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雨竜院雨弓プロローグ - (2013/04/07 (日) 14:49:18) のソース

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*プロローグ
 都会の空に星をください。雲の隙間に星をください。
 とあるロックバンドがそう歌ったのは、もう30年以上前のことだった。今、街の上には無数の星々が輝いている。都会は星空を取り戻したのだ。灯と、活気と、安息と引き替えに――。

 そうした星空の下、とあるビルの屋上にて。
かつて灯の一つであったネオン看板に男の身体が叩きつけられ、電飾が砕け散って夜闇に煌めいた。男は頭から真下に落ちそうになるが、空中でふわりと物理法則を無視した動きで体勢が入れ替わり、足から着地――するかのような姿勢で、床から1m程の高さに留まった。

「ハッハッ……ハァ――」

男は荒く、深く息を吐く。
彼は傷ついていた。ネオン看板に叩きつけられる前から全身に多数の切り傷や刺傷を負っており、常人なら死んでいてもおかしくない。
いや、死んでいるはずだ。それらの傷から正常に出血しているならば。空中浮遊と共に今の男の異様さを構成するもう一つ。男の衣服から露出した顔や手首の傷から出血が無いのは勿論、服にも一切血は滲んでいない。死体か、或いは人形のように。

「どうしたぁ? まだ死なねえだろ? 戦えるだろ? それとも降参か?」

 屋上にあるもう一つの影――男に傷を負わせた男が、声をかけてきた。
 異様な長身で同じく異様に長い傘を持ち、ザンバラ髪を夜風になびかせるそのシルエットは紛れもなくヒト型であるのに獣めいている。

「だっれがぁ……!」

挑発を受けて、男は「ザンバラ髪」を睨む。闇夜では確認できないが、奴は嗤っているのだろう、と男は思った。猛獣のように口の端を吊り上げ、長い犬歯を剥き出しにして。

「じゃあ来なよ。降参しねえっつったんだ。どっちか死ぬまでやろうや」

 ザンバラ髪がクイクイ、と手招きする。
 激高しやすい性格の男だが、しかしそれによって頭に血が上ることは無い。多数の傷を負いながら彼が今全く流血していないのと同じ――彼の魔人能力&ruby(ファントムルージュ){紅の怪童}の恩恵だった。
 &ruby(ファントムルージュ){紅の怪童}は有り体に言えば、「自身の血液を対象とする念動力」である。その力で流血や不都合な血液の集中を防ぎ、血の流れる自分の身体そのものを宙に浮かせることもできる。

「私は、負けられぬ。理想のため、なんとしても大会で優勝を……!」

 決意を語る男に対して如何にも興味無さげに、ザンバラ髪は耳をほじくる。
 正義の為に戦うべき職業に就いていながら、彼にとって誰かの、何かのために戦うと意識することは――栄養バランスを気にしながら食事をするような、妊娠の確率を考えながら性行為をするような――戦いの純度を下げるつまらない考えだった。

 それまで一滴の血も流れ出ていなかった男の傷口から、突如大量の血が溢れ出した。それこそ死んでしまうのではという程に。そして、溢れた血は重力に逆らい、男の上半身を覆って奇妙なフォルムを形成した。鎧の形の刃とでも言うべき、子供が考えそうな攻撃的意匠だ。

「行くぞ……」

 戦闘前にあらかじめ輸血を受けているが、それでも危ない量の血が体外に出ている。常人なら到底意識は保っていられないだろう。これで仕留められなければ、男の負けだ。身を覆う刃のように、彼の意識はザンバラ髪への殺意となって研ぎ澄まされていく。

 ザンバラ髪は自分に向けられる殺意がチリチリと鋭さを増すのを感じ取り、改めて嗤う。

「殺す……!」

「ああ、殺しに来い」

 目標へと加速する男の身体、貫かんとする紅い刃。迎え撃つ紅い傘――二つの赤がぶつかり合い、闇に赤い花が咲いた。

「く……そっ!」

 男の身を包んでいた鎧は、能力の支えを失い、ただの血飛沫へと還る。
 胸を吹き飛ばされた男は薄れゆく意識の中で思い出していた。

「――になら裏切られてもいい」

 かつて家族を裏切り、堕ちていくだけに思われた自分を救ってくれたあの言葉。「裏切られてもいい」と言ってくれた友を裏切ってはならない。そう思って生きてきた。今度は裏切らずに死ねることだけが救いだった。

「私は『&ruby(ほんとう){本物の人生 }』を生きた――」

 微かな満足を胸に男は紅い海へ沈んだ。


✝✝✝✝✝

「今日から『大会』だっけ? お兄ちゃん」

「まあな。今日は抽選会だけらしいけど」

 丼程の大きさの茶碗に飯をよそいながら、雨竜院畢は兄に問う。彼女の兄・雨竜院雨弓は今日から開催される武闘大会「&ruby(ザ・キングオブトワイライト){夕闇の覇者}」の出場選手の一人だった。


「光素ちゃんに『試合は見に行くよ』って伝えてくれる? 今日はボクお仕事だけど」

「おう、応援してくれよ」

「うん! ……そういえば」

「ん?」

 改めて妹の顔を見る。10年余り変化しない幼い顔に疑問符を浮かべて、彼女もまた兄の顔を覗きこんだ。

「お兄ちゃんは、優勝したらお願いどうするの?」

✝✝✝✝✝

「――10億円のため、副賞の『願い』のため、力を試すため……各々参加動機は違うでしょうが――」

 壇上で挨拶する大会マネージャー銘刈耀の豊満な胸を見つめながら、雨弓はぼんやりと考えていた。
 予選で殺した男が言っていた「理想」……戦う目的について。
 目的のためになんとしても勝たなくては、などと思っていると戦いはつまらなくなる。そういう考えは変わらないが、しかし戦いの先、あくまで結果的にであるが得られるものが確実にあるならば、そのときのことに少しばかり期待するのも悪くはない。

 スポンサーが可能な限りの望みをひとつ叶える――荒廃した世界を元に戻すなどという大それた願いは、恐らく実現不可能であろうし自分も望みはしない。
 彼の人生で最も強く望んだことと言えば……。

「やっぱ、ねえ」

 雨弓の首から下がったロケットペンダントは、彼の太い指に弄ばれてチャリンと澄んだ音をたてた。

To be continued.
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