裏決勝戦【旧東京駅】SSその2

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裏決勝戦【旧東京駅】SSその2



 小さな銀の虫眼鏡。
 叔父はそれを駅員に掲げて見せた。太陽光をまぶしく反射する。


 東京駅。遠藤終赤は飛び込み自殺を目撃したことがある。6年前、8歳の時分。
 飛び散る肉片は血液と区別がつかない。肉片に当たった無関係の人間が怪我をした。遅れて悲鳴が聴こえる。
 思わず顔をそむけた終赤を、叔父は『よく観察しなさい』とたしなめた。電車で大破した死体をだ。8歳の少女に向けて、知りもしない他人の死体を観察するように言ったのだ。

 死体に近寄る叔父を、駅員が止める。当然である。
 叔父は懐から小さな虫眼鏡を取り出し、左手に掲げた。右手ひとさし指から射程1mの推理光線を放射。弱めに出力された桜色の推理光線は、虫眼鏡のレンズを通過する。光は分かれ、足元に桜色の映像を映し出した。


 桜の描かれた『家紋』。
 その下に神聖な『推理』の二文字。


 遠藤の家は由緒正しき、『公家』――『皇族』配下の密偵。家柄固有の虫眼鏡は、その身分を証明する唯一の方法だ。叔父は駅員に通され、死体を検分する。
 トングを持った男たちが死体の肉を拾い集めるのを、終赤は離れて観察した。
 人肉。人肉。人肉。人肉。人肉。人肉。
 東京駅のトングは人の肉をつかむのに慣れている。
 東京駅に、トングは人の数だけ存在する。


【トング道】――リーチに優れるトングにて相手の袖などを挟むことで動きを支配する護身術。江戸城内のゴミ掃除と警備を担当する御庭番の用いた殺人術を発祥とする。(聖槍院九鈴プロフィール参照)

「可燃。不燃。可燃、不燃可燃可燃不燃可燃不燃不燃可燃不燃可燃可燃可燃」

 聖槍院が死体を分別する。
 旧東京駅。――関東に関西軍が侵攻した際、東京駅は暴徒の大群に襲われた。新宿、渋谷駅に次ぐ日本最大級の迷宮ダンジョンだった東京駅。もとより多数のゴブリンが徘徊していた。暴徒と混じったそれらは恐るべきゴブリンモヒカンザコ軍団となり、駅を支配。政府は東京駅を捨て、完全封鎖を決行し、旧東京駅と呼ばれるようになる。
 軍団は、大会運営によって事前に死体の山に変えられていた。

「『不燃』」
 死肉をつかんだトングに、骨が吸着される。聖槍院はそれを投げる。積もれた骨の山にカラン、と落下した。
「ごみはすべて分別する」

 大会参加者の中には、聖槍院九鈴の『タフ・グリップ』を、『何でも掴み取る』能力と勘違いしている者がいる。それは間違いだ。『万物をつかむ』は『トング道』の理念であり、能力ではない。
 『タフ・グリップ』は『一度トングで掴んだ物を決して離さない』。その認識は、正しい。そして、『タフ・グリップ』にはもう一つ効果がある。


 『掴んだ物を分別』する効果だ。


 雪中から巨大な氷塊を。湯船から垢を。泥沼から硫化水素を。死体から骨を。すべて『タフ・グリップ』の分別によって吸着させ掴み取ることが可能。これが一見、『何でも掴み取れる』と誤解されがちな効果だった。正しくは、『掴みとった物を何でも分別する』である。

 聖槍院はふう、と息をつき、清掃帽を正した。彼女の服装は、駅の清掃員そのものだ。
 現れた人物を一瞥すると、素足に挟んだトングで、トン、と逆さにぶら下がる。

 死体の山が左右に積まれた狭い通路。まるで『巣』のように、トングでトングを挟みこんだトングの『鉄筋』が幾重にも交差し通路の空間を埋め尽くしていた。

「これは……粋なオブジェですね」
 『巣』を見渡した遠藤終赤は、一礼し、名乗りを上げる。
「拙偵、全てのアカを終わらせる。極右探偵・遠藤終赤。……いざ、推して参りますっ!」

「庭番、聖槍院九鈴、と、いいます」
 対する掃除婦も両手のトングをカン、と交差させ、口を開く。
「全てのゴミを……片づける」


(『もう一人』が聖槍院様に接触したか。急がねば)
 東京駅丸の内口。
 遠藤は一人、無線から状況を確認する。偵察に行かせた『分身』が敵と接触した。本体の自分もそこへと向かう。

「叔父上」
 腰差しの虫眼鏡に手を当てる。触れても触感がわかりにくいほどに小さく、薄いが、頑丈だ。これだけが遠藤にとって、『維新の探偵』の証であり、叔父の形見でもある。かつて隠れキリシタンが特殊な鏡で、密かにキリスト像を映し出したように。探偵たちは虫眼鏡と推理光線を組み合わせ、『認証手形』として活用してきた。
「今こそ、革命のときです」

 温泉旅館の戦いで得た魔人ヤクザ・夜魔口組の『コネ』。上手く扱えば力になる。さらに、大会で金とWL社の後ろ盾を得る事ができれば、実行できる。
 遠藤は『虫眼鏡』を身分証に、仲間の探偵を探し集め、協力を求めるつもりだ。
 日本政府を転覆させ、新たな探偵政府を立ち上げるために。

(錦の御旗の元、皇族直属の軍事探偵を組織し、外国の脅威に対抗する……!)
「はじまります。探偵の時代が」


 壁、天井、壁、トング、壁、天井、トング、壁、天井、トング、トング、トング。
 通路に組まれたトングの『鉄筋』は、ジャングルジムのような地形の理を聖槍院に与えた。
「ハッ!」
 聖槍院はぐるり、と回転し、トングでレンガ壁の段差を掴む。
 縦横無尽、立体的に通路を駆け、遠藤に致命傷を与えんと繰り出されるトング道技。

「『流歯(るんば)』」

 ボ、ボ、と音が連続した。聖槍院が死体から『分別』し、収集した『歯』がトング道技術によって恐るべき散弾となり、遠藤に襲いかかる。
「ぐ……ッ」その内の一つが、遠藤の腹を抉った。「……ヤァーーッ!」遠藤の推理光線。狙うは聖槍院ではなく、通路に組まれたトングの鉄筋。まずは聖槍院の足場を崩す。その判断は間違ってはいない。

 キンという金属音が響き、トングの鉄筋に推理光線が『弾かれる』。

「…………は?」
「『蟹山伏(かにやまぶし)』」
 聖槍院の両手両足4つのトングが大きく開かれ、頭上から遠藤に襲いかかった。
「――――わっ!?」とっさに推理光線をふるい、聖槍院のトングを斬り裂く。転がり、ダン、と壁に叩きつけられた。隣に置かれたゴミ箱が揺れる。

 遠藤はカハ、と息を吐き、敵を見た。
(『弾いた』……!? レーザーにも等しい推理光線を!…………刀を弾くように、こちらの指先ごと!?)
 トングを焼き切れずに通過するなら判る。だが、弾くとは、どういうことか。
(彼女の『論理能力』……! つまり、こういうことだ)
 わずかな時間の間に、遠藤は推理する。
(『タフ・グリップ』は掴んだ物を絶対に離さない!
……だから、物体を掴んでいる間のトングは絶対に『壊れない』。何故なら、壊れたら、掴んでいた物体を『離してしまう』から。『だから』絶対に壊せない。ここまでが彼女の論理能力の『範疇』……!)
 まずい!事前の推理が甘かった。計算が狂い、ここまで大きな隙を――……


「ごめんなさい……」


「は」
「ぜんぶ、私が悪いの」本来なら追い打ちをかけるべきタイミングで、聖槍院は頭を下げた。
「……え」
「私が、東西戦を防げなかったから、たくさんの人が死んだ。東京に攻め入るゴミを、掃除できなかったから」彼女は山になった彼らの死体を見た。

「……はぁ。でも……でもそれは」
「私のせい。東西戦で核が落とされて、国力が疲弊しなければ、ウィルスもあれ程広がらなかった。ウィルスを撒き散らすゴミを、私が掃除していれば。遠藤さんの叔父さんも死ななかったのに」
「叔父……上…………」
「ごめんなさい。本当にごめんなさいごめんなさい」
「そんな……」突然の謝罪に戸惑いながらも、遠藤は自分の考えを述べた。
「拙には、貴女のその、異常な自責が理解出来ません。聖槍院様は……悪くありません。責任ならむしろ我々、探偵にあります」
 遠藤はよろり、と近くのゴミ箱で身体を支える。
「東西の緊張が高まっていた事はわかっていました。探偵が、叔父が、関西の企みを看破できなかったのがいけないのです」



「許せない」



 聖槍院は涙をこらえているようだった。「こんな自分が、許せません。……でも、そう言って貰えると救われます。ありがとう、探偵さん」
 聖槍院は微笑んだ。
 清掃帽で隠れてはいるが、美しい顔立ちがひときわ輝いて見える。遠藤は思わずどきりとした。明らかに、雪山の戦いと比べて狂気が和らいでいる。

 試合前に調査した聖槍院の素性は、謎が多い。江戸時代から続くトング道。その鍛錬に時間を費やしてきた事は確かだ。大学の在籍はなし。家業を継ぎ、その為だけに生きる事に不満は無かったのか――家柄に縛られた遠藤がそう考えるのもおかしな話かもしれないが、とにかく遠藤は疑問に思った。

「私は……遠藤さんとも、四葉ちゃんみたいに仲良くできたら、と思っています」と聖槍院。
「仲良く……では、戦いが終わったら温泉にでも行きましょうか?」
「本当ですか」聖槍院は口元をほころばせる。「ふふ、探偵と温泉なんて、なにか事件でも起きそう。……楽しみですね」

「ええ……、では、試合再開といきましょう」
 遠藤は立ち上がる。その際に、ゴミ箱で支えていた左手を払いのけた。
 そのゴミ箱は東西線以来ずっと放置されていたのだろう。中身がいっぱいに詰まっており、形容しがたい腐った紙くずや鉄くずが箱の口からはみ出ている。遠藤が手をのけた反動で、はらり、と紙くずが通路に落ちた。
















「クズが」
















「は…………?」

「ごみはすべて分別するごみはすべて分別すごみはすべて分別するごみはすべて分別するごみはすべて分別するごみはすべて分別するごごみはすべて分別するごみはすべてごみはすべて分別するごみはすべて分別すごみはすべて分別するごみはすべて分別するごみはすべて分別するごみはすべて分別するごみはすべて分別すごみははすべて分別する」
 脈動し、ギョロリと見開かれる、聖槍院の眼。「探偵のテロリストの……クズめ」ぐるり、ぐるりと右眼だけが回転し、遠藤を凝視して停止する。「ごみはすべて、分別する」
「な…………」――――何だこれは、彼女の狂気は、和らぐどころかむしろ――


「『大剃(だいそん)』」


 くるりと彼女の持つトングが回転した。
 トングに圧縮された空気が開放され、爆発的な気流を生み出す。
 剃るようなカッターが遠藤に襲いかかる。

「あああッ」
 カチン、と音がして遠藤の左腰が切り裂かれた。腰の虫眼鏡に当たった音だ。
「イイイヤァーーーッ」
 キン、と遠藤の推理光線が弾かれる。空気を掴んだ聖槍院のトングに。
 聖槍院は天井を掴んだ左手を軸にそのまま左足を振りぬくと、身体を大振りに回転させ、右足のトングを振り回す。それを下に避けた遠藤の右腕を聖槍院の右手トングが掴み取る。


「しまっ――」――腕を掴まれた。


 ぐるん、と遠藤の身体が反転。「がふッ」
 地面に叩きつけられる。すぐに身体が浮き上がり、再度叩きつけられる。
 何度も、何度も、何度も。
 本来、トング道の正式な試合なら、相手を掴んだ時点で一本となる。

 掴んでしまえば、あとは殺すだけだからだ。


 遠藤が通路に飛び出した。

 聖槍院に掴まれた方ではない、厚みのある、『本体』だ。1m長の推理光線をきらめかせ、二人の間に走る。
「ヤァァアアアーーーッ!」
 ザン、と目の前の『腕』を断ち切った。
 聖槍院ではない、掴まれた方、遠藤終赤の『分身』の右腕を断ち切った。
 敵の距離と動きを考慮して、あえて『味方の肉』を断ったのだ。

 「ンアアアッ!」

 遠藤の『分身』が叫ぶ。
 二の腕の先から鮮血が吹き出し、聖槍院に噴きかかる。

「イヤァァァアーーーーッ!」下から上へ。かがみこんだ遠藤の本体が、『聖槍院の腕』を断つ。分裂の右腕をトングで掴んだその腕を。
 斬られた二人の腕はトングでつながれたまま吹き飛び、ドン、と天井にぶち当たった。
 鮮血が天井に塗りつけられる。

「掃除婦はナイル川のほとりで雑巾を横ではなく縦にしぼった」右腕を失くした聖槍院は何ら動じる事がない。血を噴く右腕をトングで掴み、止血した。横目で遠藤を一瞥すると、足で天井をつかみタン、タン、と通路を走り去る。『巣』から退却する気だ。

「ま、待ちなさい……!」本体の遠藤は落ちた腕を拾うと、聖槍院を追う。
 腕を斬られた分身はその場でうずくまったまま動かなかった。置いていくしかない。
 巣のあった通路よりも少し広い場所に出る。

「……まだ」
 立ち止まった掃除婦は柱を背に探偵を睨んだ。「私の庭を荒らす気か?探偵」
「次は拙偵が相手です!」遠藤は右手にひとさし指を構えた。
 左手には聖槍院の腕と遠藤の『分身』の腕。二つは黒いトングでつながれたまま。


「解除」


 聖槍院が言った。
 カツン、と『分身』の腕を掴んでいた黒トングが床面に落ちる。『タフ・グリップ』が解除されたのだ。遠藤はとっさに黒トングを拾い上げた。
 同時に、遠藤の背後。
 先ほどまでいた通路に、がらがらと硬い石の砕ける音が鳴り響く。
 砂煙が遠藤の足もとへ舞い飛んだ。

「な……?」
 ――『巣』のあった通路の『天井』が落下し、白い瓦礫で埋めつくされる。通路に残された遠藤の分身が、まだそこにいたはずだ。
(まさか、『巣』に見えた、あの沢山の……)
 聖槍院九鈴は、あらかじめ天井を破壊して――
(……沢山のトングで、天井を繋ぎ止めていた!……巣のように配置したトングは、それと悟らせないためのカモフラージュ……!)

「ごめんなさい、本当に……」聖槍院が頭上から声をかける。「解除」聖槍院の右腕の止血が解除され、鮮血がトングを吹き飛ばした。
「――止血を……!?」かろうじてトングを避ける遠藤。だが、吹きかかる血は避けきれず、白い顔が赤く染まる。
 その遠藤の袖を、聖槍院の握る銀のトングがグイ、と捕獲。「あっ――」

 ドン。と強く床面に叩きつけられる。「か……はッ」
(まずい、掴まれた。これでは生き埋めになった分身と同じ!)
 今度は助けてくれる仲間など、いない。

「ごみはッ!こまめにッ!分別するッ!ごみはッ!こまめにッ!分別するッ!ごみはッ!こまめにッ!分別するッ!」繰り返し、チョップするように遠藤を叩きつける。

「……つ、ぐあッ!ぐああッ!ぐあああッ!」
(何かないか。逃れる方法は――……!推理せよ!)
 遠藤は推理光線を発しようと、推理を集中させる。
(――推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!推理せよ!)心中に一つの案が浮かび、薄れゆく意識の中、指先に推理光線の光が灯る。(そうか、もしや――)


「しね」
 しかし、その光は聖槍院に届くこと無く、遠藤の体はブン、と投げ出された。


 体が何度か床面をはね、滑り、転がる。「……ゲホッ!」
 遠藤は消えかかる意識を、奥歯に仕込んだ青酸カリで無理矢理に覚醒させた。
 目の前には長い下りエスカレーターが、力強く稼働している。

 ふら、と立ち上がった遠藤はエスカレーターの天井を分厚くポスト・イット化し、引き剥がす。触れただけで分裂は起きない。引き剥がす必要があるのは、この能力の制約といえる。当然だが、厚みのあるものほど引き剥がすことは困難だ。蛭神鎖剃の巨大陰茎のように、めちゃくちゃに振り回した上で重力がかかる状況でなければ、自然に剥がれることはあり得ない。今回は、少しだけ引き剥がせばそれでよかった、残りの仕事は、それを『貼りつけた』エスカレーターが『してくれる』。

(どんな能力にも、『穴』はある)

 エスカレーターを高速で駆け降りながら、遠藤は考える。背後では、ベリベリと音が鳴り響く。エスカレーターが彼女を追うように自動で天井を引き剥がし、追手の邪魔となる壁を作り出す。

(何故、聖槍院様は自分を『離した』? ……あのまま自分を叩きつければ、彼女は勝てたかもしれない)
 聖槍院は追ってこない。瓦礫に埋まった分身の始末をしているものと思われる。

(……例えば、強力な熱線でトングを焼き斬り、切れた両端を熱でつなげてしまえば、それは『小さなトング』となる。推理光線でそれほどの出力を出せるかわからないが、それがトングの『無敵』を破る手立てとなるかもしれない。破壊されても『トングのまま』なら、『タフ・グリップ』の能力原理に『沿う』からだ)

 よろめき、通路に吐血した。

(それ以外の『穴』が……『あるとしたら』?
聖槍院様は拙を離したのではなく、『離さざるを得なかった』のだとしたら……それが『タフ・グリップ』を破る手段となるかもしれない……!)


 聖槍院は瓦礫から、ゴブリンどもの死体と遠藤終赤の分身の体を『分別』した。
 それら死体に死体から収集した『脂分』を振りかける。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」それは、彼女にとって聖水に等しいものだった。

 次に、同じく死体から収集した『リン』の詰まったトングを投げ、密閉を解除。
 ポン、と音がして死体が激しく燃え上がり、遠藤の息の根を完全に止めた。
 これで儀式は終わった。汚れたこの世の、全てを燃やし尽くす事は簡単だが、彼女はそれをしない。彼女はただ、こまめに分別し、焼却する。

 聖槍院は振り返り、逃げた遠藤の本体を追った。

 血が点々と跡を残している。
(でも、彼女の能力なら、この程度簡単に『偽装』できるはず)聖槍院は思う。
 通路の分かれ道。迷路のような東京駅も、案内板を見ればそれ程迷うことはない。
(血痕の向かう先は、八重洲北口……)

 そのまま行けば当然場外となる。遠藤はあえてそこへ向かったらしい。……血痕が偽装でさえなければだが。
 八重洲北口には、有名な『遠山の金』の石碑がある。
(東京駅に来た記念に一度、拝むつもりだろうか。江戸幕府の奉行人……いえ、確かに探偵には近いが、幕府の役人なら、むしろ『彼女の敵』……それは無い、か)

 非クリーンな雑念。無駄な思考をしてしまった。と反省。
「……スゥーーー……ハァーーー……」
 父に習ったトングの呼吸。聖槍院は心を掃除する。
 彼女の最大の武器は、冷徹で理知的な思考にこそある。

「ヤァーーッ!」

 トングを繰り出し、天井にぶら下がった駅の案内板を掴む。
 掴まれた案内板の板が、ベリ、と剥がされた。
 迷路のように入り組んだ東京駅。……遠藤終赤は、『案内板』を偽装していた。

(……向かう先は…………)


 大正時代の風格を感じさせる赤レンガ造り。旧東京駅は、戦争後も外見はそのままの形で残り、東京に立ち並ぶ摩天楼と共存している。東京駅の目の前に皇居が広がり、その隣には東京駅によく似たレトロモダンの法務省旧庁舎。

 東京駅、屋根の中心部に遠藤はいた。
 屋根と同じ色の青い痣がところどころに彼女の身体に染みている。
「必ずや……この街を探偵で埋め尽くしてみせる」

 遠藤の分身が消滅するまで、あと30分はかかる。それまで、彼女はもう一度分身を作り出すことはできない。推理する時間も含めて、時間が必要だ。
 遠藤は推理した。聖槍院の能力、素性、どれも判らぬ点が多すぎる。彼女の目的は、『東西戦の瓦礫の撤去』だ。彼女は日本全土を自分の『箱庭』と考えているらしい。確かにトング道の発祥は、江戸城内の庭番であると聞いている。彼女がそこまで掃除に固執する理由は、先祖の職務がゆえのものだろうか
 そして、彼女が遠藤を掴んだにもかかわらず、『離してしまった』理由も、未だ不明。
「わからない……」

 その時、ガン、と屋根が撥ねた。

「…………投石!」聖槍院が駅内から、礫を投函しているのだ。
 絶対壊れないトングの棒と、トングの圧力。その二つを利用した『てこの力』で、驚異的な投石力を発揮。不吉な物音を立てて、青い屋根が次々と破壊されていく。

 位置までは完全に把握されていない。
 東京駅は南北に伸びた形をしており、その両端にドーム型の屋根がある。
 遠藤は北側ドームの近くまで走り寄った。ドームの上部には避雷針が天を指している。
 ガタン、と先程までとは毛色の違う音が屋根に響く。

「遠藤終赤……」
 聖槍院九鈴が姿を現した。「貴女を掃除する」

「聖槍院様」
 カラン、という音がした。
 ドームの避雷針に、遠藤終赤がそれを投げ、引っ掛けたのだ。
 聖槍院から奪い取った漆黒のトング――『カラス』を。
 聖槍院はそれを見た。あの時、断ち切られた右腕と共に奪われた彼女の家宝。

 二人の間には、遠藤があらかじめポスト・イット化し、内部の厚みを薄くした屋根の落とし穴がある。遠藤が黒トングを避雷針にひっかけたのは、この場所に敵を誘導するためだ。
「卑怯な手で申し訳ありません」遠藤が言った。「これは、拙が能力でコピーしたものかもしれないし、本物かもしれない。……貴女にとってこのトングが大切な物なら――」

「トング道は」
 探偵の言葉を遮り、カンと、聖槍院は片足で立った。
「庭番の技術。本来、道具は選ばない」
「庭番……。庭番なら、なおさら道具に拘るべきでは……ないのですか」
 聖槍院はトングを握った右足を持ち上げ、目の前で左手のトングと交差させる。
「私に選択肢など無い。私が全て悪い。本当に、ごめんなさい。…………しね」

「一体、貴女は、どうしてそこまで……」懺悔するのか。
 彼女の『謝罪』が『狂気』と共に発生した妄想なら、その二つはセットでなければならない。罪悪感の苦しみから逃れるために、狂気はあるからだ。
 だが、彼女は『理性的』な時にも遠藤に『謝罪』した。
 ……本当に、その罪悪感は、妄想でしかないのだろうか?

「『竹箒』」

 聖槍院が動いた。ぐるりと身体を回転させ、ブレイクダンスのように三つのトングを交互に繰り出す。まるで竹箒、まさしく庭番の技術。
「……イヤァーッ!イヤァーッ!イヤァーッ!」遠藤は推理光線でそれを弾く。
 やはり断ち切れない。聖槍院は空気を掴むことで、トングを無敵化させている。
(トング道は幕府の『御庭番』……昔の話だと思っていた。あまりにも『掃除婦すぎる』彼女の容姿に、気を取られていたが)遠藤は推理する。
「ハッ!」バク転で間合いをとった。

(『御庭番』は……『隠語』だ!
 その意味は徳川幕府の『隠密』――我々の、敵……!)


「解除」


 聖槍院が言った。
 ドームを含む、周囲の屋根が瞬く間に崩壊する。
 聖槍院はあらかじめ、ドームの屋根を破壊して、トングで固定していた。誘い込まれたのは遠藤の方だ。二人の足場が深く沈む。
「聖槍院、九鈴……貴方は!」遠藤は叫び、自分で作った落とし穴へ跳ぶ。落下時、瓦礫に衝突するリスクを少しでも抑えるために。

(もし……、我々と同じように、彼女の家業も、維新後も連綿と受け継がれてきたならば……!密かにテロや破壊活動に眼を光らせる。幕府の御庭番としての、現在の職名は……。公安警察の偽原光義とは、別。日本政府の、法務省の外局――――公安調査庁の――――)
 遠藤は口を開く。



「『魔人……諜報員』――――ッ!!」



「……全て、私が悪い」
 落下寸前、遠藤は聖槍院の言葉を聞いた。
 遠藤は合点がいった。彼女の異常な自責に。
 事実だったのだ、妄想などでは、無かった。『諜報員でありながら』、彼女は本当に『掃除できなかった』のだ。戦争を起こした者共を、核兵器を投入した連中を、ウィルスをまき散らした魔人を。
 ゴウ、と風を切る音が耳を塞ぐ。遠藤は重力にあらがえず落ちてゆく。

 ドームの内部は吹き抜けとなっており、二階部分のテラスが円状に広間を取り囲んでいる。
「――ああッ!」
 瓦礫とともに遠藤はテラスに落下。

 聖槍院は落ちてこない。遠藤は起き上がる。
「……『スマート・ポスト・イット』!」考える間も無く、テラスの周壁に手を当てた。

 ベリ、とその壁が引き剥がれる。
 その壁、8m先の頭上には聖槍院九鈴。

 聖槍院は崩れ落ちた屋根の淵を掴み、今まさに遠藤に追撃せんとしていた。
 ポスト・イットの『切れ目』に設定されたのは、トングで掴まれた淵の部分。

 ベリベリと、聖槍院自身の体重が、
 ポスト・イット化された壁を引き剥がし、聖槍院の追撃を阻んだ。


「片す」


 聖槍院はためらいなく
 引き剥がれる壁からトングを離した。

「全てのゴミを……片す!」

 身体を逆さに、重力に身を任せる。

「ハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!」
 正気も家宝も防御でさえも、聖槍院は全てを捨ててトングを構える。
 目下、遠藤の頭をかち割るために。

 遠藤は右腕に推理光線を構えた。
「イヤ……ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!」

 上段から振り下ろされたトングが推理光線を弾く。
 推理光線に無敵のトングは破れない。
 そのトングを、遠藤の『もう一つの』右腕がすり抜ける。

 パリン、と音がした。
 桜色の光。
 遠藤の二の腕から先は、まるでトングの様に左右に分裂していた。聖槍院の懐に潜り込んだもう一つの腕。その指先から推理光線が発射されている。


 それが、聖槍院の心臓を貫いた。


 げほ、と吐血した聖槍院の身体から力が抜け、
 遠藤の身体に覆いかぶさる。
「がっ……は……。あの、時……」遠藤は勝利を確認し、聖槍院の亡骸に、言った。
「あの時、拾った。斬り落とした『分身の腕』。分身の右腕だけを、拙の腕と『一体化』しました。だから――」
 遠藤は左右に分裂した右腕を、ピタリと合わせた。
 腕の別れはじめの部分には、切断時の傷跡のようなものが見える。

「……だから『右腕だけ』は『分裂できる』」

 遠藤は死んだ彼女の握るトングを見た。
「結局、焼ききって再度繋げられるほどの推理光線は、今の自分には出せませんでした。これだけが今回、貴女の能力に対抗する唯一の手段、腕を『トング』のように分裂させる事……」
 遠藤はクラリ、と倒れそうになるのをこらえる。
「推理光線は『知能』に依存する。そしてポスト・イット化能力は、分裂し体力が減っても『知能』だけは『変わらない』。だから二つに別れても光線の威力は『変わらない』」
 探偵帽を正し、聖槍院の身体を引き離す。

「だからこそ『スマート(知的な)・ポスト・イット』というのです」



 結局……聖槍院が本当に『諜報員』かどうかは、判らぬまま。
 だが、そう考えると納得がいく。


 この大会には危険人物が多すぎた。チャイニーズ・マフィアのボス。世界の支配を図る少女。世界の破滅を望む元魔人公安。指定魔人暴力団ヤクザ。日本政府転覆を企てる探偵。国家の存亡に関わる危機に、日本政府がただ指をくわえて見ているだけだとは、『考えられない』。発狂しながらも凍るような理性を保ち、法律の枠から外れた彼女こそ、潜り込ませるスパイとして最適だったのではないか。遠藤はそう推測した。

 どさり、と聖槍院の身体が仰向けに転がった。
 遠藤は懐からペラペラになった黒いトングを取り出す。本物の、聖槍院のトング。
(聖槍院様は……)
 彼女の胸元に置こうとし、動きを止める。
(……特急列車の戦いで、懐に隠したトングで致命傷を防いだ。今さっきも、推理光線が胸を貫いた時、『おかしな音』がした……でも、トングの音とは、違う)
「まさか」遠藤は聖槍院の胸元を開く……血にまみれたシャツ。その中に。


「やられた」


 ガク、と膝をついた。「拙の、自分の……『負け』だ!」
 遠藤は羽織の下、腰まわりを確認する。在るはずのものが、『無い』。
「あの時、トングで掴んだ拙を投げ離した時……!あの時、貴女は、『離してしまった』わけでは無かった……、逆に、『掴んでいた』のですね……」

 聖槍院の胸の内に仕込まれていたもの。遠藤終赤の幼さの象徴。形見として、肌身離さずそれを持ち歩いていた遠藤の、完全な落ち度。高出力の推理光線によって、粉々に破壊された。これを失った遠藤はもう、『ただの探偵』でしかない。

「『タフ・グリップ』の『分別』で……!あの時、聖槍院様は、トングで掴んだ拙の『身体全体』から『分別』し、抜き取っていた……!『維新の探偵』その『証』――――」
 遠藤は、その銀色に光る形見を手にした。
 透明のレンズは白く砕け、もう二度と、真実を映し出すことは無い。


「――――――『虫眼鏡』を……!」


 遠藤は、聖槍院がその職務を完全に遂行したことを悟る。
 これで、テロを決行するための、『仲間との繋がり』が、『全ての計画』が『瓦解』した。これまでの戦いの意味、全てが、泡と化したのだ。
「みご、と……ッ!」遠藤は唇を強く噛み締め、顔を上げた。

「御見事です。聖槍院……九鈴……様ッ!」

 聖槍院の家宝。漆黒のトングを彼女の胸元に置き、遠藤は憑き物が落ちたように、急激な眠気に襲われる。力尽きた探偵は、その場に倒れこんだ。
 漆黒のトングが、こびりついた血液の燐光で、赤く煌めく。


 庭番の掃除婦は見事、
 ……ゴミの分別に成功した。


◆裏トーナメント決勝戦◆旧東京駅の戦い◆終








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