田中圭一(漫画家)

登録日:2017/07/22 Sat 22:16:14
更新日:2020/11/08 Sun 10:29:36
所要時間:約 3 分で読めます



田中圭一(1962~)とは、サラリーマン兼業の漫画家である。

概要

1962年5月4日、大阪府枚方市生まれ。近畿大学在学中の1983年に小池一夫率いる「劇画村塾」に入門し、翌年デビュー。
特に1986年スタートのドクター秩父山はアニメ化されるなどの人気を誇った。
大学卒業後は玩具メーカーのタカラへ入社し、漫画家とサラリーマン2足の草鞋生活を送る。
タカラでは順調に出世したものの1994年に退職し、1996年にはアートディンクへ転職した。*1
アートディンクではいくつかのゲームプロデュースを行い、在職中に素材を組み合わせるだけで漫画が描けるソフトを思いつき、
2010年にコミPo!の発売として結実させた。
この間も転職を繰り返し、アートディンクからセルシス(ComicStudioの開発元)を経てウェブテクノロジ、
2012年8月末からはBookLiveに在籍している。

作風

デビュー当時は劇画調でシュールなギャグ漫画を描いていたが、現在は手塚治虫風の絵柄でブラックジョーク・下ネタを連発する漫画を描いている。
更に本宮ひろ志や藤子不二雄、永井豪、西原理恵子、水木しげる松本零士などの絵柄も織り交ぜている。

手塚治虫パロ

1997年に「ディズニー部分」を手塚治虫風の絵柄でビッグコミックスピリッツ増刊で発表。
その後も小学館の青年誌を中心に手塚パロディの読切を掲載し、1999年4月発売の「COMIC CUE Vol.SIX 手塚治虫リミックス号」掲載の
『神は天にいまし 世はすべてことも ないわきゃあない』をきっかけに手塚るみ子氏との交流が始まる。
ちなみにこの漫画の内容は間黒男、ロック・ホーム、手塚治虫本人が手塚女性キャラが登場するギャルゲーをプレイするというもの。


2002年8月に発売された「田中圭一最低漫画全集 神罰」の帯では手塚の長女であるるみ子氏から
「ライオンキングは許せても 田中圭一は 許せません!!」というシャレの利いた推薦文を貰う。その他対談企画のゲストに呼ばれることも多い。

後に松本零士ファンクラブ会誌に寄稿した際には、松本から「西崎とは和解したが…田中圭一はコロス!」と帯の推薦文に書かれた。

主な作品

オリジナル

  • ドクター秩父山
  • ピースケの冒険
  • ヤング田中K一
  • 教えてっ!真夢子おね~さん
  • うつヌケ

パロディ・二次創作

  • 死ぬかと思ったシリーズ
  • 鬼堂龍太郎 その生き様
  • 神罰
  • 神罰1,1
  • Comicサイテー
  • グリンゴ2002
  • ちきう☆防衛隊!セハガール
  • Gのサムライ

追記・修正は漫画内のカエルのケロタンを発見してからお願いします。

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最終更新:2020年11月08日 10:29

*1 ちなみに『若ゲの至り』によると当時在籍していた飯田和敏氏と入れ替わる形で籍を置いている。