裏準決勝戦【温泉旅館】SSその2

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裏準決勝戦【温泉旅館】SSその2


 俺が兄貴を解放した。
 問題は『いかに死ぬべきか』だ。
 俺みたいな奴は、どんなクズみたいな死に方でも構わない。
 でも兄貴は、――兄貴だけは『特別な死に方』でなければいけない。
 あの人がそう言って、俺に力を貸してくれた。


 大会の転送役、ポータル双子の兄・ディプロマットの死体が発見されたのは、試合の1時間前だった。二人の探偵に事件を知らせにきたのは、対戦相手の山田だ。
 死体が発見されたのは、この大会の為、ディプロマット専用に増設された個室。マスターキーは通用せず、カードキーは唯一、ディプロマットのみ保持している。異臭を感じ取った司会の埴井きららと選手の鎌瀬戌が、施錠された扉にタックルし破壊した(魔人格闘大会にて優勝経験のある埴井きららの攻撃力は、小型ミサイルに匹敵する)。

「なんかね!入った時ヘンな風があったの!すごい音したーっ!」
 突入時の感想を、きららはこう述べた。

 二人の探偵は死体の鑑識を始めた。遠藤は肉体による鑑識。こまねは化学鑑識を得意とする。
 さらに、遠藤に呼ばれた大会参加者・赤帽の見解は、鑑識の結果と一致した。
「これは、パンデミック……『新黒死病ウィルス』による死だ。間違いねェ。この感じは、親父と同じだ」指定魔人暴力団、夜魔口組の組長は現在、新黒死病で生命の危機に晒されている。

 死体は、玄関部屋の隣の部屋に置かれたソファーに覆いかぶさるように死んでいた。カードキーは彼の胸ポケットの中。隣部屋には一揃いの生活用具があり、彼はここで生活していたと思われる。ただ一つ、窓だけは無かった。
 こまねの化学鑑識で指紋や足跡を可視化できるが、一人では範囲が広すぎる。死体には不審な点は見つからず、部屋の鑑識は先に推理を進めてから。という事になった。
 探偵が警察の来る前に現場をいじくり回す理由。それは、この大会が法律的にグレーの場所である事、また新黒死病関連である事が原因だ。事は一刻を争う。

「『新黒死病』かぁ~。昨日まで元気だったディプロさんが密室で亡くなるというのは、違和感があるよねぇ~」こまねが言う。
「他殺。かのパンデミック事件の真犯人。の可能性がありますね」と遠藤。「犯人はまだ近くにいるかもしれない」彼女の叔父は、新黒死病が原因で他界している。
「あくまで可能性だけどねぇ~。まぁ、あたしの依頼内容には沿ってるかな。あたしの依頼された仕事は、大会参加とウィルス犯の逮捕なんだけど、一つ目は表のトーナメントで負けた時点でおじゃんなんだよね。二つ目を達成するために裏に参加して大会に居残っているんだけど、う~ん。ここは事件を追うべきかなぁ~」

「拙の能力で分裂することも可能ですが……。厚い身体を本体として試合に参加。薄い分身でこの施設に残って、推理ができます。但し、一時間で消えてしまいますけれど」
「それも悪くないねぇ~。初めから分身が場外にいるのは、それは、場外判定にはならないよね? どうかなぁ~?」

 二人の振り向いた先に、腕を組み佇む銘刈がいた。
「構いませんよ。ご自由に」


 試合開始数分前。佐倉光素に用意された小部屋。

「分身をつくって調査、ですか。試合中でなければ私の『奇跡』で、遠藤さんの『スマート・ポスト・イット』の効果時間も伸ばせるんですけどね。……残念です」

 己を神と自称する報道部学生・佐倉光素はさらにこう続けた。
「ディプロマットさん、大丈夫かな。ワン・ターレン先生に治して貰えますよね……きっと。しかし困りましたね。私の『転送』能力は空気中の光素を利用するものなので、今日のような曇り日は使えないんですよ」

「えっ そうなんすか?」山田が声をあげる。
 常識的に考えて、三割の確率で事故の起きる双子の能力を利用したがる選手は、そういなかった。ほとんどの選手は自力で試合場へ向かうか、そうでなければ佐倉光素自身の転送能力で転送してもらう。今回のようなことは、異例だ。

「はい。仕方ありませんから、こっちを使いましょう」佐倉は『鉄板で出来たメモ帳』を取り出し、言った。「アンバサダーさんは向こうで待機しているはずです。場所を変えて1分ごとに転送して貰う手筈になってますが、良いですか?
順序は、クジで決めますよ?」
「それは……コピー能力ですか?」メモ帳に目をやり、遠藤が訊く。
「便利なもんだねぇ~」
「ええ、他人の能力限定で、例えば『ポータル・ジツ』を、このメモ帳に保存しておけるんです。使い捨てですけどね」

 彼女が鉄のメモ帳を一枚ちぎり、宙をはたくと、白く巨大なポータルが出現した。
「三割の確率で事故かぁ……」佐倉は目を輝かせる。「あは、ドキドキしちゃいますね。どんな事が起きるんだろう」
 まじかよ……、という呟きが三人の内から漏れた。おそらく山田だろう。しかし、三人の総意である。


 セニオの個室

「ちょ終赤チャンじゃ~んwま~たペライ身体でwえ?何?ポータル?能力?うん、あー。覚えてない……ってウソウソイッツアジョークww行かないで行かないでw
ポータル・ジツね。あー、あれはー、確か。永続・フィールド設置型の死亡非解除。えっとつまり……出したら自分で閉じねーとダメなんじゃね?w手のひらでこう、ぐ~っとねw
あん中の隙間さぁ、亜空間?ての?『真空』?がどうとかで、そんで引っ張られるんだってさwマジウケルww……あれ?そんなにウケない?w
そーだ終赤チャンこれからドウ?工藤っちとオケるんだけど一緒にあれ?ちょ待っwそりゃないっしょwえ?もう?オワリ?どうしても?ノリ悪ぅ~w」


 温泉旅館

(ポータルが開きっぱなしだ。産み捨て型能力だったのか?)山田は霧のなか、窓越しの旅館内部に白い光を視る。(くそっ、アンバサダーがポータルを移動させないんなら、後から来る連中を待ちぶせするべきだったな……ていうか、アンバサダーはどこ行ったんだよ?)
 山田は今、温泉旅館の広い露天風呂、外周の草陰に隠れている。

 周囲を取り囲むのは白い霧。彼が振りまいた『サリンガス』である。サリンには種類があり、発汗から言語障害、最終的に失禁、昏睡など様々な効果をもたらす。山田の用いたサリンは、『徐脈』――心臓の動きを弱らせる効果がある。
(近隣住民への配慮だって? ……偽原は、そんな事考えなかったぜ)

 彼はもちろんガスマスクに防音具、ゴーグルと重装備で試合に臨んでいる。それでも『あえて』微弱ながら、彼はこの毒ガスを吸い込んだ。
(こまねの『音玉』。心音を探知するというのなら、心音を『フィルターに引っかからない』レベルまで下げれば良いだけの話だ)
 己の覚悟を示すように、彼はあえてこの策をとった。
(遠藤終赤……毒が効かないって話だけど、むしろ『都合が良い』ね。こまねには、キミの心音しか聴こえちゃあいないぜ)

 リスクをとらない限り、勝利を得ることは出来無い。
 彼の怒りは偽原のみならず、大会全体に向けられていた。
(二回戦……澄診ちゃんは心を砕かれ、穢璃さんはその上で脚を負傷した……。それを、医務室で『完治』したから、偽原は『試合中、対戦相手以外の観客等に危害を加える行為』に『抵触しない』だって?
偽原はルール違反を『していない』だって? だったら何でもありじゃないか……。ワン・ターレンはどんな負傷も治せるんだろう?)


 医務室

「フンッ!フンッ!」突き上げる拳。「ホアタァーーッ!」ワン・ターレンの中国拳法は並の魔人の比ではない!「それで!……何ですと!?何かおっしゃいましたかね!?」
「え~っと、ディプロさんの様態を聞きたいんですけどぉ~」

「イヤァーーーッ!」徒手空拳! こまねの顔面でピタリと止まる。その手にはディプロマットの肺レントゲン写真が握られていた。「新黒死病、ですな」
「治ります……よねぇ~?」その写真を受け取り、こまねが訊く。
 ワン・ターレンの『死亡確認』。絶対誤診とも呼ばれるその能力は、死亡確認という診断を覆し、完治させる……はずだ。

「これはただの病気ではない。魔人能力です」医者は俯いた。「『認識』の衝突……つまり、『矛盾』。矛盾は、解消されなくてはならない」彼は時計を指さす。
「時間がかかる。という事ですか~?」
 医者は神妙な顔でこくり、と頷いた。


「では……ディプロマット様から犯人について情報を得る事は、今は不可能……と」

「事態は思ったより深刻みたいだねぇ」こまねが封筒からレントゲン写真を取り出してみせる。「これを見ても、特に証拠らしいもんは見つからなかったよぉ」
「何も?」遠藤はそれを見る。黒ずんだ何かが見えるが、確かによくわからない。
「うん。何も~」

 こまねは休憩所の椅子に腰掛ける。「ディプロさんについても調べたよ。あの人、時々口論することはあったけど、弟さんとの仲は良かったみたい。あと、司会の佐倉光素さん?とも仲良い……ていうか、一方的に心酔している節があったみたい」
「だから、佐倉様にポータル能力をコピーさせていたのでしょうか?」
「まあ、自分の能力の上位互換で、しかも『強化』と『コピー』を使いこなす自称神の美少女が目の前に現れたら、誰だってクラっときちゃうかもねぇ~」こまねはクラっとする仕草を真似してみせた。

「こちらの事態も深刻です」遠藤はセニオから得た情報を伝えた。
「ふむ」こまねはメロンクリームソーダをかき混ぜる。「ポータルは開いた本人にしか閉じられない。とすると、密室の問題が変わってくるねぇ。あの密室にポータルは無かった。
犯人がポータルを利用して密室へ入ったのなら。ポータルを開いたディプロさんはそこで犯人に襲われて、犯人がポータルで去った後に、被害者自身でポータルを閉じた事になる。その後力尽きて、倒れたぁ、と」
「犯人に再度襲われる事を恐れて……閉じた?」
「でも、ポータルの向こう側には弟のアンバサダーさんもいるはずなんだよ。助けを求めない?普通さ?」ストローに詰まったアイスを舐める。「ポータルは白くって向こう側が視えないから、アンバさんが犯人に利用された可能性も考えられるしね。まぁこれは、アンバさん以外のポータル能力者がいなければ……の話だけどねぇ~」


 温泉旅館

(いたぞ……狙い通り、探偵同士戦ってくれてら)
 山田は魔人能力『 目ッケ! (アイスパイ!アイ)』で露天風呂の彼女らを捉えた。二回戦では不覚をとったが、今回は服もしっかり透視する。服だって立派な『遮蔽物』だ。前回は仕方が無かった。誰だってオッサンのボディラインは視たくない。今回は能力の『閾値』を変えて、探偵達の女性らしいボディラインシルエットが視えるようにしている。こう見ると遠藤にもそれなりにバストが在ることがわかる。二人の背はほとんど同じで、区別がつけにくい。

 遠藤は地面をポスト・イット化し、銃弾を防いでいる。分厚い岩壁が飛沫を立てて湯船に落ちた。

 そういえば、穢璃と澄診はしっかりやれているだろうか。と山田は思う。今回の大会施設で起きた事件、穢璃の『仇』に若干関係しているらしく、穢璃達は事件現場に向かったとの事だ。穢璃の能力をもってすれば、探偵など全員失業だろう。

(……は?)
 と、そこで山田は違和感に感づいた。自分の周囲に、もはや霧と大差ない程、極小の『シャボン』が無数に浮かんでいることに。
 毒ガスを含んだ霧に遮られ、こまねから山田の姿は視えないはずだ。このシャボンは、戦闘領域全体に無差別に発生している。

(まさか……コウモリの超音波みたいに……!音を……『視覚情報』に変えているってのか……!? 超音波の反射で生まれた大量のシャボンを……『シルエット』として!?)

 こまねの『音玉』はシャボン化のフィルターを自由に設定できる。岩のきしみや、電子機器、電灯から生まれる微小な『高い周波数』……それらをかき集め、一つにすることで、彼女はどんな場所でも調達可能だ。『超音波』のシャボンを。
 こまねがこちらを向いた。

(やっ……ば……気づかれた……!)敵は、予想以上の化物だ。


 大会施設

 風を……感じる。と、こまねが言った。中二的な意味では無いことは確かだ。
 彼女は小さなシャボンを生み出し、その動きを追った。
 シャボンはとある個室の扉、新聞紙などを入れる隙間に吸い込まれる。

「銘刈さんの部屋だねぇ~」
「では、不法侵入しましょう」

 二人は薄い身体を利用し、隙間から侵入する。銘刈の部屋は生活感を感じない。ここで暮らしているわけではないのだろう。
 空調が激しく作動していた。室温が低い。
「扉の外側に水滴がついていました」と遠藤。「過去に『気圧が下がっていた』可能性があります」

「うん」こまねは部屋を観察、クローゼットを開けた。空気が入り、風が起こる。気圧が下がったままだったのは、このクローゼットだ。「きららちゃんも言ってたねぇ~。ディプロさんの部屋に突入するときに、『風があった』って。ポータルの引力で空気が吸い込まれれば、部屋の『気圧』が下がるからねぇ。空気の流れは、外から内に向かう。……うひゃあ~こりゃすごい」銘刈の下着に感嘆の声をあげる。「あ」

 こまねは、突然耳に手を当て、言った。「足音。銘刈さん帰って来ちゃったみたい~」
「それは、実にスマートなタイミングです」


 温泉旅館

「うぉ……おおおッ!?」

 空気を切り裂く衝撃。防音具が破壊された。山田はきりきり舞いで旅館に逃げ込む。
 こまねの音響レーザーとでも呼ぶべき攻撃だ。その原理は『アクティブフェイズドアレイ』と呼ばれる。別々の位置から放たれた多数の音波は、位相の揃う位置で衝突、振幅を増幅させる。音は空気の振動だ、ここまでくれば、かまいたちと変わらない。

「ほう……それがこまね様の推理光線ですか」遠藤の素っ頓狂な発言を背後に聴く。

 探偵は皆狂ってる、と山田は思った。
 試合開始以来、山田が初めて間近で姿を確認したこまねは、潜水服のように、頭に大きいシャボンをかぶっていた。これで毒ガスを回避しているのだ。このくらいは山田も予想の範疇。
 一方遠藤は、腰に長い筒のような物をぶら下げている。巻物でも入っているのか、いかにも邪魔だ。『アイスパイ!アイ』で透視すると、赤いシルエットがみえる。これは予想外。
(……おいおい、何だいありゃあ)山田には意味がわからない。

 背後で破裂音。山田の閃光弾が炸裂した。二人を撒き、二階へ駆け昇る。
 息をつき、呼吸を整える。
 この試合は実に、心臓に悪い。
 彼の駆け込んだ部屋には、『食べかけのご馳走』が並んでいる。まるで、さっきまで人がいたみたいな再現度だ。

 テレビに目をやる。大会の中継は特殊なチャンネルだ。さすがに視聴不可だろう。その背後の奥の部屋に、不審なものが見えた。
(おかしいと……思ったんだよなぁ)
 その死体はよく見た顔だ。試合前に見た気もするが、双子だから同じに決まっている。
(透視すると……一人分、動かない影が余計にあったから……もしかしてと思ったけど。この試合、一体何が起きているんだ?)


 アンバサダーの死体がそこにあった。
 随分前に銃殺されたのか、乾いた血が畳に滲みている。


 ゴウ、と音がした。窓に水柱。いや、熱湯柱が見える。
 いくつもの熱湯柱が、露天風呂の岩肌から突き上げていた。
(『間欠泉』を……掘り当てたってのか? ……『音』だけで? バカじゃないの?)
 探偵と関わるとろくな事がない。やはり明治初期の廃偵令は正しかったのだ。


 銘刈の部屋

「馬鹿な……」
 銘刈はただ一言、そう言い、その机の上に置かれていた『鉄製のメモ用紙』を取り上げると、ポケットに仕舞い、水を飲むと、部屋から退出した。
 その鉄製のメモ用紙は佐倉光素の物ではない。遠藤が能力で机裏の鉄板を部分的に『ポストイット化』し、引き剥がしたダミーである。

 銘刈の部屋の窓から逃げた二人は、薄い身体を施設の壁に貼り付け、彼女の様子を観察していた。確定とは言えない。しかし、銘刈が過去に佐倉のメモ用紙を利用した可能性は高い。ポータルも、ウィルス能力すらも、そのメモ用紙を使えば他人が利用することは可能だ。

「――『入り口一つ、出口は二つ』これな~んだ?」こまねは遠藤に向き直ると、突然なぞなぞを問いかけた。
「えっと……パ……パンツ、……ですか?」
「終赤ク~ン。顔を赤らめないでおくれよぉ。こっちが言わせたみたいじゃないかぁ~。パンツにも恥ずかしいものとそうでないものがあるし。あたしはただ、『今の状況』に例えただけなんだけどぉ」
「はぁ……ズボンとか、そういう答えでは無くてですか」
「終赤ク~ン、そっちの答えを知っているのなら、どうして先にパンツなんて言っちゃったのかなぁ~?」

 他愛のない雑談ができるほど、この短時間で二人は打ち解けたといえる。
「ま、とりあえず上に登ろうか~?」
 上半身を引き剥がす。
 アクロバティックな動きで回転跳躍し、二人は屋上まで登り詰めた。

「銘刈さん、……メモ用紙を、どこまで捨てに行ったのかなぁ。下手に追うよりは、後で鎌瀬戌クンとかに匂いで探してもらうのが良いかもねぇ~。きららちゃんは今、司会で忙しいし」
「無関係の方を巻き込んで良いものでしょうか」
「まぁ、そんなの今更だよ~。ほら、二回戦の山田さんだって、親戚をぐちゃぐちゃにされちゃったんだし。何というか、何があっても治して貰える安心感がそうさせるのかもねぇ~」

 二人は屋上の扉へ歩く。
「試合に関係していれば治療を受けられるというのは、重要な事例ですね」
「確かにねぇ~。夜魔口組の人達みたいに、大事な人を治したいっていう動機で参加している人もいるのに、参加選手は無償で治療を受けられるっていうのは、何とも皮肉な話だよねぇ~。今回、治療目的で、参加選手の中に重病患者がいてもおかしくないと思ってたんだけど、いなかったね。そういう人は健康診査で落とされちゃうのかもねぇ~」

「健康診査……ありましたね、そんなものも」
「……ところで終赤クンは、実に正直な心臓の鼓動をしているねぇ~?」
「は、い……?」
 こまねは遠藤の胸に手を当てている。セクハラではない。

「何か隠しているとは思っていたんだけど、話して貰えないかなぁ? 『夜魔口組』の名前を聴いた時の、心臓の鼓動……ほらまた、ビクリと反応したね?」


 温泉旅館

「困るんだよねぇ~、そういうの。同じ探偵として。ほら、みんな平和にのんびりいきたいじゃない?」
「どうやら、貴女とは、解り合えそうにありませんね……」
「う~ん、夜魔口組を味方につけて、一体何をするつもりなのかなぁ~?」
「答える義理はありません!」遠藤が推理光線で斬りかかる。

 二人の探偵が露天風呂で言い争っているが、山田には遠くて聴こえない。間欠泉は定期的に吹きあがり、場の臨場感を盛り上げている。毒霧が晴れてきた。ポータルが全部吸い込んでしまったのだ。
(謎が多すぎて頭がおかしくなりそうだ……あの、遠藤の『筒』)山田は能力で透視する。
(透視できないてことは、中に入ってるのは魔人だ……それを、試合に持ち込んだ?何故?)山田の脳裏に二回戦の悪夢が蘇る。

 こまねは旅館にいる山田の位置を把握していはずだ。彼女は遠藤を誘導するように動きまわっている。
(誘導してやるから、撃て……って事か。俺に、遠藤終赤を)
 彼は狙撃銃を構えた。
(ったく、元プロを舐めてんのかね。誘導なんかいらないッての)
 狙撃は普通、当たりやすい胴体を狙う。映画などでよく頭を狙うのは、演出上派手だからだ。

 音もなく撃つ。

 防弾チョッキをも貫く銃弾が、遠藤の胸に命中。湯飛沫をあげ、遠藤の身体が湯船に落ちる。
 こまねは標的を山田に変えると、音響レーザーを繰り出した。窓が割れる。
 山田はひっくり返った。
「っと……ッ!? 次は俺を狙うか、そりゃそうだ……!」


 大会施設

「ところで、ポータル双子の名前って、明らかに偽名だよねぇ~」
「こまね様は、やはり偽名に敏感でいらっしゃるのですか」
「あはは、まあ偽名探偵だからねぇ~。そうだ終赤クン、この事件が終わったら、あたしの本名を教えてあげてもいいよぉ~」

 二人はもう一度事件現場に戻っていた。
 ポータルが開かれたと思われる場所を推理し、そこを重点的に調べる。一つだけ不審な足跡を見つけた。
「……一番新しい足跡。残ってるのはポータル付近だけだねぇ。犯人は足跡を拭って消したけど、引力の強いポータル付近だけは消せなかったんだ」
「わずかに血痕が見られます。犯人らしき足跡が、それを、踏んでいる……」
「でも、あるべき証拠は見つからないねぇ~」

 これまでの推理で、二人にはある程度、犯人の目星がついている。トリックについても、調査のなかで解決策は見つかった。
「しかし、証拠がありません……」遠藤は言った。
 この言葉を呟けるのが余程嬉しいのか、遠藤の頬は自然と緩んでいた。『だが証拠がない』――これぞ、一流探偵のマジックワードである。
 二人は証拠を探し、怪しいと思われる場所、物品に関しては全て調べたが、犯人と結びつく『指紋』は全く見つからなかった。

「終赤クン、でもね、これは、魔人能力の犯罪だよぉ」こまねは遠藤に笑いかける。「『証拠が無いのが証拠』。こういう事は、魔人犯罪においては、往々にして起こり得る事態なのさぁ~。わかるかな?」
「証拠がないのが……証拠」遠藤はこまねと目を合わせた。「なるほど……そういう事ですか」

「――すみません、通してください、すみませんっ」

 警備員を強引に引き離し、新たな女性が二人、現場に入室した。
 背の高く髪の長い、理知的な女性。その後ろに、見た目若そうな、メガネをかけた女性。美人だが、どちらもこまね達より7歳以上年上だ。
 山田の親戚、穢璃と澄診は、探偵達の姿をみとめると言った。「死体……は、どこへ行ったか、わかりませんか?」
「えっと、あなた方は……」戸惑う遠藤。
 こまねが代わりに答える。「死体なら医務室に運ばれたと思うけど……。お二人は山田さんの親戚さんですよねぇ~?」穢璃の方を向く。「『死体から被害者を殺した犯人の情報を得る』能力でしたっけ?」
 澄診が言った。「おおお、さっすが探偵さんだね……穢璃ちゃん、ここは正直に話して協力してもらったら?」

 ――穢璃の能力は『死人の口に朽ち無し』という。
 魔人能力によって殺害された人間の遺体に触れる事により 、殺害した魔人に関する細かな情報を取得できる。
 彼女の能力は、両親の仇、裸繰埜の情報を得るために発現したようなものだ。今回のウィルス事件では、裸繰埜に関連した情報を得られるかもしれないという事で、山田の関係者として施設へやってきた。

「なるほど、それで死体が必要なのですね」説明を受け、遠藤は納得した。
「穢璃ちゃんが見れば犯人なんて一発なんだよ」澄診は自分の事のように胸を張る。「ああ、でも、ちょっとリーディングに時間がかかるんだっけ?」
「10から30分ほど、ですね。ただ、犯人の名前だけならすぐに答えられます」と穢璃。
 こまねは困った顔をした。「うーん、あたしたちも答え合わせはしておきたいけど。そろそろあたしたちも分裂の効果が消えて、『消滅』しそうなんだよねぇ~。医務室まで顔を出していたら、時間切れで『解決編』がやれなくなっちゃうよ~」

「……ご心配には及びません」と遠藤。

「こんなこともあろうかと」懐からベロン、と。「遺体を拝借しておきました。拙の能力で」ディプロマットの死体を薄型コピーしたものを取り出した。
「あ、……あ……はははっ!」それを見たこまねは笑い、遠藤の手をとった。「終赤クン、あたしと同じAB型でしょう?」
「はい?」
「AB型はね、探偵と怪盗どっちの職業にも向いてるんだよぉ~」非科学的な偏見を述べて、こまねは穢璃に向き直る。「それじゃあ、犯人の名前だけ答え合わせして、探偵コンビは一足先に解決編へ向かうとしようかぁ~」


(そりゃあよくある話だよ……! 文学でもさぁ…… 銅貨が守ってくれたとか! 聖書とかペンダントでも構わないよ、別にさ……!)

「ハッハッハッハッハ! ガハッ……ハァッハッハッハッハッハッハッハ!!」

(たださ……!)
 独白で絶叫するのは、山田だ。彼はいま、こまねの追撃を逃れ、透視能力で遠藤の様子を視ている。
(ただありゃあなんだ!? ……十四歳の女の子が防弾チョッキの上にさらしみたいに巻いてたのが……豪快に咳をして嗤う薄っぺらいオッサンで……そいつの肉体が銃弾の威力を削ぐほど硬いってのは……どういうジャンルのお話だ!?
猟奇ホラーか!?)

「――ッハッハッハッハ! ガキが! ……クソガキがッ! 儂を盾代わりに使いおった! 喜べ終平!
貴様の姪……は……貴様に似た……立派な……クズに成長しているぞッ!」男は何度か血反吐を吐くと、それきり黙り込んだ。失神したのかもしれなかった。
「例え旧知の仲でも、叔父上を悪く言うのは許しませんよ……もう、聴こえてませんか」遠藤は胸を抑え、湯船から立ち上がる。その口からつう、と血すじが流れる。

 山田はまだ旅館内を走っている。背後でドン、と音がした。こまねが何らかの攻撃で壁を壊した音に違いない。煙と共にこまねが現れる。
「こまね! アンタ知ってて俺に狙わせたな!?」
「心音が余計に聞こえたからねぇ~。だって、気になったんだもの。しかしさすがは、薄くなっても病で死にかけても夜魔口組『組長』、凡百の魔人耐久力とは格が違うねぇ~」

 『アイスパイ!アイ』で遠藤の胸が膨らんで視えたのは成長期では無かったという事だ。考えてみれば必然といえる。相手はヤクザで、度胸があり、手段を選ばない。本人にその気があるならば、『大会に参加するだけで不治の病が治る』見込みがあるならば。実行に移すことは何もおかしくなかった。会話の内容からして遠藤の死んだ『叔父』と組長は顔見知りで(敵対していた可能性が高いが)、彼女自身の能力も運び屋として適任と言える。

(じゃあ『筒』に入ってるのは何だ……!? 夜魔口赤帽の『血』か……? 大会関係者との金品のやりとりは禁止されているはずだ……!)

 山田は決して油断していたわけではない。ただ、こまねが、彼の呼びかけに応じ言葉を発した意味をよく考えるべきだった。『音』に注視すれば、『無音』に鈍感になる。
 山田は舌打ちする。
 透視と可視を交互に切り替え移動した結果、その『引力』の源に気づくのに遅れた。ポータルの内部は亜空間に満ちており、その真空は引力を生み出す。本来あるべき引力の立てる『風音』は、無数のシャボンとなって消えていた。

(亜空間ってのは……)
 引力に足をとられ、彼は廊下を転がった。苦し紛れにこまねに銃を向ける。
(『場外』に入るのか? このまま亜空間に消えたら……俺は……翅津里 淀輝(はねつり でんき)は、どうやって蘇生してもらえる?)


 東京中の音が消えた。
 灰色の空と立ち並ぶビル群に、虹色の歪みが溢れ出る。その数は、万を超えたかもしれない。

 会場に併設された大会運営施設。その屋上で、二人の探偵と、大会参加者含む、事件に関わりのある者達が勢揃いしていた。いないのは、森田と落葉。その日不在だった選手と、温泉旅館の試合を中継しているきららと佐倉、姪刈のみである。

「おー、こりゃすげー」黒田が上空をみてわかりやすく驚いた。お前なんでいるんだ。
 巨大なシャボンが上空に待機している。
「東京は音が多い」と、こまね。「かき集めて一つにしたら、こうなるんだ~」
「これは単なる保険です」遠藤が言った。「さぁ、推理を始めましょう」

 赤帽とセニオが何か言うが、全てシャボンとなって掻き消える。
「もう時間がないからさぁ~。面倒なあいの手とか全部省略させてもらうよ~」こまねはゆったりした口調だ。「まずは犯人の行動を推理したから、整理してみようかぁ~」

「犯人はポータルを利用してディプロマット様を殺害しました。密室の問題はこれで解決する事ができます」遠藤は姿勢を正し、周りを見渡した。
「……まず、犯人のいる地点をXとします。ディプロマット様のいる個室をA。犯人はXにポータルを開き、ディプロマット様もAにそれを開きます。犯人は繋がった空間を通り、Aへ侵入し、ディプロマット様を殺害。その後犯人は、Xに戻り、X地点のポータルを閉じます。この時点でAのポータルは開いたままです。部屋の気圧は相当下がるでしょう。
 その後、B地点にいる犯人の『協力者』……ここはもう言ってしまいましょう。『銘刈』様です。銘刈様はBにポータルを開きます。犯人はこの時点で移動しているかもしれないので、地点をX’としておきます。犯人はX’にポータルを開き、B地点へ移動する。これで事件現場が完成しました」

 聴衆が何か言うが、みなシャボンとなって消える。一番シャボンが多いのは黒田だ。

「実はこの過程だけで証拠隠滅はもう成し遂げられています。セニオ様、お願いします」
「「オッケウェーーイww」」分裂され増えた二人のセニオが声をあげる。「「ポータルは中継で見たからコピれるし~w 『セット』『ポータル・ジツ』!イヤーッ!」」

 二つの白い渦が生み出された。
「さあ、これで温泉旅館に残されたというポータルは、消滅したはずです」


「はは」
 山田の撃った銃弾がこまねの右脚を掠り、抉った。この負傷は後々響くだろう。
 彼は助かった。彼を吸い込もうとしたポータルが、突然消えたからだ。
「助かった」引力に引きずられた慣性そのままに、彼は廊下を走った。
 これでまだ戦える。必ず、遠藤とこまねを殺す。
(誰のおかげか知らないけど、礼はちゃんと言わないとな)
「ありがとよ」


「A地点とX’地点を結ぶポータルに、B地点が結ばれれば、それは『矛盾』だよねぇ~」こまねが手を合わせて解説する。「入り口が一つ出口が二つ。『矛盾は解消されなくてはならない』。最も簡単な解決法は、情報の上書き。それは『一つ目のポータルが消える』こと」
「矛盾に打ち勝てる魔人などそういない。単純ですが、魔人能力のシステムの裏側……バグを突いたスマートなトリックと言えます」

「じゃあ……銘刈さんは、Bの部屋――銘刈さん自身の部屋で、メモ用紙を使ってポータルを開いた。その時に、ディプロマットさんの部屋のポータルは消滅した。ってことか……」鎌瀬が発言する。彼は捜査に協力し、銘刈が捨てた本物のメモ帳を突き止めた。

 そういうこと。と、こまねは頷いた。
「佐倉さんはメモ帳を犯罪に利用されただけで、事件とは直接無関係。彼女自身の転送能力を使わなかったのは、彼女の能力はメモ帳にコピーできないからだねぇ」そして、ここからが重要だと言うように、こまねは人差し指を立てた。「犯人はポータルを使わざるを得なかった。それゆえに、ある程度の覚悟はしていたはずだよ。ポータルの引き起こす『事故』を……」

「犯人は、ディプロマット様の部屋に侵入する際、できるだけ足跡の残らない靴を履いていたはずです。しかし、事故が起き、犯人は失いました……片足を」
 こまねは片足立ちになった。「ポータルから出たと思ったら片足が無くなってるんだから、びっくりだよねぇ。さいわい、血はほとんどポータルが吸い込んでくれたけど、ポータル付近の引力は強く、片足じゃあ非常に危険だ。犯人はすぐに足を治したけど、気づいたはずだね……足は治せるけど、『靴は直せない』。引力に逆らうためにどうしても『裸足で踏みしめる必要』があった。証拠を残すわけにはいかない、証拠の決定力を減らすために犯人は、足の復元と同時に足の『指紋』を失くす事を思いついた。わずかな時間の間に」

「指紋のない病は実在します。『絶対誤診』の能力は、何も治療だけではない。その気になれば、どんな病だって作り出せる。『新黒死病』だって……。そうですね、ワン・ターレン様」


 山田は露天風呂へ出る。
 ポスト・イット化した岩地を蹴り剥がした遠藤が、倒れこむその上に乗り奇襲をしかけてきた。ポスト・イット化した物体は、分身そのものに意志が無い限り、引き剥がす動作が必要だ。遠藤の動きからその奇襲は予想できた。
 撃つ。胸には効かない事を思い出し、わざと逸らす。

 脇腹に一発。
 もう一発が遠藤の筒をはじいた。その『筒』はカラン、と音を立てて落ちると、何度か跳ね返りコロコロとこちらに転がった。
 蹴り剥がされた岩の板が、湯船に沈む。これで何度目だろう。遠藤は試合の序盤から同じ事を繰り返している。
「いただき!」彼はその筒を拾った。赤帽の血が入っているのなら、絶対に彼女に呑ましてはならない。

 遠藤が脇腹をおさえ、口を開いた。「――やめろ」


「『ワン・ターレン』。今更ですが、その名はあまり好きではありませんな。漫画のキャラクターからつけられたあだ名です」彼は言った。

 周囲は沈黙に包まれた。こまねが能力を使うまでもなく。
 こまねは封筒を手にしている。「先生は手袋をして、死体をソファーまで運び、空調を自動に設定した。ポータルが消え気圧が戻る過程で、嗅覚に優れたスタッフが死体を発見する事を見越して。その間、足に注意が言った結果、意識から外れていた――病気で足の指紋を失くせば、当然『手の指紋も消える』事を。……犯行後すぐに指紋を戻さなかったのは、現場に万が一、足の指紋が残っている可能性を恐れたからだね?
足の復元と指紋の消失は同時に行ったから、間に合ったかどうかもわからなかったんだ」

 封筒からレントゲン写真を取り出す。「先生はこれを『徒手空拳』で手渡してくれた。つまり、『素手』だよ。あたしはおかしいと思ったんだぁ~。
この写真には…………あたし以外の『指紋』が見つからなかった」

「ふむ。なるほど」ワン・ターレンは腕組みを解いた。「しかしこれだけの根拠で、私の犯行と決めつけるのは、いささか乱暴ではありませんかな?」
「その通りです。しかし、構いません。拙どもの目的は別にありますから」
「ほお?」彼は上空のシャボンをちらと見上げた。

 遠藤が続ける。「あえて言ってしまえば、いなくても問題ないのです。落葉さんも、森田様も、銘刈様も。しかし、……ワン・ターレン先生、貴方は違う。貴方は人の傷を治すのに、自傷の必要も、お金も、その他あらゆる消費制約を必要としない。規格外の治癒能力。貴方がいなければ、この大会は絶対に成立しない」
「何を仰りたい?」

「先生はさ」こまねが言う。「この大会の『裏』の運営を任された、目高機関のお偉いさんなんじゃない?ってことだよぉ~」

 さらにこまねは続ける。「犯行の動機は二つ。一つは、『大会の正常な運営』のため。この大会は有名になりすぎた。何でも治せる医者の存在は、今回の終赤クンと夜魔口の行動のように、外部の人間の思惑が入り込む余地が、あまりにもありすぎた。そうすると、大会の運営に支障がでるねぇ~?」

「……今回、夜魔口組の組長……彼は厳重に取扱い、会場に持ち込まれました。それを『感染経路』として世間に公表する気だったのですね?
夜魔口組長を治さないのはもちろんとして、ただ、それだけだと『ルール上、治さなかった』と理解される恐れがあった。一般スタッフとして扱われているディプロマット様を死なせることで、『裏』と『表』の世界どちらにも情報がいきわたるようにした……『ワン・ターレンにも新黒死病は治せない』と」

 ……赤帽が怒り、何か叫んだが、大きなシャボンとなって消える。

「二つ目の動機は『ワクチンの製造競争』だね」こまねが指で注射の真似をする。
「目高機関の表会社は薬品企業だからねぇ。……近年の急成長の理由がわかったよ。先生の能力を使えば、簡単に被験者に抗体を。ワクチンを作ることが出来る。新規ワクチンの市場は競争が激しく、真っ先に導入したワクチンが市場を支配する。秘密裏に、いち早く製造工程を確立し、特許をとり、市場を独占する。他企業に対する情報戦。そのために、大会関係者に新黒死病を治せる者が『いない』と、外部に思わせたかったんだ。」

「ふふ」ワン・ターレンは笑った。組まれた彼の指には、指紋が無かった。「彼ら双子は、孤児でした。それを、私が拾って育ててやったのです。仰るとおり、確かに私にはディプロマットを治せなかった。だがこれは、治療に全力を尽くした結果です。推論に推論を重ねるとは、本格派とは言い難いですな」

「そう、推論です。ですから、これから拙が申す言葉も推論にございます」と遠藤。
「恥ずかしながら、拙は貴方様の能力に頼りっぱなしです。本日の試合でも貴方様なら新黒死病を治癒できると、本気で信じておりました。一年前にこの世を去った我が『叔父』も、貴方様のお力があれば別れずに済んだかもしれない、……とも」
 彼女は薄い身体の肩を抱く。肩にちらりと、探偵彫りの桜吹雪が垣間見えた。
「実は、貴方がたの企みは当に瓦解している」芝居がかった口調で言葉を続ける。
「拙がこの大会の『一回戦』を終えた時点で、我が身躯は既に、『叔父』から感染された『新黒死病』に蝕まれていたからです。
 それを、試合が終わると『助かりませんな』のただ一言で、見事に消し去って下さったお医者様が、あの時いたのです。別の医師の診断書……『証拠』もございます。本当に、それは消えたのです。そしてこれは、ただの推論にすぎません。……その時のお医者様は、ワン・ターレン先生、もしや、貴方ではありませんか?」


「は……はは。おかしいって、遠藤終赤。教えてくれよ、探偵ってのは、皆、こうなのか?」
「それに、触るな」

 山田は離れた位置にいる遠藤に向かって、話しかけている。
 ただし、その目線は今まさに拾った、その筒の中身に注がれていた。
 彼はそれをズルリ、と取り出す。

「どうかしてる……どうかしてる。いつも持ち歩いているのか、違うよなぁ? まさか、治せると……思ってるのか?本気で?
さっきの夜魔口とは違うだろ…… これはもう、人間じゃない。『腐ってる』……じゃないか。戦場に……『腐乱死体』持ち込むなんて……
そんなのもう……まともな……正気の沙汰じゃないだろ……!」

「――叔父上に触れるな!」遠藤が飛びかかる。

 山田は激昂した彼女を銃で狙う。二人の間を間欠泉が吹き出し、遮った。
 背中を衝撃がかする。こまねの音のない銃撃だ。既に山田は回避行動をとっている。
 死体――遠藤の『叔父』は、その場に投げ捨てられた。


「なるほど、では」ワン・ターレンは静かに言った。「私が新黒死病を治したという証明……それを公表するには、今、試合で戦っているほうの貴女が、試合で生きて勝ち残らなければ、なりませんな?」
 彼が拒否すれば、遠藤が蘇生される事は無い。彼を敵に回すとは、そういう事だ。

 ゆっくりと、虹色の影が落ちた。上空の巨大シャボンが高度を下げている。
(こんなもので彼を倒せるとは思えないけど……)こまねは考える。(大会会場に余計な混乱は生みたくないよね?)
 さらに、ぽかり、と医者の口からシャボンが浮き出た。診察の言葉を口にさせない。『絶対誤診』をこれだけで防げるかどうかは、怪しいところだ。

 こまねと遠藤の要求は3つ。今回の事件の犠牲者を蘇生すること。遠藤が試合場にもちこんだ新黒死病患者を治療すること。『新黒死病』について知っていることを話すこと。
 もはや推理でなく脅迫である。
 ただ、次元の旅人と呼ばれる『転校生』の彼に、二人の脅しが効くかはわからない。

(それにもう一つ……彼自身が、『新黒死病』を生み出した張本人って可能性も、まだ否定できないんだよねぇ~)だからこそ二人は急いだのだ。あと5分足らずで、二人は消えてしまう。残りのメンバーで、彼に対抗できるだろうか。
 じり、と赤帽と砂男が動いた。

(待てよ?)こまねは思った。(どんな誤診もできるなら、『記憶』だって操作できるはず。いや、だったらそもそも、あんなトリックなんて……)
 自分たちは何か、根本から勘違いしているのではないか。
 ワンターレンが足を踏みしめ、
 遠藤の指が桜色の光を帯びる。
「待って下さい!」屋上の扉が開き、穢璃が飛び出した。死体のリーディングが完了したのだ。
「……わかりました! 犯人の、本当の動機が」


「そういえば、もうとっくに一時間経ってるねぇ~」こまねが言った。「会場に残ったあたし達は、ちゃんと犯人を捕まえたかなぁ? 終赤さん」
 こまねの問いかけに、遠藤は答えない。投げ捨てられた『叔父』が気になるようで、何かをぶつぶつと呟いている。場は完全に三すくみの様相を呈していた。一定間隔で吹き出す間欠泉の動き、それを把握できるこまねがやや戦いをリードしており、山田と遠藤の中心、湯船と湯船の間を渡り歩く。

(こまねがいる場所はいつも『間欠泉』の近く。彼女は足を負傷している。間欠泉を盾にするしかない)山田はマグナム銃を構える。(俺の透視で、吹き出した間欠泉越しに撃つ。相手も超音波でこちらの位置を把握できるが……俺の方が速い)

 パン、とこまねの銃が遠藤の肩を穿った。
 同時に吹き出す間欠泉。遠藤が悲痛な叫び声をあげた。
 山田は火傷覚悟で距離を縮める。
 山田の視界が霞む。今更サリンの効果が効いてきたのか。血が足りない。
(チクショウ、ふざけんな、今ごろになって……)
 銃を構える。間欠泉の先、透視で捉えたこまねの赤い影。
 それが、山田の狙いを避けるように横へと吹き飛んだ。
(跳んだ……!?負傷した脚で?)

 いや、音響レーザーだ。(アイツ……!とっさに それで『自分自身』を撃ちやがった! 片腕を盾に……犠牲にして!)
 こまねは湯船の浅瀬へと倒れこみ、山田の銃撃をかわす。

「――っ痛ぁッ」
 山田の背中に衝撃が走った。音響レーザーが彼の背中を吹き飛ばす。
「は…………ぁ」ふら、とこまねが立ち上がる。山田に狙いをつけようと、生き残った腕で銃を構えた。一方、離れた場所で、肩を押さえた遠藤がぶつぶつと、何か呟いている。こまねだけがそれを聴きとり、口を開いた。
「……………………カウント?」

 その『消滅』は無音で起こった。ゆえに、こまねの反応は遅れた。
 遠藤が試合序盤に湯船に放り込んだ分厚い岩の『コピー』が、時間切れで消滅した。消滅した空間は水中で『真空』を作り出す。『真空』が何を生むか、我々は良く知っている。引力だ。
 その渦は浅瀬にも動きを与えた。湯の動き。こまねの負傷した脚はそれに取られる。

 乾いた音がしてこまねの頭部がはぜた。

「……撃てばさぁ、俺が勝つんだよ」
 山田は銃を下ろした。「まともなフォームで撃てる機会さえくれれば、さ、……俺が外すことはないんだから」目をこすり、次に、遠藤に狙いをつける。

 遠藤は岩を背に、腕だけを前に伸ばすが、すぐに諦めたように下ろした。
「叔父上」遠藤がつぶやいた。「不調法の姪をお許し下さい」

 パン、と山田の銃が遠藤の頭部を吹き飛ばし、殺した。

 同時に、彼は両足に強烈な熱を感じた。足もとを見る。
「つ…………ッ『分身』……か!」両足が切断されている。遠藤の推理光線だ。
 時間切れで会場内の分身が消えたのなら、遠藤は身体の厚みを分割してもう一度分身が作れる。それはわかっていた。だが、『等身大』の分身が彼女の身体から離れたのなら『透視』で気づけなければおかしい……。そう考えた、傾く彼の、視界の端に映ったそれは――『等身大』ではなかった。例えるならそれは、『赤帽』に似ていた。

(『横』や『前後』ではなく……! 『縦』の厚み――『身長』を犠牲にして……分裂したのか……! 体躯十数センチの、小人となって……!)

 両足を切断された山田の肉体が、ぐらりと傾き、湯船に沈む。
 小人は袴の内に隠れていたはずだ。視界が『正常なら』、彼の透視で見抜けたであろう。
(くそっ……わかってたよ)
 彼の視界が赤く霞んでいたのは、サリンの毒によるものだけではない。

(あの……『腐乱死体』……間欠泉がそれを吹きあげて……粉々に砕いて、霧と混ざった……それを使って! ……遠藤終赤!
叔父の命と引き換えに、アイツ、『塞ぎ』やがった!)
 ごぼ、と口から空気が漏れる。

(霧状に砕けた『魔人の肉』で……『塞ぎ』やがったんだ……!俺の『透視』能力を――『魔人以外の物体を透視』する、俺の『視界』を……!)
 湯水が血と混ざり、ただでさえ赤い視界を一色に染める。
 彼はその中に、桜色を帯びた光線を視た。


 大会施設

 試合に敗北した山田は、親戚の穢璃、澄診と休憩所で会話している。
「すみません山田さん……、私の勝手な行動で、試合中のフォローができなくって……」
「あーあー!いや、いや、もう、そういうの無しっすよ!」山田は耳を押さえる。
「そうそう、私たちの行動原理の半分くらいは穢璃ちゃんの為で、あとの半分は下心なんだから」澄診が指で銭の形をつくる。「しっかし、今回はよくわからない事が多すぎて、混乱しちゃったよ」

 混乱なら俺のほうがひどい。と山田は思った。ポケットから、名刺を二枚取り出す。「『ホエールラボラトリ』の幹部と……『魔人警察』の高官。試合場の、旅館の部屋で見つけた」
 ――試合場で、何故?この立場の者たちが取引を?「わけがわからんけど、臨時で得たネタとしちゃあ悪くないよな」

「その件に関しては、私が話を聞いてますので、お話しします」穢璃はそう言ってほほ笑んだ。


「兄貴、聴こえるか? ああ、俺だ。兄貴と同じく、師父に蘇生してもらえた。顔も変えてもらってな。大丈夫、機関も銘刈も、師父がトリックを使って兄貴を殺害したと思っている。ま、実際死んだんだがな。身体の厚みは一週間以内に治るそうだ。ああ、元々は遠藤を脅して協力してもらう計画だったが、結果オーライだ。遠藤の能力で死体をコピーして、佐倉の能力で効果時間を延ばしてもらった。これで俺達も晴れて機関の道具から解放だ」
 青年は自分の掌を見る。紙のように薄い指。

「機関はすぐに死体を処分するさ。魔人警官との『口裏合わせ』が失敗したから、引き渡したくないはずだ。……彼らの取引は機関の施設――『要人御用達の温泉旅館』で行われていた。俺はそこでポータルを開き、師父を銘刈の部屋へ送った。その後、俺は東京郊外に出て、『試合用の温泉旅館』にポータルを開くはずだったが、そうしなかった。だって、温泉旅館なんてどこも同じだろ?
ま、普通の温泉で間欠泉なんて出てこないけどな。俺は御用達の方の旅館にポータルを放置して逃走、射殺された。どっちにしろ殺される予定だったけどな。その後どうなったと思う?」
 青年はふっ、と笑った。

「ポータルから現れた山田って選手がサリンを振りまいたもんだから、奴ら、そこを閉鎖して『試合場』にしちまう他なかったんだ。笑えるだろ?
いや、……師父なら大丈夫だ。何たって転校生だぜ?
……ははっ、ああ、佐倉にもきっとまた会える。じゃ、また、電話する。俺も……名前か。新しい名前を、考えなきゃあいけないな……」

 その、無名の青年が下水道の蓋を押し開けると、地下に閉じ込められていたシャボン玉が二つ、ふわ、と外へ飛び出した。偽名探偵こまねが東京中からかき集めようとした際、偶然、取り残されたシャボン玉。雲間から見える青空の下、二つは競うように空へと消えていった。


「遠藤様ですね。お帰りなさいませ」ホテルのドアマンが挨拶する。
「え、ああ、はい」
 顔を覚えているのか。別に自分がここに泊まっているわけではないので、少し気恥ずかしい。
 確かに遠藤であることに違いはないのだが。探偵帽を押さえ、会釈する。
 遠藤終赤はここの10階に泊まっているはずだ。私はエレベーターに乗り込む。

 彼女と会うのは久々だ。
 会ったらまずは、どうすればいい?
 13歳の時点で『叔父』を『失い』、身寄りを失くした少女。
 ……とりあえず謝っておくべきか。
 いや、叱るべきだろうか。全くあの子ときたら、向こう見ずの命知らずだ。

 着物の袖を直し、ドアのベルを鳴らす。
「どうも、終赤さん、私です」

「はい」遠藤終赤が扉を開ける。その顔がぱあ、と輝いた。「あ……すみません、こんな格好で、とんだ失礼を」終赤は自分の寝間着姿に気づき、顔を赤くする。
「構わないよ」私はできるだけ格好つけて、優しく言った。帽子を脱ぐ。「迷惑かけたね」
「とんでも御座いません!」終赤は大きく頭を下げる。

 念のために断っておくが、『遠藤』と呼ばれた私は彼女の分裂体ではない。
 見たまえ、私と彼女の身体の厚さは普通と変わらない。

「身体検査に行ってきたよ」私は言った。
「どう……でしたか?」
「いたって健康! 死んでいたのが嘘のようだ」
「良かった……」
「それにしても終赤さんの分身は、ひどい嘘をついたもんだね」
「どの嘘……でしょうか?」

 私は思わず笑って、言った。「ほら、叔父からウィルスが感染ったとかいう……」
「ああ……」終赤はベッドに座り込んだ。「ですね。酷い法螺です」顔を手で覆う。「大会に出る人間は、今回のように健康診査がある。新黒死病レベルの病にかかっていれば、さすがに治療を強制されるか、それが出来なければ失格でしょう」
「まあ、替え玉の可能性もあるから、あながち嘘とは思えないさ」私は腕を組み、壁によりかかった。「それで、今回は本当に?」

「はい。恥ずかしながら、『本当に発病』してしまいました。すぐにこのホテルから去らねばなりません」
「なるほどね……それで自分に」私は顔を引き剥がす。「身代わりを頼んだわけだねぇ~、健康診査の」かつらをとり、銀のウェーブがかった髪を広げた。「血液型と身長が同じとはいえ、さすがにバレないか冷や冷やしたよ~」

「こまね様にしか出来ませんでした。『顔』は拙の能力で作れても、声までは作れません」
「お役に立てて光栄だよぉ~」本心だった。偶然とは言え、彼女の叔父が永遠に生きて戻らない結果となったのは、私の行動も関わっているからだ。粉々に水に溶けてしまった人間は、さすがのワン・ターレンでも治せなかった。

「それで、どうするの~? ワン・ターレン先生は次の試合までには、機関から戻ってくるんだよねぇ~?」私は訊いた。
「はい。幸い次の試合まで時間があります。拙は、それまでには苦しんで死ぬでしょう」彼女は両手を膝に置き、私を見る。「穢璃様の能力で、拙の死体を『みて』頂きます。……そうすれば、『新黒死病』の大元となる能力者の正体が掴めるはずです」

「はあ」
 この子は名前を、『ドM探偵・終赤』に改めるべきだと思った。どこまで自分から苦しむのが好きなんだ?……やっぱり叱るべきかもしれない、一応年長者として。

 終赤はふふ、と笑った。「これで、こまね様のお役にも立てますね。その後で、先生に拙を蘇生してもらいましょう。機関は信用なりませんが、あの方は信用出来ます」
「信用……ねぇ~」そう聞いて、私はそれを思い出した。「そういえば、終赤さんに、事件が解決したら、あたしの本名を教えるって約束してたよねぇ」

「え、……そうなのですか?」
「うん。でも、まあ、探偵なら推理して当ててくれても良いと思うよぉ~」
 私は組んでいた腕をほどき、両手を翻す。「さ、……どうするかな? 終赤さん」

 ――何故私が、消えたはずの分身達の『会話』を知っているのか?

 まあ、
 可能性は色々と考えられる。
 好きに考えてくれて構わない。

 ……探偵だからって、
 全部を全部、説明する必要なんて、
 本当は、どこにも無いんだからね。

裏トーナメント第二回戦◆温泉旅館の戦い◆終








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