雨竜院雨弓幕間その3

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dangerousss3

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雨竜院雨弓エピローグSS

 九鈴は1人、墓前で手を合わせていた。雨竜院家の墓に眠る親友に。
 あの子は、今の私達をどう思っているのだろう。親友でも恋人でも、互いにわからないことなんていくらでもある。況してや彼女は鬼籍に入ってもう8年――。
 揺らめく線香の煙が昇る先、空を見上げて九鈴は想う。あの優しい親友が、慈雨となって降り注ぐような、そんな道を歩けたらと。

「みててね、しずく」

 そう言って、墓前にくるりと背を向けた。家路につく足取りが軽いのは、決意を固めたことと、晩ご飯がエビフライなこと、その半々だった。



 水族館前の駅、改札を出たところで雨弓は待っていた。九鈴が歩み寄ってくると、少し驚いたように目を見開く。

「どうしたんです? 顔に何かついてます?」

「いやあ。九鈴のそういう格好、久々に見たな、と思ってさ。
 似合ってんな」

 確かに、清掃用の作業着だったり、道着の袴姿だったり、汚泥に潜る河太郎だったりと、雨弓が知る最近(大会中)の九鈴は普通の女性らしさとは縁遠い格好をしていた。
 この日の彼女はワンピースに薄手のカーディガンを羽織り、足元はトングサンダル。若い女性がデートに着て来てもおかしくない、それなりにオシャレをした姿だった。

「うん……ありがとう。少し頑張ってみたから」

 掃除に人生を捧げるつもりだった自分が、美容院に行ったり、服を選んだり。ウブなネンネの雨雫とは違うけれど、恋人に外見を褒められたというのはやはり嬉しくて頬が少しばかり赤くなる。

「でもあゆみさん。そういうこと言うのって少し意外」

 九鈴はてっきり彼が恋人の髪型の変化に気付かないタイプだと思っていた。というか、生前の雨雫は実際そんなことをボヤいていた気がする。

「はは、そうか。まあ、……しず、いや、何でもない。
 畢が言ってたんだ。彼女が外見に気をつけてんなら気づいてやれって」

 その言い方に、九鈴は引っかかるものを覚え数瞬、心中で思いを巡らす。その間、雨弓の視線が少しばかり開いた豊満な胸元へ落ちていたことには気づかなかった。



 その後2人は水族館デートを満喫した。定番のイルカショーや数万匹の魚が泳ぎ回る巨大水槽も見て回ったが、やはり九鈴が1番楽しみにしていたのは甲殻類のコーナーで、テトロドトキシンを持つヒョウモンダコを、片方の鋏脚を失いながらも仕留めるタスマニアンキングクラブの勇姿にトランペットを見つめる少年のように目を輝かせる。
 雨竜院家で縁起の良い生き物とされているウミウシが鮮やかに体色を変化させるのを見たり、何故か併設されている船の博物館で戦火に沈んだ駆逐艦の写真を眺めたりと、楽しい時を過ごした。異様な巨体の上、雨の予報でも無いのに番傘など持っている雨弓がやたらと目立ってはいたが、普通の、初々しい恋人同士だった。


「しずく、まだすき? 雨弓さん」

 館内のレストランにて、渡り蟹のスパゲティを食しながら九鈴が発した問いに雨弓はあからさまに動揺し、冷酒を飲んでいたこともあってゲホゲホと咳き込んだ。

「な、何で急に……?」

 初デートでこんなことを聞いてくる彼女を、雨弓は少しばかりジト目になって睨む。大人と子供ほど身長差のある雨弓がやると傍目にはたいそう恐ろしげなのだが、ある程度親しい相手からすると迫力が欠けていた。
 聞き返された九鈴も、こんなことを聞いて雨弓を困らせる自分を些かどうかと思いながらも、しかしやはり、伝えねばならないことがあった。

「いいかけたでしょ? 最初、『雨雫』って。
 責めてるわけじゃなく、どうなのか知りたいの」

 そう、真剣な瞳を向けてくる九鈴に雨弓は暫し困った顔になった後、バツが悪そうに答える。

「好き、なんだろうな……多分。すまん。中途半端だったよ」

 責めてはいないと言われても、やはり謝ってしまう。
 付き合っていた頃に言われていた。「服装や髪型の変化には気づいて欲しい」と。生前はあまり答えられなかった要望に、今になって、別な相手に対して。九鈴と雨雫、両方への不義理な気持ちが心中に同居していた。

「そうではないの」

 九鈴の言葉に、雨弓は下げていた頭を上げる。目線が等しくなった恋人は声音にも表情にも、上辺だけでない多幸感が滲み出ていて雨弓は驚いた。

「むしろげんめつ。雨弓さんが雨雫をあっさり忘れてたら」

 お互い、引きずっていたと思っていた。しかし、この前実家の物置を掃除した折、出てきた漫画を久々に読み返して少々考えが変わったのだ。
 年上の未亡人に恋をした主人公は、彼女の前夫の墓前で告げる。「貴方をひっくるめて彼女を貰います」と。
 少女時代に読んだ時はフィクションの中の台詞でしか無く、今の自分たち3人の関係は彼らのそれ以上に複雑だ。
 雨弓も雨雫も幼馴染で、雨雫はかけがえの無い親友で、彼女の恋を応援して、結ばれたら祝福して、関係の深まる様を見守って、けれど雨弓は彼女を最も苦しい形で喪って。今は自分が雨弓のことを好きで。

「しずくはだいじ。雨弓さんは恋人の、私は親友の雨雫。私達、あの子のことが大好き。
 私、雨雫を好きな雨弓さんが好き。だから……」

 雨雫ごと、雨弓を愛したい。雨弓にも、自分の中の彼女まで愛して欲しい。雨雫自身は悲しい結末を迎えても、2人の中に思い出が生きていることはとても幸せなのだと思いたかった。
 その言葉に、雨弓は聞こえるかどうかの声で「九鈴」と名を呼んだ。

 都合がいいかも知れない。欺瞞かも知れない。結局雨雫の気持ちなど本当のところはわからないのだから。それでも、今の自分に尽くせる誠意があるなら、2人の中の彼女が喜んでくれそうな選択を。

 「蛍の光」の流れる中、連れ立って水族館を後にする。外は予報に無い、しかし穏やかな雨模様。宵闇に燐光を放つ「九頭龍」が2人の頭上を覆う。

「て、つないでいい?」

「……ん」

 相合傘の下で、互いに手を差し出す。大きくゴツゴツした雨弓の手。九鈴の手もそれに比べれば小さく細いけれど、固く皮が張って、指にはタコが出来ている。戦いの人生を歩んできた2人の指が絡まると、雨弓にはひやりとした感覚が、九鈴には温もりが伝わった。
 繋がれた手と、照れを隠せずにいる雨弓の横顔を交互に見て九鈴は思う。
 「タフグリップ」は概念を掴めるようなチート能力じゃないから、雨弓の心を掴んで離さないなんて出来ないけれど、能力でじゃなく、少しずつ寄り添って、互いに隣が最も居心地がいいと思えるようになって、こうして歩いて行けたら――。

 ゆとり粒子が輝く雨でも、尿臭漂う金の雨でも無い。天から滴るような雫が、2人の頭上へと濯いでいた。








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