倉敷 椋鳥プロローグ

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dangerousss3

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プロローグ


――幽霊が現れた。


「ランプの魔人の話とかあるだろう。
『もし願いが叶うなら――』っていうあれだ。
 その時そいつが望む『お願い』っていうのは2つに分けられると思うんだ」





かつて天下の険とうたわれた箱根の山道。
『Xデー』以来、その地も黒い灰にさらされ続けている。
5年の間、一日たりとも止むことはなく。


関東の数か所で絶えず降り続けるその黒い灰は、
猛毒とまではいかないが長時間吸い込み続けると人体に悪影響を及ぼす。
だからその地に居住することは不可能だし、
やむなく滞在する場合も防塵マスクなどによる対策は不可欠である。

椋鳥は無意識にレインコートの前合わせに触れて感触を確かめる。


彼にかまわず幽霊は喋り続ける。


「億万長者になりたいとか超能力者になりたいとか、そういった
『プラスを求める』のが一つ。
 ……と言えばもう一方はわかるよな? 
『マイナスを帳消しにしたい』っていう願望だ」


半透明のその女の出で立ちには防塵対策をしている様子は見られない。
着ているのは小袖という、普段着に類する和服だ。
椋鳥は思い至る。
時代劇のエキストラがよく着ていた。椋鳥も男物を着たことがある。

(役者に憧れてたのはどれくらい前だったか)

遠い昔のように感じるが、実際にはそれほど長い時間が経過しているわけではない。
――はずだ。
ただ、『その日』を境に、時間の一本の流れの線には亀裂が入った。
どうしようもない隔たりがそこにはある。
それはすなわち、一つの時代の終わりだった。


「さて、この二種類の願い、より想いが強いのはどちらだと思う?」
「いや、だから何なんだお前」

椋鳥の声はしかしあっさりと無視される。
先にそいつの問いに答えろということなのだろうが。

幽霊の尊大な態度が癇に障ったので椋鳥は視線を逸らした。


隣の山を見る。


愛知・静岡を横断してきた中小モヒカンザコ連隊が、
椋鳥の能力に押され潰走を始めていた。

椋鳥が呼び出しに応じて現れたのもまたモヒカン軍団。
――ただし、異次元の。

厚みのない異常な姿のそいつらは、攻撃を受けてもダメージをすぐに修復し、
ヒャッハーとか奇声を上げながら襲いかかっていく。
武力は拮抗しているので、時間とともに戦闘可能人数の差が開いていった。


敗残のモヒカンザコを執拗に追いかける薄いモヒカンザコ。
その様をぼんやりと見ながら椋鳥は口を開けた。

「願いを増やしてくれっていうのは駄目なのか?」
「そういうことを言ってんじゃないんだよ。読めよ、空気を」
「なんで見ず知らずの奴にそんなこと言われなきゃいけないんだ」

見下げ果てたという視線をその女は送ってよこす。
外見からすると年齢は二十代か。……三十代のようにも見える。
もっとも半透明のそいつは見た目の年齢が意味をなす相手ではないだろうが。

口元は笑みの形を作っているが、伝わる印象はにこやかとは程遠い。
例えるなら、獲物の隙を窺うような――それも、動物が狩りをするようにではない。
誘導尋問を仕掛ける刑事や、
一瞬の隙を突いて商品を売りつけようとするセールスのような雰囲気だ。

椋鳥が警戒心によるガードを固めたのはそいつも気付いたようだった。
やれやれと首を振る。


「つまらない男だな。まあ想いの強さなんて比べる意味はないがね」
「ならなんで聞いた」
「話には前振りというものがあるんだよ。
 ちなみに、君がどちらのタイプかは訊くまでもないな」


椋鳥も自覚はしている。


核の影響で東京は壊滅した――椋鳥の故郷は爆心地からはやや離れていたため、
被害は少しだけ軽かった。

……別の言い方をするなら、地獄を長く味わう羽目になった。

生き残った者も皮膚は溶け、
激痛に叫ぼうとしても喉が焼けて掠れ声しか出ず、
水を求めながら次々と息絶える者が続出したという。


椋鳥が帰った時、故郷はそこにはなかった。
代わりに待っていたのは突然出現した巨大な湖。
核攻撃の2日後に、前触れもなく街の残骸は湖底に飲みこまれ、
その水面は今日に至るまで降り続ける灰で黒く濁っている。

墓も作れない。
そこは生物が住めぬ土地と化した。


報復も考えたが、しかし核攻撃を企てたやつらは勝手に死に絶え、
実行した者たちも現在は誰も生き残っていない。

『大感染』――昨年、日本に端を発した異常な病。

その病の存在がなければ……と思う者は多いだろう。
核攻撃のほうをより憎悪しているにしろ、椋鳥もそう思う。

それは幽霊の言い方に合わせるならば、
『マイナスを帳消しにしたい』タイプということになるのだろう。


「本当に何なんだ?」

過去に引かれる感情の動きに耐えかねて椋鳥は再び同じ問いを発した。
また無視されるかと思ったが予想は外れ、
幽霊は人差し指を伸ばし、椋鳥のレインコートの合わせ目を指した。

「いやなに、それを渡しにきただけだ」
「何?」

気付かない間に、レインコートに紙が一枚差し込まれている。
引き抜いて目の前にかざすと「The KING of Twilight」の文字が見えた。


「――優勝者の望みが叶うという大会だそうだ。競うのは……戦闘力」


聞こえてきた声は冷ややかだった。
トーンの違いにばっと顔を上げると、すでに幽霊の姿はどこにもない。


それなのに声だけが続く。


――大会にも私は関係がない……だから余計な工作などもしていない。
――詳細は君が調べれば出るだろう。私はただ持て余していただけなんだ。
――招聘されるはずの蘭崎涙花という奴が死んでしまったのでね。

――そして君に目をつけた。


(何なんだ……お前は!?)
椋鳥は心の中で3度目の問いを発する。
応えがあった。

「――私が何者なのか、答えたところで君はそれを丸呑みするか? しないね?
 とはいえ名前くらいは伝えておこうか。倉敷千鶴というのが私の名だ」
「倉敷だと?」
「もちろん、どうするかは自由だ……全てを失った者も、自由だけは奪われない」

――個人的には、君の優勝を願っている。

そして声も消えた。




モヒカンザコの怒号やバイクの排気音も遠ざかり、灰が降る音だけが残る。

倉敷椋鳥。
彼と同じ苗字を幽霊は名乗った。

(俺のことを調べて接触してきたのは間違いない……が)

それ以外は意味不明である。

(目的は俺を大会に参加させることなのか?)

椋鳥は考える。
しかしそれにしては確実性に欠けるアプローチだ。

突然消えたのは何かの能力によるものなのだろうが、
仮にそれが離れた地に幻影を飛ばしてメッセージを送る能力なのだとすれば……

いや。
椋鳥はチケットを観察した。
……これは幻ではない。半透明の幽霊の姿とは違う。

(催眠術か何かで俺を操った?
 そんなことができるなら他にもっといいやり方がありそうなんだが……)


怪しい話には関わらないというのは、生きていく上で大切なことの一つだ。

常識的には近づかないほうが賢明だと言えるだろう。

しかし、その常識とはどこにある?
椋鳥には失いたくないものはもうない。


――全てがどうでもいい。

「全てがどうでもいい」という椋鳥の思考はそのまま自暴自棄の衝動となり、
精神の中を吹き荒れる。
『あの日』から椋鳥を苛む発作だ。

そして感情が何もかもなくなり、倦怠だけが残る……はずだった。今までは。

代わりに浮かび上がるのは思索。




……故郷と同じ黒い灰が降る地。

倉敷という名乗り。

和装。そして半透明の姿。



(――まさか幽霊だというのか? 本物の?)



「……帰るか」
そこで思索を打ち切る。

バイクにエンジンをかけながら、
しかし椋鳥はその思いを馬鹿馬鹿しいと一蹴することができなかった。





その時にはもう椋鳥の行動は決定していたと言える。








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