第一回戦【拷問博物館】SSその1

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dangerousss3

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第一回戦【拷問博物館】SSその1

幾何学的でありながら中世ヨーロッパの美術性を漂わせる意匠の展示室を、フードをかぶった少女が歩いている。オーダーの間から灰色のカーテン越しに、ぼんやりと外の光が差し込む以外、これと言った照明のない室内は暗い。フードの少女、トリニティは展示室中央に飾られた、火あぶりをモチーフにした人形の前で立ち止まり、その精巧に作られた恐怖の表情を見上げた。
(いっそなら、この人形に火をつけると素敵でしょうね。足元にあしらわれた藁なんて特におあつらえ向きじゃないですか?)
(これ以上のリスクは避けたい)
意識の中で響く三笠の声に、同じく意識で声を返しながら、奏は天井からワイヤーでおろされた装置にそっとライターの火を近づけた。
(そう、今ですら十分すぎるほど危険を冒していると思います。もし敵が考えなしに真っ直ぐ攻撃を仕掛けてきたらどうなさいましょう?)
――策に凝りすぎている。岩名の言葉は尤もだ。それはそうなのだが、素早く大量の水を手に入れる方法としてスプリンクラーによる散水は有力というのが、3人の結論だった。
(大丈夫。その時は岩名に換わる)


不測に対して、まずは第一に戸惑い、初動や思考が遅れがちな自分の欠点を拾翠は自覚していた。今も敵の攻撃にぴったりとした対処が見つからず、かれこれ10分近くも身動きをとれずにいる。
暗い室内に目を凝らすほど、つくづく気配とは音に頼るものが大きいのだと思い知らされる。奇妙な感覚だった。足で床を叩けばその振動が胸の上まで登ってくるのに、周囲は全くの無音なのだ。
この静寂を仕掛けてきたトリニティと名乗る少女について、とりあえず戦闘に関する部分では信頼に足る情報をもらっている。
似ている。ひとつの身体に3つの意識と能力を宿す少女に対してそう思った。拾翠もまた、意識の中に「冷泉(れいぜい)」という同居人を持っているからだ。
博物館の間取りは広い方形フロアをパーテーションなどで区切る汎用性を重視したものではなく、複数の展示室を通路が一筆書きで繋ぐものが採用されている。拾翠が釘付けにされているのは、3階の中央展示室だ。展示室の東側は1階まで吹き抜けており、吹き抜けを挟んで反対側には各階のギャラリーが伸びている。
――仮の話。敵がこちらを既に捕捉しているのであれば、こんなに長時間攻撃を保留することは考えづらい。攻撃を躊躇し時間を使うほど、そのアドバンテージを失う可能性が高まるからだ。
そう考えつつも、相変わらず動く気配が無い拾翠を一台の監視カメラがじっと睨み続けている。センサーが自動で人物を識別する、わりかし高性能な部類のカメラである。


(中々動きませんね。ずいぶん慎重ですこと。こちらとしては準備にたっぷり時間が使えて助かりましたけど)
(策を弄するとドツボに嵌る。と最後まで主張したのは岩名)
(……そういう事って今、言うものなんですか?)
(答え合わせが待ち遠しいですね。さて、僕たちが隠したかったのは何の音か)


余り手をこまねいて館内が暗くなり始めては困る。漸く拾翠は2階へと降りる決心を固めた。各階を繋ぐ階段はそれぞれ離れた場所に設置されている。拾翠は防災上あまり好ましくないつくりだと思ったが、今はそんな事よりも目の前の、床一面に撒かれた水についてどう考えるかが重要である。
レイニーブルー。周囲の水を操り、鋼鉄をも貫く雨の矢を降らせる、トリニティの3つの能力のなかで最も殺傷力の高い能力である。館内で大量の水を手に入れる手段は無いと、あまり警戒していなかったのだが、まんまと出し抜かれた格好だ。おそらく館内には火災を知らせる警報が鳴り響いていたはずなのだ。

拾翠は考える。
周囲に影響を及ぼす魔人能力の射程の目安は、おおよそ半径30m程度。それは館内全域をおさめる射程だが、破壊力を考えると一度に雨を降らせることが出来る範囲はおそらく5~7m四方が限界ではないのか。
つまり、攻撃を仕掛けるなら――
「――標的の目視が必要なはず……」
「……!?」
不意に耳に入ってきた自分の声に、一気に体温が下がるような感覚を覚えた。同時に、床を浸していた水が天井付近まで舞い上がると、拾翠をめがけて斜めに降り注いだ。
拾翠はその場で、わずか数ミリにも満たない小さなステップを踏むと、雨の矢が地面を叩くより速くフロアをまっすぐ走り抜ける。体が宙に浮いている間のみ、化外の身体能力を与える仮面の力。その力を効率良く引き出すために習得したのが、このステップだ。そして、1歩踏み出してしまえば、走ることは跳躍の連続である。
拾翠は空中で向きを変えながら展示室内に素早く視線を走らせる。しかし敵の姿はどこにも見えない。隠れ蓑は粉々になって宙を舞っている。見落としようがない。
第二撃を今度は飛び越えるようにしてかわすと、拾翠は次の展示室への通路へ走りこむ。通路の床も、やはり水で覆われ、拾翠が侵入に対し跳ね上がるようにして攻撃準備を整えた。
「あてずっぽうにしてはタイミングが正確すぎる」
敵は目視によらずこちらを捉える手段を持っている。その方法を見つけることが出来なければその時は――
「一方的に削り殺されるな」
二つ目の展示室。やはり敵の気配は見当たらない。逃げるほど勢いを増してゆく雨の矢に、拾翠は少しずつ傷を負い始めていた。


「ダメですね。あの人、動きが速すぎて監視カメラの動きでは追い切れない」
(でもほら、ところどころ血が滲んで、ああ、首筋のあんなに際どいところからも血を流しておいでのよう!)
(2つ目の展示室までは、私達を探すようなそぶりを見せていた)
「それが今や躱すだけで精一杯。順調ですね。」
(違う。おそらく、ばれた)
(あら、思ったよりお利口だったようですね)
「岩名、言いたいことは分かります。こういう時こそ、策を弄しすぎず……ですよね?」


吹き抜けの四方から水がアーチの様に合流する。2階東側のギャラリーから1階へと飛び降りた拾翠の頭上にかかった水の天井は館内のどの展示物より美しく、残酷な芸術だった。
最大水量の攻撃は仮面の力を引き出した拾翠の機動力ですら回避は難しく、義足のかかとは大きく削り落とされ、1発の矢が大腿を抉った。しかし、ここ1階中央展示室から守衛室までは、もはや目と鼻の先である。深手こそ負ったが、接近戦に持ち込めば勝算はある。

――おかしい。
展示室中央付近で拾翠は足を止めた。足が地面を蹴る音が消えている。背後に迫っていた、物騒な雨音もしない。
静寂の中、背後から差し込んだ光が拾翠の足元からフロア中央に向けて薄い影を作っていた。
再び訪れた静寂の意味を拾翠は理解した。最も恐ろしく、警戒すべきだった攻撃。
なぜ敵が守衛室で待ち構えてくれるものだと錯覚していたのだろう。今度こそ完全に捕まっていた。


(うつむいたまま固まってしまいましたね。諦めちゃったかな?)
(そう、最後はとてもシンプル)
致命傷とまではいかずとも深手を負わせ、更に一方的に敵を捕捉できている。
既に十分すぎるほど有利な状況を作ったのなら、これ以上の小細工は付け入る隙となりかねない。
そう考え、トリニティは無音状態からの奇襲をトドメに選んだ。
(敵の足元から前方に影が伸びている。おそらく、影の動きで背後からの攻撃に備えている)
(へぇ……中々考えるものですね、彼も)
(しかし)
(それも)
(無駄なこと)
拾翠の斜め後ろ、展示物の影からトリニティが銃を構える。
(ナイフならそれで躱せたかもしれませんが、最後まで1手ずつ届きませんでしたね)
(好都合。じっとしてくれるなら私でも当てられる)
(トドメは私が受持ちたかったのですけどね)

処刑を待つだけの男の背中に勝利を確信する少女。そのとき、じっと自分の影を見つめていた拾翠の視線が一瞬、上を向いた。
次の瞬間トリニティの身体は冷たい金属製の腕で地面に押さえつけられていた。
やがて、拾翠を見失ったカメラが周囲のそれと同じように左右に首を動かしだした。
拾翠が「それ」を見つける事が出来たのは全くの偶然だった。
――何が起きたというのか。急転直下に愕然と見開かれたトリニティの目に、ただ1台、こちらを向いたまま動かない監視カメラが写っていた。








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