ライスシャワー(競走馬)

登録日:2012/05/21 Mon 11:46:26
更新日:2024/03/14 Thu 22:18:14
所要時間:約 6 分で読めます






淀を愛した、孤高のステイヤー。

ヒーロー列伝No.39より



ライスシャワー(Rice Shower)とは、1990年代に日本の中央競馬で活躍した競走馬
関東馬でありながら、淀の京都競馬場を得意とし、主に3000m以上のレースで勝利を重ねた長距離馬(ステイヤー)として、日本の競馬史に名を刻んだ。
また、そのドラマチックな経歴から、現在でも非常に人気の高い競走馬の一頭である。

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ライスシャワー(ウマ娘 プリティーダービー)


目次

【データ】

父親:リアルシャダイ
母親:ライラックポイント
母父:マルゼンスキー
生年:1989年3月5日
死没:1995年6月4日
調教師:飯塚好次 (美浦)
馬主:栗林英雄
生産者:ユートピア牧場
産地:登別市
セリ取引価格:-
獲得賞金:6億6,686万円
通算成績:25戦6勝[6-5-2-12]
主な勝鞍:92'菊花賞・93'天皇賞(春)・95'天皇賞(春)

【経歴】


誕生

1989年3月5日…登別ユートピア牧場にて、
とても小さく、そして美しい漆黒の毛並を持った仔が産まれ落ちた。

父のリアルシャダイから抜群のスタミナを、
母の父マルゼンスキーからは素晴らしい身体能力を継承し、
その仔馬は成長するにつれ優れた素質を開花させていった。

その仔馬は1991年に関東の美浦トレーニングセンターにある飯塚好次調教師の厩舎に入厩した時、ようやく名前が与えられた。


『ライスシャワー』


結婚式で新郎新婦を祝福し、2人の幸せを願って振りまかれるライスシャワーのように、この馬に触れた全ての人へ幸せが訪れるようにという願いが込められていた。

デビュー戦〜日本ダービー

同年8月、新潟での新馬戦(芝・1000m)でデビュー。後に長距離GⅠで3勝する馬とは思えない舞台。
古今東西クラシックを狙う馬はマイル以上の距離でデビューすることがほとんどなのでこの時点での期待のなさがうかがえる。
奇しくも後にライバルとなるミホノブルボンもデビュー戦は芝1000mである。
続く新潟3歳Sでは惨敗したが、3戦目の芙蓉Sにて晴れてオープン入り。
だがレース後に右前脚の骨折が判明し、長期休養へ。
復帰戦は4歳になってから挑んだスプリングS。ここで、ミホノブルボンと初対決となる。4着に入るものの、勝ったミホノブルボンとの差は9馬身もあった。
続く皐月賞では、新たに的場均騎手を迎えるも8着。前走と同じように、後方でミホノブルボンの勝利を見届けるしかなかった。

ブルボンの背中は遥かに遠く、大きな差が確かにこのときはあったのだ。

NHK杯でも8着と、イマイチ乗り切れない。だが、これらの敗戦はライスシャワーの闘争心に火を付けた。

次走の日本ダービーでは、16番人気ながらもミホノブルボンやマヤノペトリュースらと激闘を演じて見せた。最後はブルボンに4馬身ちぎられてしまったが、それに次ぐ2着に入り、万馬券の立役者となる。

三冠阻止

休養明けのセントライト記念は、田中勝春騎手に乗り替わりレガシーワールドに次ぐ2着。
続く京都新聞杯では、的場騎手を再び鞍上に迎え(これ以降乗り替わりなし)ミホノブルボンと4度目の対戦に。結果はまたもブルボンの後塵を拝する形の2着。だがその差は1馬身半、着差だけでなく力の差も確実に詰まっていた。

次戦は菊花賞。京都競馬場で開催される、芝3000mのレース。特徴は何より、三冠レースの中では最もレース距離が長いことである。
ライスシャワーは入厩当初から心肺能力の高さを陣営から評価されており、スタミナが要求される条件はライスシャワーにとって有利に働くと考えていた。また、リアルシャダイの産駒には長距離に強い馬が多く、これらのことから、彼にとってはこれまでで最も得意とする条件でのレースとなる見込みが高かった。
実際、ブルボン側は着実に身体を仕上げ、徐々に着差を縮めてきていたライスシャワーの事は相当警戒していたという。

一方でミホノブルボンは血統だけ見ればマイル以下の馬と見られており、中距離レースですら長すぎるという評価が妥当。厳しい調教で鍛え上げて距離適性を克服したこと、それによって負け知らずで二冠を達成できたことは、競馬の常識を覆す奇跡といってよかった。それがブルボンの凄さではあるのだが、裏を返せばブルボンがさらなる距離延長に調教だけで適応できる保証はどこにもなかったのだ。

しかし、これまでの圧倒的なパフォーマンスから、多くの関係者やファンはこの菊花賞の大本命をミホノブルボンと見ており、事実ブルボンは単勝1.5倍という圧倒的な1番人気を背負っていた。ライスシャワーはダービーと前走で最もブルボンに迫ったことから2番人気に推されるが、オッズは単勝7.3倍と対抗と言うのも憚れる数字。

関西の京都競馬場で、関西馬ミホノブルボンが無敗の三冠を達成する。そんなシナリオがいかに競馬の関係者やファンから確実視され、またその快挙を期待されていたのか、よくわかるだろう。

そしてレース本番。スタートから逃げるキョウエイボーガンを終盤に捉えたミホノブルボンが先頭のまま最後の直線へ入り、このままま押し切りにかかる。この瞬間、見ていた競馬ファンの多くはブルボンの三冠達成を確信した。
しかし、ライスシャワーは上りタイム34.6秒*1というとんでもない末脚でブルボンを抜き去り、そのままゴール板を駆け抜けた。



ミホノブルボンは三冠目ならず!

ライスシャワーです!!ライスシャワーです!!


あ~っという悲鳴にかわりましたゴール前



念願のGⅠ初制覇。勝ちタイムは3分5秒0で、日本における芝3000mレースのレコードタイムを更新するというおまけつきである。

しかし、ミホノブルボンの無敗三冠を期待していたファンや、ブルボンの馬券を買っていた観客が多かったためか、観客席から拍手はなく、一つ間違えればブーイングの嵐が起きそうな雰囲気がレース後に漂っていたという。

有馬記念は1番人気のトウカイテイオーをマークしながらレースを進めるが、肝心のトウカイテイオーが不調から11着に沈んでしまい、ライスシャワー自身もそれに巻き込まれて8着。これを最後に4歳のシーズンを終えた。

関東の黒い刺客

翌1993年。初戦の目黒記念で2着。次戦日経賞で軽く勝利すると、次走を天皇賞(春)と定めた。京都競馬場で開催される、芝3200mのGⅠレースである。
菊花賞と同じ場所で開催される長距離のレース。ライスシャワーにとって得意な舞台であることに疑いはなかった。

だが、そのレースで勝つためには、越えなければならない大きな壁があった。
それは3年前の菊花賞を制し、一昨年、昨年と天皇賞(春)を2連覇していた長距離レースの絶対王者、メジロマックイーンである。

メジロマックイーンは、菊花賞で距離適性不安が囁かれていたミホノブルボンとは違い、血統面でも最強のステイヤーの名に相応しいものを持っていた。何を隠そう、父のメジロティターンと、その父であるメジロアサマも天皇賞を制した実績があったのだから。
実績を見ても、連対率(2着以上)80%以上、重賞7勝を誇り、特に3000m以上の重賞は5戦5勝無敗。まさに絶対王者である。それに加えて、マックイーンの鞍上は天皇賞(春)を既に4連覇していた武豊騎手であった。

飯塚調教師は、生半可な鍛え方ではマックイーンに勝ち目がないことを知っていた。そこで、天皇賞(春)に向けて、ライスシャワーにスパルタと言えるほど厳しい調教を重ねた。
あまりの厳しさに、その様子を見た他の調教師から「馬がレースに出るより先に潰れてしまう」と忠告されることもあったという。

レース本番。1番人気はやはりメジロマックイーン。前走の大阪杯を、怪我明け1年振りのレースという不安要素がありながらも5馬身差&レコードタイムで圧勝していた。それに加えてマックイーンの天皇賞(春)3連覇、という前人未到の記録を多くの人が期待していたことも相まって、単勝で1.6倍の人気がついていた。

ライスシャワーは単勝5.2倍。2番人気ではあるが、やはりオッズでは大きく遅れをとっていた。

しかし、この時のライスシャワーの馬体は、先述の調教で極限まで絞られていた。前走に比べ12kgも馬体重が減少しており、的場騎手をして「馬ではない、何か別の生き物に見えた」と言わしめるほどの状態だったのである。

レースは、スタートから大きく逃げるメジロパーマー、それを2番手集団から追いかけるマックイーン、そしてそのマックイーンを徹底的にマークするライスシャワーという形で進み、最終コーナーで先頭争いはその3頭に絞られていた。
最後の直線で、マックイーンはパーマーを抜き去り先頭へ。しかし、その外から漆黒の馬体がメジロマックイーンに襲いかかる。



ライスシャワーだ!ライスシャワーだ!

昨年の菊花賞でも、ミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーだ!!



真っ向勝負でメジロの2頭をかわし切ったライスシャワーは、そのまま抜け出し2馬身半まで差を広げていく。そして…



ライスシャワー1着!マックイーンは2着!!

関東の刺客、ライスシャワー!

天皇賞でも、圧倒的な人気のメジロマックイーンをやぶりました!!



ライスシャワーはどの馬より先にゴール板を駆け抜け、見事に春の楯を手に入れた。勝ちタイムは、3分17秒1。芝3200mレコードタイムを更新する文句なしのレースを見せたのである。

しかし、マックイーンの3連覇を期待していた競馬ファンの期待を潰したことで、競馬場の雰囲気は菊花賞の時とよく似たものになっていた。この勝利もまた、ファンにあまり歓迎されていなかったのである。

マックイーンもブルボン同様に関西馬であり、関西馬の大記録がかかった関西のレースで、関東馬ライスシャワーがそれを阻止したという状況は菊花賞と全く同じであり、それもこの状況に拍車をかけていた。

このレース後、上記の杉本清*2の実況や、新聞の見出しにより、『関東の(黒い)刺客』とライスシャワーは称されるようになった。

そして、菊花賞から重なり続けたこれらの出来事により、ライスシャワーには、名馬たちの大記録を阻んだ悪役(ヒール)としてのイメージがついて回るようになってしまった

悪役(ヒール)の苦悩

そんな一方で、ミホノブルボンは菊花賞後に怪我で引退。メジロマックイーンも天皇賞(春)での敗北後に宝塚記念と京都大賞で勝利を挙げて復活するものの、その後やはり怪我で引退となった。強敵2頭がターフから去り、ライスシャワーはこの後も勝利を重ねるものと思われた。

…だが

前述の通り馬が壊れてしまいそうなほどの過度の調教を課した反動があったのか、それ以降は勝ちに見放されてしまう。
1番人気に支持されたオールカマーでツインターボの逃げ切りを許し3着になったのを皮切りに、天皇賞(秋)も1番人気からの6着、ジャパンカップは14着、この年最後のレースとなった有馬記念トウカイテイオー奇跡の復活の前に8着。

年明けて、1994年。春の目標は、天皇賞(春)で再び勝利し、かつてマックイーンが手にした2連覇の栄光を自身も手にすることだった。京都記念は60kgの斤量を背負ったことが響いたのか5着、しかし天皇賞(春)の前哨戦として出走した日経賞では、ステージチャンプからハナ差の2着に粘り、復活の兆しを見せた。

ところが、その後再び右前脚を骨折。これで天皇賞(春)の回避が決定。連覇の夢は脆くも崩れ去った。

この骨折は、治療後にレースに復帰できるか、あるいは復帰できても、骨折以前の競走能力を維持できるかどうかわからないほど深刻なものだったため、陣営はライスシャワーの引退を考え始め、種牡馬入りする道を模索することになった。
しかし、種付けが難しい上に競走馬としてハンデになるケースも多い小柄な馬体や、長距離のレースでしか高い実績を残せていないことが足枷となり、既に種牡馬入りしているミホノブルボンとメジロマックイーンを相手にGⅠで勝利した実績があるにもかかわらず、買い手を見つけることができなかった。これにより、治療後も現役競走馬を続けることになった。

幸いにも怪我の回復は想定より早く、翌年春の予定だった復帰を、年末の有馬記念に前倒しすることとなった。この復帰戦では、この年の三冠馬であるナリタブライアンの3着に入る健闘を見せるものの、やはり勝てないレースは続いた。

なお、どさくさに紛れてナイスネイチャの4年連続の記録が懸かった順位を奪った形になったが、肝心のナイスネイチャがアイルトンシンボリにも負けて5着だったせいかあまり話題にならなかった。

ライスシャワーは、この不振によりファンの不興をさらに買ってしまった。ミホノブルボンやメジロマックイーンの偉業を阻むだけ阻んでおきながら、それ以降に凡走を続けたことで、2頭の顔に泥を塗っているという声が少なからずあったのである。
杉本アナウンサーも、自身の持ち番組で
「マックイーンやブルボンに勝って大記録を阻んだのはいい。だが、その後の成績が悪すぎるのはいただけない。これではあの2頭に対して、あまりにも失礼ではないだろうか?
と、ライスシャワーの不甲斐なさを批判していた。

強さの証明

1995年。ライスシャワーは、この年の京都記念で始動するも6着。続く日経賞でも6着。どちらのレースでも1番人気だったが、掲示板に載ることすらできず、不振脱出の糸口が見つからないまま、再び天皇賞(春)に出走することとなった。
舞台が京都競馬場に戻った*3このレース、本命視されていたナリタブライアンと、対抗馬と目されていたサクラローレルが共に怪我で回避。前年覇者のビワハヤヒデは既に引退。それらのことから、このレースの勢力図は混戦模様となっていた。

残った有力馬に目を移すと、1番人気のエアダブリンは直前に長距離レースを2連勝していたが、どちらもGⅢ。2番人気のインターライナーは前走の日経賞を制している一方で、3000m以上のレースは前年の菊花賞を走ったのみ。そのときは掲示板すらも外していた。3番人気のハギノリアルキングは、前走の阪神大賞典で2着に入ったものの、勝ち馬のナリタブライアンには7馬身も差をつけられていた。端的に言ってしまえば、混戦模様はメンバーが手薄だったことの裏返しだったのである。

出走馬の中で、GⅠホースはライスシャワーだけ。そのGⅠのうち1つは他ならぬ天皇賞(春)でのレコード勝ち。実績だけ見れば抜きん出ていたものを持っているはずだった。

それにもかかわらず、ライスシャワーはこのレースで4番人気に甘んじていた。2年間続いた敗戦や前年の骨折などの影響もあり、多くのファンは彼に燃え尽きて衰え、既に終わってしまった馬というレッテルを貼っていたのだ。


ライスシャワーは1コーナーを過ぎるまで中団に位置し、2コーナー以降はエアダブリン、インターライナーら人気馬と共に先頭集団の中でレースを進める。そして3コーナー。



ライスシャワー、ライスシャワーがいく

マックイーンも、ミホノブルボンも、恐らく応援しているのではないかと思います



杉本アナウンサーの声が聞こえたかのように、坂の登りで自らペースを上げて先頭に出るライスシャワー。残り距離は1000m。本来なら明らかな早仕掛けであり、騎手も一瞬ためらった。しかし、的場騎手はライスシャワーの気持ちとスタミナを信じ、ここから長い脚で追う奇策に出た。
そして、先頭のまま4コーナーを抜け、最後の直線へ…。



さあ、ライスシャワー先頭だ。

いや~やっぱりこの馬は強いのか~!



直線に入り、2番手を2馬身引き離すライスシャワー。エアダブリンにもインターライナーにも追う力はもう残されていない。しかし、そんな中猛烈に外から追い込んでくる馬がいた。



外からステージチャンプ!外からステージチャンプ!!



前年の日経賞でライスシャワーを打ち負かしたステージチャンプだった。
内で粘るライスシャワー、外から追い込むステージチャンプ。



ライスシャワー先頭だ!ステージチャンプ!

ステージチャンプが2番手に上がった!ライスシャワー!ライスシャワーとステージチャンプ!



2頭は、ほぼ横並びでゴール板を駆け抜けた。ステージチャンプの鞍上にいる蛯名騎手はガッツポーズをする一方、杉本アナウンサーは、ライスシャワーの勝利をアナウンス。
そんな混乱した状況の中で、的場騎手はライスシャワーの首筋を軽く叩き、愛馬の健闘を労っていた。

ハナ差で決着した1着争いは、そのまま写真判定にもつれ込む。そして…ゴールから4分後、掲示板の1着には3番、ライスシャワーの馬番が掲示された。




いや~、やったやったライスシャワーです!



おそらく、おそらく、メジロマックイーンも、ミホノブルボンも喜んでいることでしょう!



ライスシャワー今日はやった~!
勝ち時計3分19秒9!ライスシャワーです!



僅か16cmの差で、ライスシャワーが1着をもぎ取った。2年前の天皇賞(春)以来、実に728日ぶりの勝利だった。

スランプと怪我を乗り越えての感動的な復活劇に、かつてライスシャワーに冷たい視線を送っていた競馬ファンたちは、彼に暖かい祝福の拍手を送った。

悪役(ヒール)の汚名を返上し、ミホノブルボンやメジロマックイーンと肩を並べるに相応しい名馬として、ライスシャワーはようやく認められたのである。

悪役(ヒール)から、主役(ヒーロー)

天皇賞(春)の勝利後、疲れがなかなか抜けず、秋まで休養するか、あるいはこのまま引退かという話もあったが、ライスシャワーの陣営は、春最後のGⅠレースである宝塚記念(芝・2200m)への出走を決意した。

この出走を決めた大きな理由は3つあった。

まず、中距離であるこのレースに勝てば、以前種牡馬入りに失敗したとき問題となった「長距離以外では大きなレースでの勝利がない」という足枷をなくせること。

次に、通常の開催地である阪神競馬場が阪神淡路大震災で被害を受けて使えなくなり、代替開催地がライスシャワーの得意としている京都競馬場に決まったこと。

そして、このレースの出走馬を決めるにあたって実施されたファン投票でライスシャワーは見事1位を獲得しており、陣営は投票してくれたファンの気持ちになんとか応えたいと考えていたことだった。



そう、

このレースはライスシャワーにとって初めて

競馬ファンの声援を一身に受けながら

主役(ヒーロー)として走る大舞台になる






……はずだった(・・・・・)

淀の悲劇


そして迎えた1995年6月4日


午後3時30分過ぎに、運命のゲートが開いた。

スタートから最低人気のトーヨーリファールが逃げ、それをダンツシアトル、タイキブリザード、ネーハイシーザーら人気馬が追いかける展開となった。

一方のライスシャワーは、1番人気のサクラチトセオーらと後方集団でレースを進めていた。

馬群は1~2コーナーを抜け、3コーナーを曲がり、勝負どころで後方から徐々に脚を伸ばそうとした…その時だった。


おっと一頭落馬!一頭落馬!これは何が落馬したんでしょうか!?


ライスシャワー落馬!ライスシャワー落馬であります!


大波乱!大波乱!第3コーナーの下りであの、あの天皇賞では先行でわたったライスシャワーが落馬しています!

第3コーナーで大アクシデント!第3コーナーで大アクシデント!



観客席から大きな悲鳴が上がった。…ライスシャワーは故障を発生し、前のめりに転倒。そのまま競争を中止。事故現場にはすぐに獣医師を含む運営スタッフが駆けつけた。投げ出された的場騎手は幸いにも軽い打撲ですみ、命に別状はなかった。

しかし、ライスシャワーの怪我はあまりにも深刻だった。彼の左前脚の骨は、骨折と脱臼によって皮膚を突き破り、馬体の外に露出していた。これほどの状態では、もはや馬運車に乗せることすらできず、診療所へ辿り着けたとしても、手の施しようがないのは明らかだった。
ライスシャワーは予後不良と診断され、コース上に幕が張られた中で安楽死処分となった。

彼の亡骸を運ぶ馬運車を、的場騎手は敬礼しながら見つめていた。

この事故は「淀の悲劇」として、今尚競馬ファンの心に深い傷痕を残し続けている。

「ライスシャワーは僕の命の恩人です。最期に脚を故障した時、前のめりに倒れ込もうとしたので(このままだと的場自身がライスシャワーの下敷きになるので)慌てて手綱を引いた。ダメな馬だと瞬時には反応できないし、普通でも怪我のためにパニックになってしまう。しかしライスシャワーは瞬時に反応し痛む脚で踏ん張って身体を起こし、僕を落としてから倒れていった。本当に感謝してもしきれないくらいです」
────的場均

【余談】

死後と評価

ライスシャワーの死は、競馬界に多大な影響をもたらした。
高速馬場の批判、酷使に対する風当たり、安楽死に対する風潮。

6年連続有馬記念出場の記録を目前に控えたナイスネイチャが急に引退したのも、脚部不安を起こしていたナイスネイチャを走らせて同じ悲劇が起きる事を厩務員が恐れたからだったという。
また記録阻止してるよこの馬
しかし、引退したナイスネイチャは2023年5月に天寿を全うするまで実に35年間という非常に長い生涯を送り、彼にしか果たせない役割(詳細はネイチャのページを参照)を果たしきってみせた。この事実が厩務員と陣営の決断が正しかったことと、ライスシャワーの悲劇によって命を救われた馬もいたということを如実に物語っている。

一方でライスシャワー自身に関しては、現役時代にファンやマスコミの多くが、悪役という決してポジティブでない見方をしていながら、死後に手のひらを返してこの馬を過剰に美化したことに対する批判も少なくなかった。
また、彼の単純な成績だけを分析すると、3000m以上のレースで負け知らずだった一方で、2500m未満のレースでは重賞ですら勝利がない。底知れないスタミナという大きな武器を持っていた一方で、単純なスピードや距離への順応性が高いと言える馬ではなかったのだ。

これらのことが、ライスシャワーという馬の総合的な能力を評価する上で足を引っ張っている側面があり、それが種牡馬入りを阻んでいたのは先述のとおりである。

だが、ミホノブルボンやメジロマックイーンといった強敵をレコードタイムと共に打ち破ったこともまた事実。これは実力のない馬に出来ることではない。強い馬の記録を阻むことができるのも、やはり強い馬なのである。
実際、どちらのレースにおいても2番人気…やや意訳ではあるが、謂わば「もし記録が達成されない(1番人気が勝てない)場合にはこの馬が勝つだろう」という風に見られる立場だったということもそれを裏付けている。

また、彼が活躍していた1990年代前半はブルボンやマックイーンの例にあるように西(栗東)から強い馬が続々と登場していた時期であり、そんな中で東(美浦)の所属でありながら西の馬を次々と打ち破っていたライスシャワーは、関東の競馬ファンの間では評価が高かったのだ。

そして何より、2度目の天皇賞(春)での復活劇は、周囲からどんな批判に晒され汚名を着せられても、長い間勝利から遠のいても、走れなくなってもおかしくない怪我を負っても、陣営や的場騎手が諦めずにこの馬と共に戦い続けた結果であり、それによって多くの人がライスシャワーを認めたからこそ、最後には宝塚記念のファン投票で1位になることができたのだ。

ライスシャワーは名馬に相応しい結果を残しており、悲劇的な最期を差し引いても、多くの競馬ファンに愛される魅力を持っていた。と言っていいだろう。
映画「シービスケット」が公開されたとき、ある競馬雑誌にて、日本にはもっとドラマチックな馬がいたとしてライスシャワーが紹介されたこともあるのだ。

的場騎手は後にライスシャワーについてこうも語っている。

「ライスシャワーに対して後悔していることが一つだけある。それは彼と初めて会ったときから、彼をGⅠを取る馬として接してあげれなかったことだ。馬を見る目には自信はあったのだが…。ライスシャワーはあれほど凄い馬だったのに」

調教師はこの最期に立ち合い、栗林家の人々と泣き崩れる厩務員とは逆に冷静に見届けていたが実のところ内心的には大きなショックを受けていた。
後年テレビ番組の取材で、最期にライスシャワーがつけていた蹄鉄を生産牧場・トレセン・競馬場・馬頭観音いずこにも納めず自宅で大切に保管していた*4ことが判明、2019年に亡くなるまで生涯手放すことはなかった。

ここまでに述べてきたいくつかの事実からわかるように、ライスシャワーは最初はそれほど期待されてはいない馬だった。
それでも、スピードが重視されていった競馬界において、時代に反逆した血脈で戦い、淀で咲き、淀で散っていったライスシャワー。

現在、この馬が制した3つのGⅠレース全ての舞台となり、最期のレースの舞台にもなった京都競馬場には、ライスシャワーの遺髪を納めた記念碑が設けられている。
彼の最期のレースの翌年に建立され*5、レースから四半世紀以上経つ今日も多くの献花や供え物がなされているこの碑には、馬主の妻の姉が詠んだ次の一句が刻まれている。



疾走の馬 青嶺の(たま)となり



再び、あのような事故がないことを祈りたい。

もう一人(頭)のヒール?

菊花賞でブルボンの三冠を阻んだライスシャワーだが、実は、当時ヒールとしてライスシャワー以上にバッシングを受けたのはキョウエイボーガンであった。
キョウエイボーガンはブルボン同様逃げ馬で、京都新聞杯ではブルボンにハナをきられたことでペース配分が上手くいかず敗れたことから、菊花賞ではブルボンに先手をうち道中では1番手をひたすら走っていた。
これにより京都新聞杯とは逆にブルボンが掛かってしまう。ペースが乱れたブルボンは、それが響いて最終直線でライスシャワーに差されてしまい三冠を逃すことになった。一方で、当のキョウエイボーガンは第3コーナーで失速し16着の大敗という結果。
これには一般人のみならず評論家からも「くだらない馬」とまで言われるほど多くの人々から心無い罵声が叩きつけられた。
その後は成績も芳しくなく、引退後は廃用されることもほぼ決定していた。
だが廃用当日、とある女性ファンがキョウエイボーガンを10万円で買い取りたいと申し出てきた。
その女性ファンの尽力もあり、その後は引退馬協会で管理され、功労馬として余生を送ることに。

2021年に同期のジャパンカップを制したレガシーワールドが死去したことで、重賞を制した92年世代では唯一の生き残りとなった。
功労馬になってからは、重賞馬としてはナイスネイチャに次ぐ長命で、時折体調を崩すこともあったが元気な姿を見せていた。
いつしか「大記録を阻んだヒール」から徐々にその声は少なくなり「愛される馬」になっていく、とライスシャワーと似たような境遇を辿っていった。
だが翌2022年元旦に持病の蹄葉炎が悪化、起立不能になったため安楽死の処置が取られ、初日の出の中33年にわたる波瀾万丈の生涯に幕を下ろした。
こうしてかつて菊の花をめぐって競い合った競走馬たちは、皆同じターフへと去っていった。


【創作作品への登場】

実は意外にもヒール時代とヒーロー時代を通しで描いた作品は少ない。
また、名前繋がりで(ライス)ネタがやたら多い。

  • 『優駿たちの蹄跡』
2巻とわりと早い段階で登場。晩年の天皇賞(春)→宝塚のローテが取り上げられており、
斜陽になりゆくステイヤーの悲哀とゆえに種牡馬価値のため宝塚記念出走を選ばざるを得なかった最期が、就活で右往左往する大学生を通じて描かれている。
なお菊花賞に関しては、後に『優駿たちの蹄跡』のグラールストーン編で一コマだけ、『令和 優駿たちの蹄跡』のキョウエイボーガン編(彼の馬生と最期の日を綴った物語)でボーガン視点から触れられている。
また、『優駿劇場』でも天皇賞(春)での復活勝利が扱われている。
長いスランプに一度は夜逃げして(ライス)農家に転職しようとするほど精神的に追い詰められるも、
発破をかけるためにあえて悪役を演じる同じリアルシャダイ産駒達の野次を浴びて奮起、見事復活勝利を飾る。
その他ツインターボのオールカマー回とトウカイテイオーの復活有馬回にもライバル出走馬として出演しており、地味に登場回数が多い。
ちなみに後者では自分が野次る側*6に回っている。

レコード更新を阻止するのが趣味のヒール生意気キャラとして登場。
自分の実績を記した襷と巨大な金棒がトレードマーク。
よしだ先生がアンチライスシャワーだったからとも言われている……が、実際には単なるデマである*7
やっぱりと言うか(ライス)好きで、米の輸入自由化や稲作問題についても関心が深い*8
扱われた出走レースは1994年日経賞が最後だったため、生前は特に復活も描かれないままいつの間にか死んでた扱い*9だったが、
死後はレコード更新の話題があると「上」から降臨しては阻止しようとしてくる名物キャラとなった。
ネタの性質上あんまり阻止できてないのは内緒。

悪意の欠片もない健気なロリっ子*10として擬人化。
実馬の名前の由来通り、誰かの幸せをいつも願う優しい性格をしている。それなのに、間の悪さから自他問わず不幸・不運を呼びこんでしまう「体質」を持っていることが悩みの種。そしてそんな彼女もレコードブレイカーになる運命であり……
アニメ2期でヒール時代の物語がフィーチャーされた事、そしてゲームのリリースがフィーチャーされた回の直後というタイミングだったこともあり(ゲームの一部ではヒーロー時代も)、本作でも屈指の人気キャラの一人となっている。
アプリ版ではトレーナーのことを「お兄さま/お姉さま」と呼ぶため保護欲をかき立てられるプレイヤーが続出した。
メインストーリーにもがっつり登場するなど出番に恵まれている。
しかし、だからと言って迂闊に彼女の育成に手を出すとアホみたいに高いクリア難易度という彼女への愛が試される試練が待ち受けているため注意が必要。不幸になるってそういう…。
ちなみに朝はパン派ゴルシ「ありゃ、なにかの主張なのか…!? 自分へのアンチテーゼとか…ッ!?」
詳しくは項目参照。





追記・修正は苦労の末ヒーローになった人にお願いします。

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最終更新:2024年03月14日 22:18

*1 これは2011年の同レースで三冠を決めたオルフェーヴルと同等のタイムである。

*2 当時は関西テレビのアナウンサー。ライスシャワーがミホノブルボンに打ち勝った菊花賞の実況も担当していた。

*3 前年の天皇賞(春)では京都競馬場が工事中だったこともあり、阪神競馬場が使用されていた。

*4 しかもその日の京都競馬場の土が付着した状態のまま保管されていた。

*5 職員の発案によるものとされる。

*6 こちらは全力のトウカイテイオーとの勝負を望むビワハヤヒデの発案で行われた。

*7 本人はむしろ推しだったトウカイテイオーが達成できなかった三冠に王手をかけたミホノブルボンの方に複雑な感情を抱いていたとの事

*8 連載開始前年の1988年あたりから外国産米の輸入自由化が騒がれていた時期であり、1993年のウルグアイ・ラウンド農業協定で最低輸入量(ミニマム・アクセス)の強制輸入が課せられた時勢によるもの。

*9 一応死に触れたネタの構想はあったものの、作者の意向で自主的に没にしたとの事。

*10 設定上は高等部所属…つまり高校生。