準決勝戦【豪華客船】SSその2

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準決勝戦【豪華客船】SSその2

「……造花」

 花瓶の花に触れて呟いた言葉に、肯定の微笑みが返る。

「あの人が作ってくれたんです。もう、指も落ちてしまいましたけれど――
 それでも、少しでも触れて楽しめる花のほうがいいだろうって」
「丁寧な造り。……器用な方なのですね」

 庭師である満子には、それがクローバーの花である事が分かった。
 しかしベッドに横たわる女性の両眼は、綺麗な白い包帯で覆われている。
 花は彼女――白詰智広の名に因んだものか。

「――そして、優しいかた」
「そんな」
 智広は、恥ずかしそうに笑う。

 ……そうではないことを知っていた。
 造花の造り主は“ケルベロス”ミツコの次の対戦相手、赤羽ハル。
 白詰智広の後見人。

 彼女にとって唯一の救いである赤羽ハルが、魔人暗殺者であると。
 そして今まさに、公衆の慰みのために殺戮を繰り返していると――
 そのような真実を告げる事など、探偵である末弟の『光吾』が許さないだろう。

「また、見舞いにお伺いしますわ。次は姉や弟とも一緒に」
「ありがとうございます。あの人の他に見舞いの人が来るなんて、本当に久しぶりで。
 ……それだけで、嬉しくて」
 白詰智広が“ケルベロス”の姿を見ることはない。
 この距離で話す彼女の――満子の姿が実は、弟の光吾のそれだったとしても。

「……また伺います。また」

 病室の扉を後ろ手に閉めて、『彼ら』は黙考した。
 AD2019年に東京から広まった、未知の殺人ウィルス拡散――『パンデミック』。
 生きながら光を失い、四肢すらも腐り落ちる白詰智広の症状は……
 この形を持たない『世界の敵』が引き起こした悪夢の結末のひとつだ。

「殺さないのか」

 待合室に差し掛かった時に響いた鋭い声が、彼らの思考を中断する。
 顔を見ずとも、廊下脇のソファに座る男が何者であるかは、すぐに理解できた。

「……なあ。人質に取っておかなくていいのかよ?
 二回戦みたいにさぁー……黒田武志を使って、あんたがやったんだろ? やれよ」

 蛍光灯に伸びる影が、気怠げにソファから立ち上がる。
 挑発に答えず、探偵として末弟が問う。

「――君こそ。敢えて『狙わせる』ために、会場に近い病院に彼女を移したんじゃないのか?」
「へぇ? 根拠は……なんだい」
 視界の端でチャリ、と硬貨が鳴る。

「君の能力の調べはついている。負債を踏み倒すことができない制約。
 白詰智広が『負債』そのものであるとすれば。自ら始末すれば、踏み倒す行為に当たる。
 けれど例えば、あなたの故意ではなく。対戦相手に『始末してもらえば』……」

 肩越しに振り向いた光吾の憎悪の瞳が、背後の赤羽ハルを射抜く。
 距離8m。射程内だ――お互いに。

「なら……そうしろ。所詮殺人鬼なら、殺人鬼らしく。
 善人ぶってンじゃあ、ねぇぞ」
「――お前こそ」
 ミツコの眼の色が変わる。この距離ならば、長女。
「今ここで。殺る度胸はあんのかァー!? 『暗殺者』さんよォーッ!!」

 蜜子は上体を低く構え、リュック内の各種調理兵装を意識する。
 赤羽は、気怠げに片手をポケットに入れたままだ。それが臨戦態勢。


 長い沈黙を経て、両者が武器を下ろす。
 ミツコは、白詰智広を――この病院の患者の存在を思ったが故だ。
 だが、相手はどうだったか?

「……僕の能力は、『世界の敵の敵』」
 蜜子の現出で昂った感情を、抑えつけるように顔に手を当てて、光吾が呟く。
「主人公の魂の力を使って、悲劇を……理不尽を、改変することの出来る力」

「そうかい」
 赤羽は既に歩き出していた。彼女の病室へと。
「――赤羽ハル。仮に君が望むのならば……」

「……」

 彼は説得の途中で口を噤んだ。
 くだらない――光吾自身がそう感じたからだ。

 こんな言葉で止まる相手ではないと、探偵として十分に理解していたはずだ。
 戦闘に及ぶ前に事を収めようとした今の行為は……自分自身の心の弱さの現れだ。

 なぜなら、仮に戦えば。準決勝第二試合――豪華客船において、
 “ケルベロス”ミツコと、赤羽ハルが、戦力を比較するのならば。


 ミツコが勝利することは、決してない。



 赤羽ハルの魔人能力は、『ミダス最後配当』。
 魂を持たない……そして『価値のある』物体であるならば、接触のみで換金する。
 光吾の探偵としてのスペックは既に、その制約までもを看破している。
 ならば、能力を作用させる条件についてはどうか。

 ――例えばその能力は、豪華客船そのものを換金できるだろうか?

 “ケルベロス”ミツコが多重人格魔人である事の、最大の利点。
 無論ミツコ達自身は、それを自覚している。……自分達が何者であるのかを。

 それは三重の人生を送った事による、異なる戦闘技能の蓄積ではない。
 器は末弟『光吾』一人の肉体に過ぎず、その点では他の魔人と条件は同じだ。
 経験の密度では赤羽ハルに、純粋な時間とノウハウでは偽原光義に、劣る程度のものだ。

 彼らは自覚している。『3人いる』、まさにそれ自体が他の参加者に長ずる利点。
 長女が直感し、次女が分析し、末弟が推理する……思考の量そのものであると。



 地震のような重低音が、甲板に立つ光吾の靴裏を揺らした。
 暗い海は水平線の輪郭すら夜に溶けて、客船の光の他に星の一つすら見えない。

 戦場は、広大かつ入り組んだ豪華客船。
 ありとあらゆる屋内環境においてトラップによる防衛を可能とする技術を備えながら、
 “ケルベロス”ミツコが敢えてこの場で待つ理由があった。

(……赤羽ハルの『ミダス最後配当』は)

 目を閉じ、両手に静かに垂らした糸から破壊振動を感知しながら――
 3人の中に潜む光吾は、静かに思考を巡らせる。
 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
(地球を換金できるだろうか?)

 ――否。それが可能な魔人能力など存在し得ないし、存在したとしても、それを可能とする魔人能力者を生かす世界ではないだろう。

 猪狩誠の異質極まる魔人能力も、『味方』を代償とする能力制約の変種に過ぎなかった。
 ならば『ミダス最後配当』にも当然、他の物質変換能力同様、ひとつの条件が存在する。

(それは能力対象を、『ひとつの存在』として認識すること)

 自分の立つ大地が地球であると知識で理解し……そう思い込もうとしても。
 通常、人間は巨大すぎるオブジェクトをひとつの単位として『認識』できない。
 それが認識を核とする魔人能力にとっての、壁となる。
 ――この豪華客船も同様。全容を把握できるこの甲板からでなければ、換金はできない。


 しかし“ケルベロス”ミツコの勝利を不可能とする理由の一つが、この戦術にある。
 大会規定によるこのフィールドの戦闘領域は、『客船から周囲100メートル以内』。
 ……だが。客船自体が消失したとすれば、ルール上何が起こるのだろうか?
 そこに戦場を規定するフラッグは、もはや何もない。

 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 戦場消失によるノーゲーム。
 いくら絶命寸前まで追い詰めたとしても、赤羽ハルが甲板に触れれば、それで終わり。

 仮にミツコが船内で戦闘準備を進めていたとしても、話は同じだ。
 赤羽の望むタイミングで、全てはすぐさま終了する。
 故にミツコは、それをさせないために……甲板を見張る必要がある。

(すべてにおいて圧倒的なまでに、敵に有利な戦場。
 ここまでは強いられた悪手。今この瞬間にも、赤羽ハルは『準備』している。
 戦場を破壊して、僕の逃げ道を塞ぎ、客船内の装飾品をかき集め――そして)

 これまでとは性質を異にする振動と風が空気を吹き抜け、ミツコの髪を揺らした。
 前方で爆発が起こっていた。

(そして、来る。……犯行の手口は、可燃物によるバックドラフト。紙幣は、燃えるか)

 目を静かに開く。床に垂らされた幾条もの糸が、意識の力で張り詰める。
 炎に長く照らされる影が、ミツコの正面で揺らめく。

 赤羽ハル。



 戦闘開始時から続いていた鈍い破壊音。船の沈没を狙ったものではないだろう。
 この豪華客船はバラストを含めた各部が高度にユニット化されている。
 たとえ真っ二つになったとしても、しばらくは沈没しない構造だ。
 ……ならば、消火装置と隔壁の破壊。この火災と爆発を行き渡らせる事が狙いか。

 何のために燃やした。何かがある。この至近距離に姿を現した事を含めて。

「……理不尽な事実ってさぁー、どこからどこまでが……理不尽なんだろうな?」

 戦闘距離内に踏み込んでいる。にも関わらず、赤羽は語り続ける。

「俺は所属組織が潰れて、組織の借金を負った。6000億だ。
 ……それが理不尽か? なら、その事実を消したとしたら……
 暗殺組織は潰れずに、今の瞬間も、人が殺されてるわけか?」
「皮肉のつもりか? それが」

「――あの猪狩には『家族』がいたらしいが……その事実を消したな?
 それもよりによって、第二回戦の試合中に。
 ……ハハ! 随分面白い『世界の味方』だよ、お前」
「…………」
 光吾の人格は、指先の糸を弾いた。“リリアン編み”の手芸者技能。
 糸の先に接続された係留ワイヤーは一瞬にして解けて、
 甲板に吊られていた全ての救命ボートを切り離す。
「主人公の力で世界を救う能力。いい能力だな?
 その力を、あのタイミングで? 恵まれない子供の運命だけを変えるために?」
                           、 、 、 、 、 、 、 、 、
「結局お前、自分が勝ちたかったんだろ? 世界のためだもんな?」
「幼稚な屁理屈」
 既に変わっている。ゼロ距離。包丁。

「ご苦労、さんだなァ――!!」

 首(ネック)。肩(トンビ)。胸(カルビ)。
 最凶の好戦性と接近戦適性を持つ、長女蜜子の解体連撃。

 人外の速度を誇るそれすらも、赤羽の鋭利な一万円札に全て切り払われる。
 中華包丁と肉裂き鋏、右靴に仕込んだピックすらも。
 日本銀行券――想定内。

 機先を制し、一瞬相手の思考を近接戦に傾かせた事が、ミツコの狙いだ。
 そしてミツコの風下に飛び退いた事が、赤羽の失策。
「よろしいのかしら? そんなところに立って」

「!」
 殺虫ガスの噴霧。次女満子の殺意が、赤羽の足を止める。
 如何に鍛え上げた魔人であろうとも、生命体としての化学反応は同様。
「――“手芸技”」
 その怯みのうちに、仕留める。距離10m。光吾の切断糸の射程――

「『巻き篝』」

 光吾が地に手を突く。同時、甲板上に張り巡らせた斬糸罠が発動。
 全周囲から赤羽ハルに絡み、巻き取るように寸断。
 敵の動きを制限した一連の流れの中でのみ成立する……即死手芸技!

(殺っ……)
(――てない! まだ!!)

 指先の糸を通じて違和感を触覚したその時には、遅い。
 ミツコの眼前に、煌めく小さな何かが迫っていた。
 バチチチチッと、肉が弾ける音がひどく近くで響いた。

 莫大に膨れ上がった無数の硬貨散弾が、ミツコの肉体を撃ち抜いたのだ。
 飛来物の視認すらままならなかったが、恐らくは指弾の要領で何らかの宝石類を撃ち出し、時間差で換金したのであろう。
 ダメージに耐えて立つ僅かな時間で、既に光吾はそれを看破している。

「糸を武器に使うのは、まあ、悪い発想じゃない。
 ……だが、肉と金属。切断部位の硬度を場所によって変えてやれば」

 次の宝石を装填する赤羽ハルのジャケット内側から、ジャラジャラと硬貨が落ちる。
 二回戦の経験を経て……紙幣だけでなく、硬貨をも仕込んだのか。

「一撃での切断が最も困難な得物でもある。……当然知ってるよな?」
「くすっ……まだまだ。勝ち誇る時間には早くはありませんこと?」

 3つの精神容量を持つミツコに、揺さぶりによる動揺はあり得ない。
 常に、最も精神的に安定した人格が制御権を行使する――次女、園芸部の満子。

 奥歯に仕込んだ違法植物の種を砕き、傷口から伝わる痛みを一瞬にして消去。
「――無傷。」
「ハハッ、強がっちゃって。カワイーなぁー……」

 撃ち込まれる銀の射線を避け、舞うように曲線的な走りで距離を詰める。
 その一瞬は、他の2人の判断力を回復するに十分な時間だ。

(姉さん。毒ガスの効果は薄い。あいつがまず火災を起こした理由がわかった。
 熱気による上昇気流……毒を吹き流す風だ)
(――てェ事は、こいつが一番イヤがるのもミツコちゃんの戦法ってことだよなァー?
 私に代われば、囮は上手くやれる)
(分かりましたわ。けれどその前に、少し)

 そしてミツコの動きが、急激に変転する。曲線の回避から、回転しつつ跳躍!
 野生(ワイルド)! 人格の切り替えによる思考方向の変化!

「ヒャッハァー! 取ったァ――ッ!」

 交差した蜜子の両手には、無数の殺人武器!
 フォーク! ナイフ! 箸! スプーン! サーバー! マドラー! スポーク!

「頭上がお留守だぜッ! 満! 貫! 膳席!!」

「……くだらねぇことを」
 飛来するカトラリーによるチェックメイトを見やり、赤羽は皮肉げに唇を釣り上げる。
 その手には、札束。

「――『1,000,000』。」
 投げ上げられた一万円札は、吹雪のように舞った。
 空中の一枚を掴み、不可視の速度でナイフを叩き落とす。
 返す手で次の一枚を掴み、フォークをも。
 振り切ったその先の空間にも、紙幣が。
 箸。スプーン。サーバー……

 まるで、一撃で鈍った刃を次々と切り替え戦う剣士のように。
 ミツコが飛び込むそこは、紙幣による斬撃の嵐が待ち構えていた。

「らッあああああああああ―――――ッ!!」
 絶叫とともに蜜子の暗黒殺人料理、その技術のすべてが炸裂する。
 無論、敵は本職の魔人暗殺者。札束舞うこの超至近距離では、尋常の技量の持ち主ならば互する事すら臨めない、が。

(『薬効』第二段階。神経加速がはじまりますわ、お姉さま)(神経の損傷部分はもう『編んで』ある。これで全力は出せるよ)(敵はプロ。無心でよろしくてよ。少しでもお姉さまが思考に手間取れば、終わります)(次は下から救い上げるように右手首へ。ガードが緩い場所は僕が見抜く)(麻薬効果の第三段階は3秒後。それまではお姉さまの体力で持ちこたえなさって)(リリアン斬糸は最初から甲板を取り囲んでいる。今の一瞬で発動した。手数は僕達が多い!)

 連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。
 札束と調理器具、そして隠し糸によるラッシュの応酬。
 甲板には折れた包丁が、切断されたフライパンが、そして無数の紙幣が千切れて落ち……
 永遠とも思える数十秒の果て、赤羽の笑みも消える。

 何故なら、その時。

(落ちきった)(……100枚の札束が落ちた)(残弾が切れる)(勝てる!)
(お待ちになって、確か――)(そうだこの男、二回戦で……!)

 一瞬の隙。蜜子の刺身包丁が赤羽ハルの鎖骨下動脈を精確に貫いた、その時。

( 内蔵を)

 負傷覚悟で動いた赤羽ハルは、その傷口から深く……
 深く、赤い肉塊を引きずり出していた。
 不吉なそれが肉体から長く伸びて千切れて、紙幣に変わった。


 ミツコの内臓が。


「――――ッ!!」
        、 、 、 、
(内蔵を!)(盗まれた!!)

 声もなく苦悶の叫びを上げる蜜子に代わり、光吾が判断を担う。
 再び札束が宙を舞い、全てが終わったと……誰もがそう直感しただろう。

 新たなる、致死の斬撃が迫り。
「死ねよ。主人公」
「……君がそうしろ」

 それを振りぬく直前、赤羽ハルの立つ地が落ち窪んだ。
 板が……彼の周囲だけ、狙ったかのように抜けた。
 この瞬間だ。噴霧器はまだ生きている。至近距離からの殺人ガス散布。

「――ッ、ゴ、ハァァッ!」
「“造園術(ガーデニングアーツ)”! ……宿木による『腐食』。
 お姉さまのカトラリーに……すべて、『種』を仕込んでましたわ!」

 血を吐きながら叫ぶ満子。……早く。
「わ、悪ィ、が……こーいうところで、終わっちゃ、られねぇんだよ!」

 赤羽が何かを、腐食の裂け目から落とした。
 光沢から見て純金製。何らかの船内装飾に用いられた像か――そう、判断した瞬間。

 重複するかのような、ゴバ、という金属音が船を満たした。
 ミツコは赤羽の方向へとよろめき、無数の紙幣を握りこんだ斬撃に腹を貫かれた。

「っ……ぐぅぅ!!」
「ハハ……ハハハハハハ!」
      、 、 、 、 、 、 、 、
 一瞬、船そのものが傾いた。
 裂け目を通って落ちた階下で、少なくとも数百万グラム以上の質量が、突如として出現したに違いなかった。
 ……早く。

「……そちらは、風下!」
「甘ェ……よ」
 殺人ガスが再び噴霧されると同時。
 噴射口を狙って、赤羽の両指から硬貨が。
 硬貨同士が宙で衝突し、火花が両者を爆発に巻き込む。
 一瞬の煙が晴れた時には、既に2つのシルエットは打ち合っている。

 鮮血と凶気を撒き散らしながら、両者のラッシュは絡みあうように続く。
 連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。
 連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。
 連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃――――。

 恐るべき拮抗を演ずる2人の思考は、そのとき奇しくも同調していた。
 ……早く。早く。

     、 、 、 、 、 、 、
 早く、終わりが来てくれと。

「……かハッ、」

 よろめいた赤羽ハルが、ついに甲板に手を突いた。
 その、魔人能力――。

(……終わった)

 既に生命力を絞り尽くしたミツコは……
 誰の思考とも言えぬ交じり合った認識で。虚ろに思った。
 足元で豪華客船そのものが形を失って、崩れてゆくのを感じていた。

(僕らは全ての手札を見せてしまった。
 ……勝負は、ついてしまった)

(これで)


  、 、 、 、 、
( 僕らが勝つ。 )




 ――『客船から周囲100メートル以内』。

 大会規定によるその戦場範囲の指定は、果たして如何なる意味を持つルールなのか。
 例えば戦闘の最中、客船が破壊されたとして……
 その過程で客船の機能が失われたならば、それは『戦場』とは見做されないだろうか?

 そうではないはずだ。『どこまで破壊されれば客船ではないか』など、
 運営本部を含めて、誰も判断できるものなどいないだろう。
 フィールドを構成する部材は、最後の木材の一片まで、客船のままのはずだ。

 常識的に考えるのならば、戦場がいくら破壊されようとも、
 その時点で最も大きい体積の『破片』こそが……基準となるのだろう。
 ミツコはこのルーリングについて、既に本部に確認を取っている。

 この一点だけが、赤羽ハルの能力に対抗し得る『抜け穴』だからだ。

 赤羽ハルは、この試合そのものをノーゲームにする事ができる。
 そして、ある意味では『ノーリスク』であるこの戦闘において……
 赤羽はミツコの能力を、限界まで見極めようとするだろう。

 勝てればそれで良し。仮に『引き分け』に持ち込まれたとしても……
 この次の再試合において、ミツコの全ての能力に対策し、確実に殺害できる。
 、 、 、 、
 次がある。
 相手がそう思い込んでいることが、唯一彼らが、付け込める隙――。



「……ひとつ」

「赤羽ハル。き、君の『ミダス最後配当』にも、明らかに分かる能力制約が、ひとつ、ある」

 無数の紙幣が沈んでゆく海面に、ミツコは一人立っていた。
 ……そう。立っている。
 その足元には、海面に浮かぶ一枚の板。それは甲板を切り取った――巨大な、一枚の。
 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
「触れていないものを換金することはできない。
 元は、一つの……物品でも。切り離されたものは、ケホッ、すでに……別の物体」

 ミツコは自身の腹の傷口を押さえて言った。
 ――そう。魂持つ生物から、『内臓』を切り離すことができるように。
「最初から、甲板の一部を切り取って。僕の糸で、巻き取れるようにしていた」
「……君が客船を換金した時。それが終わりになるように」


「……」
 見下ろす先には、赤羽が今にも沈みそうに、海面に浮かんでいた。
 ……戦闘終了のアナウンスはない。『豪華客船』の構成部材は――
 もはや板一枚とはいえ――確かに、ここに存在するからだ。

「……もう波に逆らう余力もないだろう。
 海流はこの板から離れるように流れている。……これで、君の、負け。
 そして」

 ミツコは、一人の女性の顔を思った。冷酷な暗殺者、赤羽ハル。
 それでも、彼女のことを思わずにここまで戦い抜けたはずがないのだから。
 ……けれど、これで報われる。


 勝たなければいけない。
 僕は、世界の敵の、敵だ。


「……白詰智広もきっと、」
『参加選手の戦闘領域離脱を確認しました』

 アナウンスが告げた。

『“ケルベロス”ミツコ選手は失格となります。
 準決勝第二試合、勝者は――』



     『赤羽ハル選手』



 治療を終えて医務室を出ると、待合室のソファに座りこむ小さな影が見えた。
 表面上は軽さを装ったまま、いつもの調子で声をかける。

「――よお。納得行かねえって顔だな?」
「……何が」

 “ケルベロス”ミツコ。直接の戦闘でここまで食い下がった相手は、いつ以来だろうか。
 だが、探偵にも殺人鬼にも、当事者でなければ分からないトリックというものはある。

「なにが、起こったんですか。あの時」
「なあ……ミツコ。お前の能力さ」

 ソファの隣へと座る。

「世界が救えるなんて事が、どうして分かるんだ?
 何の自信があってそんな事を言える? 主役の可能性。世界の敵。
 ……どこかに根拠でもあるのか?」
「……」
「……だよな。戦って分かった。『自分が世界の理不尽を救ってやれる』なんて……
 お前はそういう傲慢な人格じゃない。戦い方も分を弁えていた。
 身の回りの奴らを。誰かを助けてやりたいとかさ……
 そーいう、よくいるタイプの、良い奴だよ」

 例えば、目の前の猪狩誠の存在で苦しむ、子供達の存在を。
 あるいは――何も知らず赤羽ハルの身を案じる女性に、少しでも生きていて欲しいと。
 ……ただ、そんなささやかな理不尽を。

 ミツコは唇を噛んだ。

「それはお前の人格から出た魔人能力じゃあない……。
 どうして、その本質も見えない能力に頼る気になった?
 見えないものに頼っちゃあ、いけないわけだ」
「見えない――もの」

 そうだ。あの戦場で。自分は何かが『見えていなかった』。だから、負けた。
 領域のルール。あの板は、確かに豪華客船の甲板。
 領域が破壊された時は、最も体積の大きな残骸が基準となる。
 ……闇に包まれた海。火災。破壊音。風下。……客船は……

「客船は――!」

 ミツコは立ち上がった。あの戦闘のすべてが繋がった。
               、 、 、 、 、 、 、 、 、
「赤羽……ハル……! 切り離していたんだな……!
 遭遇より先に……客船、そのものを!!」

 豪華客船はバラストを含めた各部が高度にユニット化されていた。
  、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 たとえ真っ二つになったとしても、しばらくは沈没しない構造だ。

 甲板での遭遇より先に、やはり赤羽ハルは『準備』を終えていたのだ。
 破壊のための貨幣の種は、客船内にいくらでも存在した。
 まさにあの時、豪華客船は『真っ二つ』になっていた――!

「なぜ……戦術的に不利な風下に立ち続けたのか。
 どうして、火災を起こしたのか……」
 ミツコは一人呟き続ける。

「明るい炎と煙で覆い隠して、白兵距離の自分自身に注意を向けて……!
 暗い夜の海で、切り離されて流れていく船を見せないために。
 風向きはそのまま、海流の流れる向き……」


「船を換金する時。
 切り離されて流れた船が戦場の『基準』となったその時――
  、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 風上に立つ者の方が、先に領域を離脱する……!!」

 そのために。そのためだけに、あんなにまで……限界まで戦い続けたというのか。
 試合の最初に何かを仕込んだと、意識を向けないため、だけに。
 残骸が100m流れる……その時間を稼ぐためだけに。

「そーいうこと。……自慢しちまって悪いな?
 俺は、どうしても勝ちたいもんでね……こういう時でも、『勝ち誇りたい』のさ」
「……あんたは!」

 そこから先は声にならなかった。そんな事のために。
 ……そんな事のために、白詰智広の命を。

「言っただろ? ……俺は、見えないものは信じない。
 忘れたか? 俺は殺し屋なんだよ……目的のために人を殺して当たり前の職業だ。
 お前の言う『理不尽』とやらで何億人が死のうが、知ったことじゃない。
 俺が信じるのは、金と」

 ソファを立ち去る赤羽ハルの手から、ひらひらと一枚の紙が滑り落ちた。
 何らかの文書の複写だった。
「……契約だけだ」

 ミツコはその文面を読んだ。
 ……読んでしまった。

「……以上、WL社との契約内容に基づき。
 ザ・キングオブトワイライトにて……“ケルベロス”ミツコの勝利を阻止し。
 ――魔人能力による、通称パンデミック事件の改変を阻止すること。
 ほ……報酬は――」



「白詰智広の、治療――」

 ミツコは、膝を突く自分を自覚した。
 『約束』。『私を思って』。
 クローバー――白詰草の花言葉を、彼らは知っているはずだった。


「赤……羽……!!」
「クッ……ハハハハハハハ!!
 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「赤羽……ハル……!
 お前……ッッ!!
 赤羽! ……赤、羽ェェェェェェェッ!!!!」

 遠ざかる高笑いに届かぬと分かっていても、ミツコは何度も叫んだ。
 それが絶望なのか。悲しみなのか、自分ですら分からなかった。

 ただ、全てが悔しかった。


 ――赤羽ハルは、死ぬ気だ。




 準決勝第二試合――勝者 赤羽ハル。


(了)








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