりしますが、終戦と共に米国に秘密が漏洩することを恐れ、研究資料は焼き捨てられ、バクテリアの謎は闇に葬り去られ、洋館と隠された隕石だけが残ることになる。
 当時、事情を知っていたとされる伊達家も、身内は残ったものの、当事者の当主は死亡してしまい、その資産であった緒仁ヶ島は親類に権利譲渡され、以後は放置されてきた。


■島に落ちた隕石とそこに付着した未知のバクテリア
 13世紀はヨーロッパでペストが流行したので、島へ最初に漂流した商人たちは、モンゴル帝国支配下の交易ルートを辿り、ヨーロッパから元経由で日本海を渡る。しかし、日本へ航海中に船の中でペストにより航海士が死亡、日本近海の後の鬼が島に漂着することとなる。(上記までに述べた、漂流民。)
 そこでペストにより隊商、船の乗員の半数が死亡し、遺体は隔離され、残った異人たちは細々と暮らしていくこととなる。ところが隕石騒動で、武器を持った武士たちが乗り込んできて、残された者たちも全滅してしまうこととなる。

 そして、一旦は事態が収束するが、隕石を何かの天の力と思った当時の北朝により、島に調査の手が入り、隕石を祀る祠が建てられる。そして、隕石に装飾を施す彫刻師や調査団が島に入った時に、偶然異人たちのペストに感染した死体を発見し、彼らはペストに感染してしまう。
 そこへ追い打ちをかけるように、隕石に付着した、当時地球上に存在しなかった地球外のバクテリアとペスト菌が結びつき、強力な殺人ウイルスとなり、彫刻師と調査団を全滅させてしまうこととなる。

 北朝政府は神の怒り、鬼の呪い等憶測を立てますが、次々に調査団を送るうちに、謎のウイルスによる突然死と、その後の遺体の急速な分解を目の当たりにし、謎の力が現実にあることを確認する。
 そして、この「鬼の力」を何とか軍事利用しようと、島を確保するために、当時の北朝側の権力者の一人「緒仁親王」の名前を島につけたという経緯がある。

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最終更新:2012年03月05日 00:48