佐渡侵攻事件(さどしんこうじけん)は、2092年8月12日午前10時、
新ソビエト連邦が
沖縄海戦に歩調を合わせて
日本の佐渡島へ侵攻した事件。
ただし
新ソビエト連邦は、2095年現在も侵攻への関与を否定している。
佐渡侵攻作戦
新ソビエト連邦の侵攻目的は、佐渡には廃坑跡を利用した
サイオンの性質を解明する為の実験施設があった為と言われている。
侵攻部隊は小規模であったが、研究施設は奇襲を真っ先に受け、研究員の半数以上が侵攻軍と守備隊との戦闘に巻き込まれて命を落とした。研究施設に勤めていた
吉祥寺真紅郎の両親もこの時に亡くなっている。
義勇軍による佐渡奪還
一条剛毅は当時
国防軍の現地最高司令官だった
酒井に連隊規模の部隊を回して貰えるよう要請し、同時に自身を中心に組織した義勇軍で防衛線に進駐した。
義勇軍には当時弱冠13歳の
一条将輝も参加した。戦闘自体は小規模だったが
一条剛毅と
一条将輝は
爆裂を以て数多くの敵兵を葬った。
一条家の率いる義勇兵団が
吉祥寺真紅郎を救助。
一条剛毅を中心に組織した義勇軍が一先ず佐渡を奪還した。
佐渡奪還後
一条剛毅が要請したという連隊規模の部隊は、義勇軍が佐渡奪還後に配備された。
一条剛毅と
一条将輝は連隊規模の部隊が佐渡奪還後配備されたことに2096年8月時点でも感謝している。
一条将輝は「敵と味方の血に塗れて戦い抜いた」ことへの敬意として「クリムゾン・プリンス」と称されることになった。
登場巻数
4巻、
5巻、
13巻
コメント
出来事 用語
最終更新:2021年08月27日 05:13