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#divid(ss_area){ *野試合SSその1  聖槍院九鈴は、朝から海老カツだった。  普段は質素な聖槍院家の朝食だが、九鈴の試合がある日は彼女の好物である海老のカツが食卓に上るのが恒例となっていた。先日まで開催されていた「ザ・キングオブトワイライト」という魔人同士の比較的平和な格闘大会に九鈴は参加し、一回戦で敢えなく敗退はしたものの、敗者による裏トーナメントに於いて見事優勝を収めたのだった。  大会は興行的にかなりの成功であったようで、閉会後の特別企画として大会参加者である九鈴と雨竜院雨弓によるエクストラマッチが行われることになった。ゆえに、今朝は海老カツなのである。  九鈴はしゅわしゅわと音を立てる海老カツをトングで挟んで油の中から取り出し、少しのあいだ金網の上に置いて油を切ってから、さくりと包丁で半分に切り断面を見て火の通り具合を確認する。加熱によってタンパク質から遊離した、アスタキサンチンの赤が美しい。そして九鈴は、家族それぞれの皿に海老カツを並べていった。  ただし、実のところ彼女が行っているのは配膳だけであり、調理のほとんどは母親によるものである。もちろん九鈴もそれなりに料理ができないわけではないが、うっかりすると母親に任せっきりになりがちなのは反省すべき点だと思っている。まあ、今日は試合の日なのでこれで良いのだ。 「もぐもぐ。ロブスター=サンはおいしいなぁ」  いつの間にか「いただきます」も言わずに、弟の九郎が海老カツを盗み食いして平らげていた。九郎は10歳。育ち盛りの食べ盛りではあるが、これは少々行儀が悪い。 「ちょっとダメでしょ。いつも言ってるよね? 小型の海老は『シュリンプ』だって」  九鈴は少し厳しい口調で弟をたしなめた。彼女には風変りなところがあり、海老とか蟹については何故かちょっとうるさいのだった。なんでだろうね。 「お、海老カツかー。今日は雨弓君と試合する日だったなー」  朝寝坊な九鈴の父親が、のっそりと現れた。大柄で、武骨で、人類を大雑把に分類するならば雨竜院雨弓と同じジャンルに属する人間である。 「九鈴。試合もいいが、雨弓君とお付き合いする気はないのか?」 「お父さん、ソレはやめなさい。九鈴も困ってるでしょ」  同類だからだろうか、九鈴の父は雨弓のことをやけに気に入っている。そして、いつもの無遠慮な提案をして、母にぴしゃりとたしなめられた。何度も繰り返されてきたおなじみのやり取りだ。九鈴は本当に困った表情で、口の中の海老カツを咀嚼して、飲み込む。母さんの海老カツはとてもおいしい。そして、九鈴はいつもと同じくこう答えるのだ。 「それはムリなの。だって雨弓さんは雨雫のものだから……」 †††††  また、雨雫の夢をみた。雨弓の従妹。この世を去った恋人。雨竜院雨雫の夢をみた。あの日から8年の時が経ったというのに、あの時の記憶は未だ色褪せず生々しい。  雨弓がみる雨雫の夢は、大きくわけて二種類。ひとつは雨雫があの世から帰ってきて結ばれる、幸せで未練がましい夢。もうひとつは、雨雫が死んだあの日の、狂おしく身を裂くようなリフレイン。  昨夜の夢は、悪い方の夢だった。  雨弓は、最愛の人を自らの武傘で殺めた。仕方がなかった。殺さなければ、自分が殺されていた。いや、仕方ないなどということはない。もっと自分に力があれば、あるいは殺さずに済んだかもしれない。力が足りなかったのならば、自分が殺されれば良かっただけかもしれない。  雨雫は運命に呪われていた。可憐なその身の裡に、邪悪な双子の兄が取り憑いていた。邪悪な兄に、名はない。そいつは、雨雫の左肩に宿った人面疽だった。  雨雫の精神が弱った時、邪悪な兄が彼女の肉体を乗っ取り悪行を働く。あの日、奴は、雨竜院家の門下生である女性を陵辱目的で襲い、殺した。  殺人犯を追った雨弓は、邪悪な兄が操る雨雫と戦い、そして、殺害したのだ。兄に支配された雨雫の肉体は男性化し、雨弓を上回る膂力を発揮していた。  もう何百回も夢の中で繰り返した通りに、雨雫の左肩に憑いた悪魔を抉り殺した。雨雫の心臓もろともに。そして、死にゆく雨雫を抱き締め、口付けをした。体温が失われてゆく雨雫の体を、降りしきる雨の中で、抱き締め続けた。  これから雨竜院雨弓が戦う聖槍院九鈴は、雨雫の親友だった女性だ。雨弓と雨雫の仲を取り持ってくれた恩人でもある。だが、そんなことは今は関係ない。  九鈴の修めた武術「トング道」と魔人能力「タフグリップ」が、雨弓の胸を踊らせている。彼女とならば、「あの映画」やふざけたアナウンス改変のような不純物の混じらない、本当の戦いが楽しめるはずだ。  苦い夢を頭の中から押しやり、雨弓はこれから繰り広げられるであろう死闘に思いを馳せた。戦うこと。強くなること。雨弓にとって、それは神聖なことだった。――雨雫を救えなかった弱い自分を、消し去ろうとしているのかもしれない。 †††††  世界は改変されて平和になった。しかし、すべての不幸が消えてなくなったわけではないのだ。例えばこのビル。日本で最も高いビル、高さ400mの「あしやドミチル」もその一例だ。あまりに高すぎる維持費による経営破綻劇の裏側で多くの者が首を吊り、いずれこのビルも解体される予定となっている。  試合会場である廃ビルのふもとに、雨弓と九鈴が並んで立ち説明を受けている。簡素な野外ステージが設営され、大勢の魔人格闘ファンが、試合開始を待ちわびている。 「試合エリアは解体予定の廃ビル敷地内。電気は一応流れていますが、いつ止まるかわからないのでエレベーター等の使用には御注意ください」  大会本編で司会を務めた佐倉光素が、この試合では審判も兼ねている。あくまでも番外編なので、大規模なマネーは動いていないのだ。ただし、天狂院癒死が医療スタッフとして控えているため、大抵の死に方なら復活できるはずである。存分に殺し合える舞台――それは、雨弓にとっても九鈴にとっても望ましいことだった。 「念のため。空中に居る場合はビルから50m離れるとアウトです。ビルはいくら壊してもOKなので、お二人とも魔人能力の限りを尽くして、全力で死闘を繰り広げてください!」  光素の語調は「魔人能力の限り」の箇所で特に強くなった。光素を突き動かす原動力は善意ではなく好奇心である。魔人能力を観察するためならば、人心を弄ぶ外道なマッチングも辞さない。例えば雨竜院雨雫の――いや、それは別人の所業であったか。 「皆様おまたせしました。それでは試合開始です!」  光素は手に持った鉄板を、退場宣告するサッカー審判のように掲げた。すると、雨弓と九鈴の姿が消え失せる。光素の瞬間移動能力により、廃ビル内に転送されたのだ。なお、光素が瞬間移動能力を使う際に鉄板を掲げる必要は特にない。たぶん、審判っぽいアクションをしたかっただけなのだろうと思われる。 †††††  雨弓が転送された87階はホテルの客室フロアの廊下だった。そもそも、商業フロアは30階までなので、ランダム転送では客室フロアに出る可能性が最も高い。  手近な部屋の扉を開けて中に入ると、雨弓はまずバスルームの水道を確認した。蛇口を捻る。勢い良く水が流れ出し、シンクに積もった埃を洗い流した。  雨弓の幻覚能力「睫毛の虹」を使用するのに必要な空気中の水分は、これで確保できた。どれほどの給水能力が残されているかは不明だが、少なくとも背負ってきたポリタンクよりは多いだろう。  雨弓は窓辺に近付き、山手に広がる瀟洒な住宅街を見下ろして目を細める。こうやって高い所から眺めれば、街の裏側で繰り広げられる犯罪行為は影も見えず、平和そのものの光景だ。 「さて、愛しの姫君をどこでお待ちしたらロマンチックな雰囲気になるかねぇ」  そう言って雨弓はニヤリと笑った。言葉とは裏腹に、勇者を待ち構える魔王のような、凶悪な笑みだった。九鈴との命を懸けた戦いが、心底楽しみだった。雨弓は心の昂ぶりを抑えきれず、武傘を乱暴に振り下ろす。ダブルサイズのベッドが、一撃で真っ二つにへし折れた。 †††††  九鈴は、地下二階の駐車スペースに転送された。何も見えない暗闇の中、トングで床を叩き、ソナーのように周囲の状況を把握する。  集中力が高まり、感覚が鋭敏になっている。予期せぬ闖入者を見て慌てて逃げ出す小さなダンゴムシたちの可愛らしい様子まで、はっきりと判る。大丈夫だ。これなら存分に殺し合える。  周囲の構造から、自分は地下にいると九鈴は判断した。ならば上に登ってゆくだけだ。シンプルで良かった。  おそらく、雨弓は高層階で待っているだろうと九鈴は予想している。天を奉ずる雨使いの性だろうか、あるいは単に馬鹿だからか、雨弓は高い所が好きだった。授業をサボった雨弓を探して、校舎の屋上へと雨雫が向かう姿を何度みただろうか。  エレベーターの使用は危険と判断し、九鈴は非常用階段を登っていった。多数のトングが詰まったキャリーバックを手に、百階近いビルを階段で登るのは魔人の体力でも大変なことだ。だが、九鈴は楽しくて仕方がなかった。もうすぐ雨弓と殺し合えることを思えば、階段など苦にもならなかった。 †††††  地上94階、展望レストラン跡。九鈴が到着した時には、既にフロア全体が湿気に包まれていた。散水によって雨弓が能力を発動するための条件が満たされているのだ。頬に当たるひんやりとした空気に、雨弓の本気を感じて九鈴は嬉しかった。 「待ってたぜ。疲れてるなら少し休憩してもいいぞ」  雨弓は逸る気持ちを抑えて言った。策の限りを尽くして殺し合うのが望みだが、それには九鈴の状態がベストでなければ意味がない。 「ごしんぱいなく。――おしてまいります。雨弓先輩……!」  九鈴は二本のトングを両手に構え、トングの先でガリガリ床を掻きながら雨弓との距離を縮めてゆく。九鈴は笑っていた。焦点の定まらない虚ろな瞳。既に戦いの狂気にその身を浸していた。  雨弓は視界を赤外線視に切り替えて九鈴の体表温をスキャンした。光の屈折を操作する「睫毛の虹」の応用技術だ。エロ目的でも使えるため誰にも教えてない秘密の技である。九鈴の足にかなり疲労が蓄積されているのが見て取れたが、戦闘に大きな支障はなさそうだ。 「いくぜェ、九鈴! 悪いが、手加減なしだ!」  臨戦態勢に入った雨弓は、独特の歩法「蛟」によって音もなく滑るように間合いを詰め、長さ2mの番傘、武傘「九頭竜」による突きを放つ。雨竜一傘流の基本技「雨月」。雨弓の巨躯と巨大武傘による長大な間合いが、九鈴の遥か遠くから襲いかかる。  しかし、九鈴は無反応だった。その目はあらぬ方向を向き、歩調に変化はなく、ガリガリとトングを鳴らしながら歩き続けていた。武傘が九鈴の身体を突き抜ける。――血は流れない。「睫毛の虹」による幻影の攻撃だからだ。  次の瞬間、九鈴は左に身をかわし、虚空に向けてトングを伸ばす。ガチン。何もない空間で金属音が鳴り、トングが弾かれる。幻術が解かれ、見えない「雨月」を放った雨弓の姿が現れた。姿を消して時間差攻撃を仕掛けていたのだ。九鈴は幻影に惑わされぬ完璧な対応で、武傘をトングで挟み取ろうとしたが、雨弓は傘を捻って弾き、掴ませなかった。 「シィイイヤアアアァッ!」  叫び声と共に武傘による連続突きを放つ雨弓。雨竜院一傘流の「篠突く雨」に幻術によるフェイントを交えた猛攻。九鈴は冷静に二本のトングで巧みに捌く。しかし、タフグリップ把持には至らない。トングに挟まれる寸前で武傘は素早く逃げてゆく。 「たあっ!」  連撃が僅かに緩んだ隙に、地を這うようなトングが雨弓の左脚を鋭く狙う。体重移動のタイミングを完全に捉えられ、脚を引いて逃げることは不可能であることを悟った雨弓は右下段蹴りでトングを逸らし、そのまま踏み込んで九頭竜を振り下ろす。九鈴は舞うようなステップで打撃を回避する。  お互いに技を知り尽くした仲のせめぎ合い。傍目には達人同士の血も凍るような技の応酬だが、雨弓も九鈴もこの程度の戦いでは満足できない。こんなのは道場稽古の延長線上に過ぎないのだ。二人が望むのは――命を賭した殺し合い。  武傘とトングが激しく交錯する中、雨弓は違和感を感じていた。幻術への九鈴の対応が完璧すぎる。完全に見切られているどころではなかった。幻術を使っていることに、気付いてすらいないような動きだった。雨弓は一旦距離を取り、疑問を口にする。 「九鈴……お前の目、どうなってるんだ?」 「めはやきました。雨竜院の雨は、もはや私には届きません――私の瞳には、太陽が宿っているのです」  双眼鏡で太陽を直視することで、九鈴はあらかじめ視覚を捨てていた。絶対に真似してはいけない完全な幻術対策である。  懐から投擲トングを取り出し、三本連続で投げつける。飛来するトングの先に挟まれた粘土のような物質を見て雨弓は戦慄した。C-4プラスチック爆弾。信管を挟み込んで固定した「タフグリップ」を遠隔解除することによって、任意タイミングで起爆することが可能である。  雨弓は九頭竜を開いて防御する。ガウン。ガウン。二発立て続けに傘面で爆発が起こり、特殊合金製の骨組みが軋む。傘を回転させる防御技「雨流」によって衝撃を受け流さなければ、ダイヤモンド粒子で強化した特殊繊維の布ですら無傷では済まなかったろう。  傘を閉じると、雨弓に背を向けて走る九鈴の姿があった。キャリーバックを手に持ち、階段室へと向かっている。なぜ逃げるのか。足元に転がるもう一本のトングを赤外線視した雨弓は危機を察知する。トングの先端温度が異常に低下していた。急激な気体の膨張による温度低下だ。タフグリップ捕集された何らかの気体が放出されているのだ。  雨弓は全力で跳んだ。武傘の一突きにより、天井を突き破ってビル屋上に退避する。雨弓を追撃するように、穴から酸っぱいアーモンド臭が立ち昇ってきた。この匂いは――青酸ガスだ。 「よいはんだんね。うれしいわ。簡単に死なれちゃ困るもの」  心底うれしそうに、軽い足取りで九鈴も屋上にやってきた。雨弓も、本気すぎる程に本気な九鈴の殺意をうれしく思った。 「ハハハハハハ! そうだ! この感じだ! 戦、俺にはそれが必要だ! ……ったく、真剣勝負ってのは良いモノだぜ、ファントムやポータル・ジツの邪魔が入らなきゃ、尚更だ……!」  再び激しく武傘とトングがぶつかり合う。幻術が意味を為さない今、完全に武芸の技を競う勝負である。いや、「タフグリップ」がある分、九鈴に利があるだろうか。一度でもトングが相手を捉えれば、死ぬまで離さず喰らい付くのだから。左右二本の死の咢が、雨弓を喰らわんと踊っている。 「せいやあっ!」  床面に突き立てたトングを軸にした、九鈴の高々度右上段回し蹴りが放たれる。頭部を狙った蹴りを、雨弓は左手でブロックする。その瞬間。九鈴は脛に仕込んでいたトング爆弾を起動した。ガウン。爆音が響き、九鈴の右脚と雨弓の左腕に大きな損傷。だが、そのダメージは重要ではない。重要なのは、爆発によって生じた隙に、九鈴のトングが武傘を捕獲していたことだ。 「しんでください!」  トング道の合気によって雨弓の巨体が宙を舞い、脳天から逆落としでコンクリート床面に叩きつけられる。床面に丸く血の跡が描かれる。激突の衝撃をトングの合気で投げ技のエネルギーに変換。床面でスーパーボールの如く跳ね返った雨弓の巨体が再び宙を舞う。だが、雨弓は冷静にタイミングを見計らっていた。トングに捉えられた武傘を手離し、背後に素早く回り込んで丸太のような腕で九鈴の気道を締め上げる。 「もらったぜェ九鈴。これで終りかなァ……!!」 「うっ、うぐううっ!」  苦しげに呻きながら、九鈴は逆手に持ったトングで雨弓の脇腹を何度も突き刺し抵抗する。脇腹から血が滲むが、分厚い筋肉に阻まれてトングは貫通しない。九鈴の喉を締め付ける腕の力が増してゆく。ガウン。九鈴の左肩に仕込まれたトング爆弾が炸裂した。九鈴の肩が抉れる。間近で起きた爆発に顔面を激しく焼かれ、雨弓の腕の力が緩んだ。腕の隙間にトングを滑り込ませて梃子の原理を利用して引き剥がし、九鈴は絞め技から脱出した。  5mの距離を置き、対峙する二人。左手をだらりと垂らし、右腕一本でトングを構える九鈴。焼けただれた顔面に凶悪な笑みを浮かべ、素早く回収した武傘を構える雨弓。両者とも重傷を負っているが、その全身に殺意が漲っている。しかし、雨弓の心には隙が生じていた。左肩に大きな傷を負った九鈴の姿に、自ら殺めた恋人・雨雫の最後の姿がだぶって見えたからだ。九鈴の痛々しい姿に目を奪われていた雨弓は、自分の背後に九鈴のキャリーバックがあることに気付くのが遅れた。  ガガガガガガガガウゥゥーーーーン!  爆音が鳴り響いた。空気の振動は地上の特設ステージにまで伝わり、上空を一斉に見上げた魔人格闘ファンたちの歓声が上がった。キャリーバック内に満載されたトング爆弾が一斉に起動され、雨弓の至近距離で爆発したのだ。 †††††  九鈴の身体が、宙を舞っていた。九鈴の腹部に突き刺さる、武傘「九頭竜」先端の突剣によって吹き飛ばされたのだ。鳴り響く爆発音によってトング・エコロケーションが機能しなくなった瞬間に合わせ、雨弓は九頭竜の突剣射出機構を作動し九鈴を狙撃した。視覚を失っている九鈴に、避けるすべはなかった。  ビル屋上の転落防止柵を飛び越え、九鈴は落ちてゆく。(わたしのまけだ……)九鈴は満足していた。雨弓の耐久力ならば、あの爆発でも生き延びられるだろう。九鈴が地上に叩きつけられて死に、それで決着だ。理想的ではないにせよ、九鈴にとっては悪くない結末だった。  ――逞しい左手が、九鈴の足を掴んだ。落下速度が弱まる。至近距離の大爆発で瀕死の重傷を負いながらも、雨弓は九鈴を追って飛び降り、捕まえたのだ。右手には開かれた大きな傘。巨大な傘によって落下速度が削がれ、ゆっくりと二人は落ちてゆく。雨竜一傘流「落下傘」である。雨弓は爽やかな笑顔で言った。 「俺の勝ちだな。楽しかったぜ」  九鈴の顔から血の気が引いた。 「それじゃダメなの!」  トングが鋭く動き、雨弓の右手を捉えて指をへし折った。不可解な九鈴の行動に雨弓は対応できず、その手から傘が離れる。再び自由落下が始まった。 「バカ九鈴!! 何かんがえてやがる!!」  雨弓が叫んだ。九鈴の行動の意味がまったく解らない。  地上まであと8秒。 「うらやましいの! 雨雫のことが!」  地上まであと6秒。 「ころしあいたい! 最後まで! 私も雨弓さんの永遠になりたいの!」  雨弓と九鈴は、お互いに殺し合いを望んでいた。だが、殺し合いに求めるものはまったく違っていた。雨弓は単に、殺し合いの過程を楽しみたかった。九鈴は、殺し合いの結果が欲しかった。殺し合いの結果が、雨弓の心に永遠に刻まれることを望んだ。それだけが、死によって雨弓の中で永遠の存在となった雨雫に追いつける唯一の方法だと信じていた。だから、戦いの結末はいずれかの死である必要があった。  地上まであと3秒。 「すまなかった……」  九鈴が何を考えているのか、雨弓には理解しきれなかった。だが、自分が九鈴を苦しめていたことだけは解った。雨弓は九鈴の体を引き寄せ、護るように強く抱き締めた。この落下速度ではいずれにせよ二人とも死ぬだろう。それでも、落ちる体勢は大事だと考えた。  地上まであと1秒。  ……。  地面に激突する寸前。地上30cm。不意に落下速度がゼロになった。一瞬の停止の後、ごく短距離の落下が再開し、二人はほとんどダメージなくどさりと地に落ちた。  何が起きたのか。ざわつく観客たち。やがて、観客たちの視線は一人の少年に集中していった。  少年は最初、なぜ自分が注目を集めているのか判らなかったが、すぐに状況判断して能力を使い、特殊銃を生成した。能力名「ガンフォール・ガンライズ」。物体の鉛直移動を自在に操るスタームルガーmk2を手に、少年は華麗なガンスピンを披露する。隣席の可憐な少女の視線を意識しながら、少年は言った。 「さあ、光素さん。決着はついたぜ。試合終了の判定を頼むよ」  促されて光素は(何か変だな)と思いつつも鉄板を高く掲げた。 「試合終了です! 二人ほぼ同時に落下しましたので、雨竜院選手と聖槍院選手によるエクストラマッチは引き分けとします!」  死闘を称え、湧き上がる歓声と拍手の中、死を覚悟していた二人はしばらく呆然と抱き合っていたが、やがて我に返ってどちらともなく飛び離れた。蓄積されたダメージは大きく、少し離れるとまた二人とも地面に倒れて横たわる。 「なあ、九鈴」  雨弓が優しい声で話しかけた。 「いきなり永遠を誓うってのは、やっぱり無理な話だと思うんだ。――まずは恋人から、順序よくいかないか?」  そう言って、九鈴に向けて手を差し出した。  九鈴はしばらく逡巡してから、無言でおずおずと手を伸ばす。そして九鈴の手は、雨弓の大きく、荒々しく、暖かい手を強く握り締めた。 ††††† 秋は一夜にやってくる。 二百十日に風が吹き、 二百二十日に雨が降り、 あけの夜あけにあがったら、 その夜にこっそりやって来る。 舟で港へあがるのか、 翅でお空を翔けるのか、 地からむくむく湧き出すか、 それは誰にもわからない、 けれども今朝はもう来てる。 どこにいるのか、わからない、 けれど、どこかに、もう来てる。   ――金子みすゞ『秋は一夜に』 (野試合「雨竜院雨弓 vs 聖槍院九鈴」おわり。「落下停止」につづく) } &font(17px){[[このページのトップに戻る>#atwiki-jp-bg2]]|&spanclass(backlink){[[トップページに戻る>http://www49.atwiki.jp/dangerousss3/]]}} ---- #javascript(){{ <!-- $(document).ready(function(){ $("#main").css("width","740px"); $("#menu").css("display","none"); $("#ss_area h2").css("margin-bottom","20px").css("background","none").css("border","none").css("box-shadow","none"); $(".backlink a").text("前のページに戻る"); $(".backlink").click(function(e){ e.preventDefault(); history.back(); }); }); // --> }}
#divid(ss_area){ *野試合SSその2  聖槍院九鈴は、朝から海老カツだった。  普段は質素な聖槍院家の朝食だが、九鈴の試合がある日は彼女の好物である海老のカツが食卓に上るのが恒例となっていた。先日まで開催されていた「ザ・キングオブトワイライト」という魔人同士の比較的平和な格闘大会に九鈴は参加し、一回戦で敢えなく敗退はしたものの、敗者による裏トーナメントに於いて見事優勝を収めたのだった。  大会は興行的にかなりの成功であったようで、閉会後の特別企画として大会参加者である九鈴と雨竜院雨弓によるエクストラマッチが行われることになった。ゆえに、今朝は海老カツなのである。  九鈴はしゅわしゅわと音を立てる海老カツをトングで挟んで油の中から取り出し、少しのあいだ金網の上に置いて油を切ってから、さくりと包丁で半分に切り断面を見て火の通り具合を確認する。加熱によってタンパク質から遊離した、アスタキサンチンの赤が美しい。そして九鈴は、家族それぞれの皿に海老カツを並べていった。  ただし、実のところ彼女が行っているのは配膳だけであり、調理のほとんどは母親によるものである。もちろん九鈴もそれなりに料理ができないわけではないが、うっかりすると母親に任せっきりになりがちなのは反省すべき点だと思っている。まあ、今日は試合の日なのでこれで良いのだ。 「もぐもぐ。ロブスター=サンはおいしいなぁ」  いつの間にか「いただきます」も言わずに、弟の九郎が海老カツを盗み食いして平らげていた。九郎は10歳。育ち盛りの食べ盛りではあるが、これは少々行儀が悪い。 「ちょっとダメでしょ。いつも言ってるよね? 小型の海老は『シュリンプ』だって」  九鈴は少し厳しい口調で弟をたしなめた。彼女には風変りなところがあり、海老とか蟹については何故かちょっとうるさいのだった。なんでだろうね。 「お、海老カツかー。今日は雨弓君と試合する日だったなー」  朝寝坊な九鈴の父親が、のっそりと現れた。大柄で、武骨で、人類を大雑把に分類するならば雨竜院雨弓と同じジャンルに属する人間である。 「九鈴。試合もいいが、雨弓君とお付き合いする気はないのか?」 「お父さん、ソレはやめなさい。九鈴も困ってるでしょ」  同類だからだろうか、九鈴の父は雨弓のことをやけに気に入っている。そして、いつもの無遠慮な提案をして、母にぴしゃりとたしなめられた。何度も繰り返されてきたおなじみのやり取りだ。九鈴は本当に困った表情で、口の中の海老カツを咀嚼して、飲み込む。母さんの海老カツはとてもおいしい。そして、九鈴はいつもと同じくこう答えるのだ。 「それはムリなの。だって雨弓さんは雨雫のものだから……」 †††††  また、雨雫の夢をみた。雨弓の従妹。この世を去った恋人。雨竜院雨雫の夢をみた。あの日から8年の時が経ったというのに、あの時の記憶は未だ色褪せず生々しい。  雨弓がみる雨雫の夢は、大きくわけて二種類。ひとつは雨雫があの世から帰ってきて結ばれる、幸せで未練がましい夢。もうひとつは、雨雫が死んだあの日の、狂おしく身を裂くようなリフレイン。  昨夜の夢は、悪い方の夢だった。  雨弓は、最愛の人を自らの武傘で殺めた。仕方がなかった。殺さなければ、自分が殺されていた。いや、仕方ないなどということはない。もっと自分に力があれば、あるいは殺さずに済んだかもしれない。力が足りなかったのならば、自分が殺されれば良かっただけかもしれない。  雨雫は運命に呪われていた。可憐なその身の裡に、邪悪な双子の兄が取り憑いていた。邪悪な兄に、名はない。そいつは、雨雫の左肩に宿った人面疽だった。  雨雫の精神が弱った時、邪悪な兄が彼女の肉体を乗っ取り悪行を働く。あの日、奴は、雨竜院家の門下生である女性を陵辱目的で襲い、殺した。  殺人犯を追った雨弓は、邪悪な兄が操る雨雫と戦い、そして、殺害したのだ。兄に支配された雨雫の肉体は男性化し、雨弓を上回る膂力を発揮していた。  もう何百回も夢の中で繰り返した通りに、雨雫の左肩に憑いた悪魔を抉り殺した。雨雫の心臓もろともに。そして、死にゆく雨雫を抱き締め、口付けをした。体温が失われてゆく雨雫の体を、降りしきる雨の中で、抱き締め続けた。  これから雨竜院雨弓が戦う聖槍院九鈴は、雨雫の親友だった女性だ。雨弓と雨雫の仲を取り持ってくれた恩人でもある。だが、そんなことは今は関係ない。  九鈴の修めた武術「トング道」と魔人能力「タフグリップ」が、雨弓の胸を踊らせている。彼女とならば、「あの映画」やふざけたアナウンス改変のような不純物の混じらない、本当の戦いが楽しめるはずだ。  苦い夢を頭の中から押しやり、雨弓はこれから繰り広げられるであろう死闘に思いを馳せた。戦うこと。強くなること。雨弓にとって、それは神聖なことだった。――雨雫を救えなかった弱い自分を、消し去ろうとしているのかもしれない。 †††††  世界は改変されて平和になった。しかし、すべての不幸が消えてなくなったわけではないのだ。例えばこのビル。日本で最も高いビル、高さ400mの「あしやドミチル」もその一例だ。あまりに高すぎる維持費による経営破綻劇の裏側で多くの者が首を吊り、いずれこのビルも解体される予定となっている。  試合会場である廃ビルのふもとに、雨弓と九鈴が並んで立ち説明を受けている。簡素な野外ステージが設営され、大勢の魔人格闘ファンが、試合開始を待ちわびている。 「試合エリアは解体予定の廃ビル敷地内。電気は一応流れていますが、いつ止まるかわからないのでエレベーター等の使用には御注意ください」  大会本編で司会を務めた佐倉光素が、この試合では審判も兼ねている。あくまでも番外編なので、大規模なマネーは動いていないのだ。ただし、天狂院癒死が医療スタッフとして控えているため、大抵の死に方なら復活できるはずである。存分に殺し合える舞台――それは、雨弓にとっても九鈴にとっても望ましいことだった。 「念のため。空中に居る場合はビルから50m離れるとアウトです。ビルはいくら壊してもOKなので、お二人とも魔人能力の限りを尽くして、全力で死闘を繰り広げてください!」  光素の語調は「魔人能力の限り」の箇所で特に強くなった。光素を突き動かす原動力は善意ではなく好奇心である。魔人能力を観察するためならば、人心を弄ぶ外道なマッチングも辞さない。例えば雨竜院雨雫の――いや、それは別人の所業であったか。 「皆様おまたせしました。それでは試合開始です!」  光素は手に持った鉄板を、退場宣告するサッカー審判のように掲げた。すると、雨弓と九鈴の姿が消え失せる。光素の瞬間移動能力により、廃ビル内に転送されたのだ。なお、光素が瞬間移動能力を使う際に鉄板を掲げる必要は特にない。たぶん、審判っぽいアクションをしたかっただけなのだろうと思われる。 †††††  雨弓が転送された87階はホテルの客室フロアの廊下だった。そもそも、商業フロアは30階までなので、ランダム転送では客室フロアに出る可能性が最も高い。  手近な部屋の扉を開けて中に入ると、雨弓はまずバスルームの水道を確認した。蛇口を捻る。勢い良く水が流れ出し、シンクに積もった埃を洗い流した。  雨弓の幻覚能力「睫毛の虹」を使用するのに必要な空気中の水分は、これで確保できた。どれほどの給水能力が残されているかは不明だが、少なくとも背負ってきたポリタンクよりは多いだろう。  雨弓は窓辺に近付き、山手に広がる瀟洒な住宅街を見下ろして目を細める。こうやって高い所から眺めれば、街の裏側で繰り広げられる犯罪行為は影も見えず、平和そのものの光景だ。 「さて、愛しの姫君をどこでお待ちしたらロマンチックな雰囲気になるかねぇ」  そう言って雨弓はニヤリと笑った。言葉とは裏腹に、勇者を待ち構える魔王のような、凶悪な笑みだった。九鈴との命を懸けた戦いが、心底楽しみだった。雨弓は心の昂ぶりを抑えきれず、武傘を乱暴に振り下ろす。ダブルサイズのベッドが、一撃で真っ二つにへし折れた。 †††††  九鈴は、地下二階の駐車スペースに転送された。何も見えない暗闇の中、トングで床を叩き、ソナーのように周囲の状況を把握する。  集中力が高まり、感覚が鋭敏になっている。予期せぬ闖入者を見て慌てて逃げ出す小さなダンゴムシたちの可愛らしい様子まで、はっきりと判る。大丈夫だ。これなら存分に殺し合える。  周囲の構造から、自分は地下にいると九鈴は判断した。ならば上に登ってゆくだけだ。シンプルで良かった。  おそらく、雨弓は高層階で待っているだろうと九鈴は予想している。天を奉ずる雨使いの性だろうか、あるいは単に馬鹿だからか、雨弓は高い所が好きだった。授業をサボった雨弓を探して、校舎の屋上へと雨雫が向かう姿を何度みただろうか。  エレベーターの使用は危険と判断し、九鈴は非常用階段を登っていった。多数のトングが詰まったキャリーバックを手に、百階近いビルを階段で登るのは魔人の体力でも大変なことだ。だが、九鈴は楽しくて仕方がなかった。もうすぐ雨弓と殺し合えることを思えば、階段など苦にもならなかった。 †††††  地上94階、展望レストラン跡。九鈴が到着した時には、既にフロア全体が湿気に包まれていた。散水によって雨弓が能力を発動するための条件が満たされているのだ。頬に当たるひんやりとした空気に、雨弓の本気を感じて九鈴は嬉しかった。 「待ってたぜ。疲れてるなら少し休憩してもいいぞ」  雨弓は逸る気持ちを抑えて言った。策の限りを尽くして殺し合うのが望みだが、それには九鈴の状態がベストでなければ意味がない。 「ごしんぱいなく。――おしてまいります。雨弓先輩……!」  九鈴は二本のトングを両手に構え、トングの先でガリガリ床を掻きながら雨弓との距離を縮めてゆく。九鈴は笑っていた。焦点の定まらない虚ろな瞳。既に戦いの狂気にその身を浸していた。  雨弓は視界を赤外線視に切り替えて九鈴の体表温をスキャンした。光の屈折を操作する「睫毛の虹」の応用技術だ。エロ目的でも使えるため誰にも教えてない秘密の技である。九鈴の足にかなり疲労が蓄積されているのが見て取れたが、戦闘に大きな支障はなさそうだ。 「いくぜェ、九鈴! 悪いが、手加減なしだ!」  臨戦態勢に入った雨弓は、独特の歩法「蛟」によって音もなく滑るように間合いを詰め、長さ2mの番傘、武傘「九頭竜」による突きを放つ。雨竜一傘流の基本技「雨月」。雨弓の巨躯と巨大武傘による長大な間合いが、九鈴の遥か遠くから襲いかかる。  しかし、九鈴は無反応だった。その目はあらぬ方向を向き、歩調に変化はなく、ガリガリとトングを鳴らしながら歩き続けていた。武傘が九鈴の身体を突き抜ける。――血は流れない。「睫毛の虹」による幻影の攻撃だからだ。  次の瞬間、九鈴は左に身をかわし、虚空に向けてトングを伸ばす。ガチン。何もない空間で金属音が鳴り、トングが弾かれる。幻術が解かれ、見えない「雨月」を放った雨弓の姿が現れた。姿を消して時間差攻撃を仕掛けていたのだ。九鈴は幻影に惑わされぬ完璧な対応で、武傘をトングで挟み取ろうとしたが、雨弓は傘を捻って弾き、掴ませなかった。 「シィイイヤアアアァッ!」  叫び声と共に武傘による連続突きを放つ雨弓。雨竜院一傘流の「篠突く雨」に幻術によるフェイントを交えた猛攻。九鈴は冷静に二本のトングで巧みに捌く。しかし、タフグリップ把持には至らない。トングに挟まれる寸前で武傘は素早く逃げてゆく。 「たあっ!」  連撃が僅かに緩んだ隙に、地を這うようなトングが雨弓の左脚を鋭く狙う。体重移動のタイミングを完全に捉えられ、脚を引いて逃げることは不可能であることを悟った雨弓は右下段蹴りでトングを逸らし、そのまま踏み込んで九頭竜を振り下ろす。九鈴は舞うようなステップで打撃を回避する。  お互いに技を知り尽くした仲のせめぎ合い。傍目には達人同士の血も凍るような技の応酬だが、雨弓も九鈴もこの程度の戦いでは満足できない。こんなのは道場稽古の延長線上に過ぎないのだ。二人が望むのは――命を賭した殺し合い。  武傘とトングが激しく交錯する中、雨弓は違和感を感じていた。幻術への九鈴の対応が完璧すぎる。完全に見切られているどころではなかった。幻術を使っていることに、気付いてすらいないような動きだった。雨弓は一旦距離を取り、疑問を口にする。 「九鈴……お前の目、どうなってるんだ?」 「めはやきました。雨竜院の雨は、もはや私には届きません――私の瞳には、太陽が宿っているのです」  双眼鏡で太陽を直視することで、九鈴はあらかじめ視覚を捨てていた。絶対に真似してはいけない完全な幻術対策である。  懐から投擲トングを取り出し、三本連続で投げつける。飛来するトングの先に挟まれた粘土のような物質を見て雨弓は戦慄した。C-4プラスチック爆弾。信管を挟み込んで固定した「タフグリップ」を遠隔解除することによって、任意タイミングで起爆することが可能である。  雨弓は九頭竜を開いて防御する。ガウン。ガウン。二発立て続けに傘面で爆発が起こり、特殊合金製の骨組みが軋む。傘を回転させる防御技「雨流」によって衝撃を受け流さなければ、ダイヤモンド粒子で強化した特殊繊維の布ですら無傷では済まなかったろう。  傘を閉じると、雨弓に背を向けて走る九鈴の姿があった。キャリーバックを手に持ち、階段室へと向かっている。なぜ逃げるのか。足元に転がるもう一本のトングを赤外線視した雨弓は危機を察知する。トングの先端温度が異常に低下していた。急激な気体の膨張による温度低下だ。タフグリップ捕集された何らかの気体が放出されているのだ。  雨弓は全力で跳んだ。武傘の一突きにより、天井を突き破ってビル屋上に退避する。雨弓を追撃するように、穴から酸っぱいアーモンド臭が立ち昇ってきた。この匂いは――青酸ガスだ。 「よいはんだんね。うれしいわ。簡単に死なれちゃ困るもの」  心底うれしそうに、軽い足取りで九鈴も屋上にやってきた。雨弓も、本気すぎる程に本気な九鈴の殺意をうれしく思った。 「ハハハハハハ! そうだ! この感じだ! 戦、俺にはそれが必要だ! ……ったく、真剣勝負ってのは良いモノだぜ、ファントムやポータル・ジツの邪魔が入らなきゃ、尚更だ……!」  再び激しく武傘とトングがぶつかり合う。幻術が意味を為さない今、完全に武芸の技を競う勝負である。いや、「タフグリップ」がある分、九鈴に利があるだろうか。一度でもトングが相手を捉えれば、死ぬまで離さず喰らい付くのだから。左右二本の死の咢が、雨弓を喰らわんと踊っている。 「せいやあっ!」  床面に突き立てたトングを軸にした、九鈴の高々度右上段回し蹴りが放たれる。頭部を狙った蹴りを、雨弓は左手でブロックする。その瞬間。九鈴は脛に仕込んでいたトング爆弾を起動した。ガウン。爆音が響き、九鈴の右脚と雨弓の左腕に大きな損傷。だが、そのダメージは重要ではない。重要なのは、爆発によって生じた隙に、九鈴のトングが武傘を捕獲していたことだ。 「しんでください!」  トング道の合気によって雨弓の巨体が宙を舞い、脳天から逆落としでコンクリート床面に叩きつけられる。床面に丸く血の跡が描かれる。激突の衝撃をトングの合気で投げ技のエネルギーに変換。床面でスーパーボールの如く跳ね返った雨弓の巨体が再び宙を舞う。だが、雨弓は冷静にタイミングを見計らっていた。トングに捉えられた武傘を手離し、背後に素早く回り込んで丸太のような腕で九鈴の気道を締め上げる。 「もらったぜェ九鈴。これで終りかなァ……!!」 「うっ、うぐううっ!」  苦しげに呻きながら、九鈴は逆手に持ったトングで雨弓の脇腹を何度も突き刺し抵抗する。脇腹から血が滲むが、分厚い筋肉に阻まれてトングは貫通しない。九鈴の喉を締め付ける腕の力が増してゆく。ガウン。九鈴の左肩に仕込まれたトング爆弾が炸裂した。九鈴の肩が抉れる。間近で起きた爆発に顔面を激しく焼かれ、雨弓の腕の力が緩んだ。腕の隙間にトングを滑り込ませて梃子の原理を利用して引き剥がし、九鈴は絞め技から脱出した。  5mの距離を置き、対峙する二人。左手をだらりと垂らし、右腕一本でトングを構える九鈴。焼けただれた顔面に凶悪な笑みを浮かべ、素早く回収した武傘を構える雨弓。両者とも重傷を負っているが、その全身に殺意が漲っている。しかし、雨弓の心には隙が生じていた。左肩に大きな傷を負った九鈴の姿に、自ら殺めた恋人・雨雫の最後の姿がだぶって見えたからだ。九鈴の痛々しい姿に目を奪われていた雨弓は、自分の背後に九鈴のキャリーバックがあることに気付くのが遅れた。  ガガガガガガガガウゥゥーーーーン!  爆音が鳴り響いた。空気の振動は地上の特設ステージにまで伝わり、上空を一斉に見上げた魔人格闘ファンたちの歓声が上がった。キャリーバック内に満載されたトング爆弾が一斉に起動され、雨弓の至近距離で爆発したのだ。 †††††  九鈴の身体が、宙を舞っていた。九鈴の腹部に突き刺さる、武傘「九頭竜」先端の突剣によって吹き飛ばされたのだ。鳴り響く爆発音によってトング・エコロケーションが機能しなくなった瞬間に合わせ、雨弓は九頭竜の突剣射出機構を作動し九鈴を狙撃した。視覚を失っている九鈴に、避けるすべはなかった。  ビル屋上の転落防止柵を飛び越え、九鈴は落ちてゆく。(わたしのまけだ……)九鈴は満足していた。雨弓の耐久力ならば、あの爆発でも生き延びられるだろう。九鈴が地上に叩きつけられて死に、それで決着だ。理想的ではないにせよ、九鈴にとっては悪くない結末だった。  ――逞しい左手が、九鈴の足を掴んだ。落下速度が弱まる。至近距離の大爆発で瀕死の重傷を負いながらも、雨弓は九鈴を追って飛び降り、捕まえたのだ。右手には開かれた大きな傘。巨大な傘によって落下速度が削がれ、ゆっくりと二人は落ちてゆく。雨竜一傘流「落下傘」である。雨弓は爽やかな笑顔で言った。 「俺の勝ちだな。楽しかったぜ」  九鈴の顔から血の気が引いた。 「それじゃダメなの!」  トングが鋭く動き、雨弓の右手を捉えて指をへし折った。不可解な九鈴の行動に雨弓は対応できず、その手から傘が離れる。再び自由落下が始まった。 「バカ九鈴!! 何かんがえてやがる!!」  雨弓が叫んだ。九鈴の行動の意味がまったく解らない。  地上まであと8秒。 「うらやましいの! 雨雫のことが!」  地上まであと6秒。 「ころしあいたい! 最後まで! 私も雨弓さんの永遠になりたいの!」  雨弓と九鈴は、お互いに殺し合いを望んでいた。だが、殺し合いに求めるものはまったく違っていた。雨弓は単に、殺し合いの過程を楽しみたかった。九鈴は、殺し合いの結果が欲しかった。殺し合いの結果が、雨弓の心に永遠に刻まれることを望んだ。それだけが、死によって雨弓の中で永遠の存在となった雨雫に追いつける唯一の方法だと信じていた。だから、戦いの結末はいずれかの死である必要があった。  地上まであと3秒。 「すまなかった……」  九鈴が何を考えているのか、雨弓には理解しきれなかった。だが、自分が九鈴を苦しめていたことだけは解った。雨弓は九鈴の体を引き寄せ、護るように強く抱き締めた。この落下速度ではいずれにせよ二人とも死ぬだろう。それでも、落ちる体勢は大事だと考えた。  地上まであと1秒。  ……。  地面に激突する寸前。地上30cm。不意に落下速度がゼロになった。一瞬の停止の後、ごく短距離の落下が再開し、二人はほとんどダメージなくどさりと地に落ちた。  何が起きたのか。ざわつく観客たち。やがて、観客たちの視線は一人の少年に集中していった。  少年は最初、なぜ自分が注目を集めているのか判らなかったが、すぐに状況判断して能力を使い、特殊銃を生成した。能力名「ガンフォール・ガンライズ」。物体の鉛直移動を自在に操るスタームルガーmk2を手に、少年は華麗なガンスピンを披露する。隣席の可憐な少女の視線を意識しながら、少年は言った。 「さあ、光素さん。決着はついたぜ。試合終了の判定を頼むよ」  促されて光素は(何か変だな)と思いつつも鉄板を高く掲げた。 「試合終了です! 二人ほぼ同時に落下しましたので、雨竜院選手と聖槍院選手によるエクストラマッチは引き分けとします!」  死闘を称え、湧き上がる歓声と拍手の中、死を覚悟していた二人はしばらく呆然と抱き合っていたが、やがて我に返ってどちらともなく飛び離れた。蓄積されたダメージは大きく、少し離れるとまた二人とも地面に倒れて横たわる。 「なあ、九鈴」  雨弓が優しい声で話しかけた。 「いきなり永遠を誓うってのは、やっぱり無理な話だと思うんだ。――まずは恋人から、順序よくいかないか?」  そう言って、九鈴に向けて手を差し出した。  九鈴はしばらく逡巡してから、無言でおずおずと手を伸ばす。そして九鈴の手は、雨弓の大きく、荒々しく、暖かい手を強く握り締めた。 ††††† 秋は一夜にやってくる。 二百十日に風が吹き、 二百二十日に雨が降り、 あけの夜あけにあがったら、 その夜にこっそりやって来る。 舟で港へあがるのか、 翅でお空を翔けるのか、 地からむくむく湧き出すか、 それは誰にもわからない、 けれども今朝はもう来てる。 どこにいるのか、わからない、 けれど、どこかに、もう来てる。   ――金子みすゞ『秋は一夜に』 (野試合「雨竜院雨弓 vs 聖槍院九鈴」おわり。「落下停止」につづく) } &font(17px){[[このページのトップに戻る>#atwiki-jp-bg2]]|&spanclass(backlink){[[トップページに戻る>http://www49.atwiki.jp/dangerousss3/]]}} ---- #javascript(){{ <!-- $(document).ready(function(){ $("#main").css("width","740px"); $("#menu").css("display","none"); $("#ss_area h2").css("margin-bottom","20px").css("background","none").css("border","none").css("box-shadow","none"); $(".backlink a").text("前のページに戻る"); $(".backlink").click(function(e){ e.preventDefault(); history.back(); }); }); // --> }}

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