茂野吾郎(本田吾郎)

登録日:2012/02/11 Sat 04:43:28
更新日:2024/01/17 Wed 04:27:25
所要時間:約 12 分で読めます




茂野(しげの)吾郎(ごろう)(旧姓:本田(ほんだ)吾郎)は『MAJOR』における主人公。
CV:くまいもとこ(幼少期)、森久保祥太郎(青年期)


【人物】

幼少時代からポジションはピッチャーで、MAJORではピッチャーの吾郎を中心に描かれる。
苗字は作中では茂野吾郎となっているが、
実の父親・本田茂治が他界した後、茂野英毅が父親になったためである。
よって旧姓が本田吾郎。

直情的で熱血という、王道スポ根マンガにありがちな性格。
やや協調性に欠ける場面も多いが、周りの仲間や家族や指導者の支えもあり、
ぶっきらぼうだが思いやりのある人物に成長していく。

生まれつきから野球センスに溢れており、右肩を壊し、左投げに転向(後述)したあとも類稀な努力とセンスで一流プレーヤーとなる。
左投げ転向後も打席には右で立つ。その為希少な「左投右打」のプレイヤーである。


【主な活躍】

リトルリーグ編

実父・茂治を失った悲しみを乗り越えた吾郎は小学4年生になり、やっと硬式野球チームに入れる年齢になった。
そして「三船リトル」へ入団しようとするが、部員が5人しかいない。
そして、同級生の小森大介、後に自身の妻となる清水薫、小森をいじめていた沢村などを誘い三船リトル復活を目指していく。
吾郎の野球人生初のバッテリーは小森と組む。打倒・横浜リトルを目標に、リトルリーグ大会に出場する。
一回戦は同じ顔の3つ子のチームと対戦するなど、これまたありがちな展開。
いろいろ怪我が多いのも吾郎の特徴だが、ここでも左腕を骨折している。

その後義父となった英毅の移籍の都合で福岡に転校し右腕も治り掛けていた為、一時期別のチームの内野手として活躍していた。

しかし強豪チームを相手に窮地に陥った際に再びピッチャーに復帰。
試合に勝利こそしたが、最終的に右腕を完全に壊してしまい、英毅の提案でサウスポーを目指す。
ちなみに福岡での話は映画で初めて映像化された。


中学生編

5年ぶりに神奈川に戻る。右肩を壊したことからサウスポーの特訓をしていた。
肩に負担をかけず足腰を鍛えるため福岡の中学ではサッカー部に所属し、三船東中でも当初はサッカー部に入部していたが、旧友の小森と利き腕の怪我が原因で不良に成り下がるも、吾郎との出会いで立ち直った山根などの奮闘で野球部を再始動させ、三船西中との交流試合で相手監督に罵倒される様子を見かねて急きょ登板し、野球部に入部。
そして再会した寿也に完成した左投げを披露したが、ことごとく打ち込まれ、まだキレやノビがない棒球であることを英毅から指摘され再び猛特訓をする。
寿也との激闘の末に和解するが、眉村率いる海堂付属中学にコールド負けを喫してしまう。
自分たちが井の中の蛙であることを知り、寿也と小森と一緒に海堂高校への入学を目指すことに。


海堂高校編

海堂高校の過酷なセレクションを突破し、
寿也とともに海堂高校入学を果たすが、海堂3軍の「夢島」で更なる試練が待ち受けていた。
海堂の保守的なマニュアル(指導方針)から、吾郎は投手としての適性を認められなかったが、
夢島を見にきていた大貫明の助けもあって無事投手として海堂2軍へ昇格。
海堂のレギュラー陣や、生涯のライバル・眉村健とも鎬を削ることになる。
さらには、オカマトレーナーの早乙女泰造の助力などもあり、
ついに茂野吾郎の代名詞となるジャイロボールを完成させた。
高校二年の夏、一軍対二軍の壮行試合で一軍相手に完投勝利。
海堂で自分の力を証明した吾郎は、最強の選手が集まる海堂高校と戦うために自ら退学した。



聖秀学院編

海堂高校退学後は野球部のある高校への編入が吾郎に恨みを持つ海堂のチーフマネージャー・江頭哲文の策略によって出来ない為、
海堂高校二軍監督・早乙女静香の助言により野球部の無い聖秀学院高校への編入を決意する。
その際「金さえあれば編入できる」と不用意な発言をして桃子に叱られ、編入試験までの間退学分の学費を払うためにアルバイトをするも口の悪さが災いして長続きしなかった。
それでも諦めずにリトル・シニアリーグで捕手経験のある田代や自身との対決を元に野球部員第一号となった藤井を始めとした部員達を集め、田代以外のメンバーに野球をゼロから教え、英毅や横浜リトルの元監督・樫本(アニメのみ)のコーチもあって徐々に上達していく。
翌年には聖秀学院に進学した薫の弟・清水大河等も加わった事で漸く野球部として活動出来るところまでチームは出来上がっていった。

しかし、海堂高校野球部二軍との練習試合の最中、江頭の指示&策略によって代打起用された蒲田にスパイク付きのシューズで踏まれ、右足首靭帯断裂と骨折という大怪我を負ってしまう*1
それでも諦めない吾郎は二回戦以降痛み止めを試合毎に打ちながらマウンドに立つことになる。
そして準々決勝でついに海堂と激突。

海堂の圧倒的な戦力に対して聖秀メンバーは根性と不屈の闘志で立ち向かうが、
吾郎自身も認識していたシュート回転気味の棒球を寿也に狙われていたこともあって、一度は突き放されるも天候や試合の流れ、
更に寿也の田代に対してのささやき戦術もバッテリーの強化に繋がる事となり一進一退の攻防を繰り広げる事となる。

しかし、徐々に痛み止めの効果が薄れていき、足の痛みが悪化していく中バント攻めで吾郎に揺さぶりを掛けようとする江頭の戦術の中、
一度は勝ち越しに成功するも後一人アウトに打ち取れば勝てる所まで行きながら、寿也に同点となる内野安打を打たれ試合は延長戦に突入。

海堂側はエース眉村をリリーフで出場させて吾郎の方は走者は背負いながらもお互い無失点のまま延長12回表、
無死満塁のピンチを招くが、体力も気力も限界を越える中眉村を三振に打ち取ったものの、直後の草野への1球目で力尽き、ボークでサヨナラ負けとなる。

なお、聖秀との試合で江頭が吾郎を故意に負傷させたことが明るみとなり、理事会の追求を受けた江頭は失脚し、アニメ版では海堂側も江頭に関する全ての事実を高野連に報告した上で責任を取り、その年の甲子園優勝旗を返還している。


マイナーリーグ編

茂治をデッドボールで殺めてしまったジョー・ギブソンが吾郎に宛てた言葉がきっかけで、
巨仁(アニメ版では東京ウォリアーズ)と横浜(アニメでは横浜ブルーオーシャンズのみ)からのドラフト指名を拒否してまでメジャー挑戦の決意をして渡米。
到着早々置き引きにあい、路頭に迷っていたところを八木沼隼人に助けられ、共にアナハイム・サーモンズのトライアウトを受け合格。

チームのエース・サンチェスとのコントロール勝負に敗北し、オープン戦で打ち込まれ3Aクーガーズに降格。
ファルコンズとの試合中に茂治に対して暴言を吐いたジョー・ギブソンJr.と乱闘を起こして解雇されてしまう(アニメ版ではチームメイトの制止もあって未遂に変更)。
その後サンチェスから「真っ直ぐに本物のコントロールを身に付けろ」と助言を貰い3Aメンフィス・バッツに入団し、
チームオーナー代行陣内アリスに言葉巧みにクローザーを任されることとなる。
当初は自身とベテラン捕手のサンダースを除くチームメイトのほとんどがバッツをメジャーへ行くための調整場程度にしか思わず勝利意識やまとまりが低かったため、チーム全体の意識改革を強行して一枚岩になって優勝を狙えるチームにまで底上げする。
途中からバッツに合流したキーンとは一悶着あったもののリーグ優勝へとチームを導く。

秋のロースター枠拡大でチームメイトの大半がホーネッツへと昇格する中(サンダース、バトラー、ケロッグを除く)チームを見捨ててまで昇格は出来ないことやギブソンJr.にリベンジを果たしたいという一心で故障と偽ってバッツに残留。
プレーオフ決勝の第1戦で、ギブソンJr.に投じた直球が102mph(164km/h)*2を記録。
最終戦ではギブソンJr.のバットを打ち砕く球威で三振に抑え3A優勝を決めた。
ただし、虚偽の理由でマイナーに残留したため、メジャー昇格は見送られてしまった。


日本代表編(人物名は全て漫画準拠)

激動のアメリカ生活1年目を終えて帰ってきた吾郎は薫への恋愛感情を自覚し恋愛関係になる。

野球のワールドカップが開かれることを知った吾郎は無理を言って打撃投手としてチームに同行させてもらうが、超一流打者の鈴木コジロー(アニメ版では京四郎)に格の違いを見せられた上に速球しか投げないその投球の単調さなどをコテンパンに指摘される。
使える変化球を覚えようとしたが、まるで使える球種がなく悩んでいたところに現れた野呂(勝呂)からフォークの投げ方を教わり、「ジャイロフォーク」として自分のものにした。

ベテランバッティングピッチャーから「投手は打たれてこそ分かることもある」と諭されたことで松尾(板尾)のウィークポイントを見つけ出す。直後、度胸を見込んだ日本代表監督の仰木(佐々木)からヤングジャパンチームへの参加を認められる。

こうしてレベルアップした吾郎だったが、練習試合でコジロー(京四郎)と松尾(板尾)にまたも力の差を見せつけられ、実力不足を感じた吾郎は一旦はアメリカに帰国した。
しかし、野呂(勝呂)が故障したことにより代替選手として日本代表へ合流することになる。
日本代表入りしてからは速球とフォークで制圧するクローザーとして活躍していたが、決勝のアメリカ戦ではギブソンJr.に2本のホームランを浴びて敗戦投手となってしまった。アニメ版では引退を考えるほどに落ち込んでいたが、かつてのチームメイト達が草野球を楽しむ様子を眺めているうちに少年時代の自分と語り合い、野球への情熱を取り戻すまでが描かれていた。


メジャー初年度編

決勝こそ残念な結果に終わったが、W杯の結果を認められ、シーズン入り直前にメジャー初昇格を果たす。
メジャー初先発試合では序盤から100mphを連発して三振を奪い続ける好投を続け、あわやノーヒッターというところまで行っていたが、終盤で突如乱調に陥ると自ら背筋痛を申し出て降板するというらしくない姿を見せる。
2戦目は自らのトラウマである頭部死球を与えてしまい危険球退場*3。3試合目では1イニングすら投げられず、マイナー降格となった。
明らかに様子がおかしかったところ、オリバーという男のもとに突然送られた吾郎。そこで自分がW杯以後イップスに陥っているのではという指摘を受け、治療を受けることに。
治療を受けて以降はとりあえず安定感は取り戻し、ホーネッツにも再昇格したが、以前のような闘志をもって抑えるような投球ではなく、勝ったり負けたりという結果が続く。オリバーからは「W杯で負けたことがイップスの原因では無くて、幼少の頃からの野球の目標でもあったギブソンとW杯で戦えたことで満足してしまって新たな目標が見出せていないでいる」と言われる。

そんなシーズン中、突如ギブソンが現役復帰を発表。
当初は吾郎にも超特大ホームランを打たれたりとボコボコにされ衰えを見せる投球だったが、再びトレーニングを積み、ある日の2Aの試合では90mph後半の速球を投げるなど復活を印象づけるピッチングを見せていた。
その試合にはオリバーの誘いで吾郎も見に来ており、これを見た吾郎はイップスの治療後見失っていた野球への情熱を取り戻した。

その後完全復活した吾郎は100mphを連発し先発として躍動していたが、シーズン終盤に腕に突如として違和感を覚え、診察を受けた所、血行障害と診断される。だが治療を受ければ残りの試合には出られないと聞くと治療を拒んだ。
また、ホーネッツの守護神を務めていたワッツの故障による不調が続いていたため、クローザーへ返り咲くことになった。

そのまま騙し騙し地区優勝決定戦まで代理守護神として登板していたが、最終コヨーテス戦にて血行障害の症状が現れる。何とか目の前の打者は三振に切ったがここで自らマウンドを降り、ロッカールームに戻る最中に今までの無理が祟ってしまい倒れてしまう。その後救急搬送され肩の手術を受けたことで吾郎のメジャー初のシーズンは終わりを告げた。
地区優勝は果たしたが、手術や病み上がりもあってワッツと共にグラウンドで観戦をして自分達が出れなかった無念さを抱いたが、いつか一緒にワールドシリーズに出ようと誓った。


メジャー2年目以降・ワールドシリーズ編

シーズンオフで日本に帰国後、薫にプロポーズし、その後結婚した。
選手としてはメジャー2年目から5年目は先発として活躍しており、その間に最多勝とサイ・ヤング賞に2度獲得するという輝かしい活躍を見せる*4
しかしメジャー5年目に血行障害を再発したことで球数と身体への負担が少ないクローザーに転向し、メジャー7年目以降に2年連続最多セーブ*5を獲得している。
ちなみに当然ながらメジャー各球団から引く手数多で、チームメイトもFAで金払いの良い球団や優勝を狙える球団に移籍するだろうと思われていたが、吾郎は「怪我や病気で球団やチームメイトやファンに迷惑をかけた分をまだ返せてない」「恩返しをするまでは出て行けない」「バッツ時代からのチームメイト達とワールドチャンピオンになりたい」とホーネッツに所属し続ける道を選んでいる。

そしてメジャー8年目、親友の寿也がホーネッツに、高校時代のライバルの眉村はレイダースに入団し、メジャーでの女房役だったキーン、ライバルだったギブソンJr.がレイダースに移籍。
そしてかつてのホーネッツの守護神ワッツがホーネッツの、ギブソンがレイダースのそれぞれ監督を務めるとメジャーリーグは大変動していた。

ワールドシリーズはそのレイダースとホーネッツの直接対決であり、第6戦で登板し寿也と久々にバッテリーを組んだ吾郎だったが、ギブソンJr.のピッチャーライナーが頭部に直撃し無念の降板となってしまう。
父親に起きた悲劇を連想した周囲から大きく心配されたが、無事に意識を取り戻し命に別状もなかった。
しかし大事を取り、第7戦では登板予定はなくベンチで見守る形になったが、乱打戦にしびれを切らして志願してブルペン入り。
この時はさすがの吾郎も登板する気はなかったが、チームが一打サヨナラ負けのピンチを招いた所で翻意し登板。
打球直撃の翌日ということもあり目眩を抱えながらの登板だったが、相変わらずの制圧力で抑えきる。

無理をして登板している吾郎に応えるべく満塁のチャンスを作り、寿也の一打で勝ち越したホーネッツ。
その裏のマウンドにも上がり、最後はギブソンJr.に粘られながらも空振り三振に仕留め、念願のワールドシリーズ制覇・胴上げ投手となった。

この夜に長女のいずみが誕生した。


日本プロ野球編

その後もメジャーの舞台で活躍していたが、左肩を故障してしまい、復活も厳しくなってしまったことからホーネッツからリリースされてしまう。
日本に帰国してからは父のように野手として再起を図ることとし、トライアウトを受けて横浜(ブルーオーシャンズ)に右投右打の外野手として入団。*6この時点で34歳であり、都合32~33歳くらいまでメジャーで投手として活躍した計算になる。
野手としての公式デビュー戦、一度壊した右肩を使ってのプレーなこともありお世辞にも強いとは言えない肩での守備や期待はずれな打撃によりファンからはブーイングを受けたが、7回に打席が回ってくると元メジャーリーガーのコルボーンからホームランを放って健在ぶりをアピールした。


MAJOR 2nd

40代後半にも関わらず台湾リーグや中南米のウィンターリーグで現役を続けており、大吾が中学生になってなお四国の独立リーグにて選手兼任コーチとしてプレーしている。
野球を続けつつも、父親として、野球少年のコーチとして不器用ながらも大吾達の成長を見守っている。
風林中学が辻堂中学との練習試合で完敗し、光の言葉で落ち込む大吾を見かね、自ら風林中学野球部の監督を引き受けようとしたが、風林中学の校長となっていた江頭に四半世紀経ってもなお自分に対する逆恨みから「指導資格を持たないから」という建前で申し出を拒否されたため、止む無く大河にコーチ、指導資格を持つ寿也に監督を依頼する。
その後も野球部のグラウンド確保問題を解消するために人数不足で廃部寸前だった眉村の娘が所属する大尾中野球部との合同チーム化を寿也に提案するなど陰ながらサポートしている。
また、練習で打球が伸び無いと若手の選手に譲ったりと歳相応に衰えを感じ現役生活に潮時を感じているようである。


【吾郎のプレースタイル】

  • 右投げだったリトル時代から球速は120km/h。リトル後半にはチェンジアップも完成させた。故障して以降一線級の投手としては使い物にならなくなったが、晩年に野手として再起するべくトレーニングしたおかげからか40代後半でもとりあえず120km/h程度の球は投げられる。

  • スタミナも無尽蔵で中4が当たり前のメジャーリーグですら平気で完投完封する。コントロールは時期によってブレはあるがメジャー後半頃だと非常に高い制球力を持っている。

  • 打撃センスも抜群で左打席、しかも右腕一本で柵越えを打ったこともある。

  • 俊足といわれることはないが、盗塁を試みたり内野フライでタッチアップで生還したりといったプレイを見せているため、足も速く、走塁技術も高い。

  • 作品の末期まで基本的に投手一筋だったが他ポジションの守備も上手く、外野守備に必要な勘も一晩で身につけた。聖秀学院編では当初ファーストで出場していたが平気でセカンドあたりまでの守備範囲をカバーしてた。

  • 高校時代からは球の初速と終速の差が小さいジャイロボールを習得している。
    このジャイロボールはゲームやアニメにも大きく取り扱われた。吾郎の代名詞。

  • 牽制やクイックは苦手。外国人投手に時折いる「どんなに走られようが抑えりゃいい」理論を貫いている。

  • 日本代表編からはフォークを習得。一応カウント球でスライダーとカーブも投げるらしい。右投手時代に投げていたチェンジアップは左では制球不能らしい。

  • メジャー時代の最高球速は102mph(164キロ)(アニメでは103mph(165キロ))。連載当時日本人の左投手で150km/hを超える速球を投げる人物が殆どいないなかで異質としか言えない球速を残していた。現在は菊池雄星がメジャーにて99mph(159km/h)を記録しているほか、日本人左投手でも150km/hを記録する投手がちらほら現れている。

  • 2010年代に現れた大谷翔平は「二刀流」「160㎞オーバーの直球」「高い長打力」「俊足」等々の特徴からリアル茂野吾郎と称されていた。現在ではあちらが度々漫画超えの成績を残すせいであまり言われなくなったが。



……ちなみに茂野吾郎の代名詞となっている『ジャイロボール』だが、残念ながら実際に160キロでジャイロ回転のボールを投げても、彼ような直線的な軌道のストレートにはならない。
というのも「空気抵抗が少ないため減速が少ない」という理論は事実なのだが、ジャイロ回転では揚力を得られないため、地球の重力によってミットに届く前に自由落下する。

ジャイロ回転に近いとほぼ真下に落ちる縦スライダーとなり、そこから回転軸が傾くとカットボール、スライダー、シンカー等になる。
つまりジャイロボールとは「変化球」であり、現に多くの投手がこのジャイロ回転の変化球を投げている。
……が、この漫画(とパワプロ)の影響によって「ジャイロボール=ノビるストレート」という間違ったイメージが広く蔓延し、少年野球やメディアを混乱させた。

のちに作者の満田は、人生でついた最も大きなとしてこのジャイロボールを挙げている。



俺の目標はただ一つ……おとさんと同じwiki篭りになることだ!!

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  • 主人公
  • 前作主人公
  • サウスポー
  • 満身創痍
  • 壮絶すぎる人生
  • 苦悩の連続

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最終更新:2024年01月17日 04:27

*1 後に蒲田は江頭に脅迫されたとはいえ、吾郎を負傷させたことを激しく後悔し、理事長に内部告発したあと、野球部を退部した。

*2 アニメでは103mph(165km/h

*3 なお、現実のメジャーリーグにはそのような制度はない。

*4 アジア人の最多勝は王建民が2006年に、ダルビッシュ有が2020年に獲得しているが、サイ・ヤング賞は投票2位に入ることは何度かあるものの未だにアジア人の受賞はない。最優秀防御率であれば柳賢振が2019年に獲得している。

*5 こちらもアジア人の受賞はなし。佐々木主浩が2001年に45Sを上げて2位になったのが最高。

*6 なお、吾郎はNPBの経験がないため現行制度の場合はドラフト会議を経由して入団することになる。