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第二回戦【活火山】SSその1 - (2013/05/25 (土) 23:47:09) のソース

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*第二回戦【活火山】SSその1
『甚だしい不条理である。私は勝利を収めたのだぞ』
 古本屋による暗殺の心配がない、という点では、選手控室は完璧な拠点ではあった。
 10時間単位で続く愚痴と不満の声を遮断する手立てがあれば、理想的だ。

『この私の下に、義勇兵の一人も参画せぬのか?
 ユキオ、貴様の腑抜けた戦いぶりのためではあるまいな』
「それよりも、金ですよ。話聞いてましたか?」

 従者よりも、目下の問題はそれだった。
 第一回戦の内容は、ただでさえ儚い俺の勝算を、完膚なきまでに打ち砕いたといっていい。

「従者だって、俺みたいに心の広い聖人ばかりじゃないでしょう。
 そもそも給料はどうするんです? 戦闘の準備には、それなりの対価が必要なんですよ」
『英雄の物語に従軍する名誉に、対価だと? 久々に面白い冗談を聞いたものだ、ユキオ』
 金を貰っても御免だ。

 ――結局のところ、トーナメントの構図は非常にシンプルだった。
 外の世界で有効な力は、試合場の内でも、変わらず有効に働くのだ。つまり、金だ。

 隠し銃。ショットガン。軍用アサルトライフル。仕込み傘。
 挙げ句の果てには対魔人兵器だ――冗談じゃない。

 倉敷椋鳥は拳銃を持ち込んでいた。それは奴の調達技術と社会能力の証明でもある。
 俺はといえば、そのどちらも持ち合わせていない。
 あいにく全財産は両腕の刺青に変わってしまったし、古本一冊を買うのがやっとの有様だ。

「……で、こいつはどうですか。赤羽ハル」
『きみと同じ逃亡者だな。いくら金を生もうと、所詮兵具を整えうる立場ではあるまい。
 とはいえ』
「俺が編集者じゃあ勝てないって言うんでしょう。……最悪だ」
 低学歴の俺にだって、さすがにそれくらいは分かる。
 魔人暗殺者。この世で古本屋の次にお近づきになりたくない人種だ。
 魔人の身体能力に暗殺技術が備わっている状態を、俺は想像したくもなかった。

「……まあ、わかってます。だからって逃げている場合じゃないって事も」
『然り。退路は存在しない。私が勝利するたび、大会運営本部を探る機会も増えよう。
 読者は我々の華々しい勝利をこそ望んでいる。認識せよ!』
「そうですね」

 俺はろくに準備もできないまま、戦場に放り出される事になる。
 結局、編集者の俺が多少なりとも使いこなせそうな兵器はこの殺戮文書くらいしかなく、
 それに何よりの問題として……俺には金がないのだ。

――――――――――――――――――――――――――――

 吾妻連峰・一切経山。遥か古代、福島県庁が総兵力20万もの運輸業者を押し留めた天然の要害。
 その際に流された運輸デュラハンの夥しい流血は大地に呪いとなって染みこみ、
 300年が経過した現代に至っても、この地には草木の一本すら生えることはないとされる。
 俺とノートン卿が放り込まれたのは、そういう死の世界だ。

「会えて光栄だなあ、有名人!」

 ヘラヘラと軽薄な表情を浮かべた赤羽ハルは、想像通りの殺戮機械だった。
 やつの声は20m離れたこの距離からもよく聞こえるし、武器の射程はそれ以上だ。
 俺の隠れる大岩の先端が、飛来したコインに鋭く抉られる。

「都内はあんたの写真ばっかりだよ。そのうち価値が出るんじゃないか? あんたのサイン」
「黙ってろよ。気が散るんだ!」
 俺は喚いた。低く鳴り続ける地響きがうるさい。
 汗すら蒸発しそうな熱気は、俺の思考能力を確実に奪ってくる。
 どうして俺の相手は、こうもろくでもない連中ばかりなんだ。

『ユキオ』
 ノートン卿の声と同時に、さらに二発のコインが岩を揺らす。
 無駄弾か? 威嚇のつもりなのか。
『威力を測っているな。岩を貫通し得る距離まで近づくつもりであろう』
「まずいじゃないですか」
『そもそも、こうしてコソコソと隠れるきみの怯懦が愚策なのだ!
 何度も言わせるな! 英雄たる私に相応しい戦闘を見せよ! 突破するのだ!』
「……って、言われても」

 ゴリ、という振動が、背にしている岩から伝わった。
 赤羽の弾いたコインが、ついに岩を抉るのではなく、めり込みつつある。
 やつは白兵の距離にまで接近している……俺はすぐに行動を起こす必要があった。

 俺を隠す大岩から長く伸びる影が、そのまま《壁》として立ち上がった。
 幸い、影を作り出す光源ならそこら中にある。時折岩壁を流れるマグマがそれだ。

「おっと」
 《壁》の向こうで聞こえる赤羽の半笑いが、苛ついて仕方がない。
 赤羽と俺を分断する《壁》に沿って、俺は別の岩陰へと走った。
 右手は断崖だ。距離を取る必要がある。

 走る俺の頭上にふと、宙を舞いながら降り注ぐ何枚かの紙切れが見えた。
 それが壁越しにばら撒かれた一万円紙幣――日本銀行券だと知ったその時には、もう遅かった。

「なんだ、くそッ――」
 俺は咄嗟に顔をかばった。
 同時にすべての紙幣が爆発して、俺は撒き散らされた10円玉を大量に食うことになった。

「『ミダス最後配当』」
 一万円札のすべてが、同時に1000枚の10円玉へ。金から金への換金も思うがままというわけだ。
 痛みは一瞬だが、逃げる足を止められたのは絶対にまずい。

「時間差換金……で、」
 既に《壁》を乗り越えて、赤羽が狙撃体勢に入っている。
 反撃と視界を封じたあの一瞬で跳躍して《壁》の上に手をかける、馬鹿げた身体能力。
「こいつで終わりか? 相川ユキオ」

『まずいな。飛べ。ユキオ』
「言われなくても」
 即座に俺は、断崖へと飛んだ。
「わかってましたよ!」
 落ちながら答えた。これは純粋に俺のアイデアだと主張しておきたかったのだ。

――――――――――――――――――――――――――――

 悲鳴を上げる全身の苦痛をこらえながら、俺は状況を確認した。
 眼前には7m程の断崖。あの赤羽でも、直接飛び降りれば負傷は免れない高さだろうか?
 だが少なくとも、やつに《土嚢》のような衝撃吸収の手立てはないはずだ。

「で、どうします? 正直、めちゃくちゃですよあいつ」
 影の《土嚢》を沈めながら、俺は咳き込んだ。
 そこらに溜まった温泉らしき白く濁った水溜りが、不吉に沸騰している。
 こういう低い地形には、有害なガスやらなにやらが溜まっているに違いない。
『換金の呪い。魔術としてはチープだが、奴自身の能力がそれを補っている。
 相応に危険な主人公ではある。ユキオ! ならば当初の予定通りに正面から――』
「いや、無理ですって。どうするつもりなんですか、これで」

 俺は、右手に下げた紐付きの頼りない道具を見た。《投石具》。
 確かに、殴るよりもずっと効率的な手段ではある。弾ならばこの岩山にいくらでも見つかる。
 《弓》や何かに比べれば、格段に扱いやすい武器……
 だが、こいつであの赤羽ハルと撃ち合おうと思考できるような人間は、
 基本的には狂人か自殺志願者、あるいは古本屋のどれかに分類されるのでは?

「随分無茶したなぁー! なぁ、っていうか元気だな!?」
 遠く、崖の上から赤羽が見下ろしていた。
「知ってるか? そこに湧き出てる水溜り、たぶん有害だぜ。
 高濃度の硫化水素泉だ……目は大丈夫か?」
 いくら試合形式とはいえ、この距離でも殺害対象との会話を続けようとする努力は、
 サービス精神を通り越して偏執的ですらある。
 編集者は会話が苦手な業種なんだ。放っておいてくれ。

「ちょっと肝が冷えたよ! 俺が殺す前に事故で死なれると思っちまってさぁー!
 交通事故で死んだターゲットの話とか、聞きたい?
 ……とりあえず、そこ。早いとこ離れたほうがいいぜ」
「知るか! お前は、ちょっと黙ってろ!」
『前々から思っていたが、ユキオ。きみの挑発への耐性は呆れるばかりだな。幼児か?
 なぜ私という主人公の傍にあって、英雄の泰然たる心構えを学べぬのだ?』
「……なあ。魔導書に影響されて、判断力もおかしくなったか? 俺が言ってるのは」
『ユキオ! この無礼者を即刻処刑しろ!』

 ありとあらゆる意味で状況は最悪だったが、それでも俺は動くわけにはいかなかった。
 確かに、有毒な蒸気……やら何やらが、溜まる地形なんだろう。
 けれどそれだけで、俺を殺せると確信もできないはずだ。プロの暗殺者ならば。
 現に赤羽ハルは、突き出した岩を少しずつ跳び移って、窪地に降りつつあった。

「俺の言ってるのは、さ――」
 そして再び100円硬貨を目の高さに構えた。遮蔽物のない地形。距離30m。
「逃げられないだろ、って事だよ。そこじゃあ」
 足音が近づく。おそらくコインの射程は拳銃弾と同程度。約20m。
 距離20m。10m。赤羽から視線を外さないまま、俺は脳内でカウントを進めている。

「……そうだな」
 その点については、同意だった。
「逃げられない」
 ……5m。赤羽ハルまで5mだ。やつの背後から迫る、落石が――だ。
 うるさく地響きの続く活火山では、落石の音も紛れて聞こえないだろう。

 俺だって、何の考えもなしにあの時《壁》で視界を遮ったわけじゃない。
 大岩に紐で《軍馬》をくくりつけた――それをこいつに見せないための《壁》だ。
 転落した俺に注意を向けたまま、この窪地にまで降りてもらうための。
 《軍馬》が岩を引く弾道は、俺とクソッタレを結ぶ、この直線上……だ!


 しかしそれでも、俺は理解しているべきだったのだ。
 俺が相手にしているのは、マッハ3のミサイルすらも凌ぎ切った、あの赤羽ハルなのだと。

 赤羽ハルは、命中ギリギリで――
 俺から視線を離すこともなく、ふらりと横に逸れて、岩の軌道から逃れた。
 自身の脇腹をかすめて裂いた大岩を見送ると、一気に走り出した。

「悪いな、相川」
 どうかしている。赤羽の口元が見えた。殺人者の笑みだった。
「予兆がわかったもんだからな、かわしちまったよ」

『硬貨だ』
 声が淡々と分析を続けていた。
『先程の爆撃でまき散らした硬貨が……落石に巻き込まれた。
 弾かれて落ちる硬貨を見て、やつは予兆を把握した』

 足元を見た。崖上から飛び散った一枚の10円玉が、まさに倒れるところだった。
『最初から、背後からの攻撃を探知するためにまき散らしていたのだ』

――――――――――――――――――――――――――――

 指弾の最初の二発は、幸運にも狙いを逸れて地面に着弾した。……幸運か?
 けれど作戦が瓦解した今、俺のやるべきことはあまりにもシンプルだ。防御だ!

「さすがは、暗殺者だよ……行くぞ!」
 俺は足元の影から、《城壁》を、

『ユキオ何をしている! 無能の編集者め!』
 ノートン卿が本気で焦った声を聞いたのは久しぶりだ。
 ……腹が立つが、できないものはできないのだ。
 一瞬前まであった光源が、ない。

「無理だな。最初の指弾は硬貨じゃない」
 ノートン卿の声が重なる。
『丸めた紙幣だ! 一円玉に換金した、大量の硬貨で――』
 光源のマグマを、溶けたアルミで塞いだ。……くそっ!

 やつの手に硬貨はない。せめて次の指弾を装填する一瞬、と考えた俺も甘かった。
 既に赤羽ハルは――片方の靴を脱いでいる。
 切断を伴う絶速の蹴りを、俺は認識することすらできなかった。

 冷たい切断の感触が、左腕の皮膚一枚でごきりと反響した。
 割れる音。肩か? 今の衝撃で骨が、関節が砕けたに違いない。最悪だ。
 ゴミのように一発で蹴り散らかされた俺は、窪地のさらに下へと転がり落ちる。

「……仕込んでやがるな。防刃プレートか」
 赤羽ハルは、片足を高く上げたままの、蹴りの体勢で……
 足指に挟みこんでいた、血塗れの千円札を捨てる。化物め。

「げほっ、ちくしょう……! やって、られるかよ!」
 もう左腕が使いものにならない。
 切断を防いだところで、赤羽ハルに直接蹴り飛ばされて、命があるだけマシだ。
 今の一撃で死ななかったのは……単に運が良かっただけだ。
 スパゲッティ・モンスターにでも感謝しなくちゃな。

『おかしい。あの男、ここまでいくらの金を使った?』
「さあ? オレイン卿と取引でもしたんじゃないですか」
『真面目に答えよ愚か者め。この私が質問しているのだ!』
「はあ」
 俺はというと、遮蔽物に隠れていられるうちに……赤羽ハルが降りてくる前に、
 スクラップと化した左腕に影の《包帯》を巻く事に集中したかった。
 その程度の答えは、とっくに分かりきっていたからだ。

「……ミサイルですよ」
『なに?』
「だから、雪山で……換金したじゃないですか、ミサイルを。
 ジャケットを脱いで、下に敷く一連の動作で集めていたって事でしょう。何十万円か」
 俺は自分で絶望的な気持ちになった。だから言いたくなかったのだ。
 つまり実質的に赤羽の弾丸は無限に等しい。この岩山においてさえ。

『すなわち、作戦の方針は決定した』
 ノートン卿は厳かに告げた。
『それ程の金額、硬貨の状態で持ち運べるとは思えぬ。
 通常は紙幣の形態で隠し持ち、必要に応じて硬貨に換金しているのであろう。
 あの男の残弾を速やかに枯渇させ、しかる後に正面から制圧するのだ!
 でかしたぞユキオ! 即刻出撃し、英雄に歯向かう愚かさを思い知らせよ!』

「ええと、話聞いてましたかノートン卿?」
 俺は愕然とした。この最古の殺戮文書とやらは、そのページの7割程がドン・キホーテか何かで構成されているに違いなかった。
「あれは、10円玉を弾いただけで人を殺せるような化物ですよ!?
 それが何十万と現金を持ってるのに、どう使い切らせろっていうんですか!?」
『なんということを』

『それを理解せぬのが、きみの愚か者たる所以なのだ! 無能な下劣の編集者め!
 そもそも、ここまでの情けない戦いぶりはなんだ!? 山賊めいた子供騙しは見破られ、
 隠れては転がり落ちの繰り返しではないか! よいか! 英雄は断じて見下さねばならぬ!
 すべての頂点に立つ者、それがこの私、サー・ノートン・バレイハートであるからだ!』

 ……めちゃくちゃだ。
 俺はというと、痛みと疲労で反論の気力すら失いつつあったのだが――
 最悪なことに、さらに恐るべき事態が発生しつつあった。

『ふむ。そうだ』
 つまり、ノートン卿は意志を持ってわめく災いそのものであって、
『櫓だ!』
 悲劇的なほどに馬鹿げた思いつきを実行するのは、俺なのだ。
「ああ、意識が遠のいていくなあ。なんだか眠くなって……」
『そんな場合ではない、ユキオ! あの暗殺者を見下ろす櫓を構築せよ!
 すぐにだ! この山麓の頂点において、偉大なる私の威光を知らしめよ!』

――――――――――――――――――――――――――――

「出ーてーこーいーよー」
 気の抜けた呼び声が、遠く下から響いてくる。
 影の《櫓》。なるほど一時しのぎの岩陰よりは、余程防衛には適していると言えた。
 ……この高さから降りる手段が、一つしかないことを除けば。

「さーて、どっちかな……。
 中か、上か。入口があるかどうかも、真っ黒でよくわかんねえよなァー?」
 《櫓》の頂点は、地上から8m程度か? 《土嚢》で受けたとしても無傷で着地できる自信はまったくないし、そもそも今の状態が無傷とは程遠い。
 そして赤羽。やつが下でじゃれる猫みたいに大人しくしてくれる可能性も、絶対にない。
 時間が経てば上を攻める手立ての一つや二つ編み出してくるに違いないし、
 その気になれば壁を駆け登るくらいの馬鹿はしかねない程度に狂っている。
 簡潔に状況をまとめれば、最悪だ。

 つまり、今。赤羽が《櫓》の真下で攻めあぐねているこの瞬間に、
 俺達はすぐさま決着をつけなければいけない――というわけだ。

「本当にやるんですか? ノートン卿……」
『くどい。今更怖気づいたか? ならばよい。
 私としても、名誉も解せぬ臆病者に力を貸す義理など――』
「いや、わかってます、わかってますって、全て閣下の言うとおりにしますし、
 華々しい英雄の……えー、決闘? をするって、誓ったじゃないですか。
 俺はやる気十分ですし、名誉に思っていますよ! 当然!」

 黒革の装丁本は、今は右手に掴んでいる。
 本当は嫌で仕方がないと思っているし、失敗すると思っているし、死ぬと思っている。
 俺は、人生最大の失敗について思いを馳せた。
 つまり、数ある魔導書の中から、ノートン卿を選んでしまったことだ。

「いきますよ」
『征け!』
 短い一言と共に、《櫓》が解除された。俺は三度、転落することになった。
 まるで俺の人生だ。くそったれ。

 その瞬間、赤羽は頭上を見上げた。
 ……正確に言えば、見上げた、のだろう。その様子は確認できない。
 影の《盾》が、視界を遮っているからだ。

 頭上から巨大な《盾》で押し潰す、単純極まる三次元の突撃。
 当然、赤羽に対して成功するとは思わない。
 真下に構える《盾》の端に、集中して打ち込まれる弾雨を感じた。硬貨の弾丸。
 モーメントを逸らされた《盾》は回転し、俺は無防備な姿を晒す事になる。

 両手の弾丸を使い切ったその一瞬。――そこで第二の策が発動する。
「教えてくれたっけな」
 《盾》がひっくり返ると、その後ろに結わえられていたものもひっくり返る。
 ……偉大なる城塞の備品。《桶》だ。

「……へぇ」
「こいつが有害なんだろ? くらえ」
 《土嚢》に墜落した時、俺達は同時にその液体をひっかぶる事になる。
 高濃度の硫化水素泉。

 まるっきり無謀な自爆戦術。馬鹿としか言いようのない思いつき。
 ノートン卿がそれを信じる以上、俺は実行するしかないのだ。
 ――英雄に、ならなければならないのだった。

 肌が焼ける。目がかすむ。足が痺れて、立つ事すら一苦労だ。
 ……だが。

「いッ、ッ、だァッ……こ、これで――」
 やつは何故、俺の血に塗れた紙幣を捨てた? ――貨幣価値がないからだ!
 沸騰した温泉は、全身に仕込んだ紙幣を汚損する。指弾は、狙いを付けなければ撃てない!

「これで、金は、使えないな! クソッタレ!」

 俺の目は見えない。だが、それはやつも同じだ。
『征け、ユキオ! 彼奴は前方三歩、右一歩の地点よ!
 槍を持ち、雄叫びとともに、今こそ武勲を挙げよ!』

 ノートン卿はただの本でしかない。空気を震わせる音は出せないが、それは魔導書なのだ。
 それは物理的な領域で物事を見聞きしているわけではないし、
 俺の頭に響く煩わしい声を、遮断することだってできない……決して!

『そこだ……ユキオ!』
 俺は黒革の本を握る右手を、強く突き出した。
 右手の刺青。《槍》のスペルが構築される寸前。
 ――すれ違うように、赤羽の右手が俺の手に触れた。

 《槍》が敵の腕肉を裂く感触と同時、掌からは4枚の硬貨が滑り落ちていった。
 俺はもう、あの書物を握ってはいなかった。換金された。

「ハッ」
 笑いが漏れた。妥当な値段だと思ったからだ。

 ――ざまあみろ。


――――――――――――――――――――――――――――

 暗闇。けれど俺だけは手がかりを見つけることができた。
 俺が突き刺す赤羽ハルの……肘まで貫通した、まさにその腕だ。

「俺の……勝ちだ! ノートン卿……!」

 俺は残る全力を振り絞って、赤羽の胴体へ向けて《槍》を振り回した。
 肘を突き抜けた穂先は、そのまま脇腹を引き裂く。俺の勝利――

 ――の瞬間、《槍》を握る指が3本同時に切断された。
 俺の振り回した《槍》は、何故か赤羽の胴体に当たることなく、地面を撫でた。
 勢いで転んだ俺は目を擦った。何が起こったのかを確かめようと思った。

 辛うじて、ぼんやりと、周囲の光景が見える。
 俺の《槍》は、確かに赤羽の右腕を突き刺したままだった。
 しかしその腕は、根本から、新札で切ったかのように、綺麗に切断されていた。
 切り離したのだ。トカゲの尻尾のように……どうやって?

「……参ったよ。俺の金を、全部駄目に、しやがって」
 嘘だろう、と思った。じゃあ今……
 お前の周りに、ばさばさと舞っている金はなんなんだ。

「なんだ……お前」
 震える声で俺は呻いた。
 いや。なんだこれは、靴が濡れる。明らかに血が多すぎる。
「いやいや。どう、したんだよ、その金は」

「なあ、おし、教えてやるよ……相川。俺はさ」
 赤羽が、濁った血を吐いた。
 何か恐ろしいことが起きているのだと、俺は直感していた。
「俺は、この試合……ってか、トーナメント、さ。
 死ぬんだよな。勝てないと……」

「死ぬんだ」

 俺の視界は徐々に戻りつつあった。当然だったが、赤羽は流血していた。
 右腕の切断面と……
 岩石が掠った、脇腹の傷。
「ハハハ、実は俺の能力は……魂まで、は、換金……できない。
 だから……最終的に取り立てられるのは、俺の魂なんだ。
 逆に言えば、さ……俺の『魂』から切り離された部分なら……換金できるって事だろ……」

「お前」
 俺は、半分笑っていたかもしれない。
 こんなやつに関わりたくない――
 この最低の状況で、それ以外の何を考えればいいっていうんだ?

 ――つまりこいつは、金を手に入れていたのだ。
 オレイン卿の取引なんかより、もっと、さらにおぞましい方法で。
「……売ったのかよ……ハ、ハハ……あ、あの一瞬で」
           、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 そうだ、やつは左手が開いていたじゃないか。
 液体を浴びせられた瞬間。一瞬の迷いもなく、浅い傷口を深く抉って。

 、 、 、 、 、 、 、 、 、
「内臓を、売ったんだな……」


 俺と赤羽の二人共が、今は右腕を失っていた。
 俺は左肩が折れて、転がり落ちた傷も疲労もひどい。
 そして赤羽は、自分の内臓を引きずり出している。
 こんなザマでどうすればいいか、分かるやつは、ノートン卿しかいないんだろう、きっと。

「相川お前、お前本当……す、すげえやつだよ。カハッ、
 こんなことまで、するとは、思わなかったからさ……マジで……
 死にそう、だっつーの……」
「……。死ぬってのは、本当なのか……お前」
「……そりゃ、そうだな……だからどんなことをしても勝ちたい」


「俺は、金の亡者だ……」
 死人のような顔で、笑った。


――――――――――――――――――――――――――――

「よろしいのですか? そちらの腕の治療は」
「ああ、いえ。こっちは大した怪我でもないんで」
 銘刈とかいう女の視線は、何もかもを見透かされていそうで気味が悪い。
 右手でどうにかサインを済ませ、俺はトーナメントの敗退手続きを終える。
「でも、まあ……これでようやく気が楽か?」

『そんなわけがなかろう』
 物理的でない領域で、聞き慣れた声が響いた。
『何しろ、これからが本番なのだからな!
 敗退選手として見做された今ならば――』
「大会運営本部のマークも薄くなりますかね」
『然り』
「そう上手いこと行けばいいんですがね」

 歩きながら俺は、左腕に撒いたままの影の《包帯》を解く。
 黒い包帯はパラパラと解けて、
 中からは、開かれたままの、黒革の不吉な装丁の魔導書が――
 最古の殺戮文書にして、『携帯する城塞』が。
 、 、 、 、 、 、 、
 本物のノートン卿が、姿を現す。

「……とはいえ、それなりに上手く行ったと思いますけれどね。大会中継を見てたやつなら、
 『ノートン卿は赤羽ハルに換金された』とか考えるんじゃないですか?」
『古本屋連中の目は欺けまい。そもそも、たかが一般書とこの私をすり替えるなど、
 数々の愚劣なるきみのアイデアの中でも、特別に不敬極まる発想だな』
 どこにでもありそうな、無個性な装丁で助かりましたよ、とはさすがに口に出さない。

 俺はこの試合に、ろくな準備で臨めていなかった。
 つまりは古本の一冊を買うだけで、精一杯だったのだ。
 何しろ俺には、金がなかったのだ。

『――では、満を持して、攻めこむとしよう。ユキオ。例の、あれは』
「ああ、賄賂ですね。ちゃんとありますよ」
『進貢だ。言葉を選べ、愚か者め』

 だが、それは試合前までの話だ。
 つまり……俺達は双方にとって、賢い選択をした。
 結末はそれだけだ。

『征くぞ。真に主人公として相応しい物語を、きみに見せてやるとしよう。出撃せよ!』
「そうですね」



 第二回戦第四ブロック――
 勝者 赤羽ハル
 敗北 相川ユキオ(ノートン卿消滅・賄賂獲得)


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