第一回戦【底なし沼】SSその2

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第一回戦【底なし沼】SSその2

「さて次は『底なし沼』の戦いです! 実況は私、佐倉光素と」
「解説の埴井きららがお送りします! ……ところで光素ちゃん?」
「なんでしょう?」
「あたし、『底なし沼』って何回かはまったことあるんだけどね」
「あるんですか……」
「意外とあれって、沈まないんだよ。動きにくいだけで盛り上がらないかも」
「心配ごむよう! この沼は、とある魔人が造った“理想的な”底なし沼なのです!」
「理想的ってどうゆうこと……?」
「もうズッブズブ沈むからバッチリです! まるで道ならぬ恋のように!」
「あっ、その話きょうみあるな!」
「それでは、間もなく試合開始です!」
「そして光素ちゃんの恋話(コイバナ)は試合の後で!」
「しません!」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

裏トーナメント第一回戦『底なし沼』

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どこまでも続くかのように思われる広大な泥濘(ぬかるみ)
奇怪にねじれた木々が日光を遮り、昼なお薄暗く陰鬱な空気が充満する。
不定形に広がる底なし沼の見えざる顎門(あぎと)が、そこかしこで犠牲者を待ち受けていた。

「見えないっスねー。奴さんどこに居るんスかねー」
夜魔口砂男(やまぐち ざんとまん)は慎重に枝から枝へと移動する。
砂地迷彩柄のアロハシャツを着た青年ヤクザだ。
彼の能力は『砂のように眠れ』。
手の平から特殊な砂を生み出し、その砂を浴びた者は眠りに落ちる。

「近付かれたら終わりじゃ。遠くから『砂』で眠らせて確実に仕留めるぞ」
アロハシャツの内側から、砂男の兄貴分である夜魔口赤帽(やまぐち れっどきゃっぷ)の声が飛ぶ。
赤帽の身長は15cmと小さいが、凶暴で屈強な武闘派ヤクザだ。
いや、屈強な武闘派ヤクザであった。
今の彼の姿は、手足のついた生きたアキビンである。
彼の能力は『血に染まる蛇の鮮血』。
体内に特殊な液体を生成し、その真紅の液体を飲んだ者の肉体を強化し支配権を得る。
能力の過剰な連続使用の反動で、彼の姿はアキビンとなってしまったのだ。

姿を見せぬ敵に苛立つ砂男は、肩甲骨の辺りに硬い物が押し当てられるのを感じた。
ヤバいと思うのと同じ速さで、体が宙に浮く感覚がやってきた。
そして、樹上より沼へと落下する最中に、ようやく敵の姿を視認した。
背後に突如として現れた敵が、砂男をトングで掴み投げ落としたのだ。

砂男たちの対戦相手、聖槍院九鈴(せいそういん くりん)は、合気道とトングを組み合わせたようなまったく伝統的な武術、トング道の達人である。
彼女の能力は『タフグリップ』。
トングで掴んだ物体を望む限り絶対に離さない能力だ。
つまり、彼女のトングに捕まった者は――死あるのみ。

九鈴の両手にはトング。背にはキャリーバッグ。
胸まで覆った河太郎(ガタロ)と呼ばれる胴付長靴に、顔全面を覆う防塵マスク。
(色気のねぇことで……)
あまりにも実用的な九鈴のファッションに失望する砂男の視界を泥が覆い尽くした。

夜ごと山中を徘徊し殺戮を繰り返していた九鈴にとって、樹上活動は慣れたものだった。
両手のトングを使い、枝から枝へと猿よりも素早く飛び移る。
砂男の感覚は、赤帽の分泌する液体によって鋭く研ぎ澄まされていたにもかかわらず。
その死角を突いて音もなく移動し、背後を取ることは造作もないことだった。


底なし沼とは、流砂現象を引き起こす沼のことである。
泥や砂に含まれる水分が一定以上となり飽和すると、その形状が崩壊し流砂現象が起こる。
つまり。
――両手から砂を出す。全力で放出する。
砂男の能力ならば。
――徐々に手応えが増してくる。引き続き全力で砂を出し続ける。
大量の砂を加えることで周囲の底なし沼の流動性を失わせることが可能なのだ。
――砂の放出を続けながら、徐々に体を上へと引き上げてゆく。
砂男は底なし沼の中から、再び大気の中に帰ってきた。
だが、その胸元に赤帽の姿はない。
泥中でもがくうちに胸元からこぼれ、底なし沼に呑みこまれてしまったのだ。

防塵サングラスを拭い、聖槍院の姿を探し求める。
足場は『砂』によって十分に確保することができたが、敵の姿は見当たらない。
「デテコンカイッワリャーッ!」
砂男は、彼にとってはめずらしいことだが、荒々しいヤクザスラングで吠えた。
自分ひとりとなっても敵を必ずシメるという気迫が、彼にそうさせたのだ。
だが、返事はない。
そして、返事のかわりに側面から飛来した木の槍が砂男の脇腹に刺さった。

『聖槍院』の家名は、宝物殿『聖倉院』を守護していたことにより賜った名である。
ゆえに、特に槍の術に長けているわけではない。
だが、人工物に溢れる都邑(とゆう)から(のが)れて生きる為の聖槍院の業は、
「五遁」すなわち山海森沼野(せんがいしんしょうや)あらゆる自然物を利用する。
五遁を為す道具を――遁具(トング)と呼ぶのだ。
樹木より授かった即席の槍を投擲する、聖槍院流投石術『トングつぶて』の派生技。
トングを投槍器(アストラル)の如く用いる技である。
さらに、九鈴の『タフグリップ』によってリリースポイントは完全に制御され、その命中精度は極めて高い。

砂男は、九鈴の姿を捉えられない。
右から。左から。上から。後ろから。
槍の投擲間隔はそれほど短くないが、飛来する方向が一投ごとに全く違う。
影すら見せず、木々の間をトング術によって移動し続けているのだろう。
砂男は、ただ槍を避け続けるしかなかった。

その時――!!


沼の中から巨大な鋏が現れた。
刃渡り2メートルの赤黒い鋏が、鋸歯(きょし)状の凶悪な牙を大きく広げて獲物を求めた。
鋏の付け根の丸みを帯びた掌部には、真っ赤な棘が密生していた。
この鋏の持ち主こそがこの沼地の王、ザリ・ガナーである。
彼は体長10mを超え、全身を赤黒い甲冑に包んだアメリカザリガニである。

ザリガニ類はどこまで大きくなることが可能なのだろうか。
10kgを超える巨大なロブスターが捕獲されたニュースは頻繁に目にする。
摩周湖には1mを超える巨大ウチダザリガニが棲んでいると言われているし、
伝説を紐解けば島とも見紛うクラーケンの正体がウミザリガニという説もある。
ザリガニ類は極めて長命であり、脱皮の度にその体格を大きくしてゆく。
つまり、環境さえ整えば、際限なく巨大化する可能性があるのだ。

巨大ザリガニの胃の中に、夜魔口赤帽は居た。
沼地に沈んだ赤帽は、ザリ・ガナーによって捕食されたのだ。
ザリ・ガナーのサイズが、赤帽を丸呑みできるほど巨大だったのは幸運だった。
飲み込まれ、胃の中に送られ、そして胃の中に生える胃歯ですりつぶされる前に、
『血に染まる蛇の鮮血』によって支配下に置くことができたのだ。

赤帽に操られたザリ・ガナーは、次々に樹木を斬り倒していく。
ついに隠れ場を失った九鈴が姿を現した。
斬り倒された木の幹の上に降り立ち、周囲の沼面にトングを何度も刺し性状を確認する。
巨大ザリガニの威容に臆する様子はない。
ゴミは掃除する――ただそれだけのことだから。
九鈴は背中のキャリーバッグをおろして沼面に浮かべ、二本のトングを低く構えた。

「ところで掃除屋さんよお――」
ザリ・ガナーの中から、赤帽は九鈴に問いかけた。
手前(てめえ)から見て俺たちヤクザもんは、何だ? やっぱりゴミか?」

「『ひとあるところ――』」
それは赤帽への答えというよりは、詠唱を捧げるような口調だった。
「『澱みはうまれ、澱みはヤクザをうむ。ヤクザは澱みの化身なり。』
 『ヤクザとはゴミにも清掃者にもなりうる者なり。』」

「ハッ! 悪くない理解だ、嬉しいねえ! で、俺らは『どっち』だと思うんだ?」

「たしかなことは――」
九鈴は二本のトングを水平に掲げ、牙の並ぶ刃先をガチリと鳴らした。
「じゃまをするなら、掃除する」

「ええ答えじゃ!」
赤帽は嬉しそうな声でそう言うと、ザリ・ガナーを操り恐るべき鋏で攻撃をしかけた。
振り下ろされる巨大な鋏の切っ先を、九鈴はトングで掴み取り斬撃軌道を逸らす。
鋏で叩きつけられた沼の水面が、泥を高く跳ね上げた。

固い大地の上ならば、いかに巨大な怪物であろうともトングの合気で投げられよう。
だが、ぬかるむ沼地にあっては合気の作用に必要な安定した力点と作用点は得られない。
むろん相手が人間であれば、五遁において聖槍院流が遅れを取ることはないだろう。
だが、甲殻類であるザリ・ガナーは沼地の王。底なし沼に最もよく適応した生物なのだ。

トングで掴んだ鋏が引き戻される力を借りて、九鈴は宙に舞った。
狙うは水面より4mの高さに位置するザリ・ガナーの両眼!
感覚器官としての触角は大気中ではあまり役に立たず、視覚破壊は有効だ。
しかし、横から砂男のブラックジャックが飛来!
二本のトングを交叉させて防御するが、砂袋が裂けて砂が飛散する!
砂男の能力を防塵マスクで防ぐことはできない。
ひとたび砂を浴びた状態となれば、睡眠効果はあらゆる物質を透過して浸入するのだ。
強い眠気が九鈴を襲い、そこにザリ・ガナーの長大な第二触角が鞭のように振り下ろされる!

九鈴は再び泥水の中に背中から叩きつけられた。
胴付長靴の中に泥水が浸入する。
ひとたび水の浸入を許せば、胴付長靴は優れた防水性能が(あだ)となり危険な重量負荷となる。
九鈴は素早く胴付長靴から脱出し、立ち上がった。
防御効果がないと明らかになった防塵マスクも外す。
白い上着と葡萄色(ワインレッド)の袴は泥に塗れ、身体にべったりと張り付いている。
「おかしいっスねー。あれだけ砂を浴びてなんで立てるんスかね?」
砂男が訝しがる。

なぜ眠りに落ちず立ち続けることができるのか?
その理由を知るには、道着のさらに奥にある九鈴の尻を見る必要がある。
一本のトングが、その尻を強く挟んだ状態で『タフグリップ』により固定されていた。
トングに挟まれる痛みにより、眠気に抗しているのだ。
勝利のためには自らの身体が傷つくことも厭わぬ研ぎ澄まされた精神性!

だが、膝下まで没する深い泥の中にいる九鈴に、ザリ・ガナーの連攻撃が襲い掛かる!

鋏脚(きょうきゃく)を袈裟懸けに振りおろす! トングで挟み逸らして回避!
左鋏脚水平斬り! トングで上方に逸らしつつ半身を水中に没しながら回避!
右! トングで回避! 左! トングで回避!

ザリガニの武器は鋏脚だけではない! 歩脚のうち前二対の先にも鋏があるのだ!
右第一歩脚の小鉗(しょうかん)による斬撃! トングで受け止める!
受け止めた鋏を膝でへし折ろうとするが折れない! 甲殻類さすが恐るべき頑丈さ!
左第二触角による鞭のような一撃! 先ほど掴んだ第一歩脚を盾にして防御!
そこへ砂男のブラックジャックが投げ込まれる!
的確に九鈴の顔面を狙った凶器はトングで捕捉され、すぐさまザリ・ガナーの顔面へ飛ぶ!
砂が炸裂! だが巨体のザリ・ガナーにはこの程度の砂は何の効果も及ぼさない!

右第二歩脚の小鉗がドリルのように突き出される! 二本のトングをクロスさせて捕獲!
ドリル突きの回転力をトングの合気で増幅し、指節を破壊! トング道恐るべし!
右第二触角による鞭のような一撃! トングの連続突きで迎撃! 触角は感覚器官なのでこれは痛い!
ザリ・ガナーが怯んだ隙に懐から投げトングを取り出し両眼を狙い投擲!
しかし投げられた二本のトングは大顎脚(だいがくきゃく)によって防がれる!
ザリガニの大顎脚は見た目も機能も脚そのものだ!

左右の鋏脚で同時攻撃! 左右のトングでそれぞれの鋏を掴んでカチ合わせ軌道を逸らす!
しかし! ザリ・ガナーの暴威によるダメージは、九鈴の足元に蓄積していた!
繰り返される激しい攻撃に軟弱な地盤が崩壊し、底なし沼が口を開く。
フロートに用いるはずだったキャリーバッグは、既に砂男によって抜け目なく確保されていた。
そして九鈴は、泥の中へと沈んでいった……。


強い!! ザリガニが強い!!
やったぞ!! やったぞ!! ザリガニヤッター!!

草葉の蔭から快哉の叫びを上げたのは、この底なし沼を作った魔人である。
酔狂にも彼は自らを『ザリガニさん太郎』と号していた。
彼はザリガニが好きだった。
ニホンザリガニも好きだし、ウチダザリガニも好きだし、タンカイザリガニも好きだった。
ヤビーも、ブルーマロンも、クーナックも、タスマニアジャイアントザリガニも皆好きだった。そして特にアメリカザリガニが大好きだった。

彼は、アメリカザリガニの楽園を作ろうと考えた。
死亡制約によってザリガニの生育に理想的な沼地を作り出す能力『ダーク髑髏ムーン』。
栄養に富み、濁った水が淡水魚を寄せ付けず、木々と瘴気が野鳥を阻む。
この環境が、沼地の王ザリ・ガナーを生み出したのだ。
ザリガニさん太郎が、沼地の王ザリ・ガナーを生み出したのだ。


(わたしのせいだ)

九鈴の意見は違った。
彼女の内面にあるゴミ一つない清浄な大聖堂に、謝罪の言葉が響き続ける。

(ごめん――ごめんね――。みんなわたしのせいなの。
 わたしのせいで、みんな苦しむ。わたしのせいで、みんな死ぬ。
 九郎も父さんも母さんも雨雫(しずく)も。みんな苦しんで死んでいった。
 これからももっとおおくのひとがくるしむもっとおおくのひとがしぬみんなしぬ
 あゆみさんもあかばねはるもたかしまだいらよつばもみんなしぬわたしのせいで
 ごめんねごめんねわたしのせいでごめんね――)

自分の力が足りなかったから。
手にしたトングが届かなかったから。
だから世界はこんなに不幸(ゴミ)で溢れている。
だからあの巨大な化け物が生まれてきた。
生態系を破壊する、ザリガニの姿をしたゴミを掃除できなかったから。

深く。さらに深く。
九鈴の心と体は底のない謝罪の沼を深く深く沈んでゆく。


昭和二年五月十二日。横浜港に到着した一隻の船があった。
船の名は大洋丸。
大洋丸には食用ガエルの餌とするためのアメリカザリガニが積まれていた。
ニューオリンズを出港した時に100匹だったザリガニは、
一か月の過酷な船旅によってその数を約20匹にまで減じていた。
その中には、後のザリ・ガナーと呼ばれる者の姿もあった。

水環境の清濁を問わぬ生命力と、動植物見境なく食べる旺盛な食欲、
そしてニホンザリガニの20倍を超える繁殖力によって彼等は瞬く間に生息域を拡大してゆく。
移入10年後には関東全域を支配下に置き、20年後にはほぼ日本全国を手中に収めた。
最後の砦である北海道が陥落するのも遠い未来ではない。

彼らは我が物顔で水域に君臨し、希少な在来生物を捕食し、水稲を食害し続けるだろう!
アメリカザリガニの拡散を止められる生物は日本には存在しないのだ!
ましてや体長10mを超える沼地の王、ザリ・ガナーを止められる生物などいるはずがないのだ!


「フー、なかなか手ごわい相手だったっスねぇ」
「アホウ。気ィ抜くんじゃねえ。こいつのハサミを見てみい」

砂男はザリ・ガナーの鋏脚を見た。
その両鋏の可動指は、二本のトングによって閉じた状態で固定されていた。

「いつの間に……」
「あのトングが外れんっちゅうことは――奴はまだ生きとる」
「死亡時非解除……ってことは?」
「それはない。あの『雪山』で奴が一度死んだ時、トングは氷塊から離れとった」
「じゃあ、あのハサミについてるトングが離れたら俺たちの勝ちっスか?」
「アホウが! 死んだフリの遠隔解除だったらどうする!?」
「へいへい。つまり、とにかく油断禁物っスね」

砂男も、赤帽も、決して油断をしていたわけではなかった。
だが、泥に濁る水面の中からの急襲を察知することは不可能だった。
そして、九鈴のトングが、ザリ・ガナーを殺し得る手段を持つという事も想定外だった。
巨大なザリガニの真下から。
泥にまみれた漆黒の嘴先(はしさき)が現れ、ザリ・ガナーの口を貫いた!
聖槍院九鈴のトング『カラス』である。

そして九鈴はトングで大顎を掴んで自らの体を引き上げ、水平回転跳躍した。
横薙ぎのトングが砂男の頭部を狙い襲いかかる!
しかし砂男はヤクザ反射神経でこれを回避、トングは彼の眼前で空を切った。
空中で九鈴はザリ・ガナーの額角を蹴って飛び離れ、倒木の上に着地した。

「そうじ……かんりょう……」
静かに九鈴は宣言した。
泳ぐ妨げになる道着は水中で脱いで水着姿!
赤いセパレート水着、たすき掛けのトングホルダーには小型のトングが五本。
九鈴は両手のトングで地を指して残心の構えをとり、深く息を吸った。
ザリ・ガナーの両手の鋏がだらりと力なく垂れ下がり、口から泥交じりの泡が噴き出した。

「スゥーッ、これは……硫化水素!」
砂男は忌々しげに言った。
沼の奥深くに沈んだ九鈴は、そこで泥中の硫化水素を『タフグリップ』で圧搾捕集し、
ザリ・ガナーの口中と、砂男の面前で解放したのだ。
シトクロムcオキシダーゼ阻害作用!
常人であれば大気中濃度わずか0.1%で即死に至る硫化水素の毒性は、
酸素をエネルギー源とする生物すべてに肺呼吸・(えら)呼吸を問わず致命的である!

ザリ・ガナーの遊泳肢が動きを止め、その巨体が徐々に沼地に沈みこんでゆく。
その体内に居る、夜魔口赤帽とともに。
長い時を生き続け、強大な力を蓄えた沼地の王の最期であった。
だが、これが最後のザリ・ガナーであると誰が言えよう。
すべてのザリガニを掃除しない限り、いずれ第二、第三のザリ・ガナーが現れ、人類を脅かすのである……。

砂男はいまだ立ったまま、九鈴のことを強く睨みつけていた。
九鈴は問う。
「なぜ――たおれない?」
砂男が答える。
「探偵風に言やぁ、沼地の瘴気(しょうき)は、俺のおやつだ」
その口調から、軽薄な響きが消えていた。
砂中に潜り長時間活動するために、砂男の体質は特殊なものとなっていた。
体内で多数の嫌気性細菌を飼い慣らし、生体活動に必要なエネルギーを得る。
この特殊体質によって砂男は、完全な無酸素状態にあっても半日以上生存することが可能なのだ。

最後の激突!

砂男は両手から大量の砂を放ち面制圧!
全方位高密度極小弾複心交叉二槽式回避不能砂地獄弾幕!
九鈴は素早く三本のトングで自らの尻を挟む!
合計四本! 激痛による眠気キャンセルで正面から砂を突っ切る! ハイパー!
砂男の面前にトングを突き付け、今度はメタンガスを解放!
しかし沼気(メタン)もまた砂男の大好物! 効果無し!
二丁の砂封入式近接残酷打撃武器『シンゲツ』と『マンゲツ』で迎撃態勢!
その時! トングの刃がガチリと噛み合わされる!
刃先に火花が生じメタンに引火爆発! ボンバー!

爆発による双方のダメージは小さかったが、砂男の目を眩ますにはこれで十分だった。
砂地迷彩アロハシャツの肩を『カラス』がついばむ。
九鈴はトングを支点に弧を描いて砂男の身体を飛び越え、彼を道連れに底なし沼へとダイブした。


底なし沼の中へ、ふたりの魔人が沈んでゆく。
ふたりの間を繋ぐのは、一本のトング。名トング『カラス』。
視界は泥に包まれ何も見えない。
だが、九鈴にはトングを通じて相手の姿がはっきり認識できていた。

トングで突かれる。挟まれる。抉られる。
目に見えぬ相手から一方的な攻撃を受けながら、砂男は自分の勝利を確信していた。
酸素の供給が絶たれたこの状況は、砂男にとって徐々に有利。
無酸素状態に砂男ほど長く耐えられる者は、魔人といえどもほとんどいない。
いずれ相手の息は切れる。
それまで攻撃に耐えることができれば勝ちだ。

トングによる一歩的な攻撃に耐え続ける。
打撃。刺突。挟撃。斬撃。
砂男の肉体が、少しずつ少しずつ削られていく。

おかしい。これはおかしい。
増してゆく全身の激痛と共に、砂男の焦燥も増してゆく。
泥中に没してからどれほどの時間が経っただろう。
一向にトングによる攻撃が弱まる気配はない。
そういえば、先ほど沼に叩き込まれた時も、奴はかなりの長時間潜行していた。
奴はいったいどれだけ息が続くのか。
どうなっているのだ。
――トング道とは一体なんなのだ。

トングの攻撃は続く。続く。続く。
続く……。続く……。
…………。


泥粒子を『タフグリップ』で掴むことで推進力を増すトング泳法で、九鈴が姿を現した。
その口には15cmほどのトングが咥えられている。
樹木の幹にたどりつくと、九鈴はトングを口から離し、口腔内の苦い泥を吐きだした。
酸素を挟んで『タフグリップ』で圧搾吸着したトングをあらかじめ用意しておき、
それを咥えて徐々に酸素を開放することで長時間の水中活動を可能とする。
これが『底なし沼』での戦いに備えて九鈴が用意した秘策であった。

九鈴はひとしきり咳き込んでから息を整えると、またトングを咥えて泥中に消えていった。
水没した衣類と装備品と、そして赤帽と砂男の遺体を回収するためだ。
だが、底なし沼に沈んだものを発見することなどできるのだろうか。

できるのだ。
なぜならば、彼女の名は聖槍院九鈴。
伝統あるトング道流派、聖槍院流の正統後継者なのだから。
何処であろうとも、何であろうとも、そのトングは必ず異物を見つけ出し、掴み取るのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「――というわけで『底なし沼』の戦いの勝者は!」
「聖槍院九鈴選手でした!」
「巨大ザリガニにはびっくりしたね」
「ザリガニさん殺されちゃってかわいそう」
「生態系を乱す外来種が駆除されるのはしかたのないことですよ……」
「でも、人間の都合で勝手に連れて来られて、逃げ出して必死に生きるザリガニ達を……」
「うん。だから、何が正義とかそういうのじゃなく、みんなで考えるのが大事だと思う」
「そうだね……」
「……」
「さて次はおまちかね! 光素ちゃんのコイバナを!」
「しません!」

(おわり)








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