1992年第53回菊花賞

登録日:2012/01/11 Wed 20:23:16
更新日:2024/02/12 Mon 19:54:30
所要時間:約 5 分で読めます





どこからでも
何でもこいと言う感じか
ミホノブルボン


1992年11月8日に京都競馬場で行われた第53回菊花賞はライスシャワーが勝ったレースである。


【馬柱】



1992年京都5回2日10R 第53回菊花賞
京都芝右3000m 四歳牡牝 定量(57kg)


馬名 騎手
1 1 ヤマニンミラクル 河内洋
2 メイキングテシオ 大崎昭一
2 3 サンキンタツマー 石橋守
4 メイショウセントロ 上籠勝仁
3 5 ワカサファイヤー 小屋敷昭
6 グラールストーン 松永昌博
4 7 ミホノブルボン 小島貞博
8 ライスシャワー 的場均
5 9 ランディーバーン 菅谷正巳
10 マチカネタンホイザ 岡部幸雄
6 11 ヘヴンリーヴォイス 田面木博
12 キョウエイボーガン 松永幹夫
7 13 ヤングライジン 佐藤哲三
14 バンブーゲネシス 武豊
15 セキテイリュウオー 田中勝春
8 16 スーパーソブリン 横山典弘
17 セントライトシチー 南井克巳
18 ダイイチジョイフル 千田輝彦


この年の牡馬クラシック戦線は平成最強の逃げ馬、ミホノブルボンの独壇場で、無敗の二冠を達成していた。
ミホノブルボンは基本的にスプリンターと言われていて、レースを重ねる度に伸びる距離へ挑戦していた。
クラシック最長距離の菊花賞では他の17頭がどこまで迫れるかに注目が集まっていた。

圧倒的1番人気はもちろんミホノブルボン。
無敗の二冠馬で前走の京都新聞杯も日本レコードで勝っていた。
2番人気はダービーに続いてミホノブルボンと同枠を引いたライスシャワー。
ダービー2着馬で前走京都新聞杯もミホノブルボンの2着だった。
3番人気はダービー4着馬で前走カシオペアステークスで古馬相手に2着のマチカネタンホイザ。
4番人気は前走セントライト記念3着のスーパーソブリンだった。


三冠馬の誕生を祝うかのような快晴の下レースは始まった。
ライスシャワーやマチカネタンホイザらが僅かに出遅れる中、1番人気のミホノブルボンは好スタートを決めた。
しかし、同じ逃げ馬で前走京都新聞杯では控えて大敗したキョウエイボーガンが、ダッシュを利かせて先頭に立った。
ミホノブルボンは前に馬を見てレースをするのは、朝日杯以来であり、その年は初めてであった。
久々に他馬を前に見たことで持ち前の負けん気に火が付き1周目の坂の下りで掛かってしまう。
しかし、鞍上の小島貞博騎手が懸命になだめてスタンド前でどうにか折り合う。

人気のライスシャワーやマチカネタンホイザは5、6番手の先行集団で前をうかがっていた。
ライスシャワーの鞍上の的場騎手は予想通りの展開に余裕があったと言う。

キョウエイボーガンが軽快に逃げ、それを追うミホノブルボン。
馬群は縦長に展開された。

向こう正面でキョウエイボーガンがペースを落とし、馬群は縮まっていった。

3コーナーを過ぎてキョウエイボーガンが一杯になるとようやくミホノブルボンが先頭に立った。
そこに今度はメイショウセントロが執拗に絡んできた。
それをようやく振り切って第4コーナーをミホノブルボンが先頭で回った。
いつものようにそこから後続を突き放していくかと思われたが、この日は違った。
外から2番人気の最強ステイヤーのライスシャワーが満を持して内のマチカネタンホイザと一緒に伸びてきたのだ。
勝負の行方はこの3頭に絞られ、後続は遥か後方に置いていかれた。
懸命に逃げるミホノブルボンだったがついにゴールまで残り100mと言う所でライスシャワーに捕まってしまう。
その瞬間、大歓声がため息に変わった。
そこから差を広げていくライスシャワー。
ミホノブルボンは内のマチカネタンホイザを抑えて2着を死守するのが精一杯だった。

結果

1着 ライスシャワー
2着 ミホノブルボン
3着 マチカネタンホイザ
4着 メイキングテシオ
5着 ダイイチジョイフル
6着 セキテイリュウオー
7着 ワカサファイヤー
8着 ヤマニンミラクル
9着 ヤングライジン
10着 グラールストーン
11着 スーパーソブリン
12着 メイショウセントロ
13着 セントライトシチー
14着 ランディーバーン
15着 バンブーゲネシス
16着 キョウエイボーガン
17着 サンキンタツマー
18着 ヘヴンリーヴォイス

払い戻し
単勝 8 730円 2番人気
複勝 8 170円 2番人気
7 110円 1番人気
10 220円 3番人気
枠連 4-4 490円 1番人気
馬連 7-8 490円 1番人気


勝ちタイムは3分05秒0のレコードタイムで無敗の三冠の夢は破れた。
ミホノブルボンは朝日杯(現・朝日杯FS)も制しているため、勝っていれば無敗の四冠馬の誕生だった。現在でも無敗の四冠馬はコントレイルただ1頭のみである。
しかもミホノブルボン自身、レコードタイムで走破しているのでその惜しさと言ったら相当のものである。
それから後10年以上経った後、先行して抜け出し菊花賞でディープインパクトの2着に粘ったアドマイヤジャパンが上がり3ハロン35秒5、
差し馬の三冠馬オルフェーヴルが同じ菊花賞で上がり3ハロン34秒6ということを考えればハイペースで2番手追走、
4コーナー先頭で上がり3ハロン35秒0というタイムは文句無い素晴らしい数字であり、
それを早めに動いたとは言え差し馬なオルフェーヴルの上がり3ハロンと同じ数字を先行集団の位置から使って交わし切ったライスシャワーはとんでもない馬だったと言える。

勝ったライスシャワーは翌年の天皇賞・春ではメジロマックイーンを破り、
そしてさらにそこから翌々年の天皇賞・春も制する最強レベルのステイヤーである。
無敗の三冠馬であるシンボリルドルフディープインパクトと対戦しても長距離レースでは好走以上すると思われる馬である。
もしミホノブルボンが他の世代であれば…と考えるファンも多い事だろう。

クラシックの最後の一冠を見事に勝利したライスシャワーであったが、このレースでの評価は勝った馬ではなく、ミホノブルボンを負かした馬として悪役(ヒール)扱いされた。ヒトカスめ…
それは翌年天皇賞・春でメジロマックイーンを破ることでピークに達し、それ以降は長く低迷したこともあってもう一度天皇賞・春を制するまで悪役イメージはつきまとっていた。
しかし関西馬全盛期に奮闘する関東馬として、特に関東のファンには人気のあった馬でもあった。
レース内容も正々堂々、真っ向勝負で勝ったもので、出し抜けなど姑息な手段を使わず正攻法で誇り高く堂々としたものであることから、実力のある魅力的な悪役(ヒール)であったと言えよう。

そしてもう一頭、悪役(ヒール)扱いされた馬がいた。
逃げ馬、キョウエイボーガン。
ミホノブルボンの3冠を阻止したのはライスシャワー。だが、邪魔をしたのはキョウエイボーガン。
16着で惨敗という結果もあり競馬ファンやマスコミに散々なバッシングを受ける事となった。
ライスシャワーの悪役(ヒール)扱いにはダークヒーロー的な側面もあったが、キョウエイボーガンにはそんなものも無く、ただただ理不尽なバッシングでしかなかったヒトカスめ…

だが、悪役はいても、悪者はいない。キョウエイボーガンとて懸命に走ったのだ。

後にキョウエイボーガンは「廃用寸前でファンの主婦に助けられた馬」として有名になり、2016年には飼い主の高齢化から本レース10着のグラールストーン(2011年他界)等の保護活動を起点とするNPO「引退馬協会」のフォスターホースとしても支援されることに。
2021年8月にレガシーワールド(同世代ながら去勢のせいでクラシック競走に参加できず)が他界したことで92年クラシック世代重賞馬最後の生き残りとなったが、2022年1月1日に息を引き取ったことが報じられた。享年32歳(満年齢。馬齢は1月1日に加算されるため33歳)。これで92年クラシック世代は全員この世を去った。

馬生というレースでは、キョウエイボーガンが一番長く逃げきったようだ。

ちなみに、漫画家のやまさき拓味氏は『優駿たちの蹄跡』でミホノブルボン・ライスシャワー・マチカネタンホイザ・グラールストーン、『令和 優駿たちの蹄跡』でキョウエイボーガンと本レース参戦馬を題材にした短編を描いており、
特にグラールストーンやその半兄ナイスネイチャを取材した縁からか、彼らやキョウエイボーガンの引退後を支える「引退馬協会」の理事の一人に名を連ねている。



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最終更新:2024年02月12日 19:54