島井寛仁

登録日:2019/06/26 (水) 21:50:47
更新日:2020/06/11 Thu 17:29:40
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自分は“代走のスペシャリスト”で生きていく。




島井寛仁とは、元プロ野球選手である。

解説

興南高等学校

沖縄県立西原高等学校

ビッグ開発ベースボールクラブ

熊本ゴールデンラークス

東北楽天ゴールデンイーグルス(2013~)

1990年6月19日に、沖縄県浦添市にて生まれる。

右投右打(スイッチヒッター経験がある)で、身長は183cm。
守備ポジションは外野手だが、アマチュア時代には三塁手や投手を経験している。

西原高校や熊本ゴールデンラークスで活躍した後、ドラフト五巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。
ドラフト下位入団で何回も自由契約を経験しているにも関わらず、生き残り続けたという異様な経歴の持ち主。

「代走のスペシャリスト」を目指しているとのことで、楽天ファンの間では色々と話題になる選手。

選手としての特徴

代走などでの俊足による盗塁力の高さを自負している選手。

50メートル5.6秒という走力を持ち、「今まで50メートル走では誰にも負けた記憶がない」と述べ、「甲斐キャノン」で有名な甲斐拓也に宣戦布告する程の自信家でもある。
しかし、牽制死や安易な走塁死をすることも多く、走力に反してリード技術や盗塁技術は低い節も見られる。

本人も課題としているが、打撃力に難があるタイプの選手でもある。
2015年にスイッチヒッターに転向しているが、一軍に長く居座った2018年にスイッチの難しさを感じて元に戻している。
なお、島井は松井稼頭央を尊敬していてスイッチに関してもアドバイスを貰っていたが、皮肉にもスイッチを諦めたのは松井が退団した後だった。

実績に欠ける選手ではあるが、二軍での恩師でもある平石洋介からの信頼はずば抜けて高い。
平石は島井に関しては、「お前がアウトになったらしようがない。お前がダメならほかの誰が行けるんだ?」とまで言う程の信頼を置いている。
平石が島井を寵愛している理由としては、二軍時代にノートに投手の癖を書く姿勢を気に入ったようで、「生きる道を決めた男は強いよ」と述べている。

守備力は特段高いタイプではないが、楽天では終盤の外野の守備固めとして出場する事が多い。
島井本人は投手の経験もあってか、肩が強いと自身のアピールポイントにしている。

島井の目標は巨人で代走のスペシャリストとして知られた鈴木尚広だが、ファンからはかつて楽天に所属していた森谷昭仁と比較される事が多い*1

経歴

プロ入り前

浦添中学校時代は陸上部にも参加しており、走力で負けた経験がなかったと島井本人は語っている。

興南高校に有力選手として入学すると、投手として有名になり始めるが、部内の人間関係に悩んだ末に退部。
2年生の春に西原高校に編入した時は野球をしない予定だったが、上原健監督の勧誘や先輩の行動で野球を再開する。
3年生の夏にエース兼主将としてチームの中心選手となり、同時期には後に中日ドラゴンズに入団する又吉克樹もいた。

高校卒業後は社会人野球でプレイするが、走力が評価されて2012年にドラフト5位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する。

プロ入り後

プロ入り後は二軍生活を送り、一定の走力を見せながらも二軍環境でも低迷する打撃力に苦しんだ。
2014年には支配下登録を解除されてしまい、以降は育成選手として外野手争いを行うことになる。
2015年には年上の一般女性と結婚した。

それでも、2015年~2017年は育成登録選手の規約もあり、一旦は自由契約になってからの再契約を繰り返した。
自由契約を繰り返されながらも再契約に至っていたのは、何かしらが評価されていたのであろう。
ドラフト下位の高卒社会人という立場も弱いので、いつ完全な戦力外通告になってもおかしくなかったと言える。

2017年はイースタンでの盗塁王に加えて、規定未到達ながらも3割近い打力を見せるなど打撃力も改善。
それが見込まれたのか、シーズンオフには規約の都合で一旦自由契約になるが、直後に支配下登録を果たして久々に支配下選手として復帰することが決まった。

2018年はオープン戦でも走力を見せ、前年の立場からすると異例の出世の開幕一軍。
ついに3月30日に千葉ロッテ戦の代走出場で念願の一軍デビューを果たし、以後も代走起用で使われていく。
しかし、終盤でのチャンスでの牽制死や走塁死も多数見せてチームの敗因になることも少なくなく、走塁技術に課題を残した。
打撃力も一軍レベルでは全く通用せず、四球などでの出塁も行えないなど苦労しまくり、スイッチを止める結果になった。
それでも外野手層の薄さもあってか、最終的に49試合に出場。盗塁数も数自体は多くないがチーム3位の6盗塁は記録した。

2019年には左脛骨の疲労骨折が発覚し、代走選手としては痛い左脚の手術を行う事態に。
4月に二軍で実戦復帰すると、間もなく平石監督の島井への信頼の厚さもあってすぐに一軍に昇格する。
5月の西武戦で四球を選んだ事でついにプロ初出塁を記録するが、偶然にも島井の昇格から降格までの期間にチームは大きく負け越した現象が「島井の呪い」と言われてしまった(島井に明確な非はないのだが)。
この年は活躍することが出来ずについに戦力外通告を受けることになった。
戦力外通告を受けた後は12球団合同トライアウトに参加するも獲得球団は現れず、引退となった。

引退後

社会人野球や一般企業からのオファーを受けていたが、社会人時代の恩師の誘いを受けて鮮ど市場プラスジャパンへ入社した。

備考

  • 釣りが趣味で、それが理由で独身時代は魚料理が得意だった。魚を3枚に下ろせることを特技としている。

  • 高橋由伸とは、ビッグ開発ベースボールクラブ時代に巨人のキャンプや彼の自主トレを手伝った経験から顔見知りの関係との事。








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最終更新:2020年06月11日 17:29

*1 森谷昭仁は走塁力は高かったが、牽制死が多いなど島井との類似点が指摘される。「森谷から打力を落としたのが島井」と評される事も。