第一回戦【雪山】SSその2

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第一回戦【雪山】SSその2

 モニタの向こう側には、ただただ単調な白が続く。冷気は車中に染みる事こそないが、それでも死の世界の予感を色濃く滲ませている。
 雪に溶けるかのような、白く塗装された対魔人LCV――指揮装甲車。

「あァ~~~、さっむ……」

 広漠たる大自然の風景に似つかわしくないそのオブジェクトの中――石丸圭介二等陸尉は、手を擦り合わせた。それは雪原の風景から喚起された、単なる条件反射であったが。
 彼が率いる対魔人小隊に緊急出動の指令が下されたのは、わずか20分前の事だ。

「フゥ~~ッ……クソ魔人ごときが……このご時世に呑気に『トーナメント』だァ?」

 小規模な戦闘システムの統括すら行う新型LCVの感知能力は、尾根より数kmの地点で試合を始めた『標的』の状況を、余すところなく捉えている。

「ふざけるも大概にしろよ――日本の秩序は人間様のものだ、屑共」

 ビスケットを噛み砕く音が、赤いランプに照らされた車内の静寂を割った。

----

 一面の銀世界。
 トン、トン、トン、……一定の間隔で、音は続いている。
 聖槍院九鈴と、赤羽ハル。遭遇から6分。未だ互いに有効打を与えられていない。

「近づかない。あなたのその判断は、完全にただしい」

 トン、トン。柔らかな雪を叩く音は、九鈴のトングだ。地を一定の間隔で叩きながら距離を詰める、それは異様な動きであった。

「……ハハッ……まずいよな。俺さぁ……普段はもうちょっとだけ、口が回る方なんだけれど。ちょっとここ、寒すぎないか?」

 軽口を返す男は、赤羽ハル。距離を離す。残された硬貨は……100円玉1枚。10円玉2枚。広大すぎるフィールドに、落ちた硬貨を覆い隠す雪。
 故に残弾はこの3発のみと考えてよかろう。しかも吹雪。これまで撃った6発は、いずれも命中弾となってはいない。明らかに「日本銀行拳」の指弾で処するには不利な環境にある――それでも、距離を離さざるを得ない。

「可愛い女の子とデートする環境じゃあないッつーの……」

 赤羽のジャケット。その右袖は破れていた。のみならず、その切断位置……肩の付け根からは、真新しい鮮血が筋になって流れている事が見て取れるだろう。

「次は袖じゃない」

 九鈴は言う。……トン、トン。

 『タフグリップ』。「聖槍院流トング道」――その特異な武術によって培われた精神認識を核とする、聖槍院九鈴の魔人能力。
 彼女のトングが掴んだ物体は、決してそのトングから離れることはない。彼女がトングから手を離そうとも、永遠に。

 紙幣を使って、掴まれた袖の根本から切り離す……歴戦の暗殺者の一瞬の状況判断でもなければ、逃れる事はできなかったであろう。
 例え自身の肉を巻き込むことになろうと、0.3秒も切断が遅れていたならば、彼の体は九鈴のトング道の技術によって、動きを封じられ、投げられ続けていた筈である。
 この極寒の雪山の中で。撲死か凍死するまで、永遠に――だ。

「……袖じゃなく、肉をつかむ」

(違う……)

 赤羽ハルは……。その口調の端に、違和感を覚える。本心からの言葉ではないと。

(違うな)

 吹雪は強くなり、右手に構えた硬貨の狙いが定まらない。……そうではない。この女の狙い。対処を。
 が、トン、トン……と地を叩いていたトングが、突如動きを止めた。

「『ある』事はわかっていたんです。地の下に、何がうもれているか。それがなんであろうと、ゴミを――異物をさがし、ひろうことが、聖槍院の技」

「……チィッ!!」

 敵の狙いを悟り走り出すが、既に遅い。
 九鈴は瞬間、その地点に深く……深く左のトングを沈み込ませ、『それ』をひきずり出した。

「しね」

 およそ4m立方にも及ぶ、巨大な雪氷塊を。

 ――雪の日の後のアスファルトがそうであるように。豪雪地帯の雪中には、部分的な日照によって溶け……再氷結した、氷塊が埋もれている。
   特に年間を通して雪が降り積もる雪山には、重量にして数tにも及ぶ巨大な雪氷塊がその身を隠しているケースがある――

 トングで地面を叩き続ける動きは、反響の感知。ゴミを拾い集める聖槍院の技は、堆積するゴミ山の上からであろうと、中に埋もれた粗大ゴミを見逃すことはない――
 そして、自身の重量の数百倍にも及ぶオブジェクトであっても。もう片手、右のトングで絶対的に地を掴む『支点』と、対象物の重量すらもそのまま力に変える、古式トング道の合気を以てするのならば。

「……!!」

 重機じみたスピードで薙ぎ叩きつけられた即席のスレッジハンマーが、赤羽ハルの肉体を強く、斜面上方へ吹き飛ばした。
 振り切られた雪氷塊の巨重が、低く雪山の静寂を鳴動させる。

「……近づかなくても、結局はおなじ。ゴミは全てそうじする。すべて……すべて」

「こほっ、うォッ……マ、マジか。ハハッ……」

 どこか恍惚と呟く九鈴の声が、遠く聞こえる。
 血液が多分に混じった吐瀉物が、新雪を赤く汚した。砕けた骨の欠片のようなものが見えるのは気のせいだろうか。

(……強い。日本銀行拳は所詮、都市の環境に依存した暗殺術でしかないわけだ。マジで考えなきゃあな。死ぬ……ぞ)

 自然と共に、人工物を廃するために培われたトング術は――まさにこの雪山のような、死の世界のための武術といっていい。何よりこの異様な精神性。まるで組合の暗殺者だ。殺人に一切の躊躇が見られない。
 片膝をついて体力の消耗を抑えつつ、赤羽ハルは考える。直接的な戦闘能力であれば、自分の方が上だ。しかし、離れれば氷塊。近づけば『タフグリップ』。隙はあるのか。

(ある。当然だ。……この程度は初めてじゃあないだろ? 自分の経験を舐めるな、赤羽ハル)

 例えば、足。
 彼女の懐に潜り込むステップの中で、密かに自分の靴を脱げるように仕込んでおく。
 赤羽ハルの靴の中敷きには常に一枚の1000円札が仕込んであり――トングに腕を捉えられ、動きを制したと敵に思わせたその瞬間、蹴りで切り裂く。
 足指で紙幣を掴み、股間から腹に向けて一閃。赤羽のリーチと蹴速ならば、致

「わたしのせいだ……わたしのせいだ」

 無意味な言葉をブツブツと呟きながら、トン、トン、と、再びトングのリズムが鳴り始める。近づいてくる。

「……。確かに止めを刺しそこねたのは、あんたのせいだな。2ラウンド目といくか? 何しろこの寒さだ、そろそろ俺も体力が……。………………?」

 赤羽ハルは訝った。聖槍院九鈴も同時に、響き渡った轟音を不思議そうに見上げていた。
 白く吹雪く天空に、黒く巨大な鉄の鳥が、菱型の影を浮かべている。

 無人戦闘機――対魔人UAV。

----

「 茶 番 」

 わずか11歳の少女は、口の端を吊り上げて嗤った。
 2人の戦闘風景は、当然のように……最初から最後まで、余すところなく捉えている。
             、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 彼女は今、対魔人LCV――指揮装甲車の車中にいるのだから。

「トーナメント。10億円。……副賞? 人間、視点の狭さは成長しないって事かな……?
 『あと一人』ここに対戦相手がいることも、わかっていないんだから」

 ――2人が彼女の存在を勘定にすら入れていなかったことも、ある意味で当然の戦局判断ではあった。
 体感温度-50度にも達する雪の地獄。如何な魔人能力を持った所で、いずれ11歳の子供が長く生存できる環境ではない。
 ……外気を完全に遮断する、装甲車のような装備でも持たなければ。

 そう、この装甲車は紛れもなく彼女自身の『装備』であった。
 だが彼女のような、組織の後ろ盾を一切持たぬ、たかが11歳の少女が……最新鋭のLCVを所有する事など、現実に起こり得る事態であろうか?

 是である。

 少女の――三つ巴の第一戦、最後の一人、高島平四葉の魔人能力『モア』。敵よりも強い武器を生み出す。ただそれだけの魔人能力。
 ……つまり、彼女の『敵』が持つ装備であるならば。

《んー。このスイッチでいいのかな。赤羽ハル。聖槍院九鈴。君たち2人に告ぐ》

 複合レーダーによる自動索敵の起動と、各種電波妨害機構の作動。外部スピーカーによる鎮圧対象への呼びかけ。車内のマニュアルで読み解くべき箇所は、その3つだけで良かった。
 言い換えれば、その解読に要する時間まで……あの2人には車の外『遊んで』もらう他なかった、とも言えるが。

《わたしは、高島平四葉――》

 斜面上方。数百m先で争う2人に、黒髪の少女は悠然と告げた。


《今すぐ降伏しなさい》


----

 大音声が、降り積もる雪を震わせる。戦場のバランスは一変していた。
 瞬時にしてその力を……彼方まで突出させた、三角形の一角。

《わたしの魔人能力は『モア』。――わたしの敵よりも、少しだけ強い武器を作り出す。それが能力》

 証拠もあるわ、と、幼い少女の声は続ける。君たちの武器は、トングと貨幣でしょう――。
 赤羽ハルも聖槍院九鈴も、動きを止めずにはいられなかった。はるか斜面の下方、戦闘車両の放ちはじめた威圧的なサーチライトが、彼らの位置からも見えているのだ。

《わたしの目的は、こんなちっぽけな島国のトーナメントでの優勝じゃない。
 目的は……世界の征服。そして軍事力と経済力を背景として、そのための『後ろ盾』を手に入れること。
 わたしはただ、兵力を集めるためだけに参加している。世界を獲る兵を》

 コンソールに映る電波妨害機構の作動状況を横目で確認して、四葉は悪魔的に笑う。
 無論この『交渉』の内容は、七葉やWL社はもとより、目高機関にすら知られることはあり得ない。

 日本最新鋭の兵器による電子妨害より『ちょっとだけ強い』妨害機構を突破する電子戦能力など、ここが日本である限り、存在し得ないのだから。

《……わたしは『モア』で作った。世界に蔓延する新黒死病よりも、さらに『一段階』強いウィルスを。
 そして『一段階』強いウィルスは、既に――わたしの故郷に投下している。今まさに、第二のパンデミックが起こっている》

「……。なにを」

 常に零下の温度を保っていた聖槍院九鈴の瞳が揺らいだ。
 さらに上にいる赤羽ハルの表情は見えない。だが彼もまた、動いてはいなかった――そうせざるを得ない。

《その犯行は日本政府に予告している。次の犯行――『二段階』強いウィルスによるテロ行為の日時も。
 わたしの大会参加と同時に、日本政府はわたしの監視追跡を開始。わたしを大会中に抹殺する準備を整えて、目高機関と今も交渉しているはず……ふふっ。
 きっとこの雪山付近にも、兵力は待機している》

 ――読み通り。
 彼女の装備は――現在の日本で最強の索敵能力を誇る対魔人LCVも。空を哨戒する、3機もの対地攻撃能力UAVも――
 ……今現在、『日本政府』がターゲットたる四葉自身に向けている装備の一部に過ぎない。
 「敵より少しだけ強い武器を作る能力」。これを以って、世界最強の武器を作り出すためには……まず、何をすべきか。
         、 、 、 、 、 、 、
 単純な結論だ。世界を敵に回せば良い。

 推定でも数千万以上の視聴者が注視するこの大会に自衛隊が強制介入したならば、既に下落しきった日本政府への信頼は、さらに地の底に落ちることとなる。
 仮にも『試合』形式である以上、トーナメント外の勢力による試合中の武力介入は、目高機関、七葉……世界を牛耳る勢力によって、全力で妨害されるであろう。

 世界を征するに際し――最強最悪の魔人能力『モア』に唯一欠けたるものは、兵器を生み出すための、兵力。

 そして単独での戦闘であれば、既に単体にして日本政府を超える『兵器』を無限に生み出す術を持つ四葉が負ける要素など、無い。
 日本全域から最強の強者たる魔人能力者が集まるこのザ・キングオブトワイライトなど、この高島平四葉にとって、最強最悪の精鋭兵団をかき集めるための、巨大な集兵場に過ぎぬ――。

《……今、UAV三機の空対地ミサイルが君たちに照準を合わせている。接近すればLCVの迎撃機銃が自動的に君たちを消し飛ばす。
 このぜんぶが、日本政府の保有兵器以上の性能を持っているわ。君たちの優勝はあり得ない……それに、いくらお金を手に入れても、願いを叶えても意味はない》

 ――いずれこの世界は、四葉の作り出した戦乱に呑まれるのだから。

《それでも君たちは運がいいの。今なら、勝ち馬に乗る事ができるんだから……。
 聖槍院九鈴。ゴミを片付ける一番の方法は――不要なものを『捨てる』ことでしょ?
 降伏してわたしの側につくなら。世界のすべてを、綺麗に片付けることができる》

 九鈴は暗い目で、斜面の底から響く、ただ一人の地獄軍の演説を聞いていた。
 愛用する漆黒のトング『カラス』が、ザリザリと雪を掻いた。

《赤羽ハル……一回戦で君に当たってよかったわ。無限に最新兵器を生む、わたしの『モア』。
 あらゆる物体を、接触だけで換金する君の『ミダス最後配当』……組み合わせれば、世界の経済を思うがままに動かすことができる。
 10億円? そんなくだらない、ちっぽけな金額どころじゃあない。経済と軍事の両面で、世界を支配することが……現実にできる》

 赤羽はジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、ぼんやりと空を眺めていた。
 3機のUAVの黒い翼が、灰の雲の只中に白い軌跡を引いていた。

「「断る」」

 2人は同時に返答した。

----

 ――聖槍院九鈴は、深い失意と悲しみの底にあった。

(ごめんね。……本当にごめん)

 ゴミ一つない整然とした大ホールの如き澄んだ彼女の心中には、無限の謝罪だけがある。世界すべての存在に対する、底なしの暗い贖罪の深海が。
                        、 、 、 、
(あのウィルスを、解き放っただけじゃなかった……わたしは、第二の惨劇まで)

 申し訳ない、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ない――。
 聖槍院九鈴は常に、あらゆる人間に謝罪していた。

(核を落としたのもウィルスがまかれたのも父さんがしんだのも母さんがしんだのもおじいちゃんが死んだのも九郎が死んだのも
 近所のおばさんが死んだのもわたしの街が滅んだのも地球環境の乱れでしんでいくたくさんのいきものたちも毎日毎日戦争がつづいて
 たくさんの子供たちが飢えてしんで世界の不幸がきえず人間の心の悪意が連鎖してなにもかもなにもかもなにもかもがいずれ滅びるのも
 ぜんぶわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせいわたしのせい)
 、 、 、 、
「わたしが」

 黒いトング――『カラス』が、ギャシャリ、と地獄のギロチンの如く牙を開いた。

「掃除できなかったから」

 だから世の人の心は荒み、だから争いは起こるのだ。
 兵器というゴミを片づけ『られなかった』から、人の命が無駄に散って、ウィルスというゴミを片づけ『られなかった』から、パンデミックが起きた。
 人が飢えるのも。世界の悪が消えないのも。

 ――地球を汚す人間の形をしたゴミを、九鈴が片付け『られなかった』からだ。
 彼女は狂っていた。あの日落ちた核の光が、心を真っ白に漂白してしまっていた。

《……交渉は決裂。それも想定内。問題もない……だってこれは『試合』だもん。
 君は死んでも生き返るし、わたしにだって次が――二回戦があると、保証もされている。
 とりあえず一回は、恣意行為としてこっちの戦力を示しておこうと思ってたし》

「ゴミめ」

 九鈴は、再び自身を巨大な梃子と化して、氷塊を持ち上げつつある。
 低い呟きは、雪に儚く溶けた。

 ――ここまで、高島平四葉が想定した戦略通りであった。
 彼女がこの試合で欲しい人材は、経済要員として巨大な富を生む、『赤羽ハル』のみ。
 彼を引き入れ、仮にでも勝者として勝ち進めば……目高機関による選手で在り続けることができる。彼らによる庇護は続く。
 事実それができたのならば、10億や副賞程度――赤羽ハルにくれてやっても構わないとすら考える。 

 聖槍院九鈴ならば、死んでも構わない。
 だが、唯一……

「ゴミが。しゃべるな」

 唯一想定外だったのは、その聖槍院九鈴の精神性が、尋常を逸した高島平四葉すらも想像の及ばぬ境地に達していた事であり。

 そして、UAVが対地ミサイルの照準を定めるよりも先に。
 遠く数百m先で振り上げられたそのハンマーが、四葉を殺し得る手段を持つという事であった。

「掃除婦はモップを振り上げファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った」

 高く掲げられたトングは、天空の光を乱反射して、黒く輝いた。
 先の一撃。赤羽ハルを叩き飛ばした、雪氷塊による一撃。それを振り下ろした震動は――彼女に、何を知らせただろう?
 氷塊の位置を知らせる、聖槍院家特有の探知性能……それが、例えば。

 柔らかな新雪の下に固められた、なだらかな斜面。
 ――『雪崩』を起こし得るその地形を、巨大な震動で探知していたとすれば。


「川の水は血に変わり川の魚は死にエジプト人は」

 意図不明の詠唱とともに、九鈴の一撃が強く山を叩いた。
 下方に位置する無尽の雪が一斉に断末魔の嘆きを上げて、装甲車に躍りかかった。

「ナイルの水を――」

 ――『弱層』と呼ばれる結合力の弱い雪の層が、その下で固められた古い積雪の層に沿ってなだれ落ちる現象は、表層雪崩と呼ばれる。
   その速度は、最大でおよそ200km/hにも達し……これは新幹線の速度に匹敵する。
   その破壊力は住宅を吹き飛ばし、1平方メートル辺りの衝撃力は、大型トラック1台分にも匹敵する――
 いかに無敵の武器を作り出そうとも。
 いかに悪魔めいた戦略を打ち出す頭脳を持とうとも。

 その圧倒的な自然の力を前に、装甲車はただの小さな棺桶に等しい。

「掃除、完りょ」

 バシャリ、と血飛沫が散った。
 言葉が終わる前に、聖槍院九鈴は死んだ。

「マジ、か……ハハ、ハハハハ……」

 斜面の上に位置する赤羽ハルは、思わず笑った。笑い出す自分を押さえ切れなかった。

 空から降ってきた、2足歩行の巨大兵器が――その瞬間に聖槍院九鈴を叩き潰して、赤い血の染みに変えたのだった。
 上に待機していたUAVは、対地攻撃用途のものだけではなかった。
 それは上方でホバリングし、その無人兵器を投下するタイミングを図っていたのだ……対魔人兵器。かつて別の世界線で国家が使役した、『転校生』にも匹敵する政府最強の兵器。

 その名をTA-35といった。

《……もう一度言うわ、赤羽ハル》

 兵器が薙ぎ払った熱線が、滑り落ちる雪崩を一瞬で蒸気に変えた。
 九鈴の策はそれで終わった。

《降伏しなさい》

----

 高島平四葉の思考は11歳にしては悪魔的な回転を見せる。だが、そのよく組み立てられた思考プロセスには幼さ故の隙も存在する。
 例えば倫理的な観点から、他者が彼女の計画に対して反発する……といったような事柄を、未だよく理解できていない。

 ――なぜ、他人の命に拘る必要があるのか?
 新たな世界を作るのだから、今までの法や制度に縛られるなど、甚だ不合理な思考ではないか。
 わたしの作戦は完璧に合理的だ。ゲーム理論に沿って、この大会参加者全員が最大利益を得られるように動くとすれば。
 ……それは全員が、わたしの指揮する『革命』に加わることに他ならない。
 当然のことだ。この荒廃した日本の秩序に従って、これから先も同じように苦役の暮らしを続ける事を、誰が望むのか?……

(……なるほど高島平四葉。お前の言ってることは分かる。確かにその能力があれば、俺だって6000億の借金はすぐに返せる。
 元々命なんてない身だ。それを知って言ってるなら、11歳にしてお前は見上げた『殺し屋』だよ――)

 かじかんで紫色になった右手の指から、10円玉が落ちた。
 肩からの出血が効いたか。このまま持久戦となっても、いずれ自分が凍死する。マイナス6000億しか持っていないというのに、また10円も無駄にしてしまった……。

 ……腕が、動かなくなる。体感-50度。既にして両足も怪しいところだ。
 腕と、両足が……動かなくなる。
 いずれ死ぬ。

「ちひろさん」

 無自覚に呟きが漏れた事に、赤羽自身は気づかない。

 『パンデミック』。世界に新黒死病を撒き散らしたといわれる、正体不明の魔人能力者を指して、史上最強の暗殺者と呼ぶ者もいるという。
 そしてこの少女がまた、第二のパンデミックを。……最強だと?

《あなたの動きはロックされている……5秒以内に両手を挙げなさい。それ以外の行動は全て、敵対行為とみなすわ》

 空が、死で埋まっている。遠く前方の彼方からこちらに向かうUAVは、きっとこちらに狙いをつけている。
 赤羽ハルは言った。

「……無人兵器、ってか?」

《……》

「お前が今まで使ってきた兵器ってさ――自衛隊の最新装備から選んでるように見えるけど。
 結局AI制御の、自動兵器ばっかりだよなあ。自動的に目標をロックして、自動的に撃って……そーいうヤツばっかりだ」

 何が、最強の。

「……その『モア』。武器の使い方は分からないんだろ? ……分かってるなら、長距離砲でも持ってきてこっちに狙いを定めていりゃあ良かったんだ。
 結局、お前はただの子供だ。武器を持っている『だけ』の、子供。そんな短い人生じゃあ、鍛錬も何もない。
 そんなヤツ、結局下から足元をすくわれる。暗殺か、良くて傀儡がいいとこ……
 …………ついていく奴なんていない。本当は分かってるんだろ? ……」

 相手に聞こえているはずはないと分かっていても、彼は朗々と喋り続けた。それは精神的優位に立つための儀式だった。
 赤羽は、血に染まったジャケットを脱ごうとした。それが合図だった。正面の無人戦闘機がミサイルを射出した。

《――残念だわ》

(馬鹿が。この俺が……魔人暗殺者が、正面から……面と向かって、方向さえ分かってりゃあよ……)

 彼は左腕を差し出していた。かじかんで、硬貨の1枚、掴むことすらできない手、だったが。
 日本国内のあらゆる兵器を凌駕する破壊力の。マッハ3にも達する、暴力的な鉄の円筒は。

「『触れる』に、」

 その瞬間、

「決まってるだろうがボケ!!」
 、 、 、
 ただの無力な2千枚の紙切れと化して、飛散した。
 触れた物体を一瞬にして『換金』する。

 『ミダス最後配当』。

《……っ、撃て!!》

 その一声に反応し、斜面下方のTA-35は向き直ろうとした。熱線射出兵器を持ってすれば、敵の殲滅は容易であるはずであった。
 ――だが、吹雪に紛れる大量の紙幣が、ほんの一瞬、赤羽ハルの体を隠していた。
 AIで自動制御されたロック機能は闇雲の攻撃をできず、標的の姿を探した。見つかった。

 赤羽ハルは既に、TA-35の懐に。

(……『そり』を)

 車中のカメラ越しにその姿を追う高島平四葉の頭脳は明晰だった。
 赤羽はあの時。ジャケットを体の下に敷いて……斜面を『滑った』のだろう。
 聖槍院九鈴が立っていた。TA-35が今立っている。その位置に向かって……

「最強の武器が欲しいって? 今、くれてやる」

《や、やめ――》

 四葉はすべてを悟った。
 赤羽ハルは機械の豪腕に薙ぎ払われるより早く、TA-35に触れていた。その位置は、先ほど九鈴が示した『雪崩の起こる斜面』で――

 事態の打開を求めてとっさに起動した『モア』は、遠く数百mに位置する敵の武器をコピーした。一円玉。
 それが四葉の最悪の予測を証明していた。
 ……そう、一円玉だ。たかが。

《そんな、馬鹿、な、》

 ゴッ、という爆音が鳴った。チャリチャリと鳴る硬貨の金属音が無限に合奏すれば、そういう音になるのだった。

 換金された最新兵器――TA-35の価格に等しい、数百億枚の『一円玉』の雪崩は。
 その『たかが』数百億グラムの質量で、完膚なきまでに装甲車と高島平四葉を叩き潰した。


「――何時の時代も、金が一番の武器だ」

 ゴールドラッシュ。
 一面の『銀世界』を斜面の上から一望して、それで暗殺者は踵を返した。



 第一回戦第二ブロック。勝者、赤羽ハル。


(了)








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