サンデーサイレンス

登録日:2011/07/22 (金) 00:38:25
更新日:2024/03/31 Sun 15:14:47
所要時間:約 31 分で読めます






運命に噛みついた馬

レイ・ポーリック著の書籍タイトルより



サンデーサイレンス(英:Sunday Silence)とは、アメリカの元競走馬で、日本の種牡馬。イニシャルから「SS」とも呼ばれる。某第三帝国の親衛隊とは関係無い

雑草血統として誰にも期待されない悲惨な生い立ちから、良血のライバルとの死闘を幾度となく演じて素晴らしい成績を残し、種牡馬として日本に渡った後は日本競馬を文字通り一新させた、運命に抗った名馬にして歴史的大種牡馬




【データ】


生誕:1986年3月25日
死没:2002年8月19日(16歳没)
父:Halo
母:Wishing Well
母父:Understanding
生国:アメリカ合衆国
生産者:Oak Cliff Thoroughbreds Ltd.
馬主:アーサー・ハンコック3世、他3者による共同保有
調教師:チャーリー・ウッディンガム
主戦騎手:パット・ヴァレンズエラ
通算成績:14戦9勝[9-5-0-0]
主な勝ち鞍:89'サンタアニタダービー・ケンタッキーダービー・プリークネスS・スーパーダービー・BCクラシック、90'カリフォルニアンS
受賞歴:アメリカ競馬名誉の殿堂入り(1996年)、エクリプス賞・年度代表馬(1989年)、エクリプス賞・最優秀3歳牡馬(1989年)

【5世代血統】


Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to
1951 鹿毛
Royal Charger
1942 栗毛
Nearco
Sun Princess
Source Sucree
1940 黒鹿毛
Admiral Drake
Lavendula
Nothirdchance
1948 鹿毛
Blue Swords
1940 鹿毛
Blue Larkspur
Flaming Swords
Galla Colors
1943 黒鹿毛
Sir Gallahad
Rouge et Noir
Cosmah
1953 鹿毛
Cosmic Bomb
1944 黒鹿毛
Pharamond
1925 黒鹿毛
Phalaris
Selene
Banish Fear
1932 鹿毛
Blue Larkspur
Herodiade
Almahmoud
1947 栗毛
Mahmoud
1933 芦毛
Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator
1937 鹿毛
Peace Chance
Mother Goose
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding
1963 栗毛
Promised Land
1954 芦毛
Palestinian
1946 栗毛
Sun Again
Dolly Whisk
Mahmoudess
1942 芦毛
Mahmoud
Forever Yours
Pretty Ways
1953 黒鹿毛
Stymie
1941 栗毛
Equestrian
Stop Watch
Pretty Jo
1948 黒鹿毛
Bull Lea
Fib
Mountain Flower
1964 鹿毛
Montparnasse
1956
Gulf Stream
1943 栗毛
Hyperion
Tide-way
Mignon
1946 栗毛
Fox Cub
Mi Condesa
Edelweiss
1959 鹿毛
Hillary
1952 黒鹿毛
Khaled
Snow Bunny
Dowager
1948 鹿毛
Free France
Marcellina
5世代の近親交配 Mahmoud 9.38% 4×5
Blue Larkspur 6.25% 5×5

【誕生】


1986年3月25日―――
アメリカ・ケンタッキー州のストーンファームにて、1頭の青鹿毛のヘイロー産駒が産声を上げた。
しかし、その見栄えはあまりにも酷かった。後脚が内側に大きく湾曲していたからだ。なにせ母馬の馬主のアドバイザーが「あんな酷い当歳(0歳)馬は見たことがない」「見るのも不愉快」と言い放ったレベルである。*1
そのうえ気性が非常に悪く、血統的にもあまり見どころが無い。父馬ヘイローはリーディングサイアーにもなった一端の種牡馬だが、絶望的な気性難から生産界の評価が低かった。母馬ウィッシングウェルの方もグレード競走2勝馬ではあるが、同じく酷い気性難であり、さらに近親にまったく活躍馬がいなかった。

案の定セリ市ではたいした値段がつかず、あげく母馬の生産者からも買取を拒否される有様。結局生産者であるハンコック氏が買い戻すこととなった。以降も関係者に庭先取引を打診してはみるものの、尽く断られる始末。
他にもウイルス性の下痢で死にかけたり*2、とどめにセリ市からの帰り道で馬運車が横転し、同乗していたサンデーサイレンス以外の幼駒(いずれもハンコック氏所有)がすべて死亡。 *3
生き残ったサンデーサイレンスも、しばらく歩くことすらできなくなるほどの大怪我を負った。
見栄え、気性、血統、更には運……ことごとく悪いという、本当にどうしようもない有様であった。この世を憎むのも無理はない話である。

その後、ハンコック氏は保有権の一部を友人に分配。最終的にその4分の1がとある日本人の手に渡り、日本競馬を大きく動かすこととなる。

【現役時代】

1988年


かくして成長したサンデーサイレンスは、保有権の4分の1を持つウィッティンガム調教師の元に預けられ、競走馬としての調教を積んだ。
ちなみに馬名は英語で「静寂なる日曜日(のミサ)」という意味。名付け元はメリーランド州に住むストロー夫妻だった。
この夫妻は、「もし自分たちが所有する馬がケンタッキーダービーに出走を果たすとしたら、どんな名前がいいか」という空想ゲームを行っており、それに基づく競走馬名のリストをストーンファームに送ったところ、ハンコック氏がその中の「サンデーサイレンス」を気に入って名付けたものだった。
ハンコック氏によると、名前の響きの良さに加え、自身がファンだったカントリーシンガー、クリス・クリストファーソンの『サンデーモーニング・カミングダウン』を連想させたからという。

そんなサンデーサイレンスだが、気性の荒さはまったく改善の兆しが無く、ある調教助手は一度騎乗しただけで嫌気が差し降板。ある名手はブチ切れレースでの騎乗を拒否。
まさしく前途多難としか言いようのない様相であった。
しかしウィッティンガム調教師はこの馬の秘められた才能を感じ取っており、ハンコック氏に「この黒い奴は走る」と報告。彼をたいそう驚かせた。
10月30日のデビュー戦は2着に終わったものの、11月13日に行われた未勝利戦では2着に10馬身差をつけて圧勝。
12月3日に行われた一般競走を2着で終えた後、クラシックに備え休養をとることになった。

1989年


3月2日の一般競走で復帰し勝利。
ハンデ戦を挟んでサンタアニタダービーを11馬身差の圧勝。その名をアメリカ全土に轟かせた。
そして本番のケンタッキーダービーに臨んだのだが……ここで東海岸から終生のライバルがやって来る。
サンデーサイレンスとは対照的な超良血、美しい馬体で圧勝を重ねセクレタリアト*4の再来」とまで言われた前年の最優秀2歳牡馬。その名をイージーゴアといった。
おまけにイージーゴアの馬主・フィップス氏は、ハンコック氏の父が代表を務めていた名門クレイボーンファームから同氏が独立するきっかけを作った人物でもある。
生産者同士の因縁、期待を背負う良血のエリートと見捨てられかけた雑草血統の忌み子、東海岸と西海岸、美しい馬体と醜い馬体──あらゆる面が対極な「持つ者と持たざる者の戦い」であり、まるで少年漫画、あるいは『ガラスの仮面』のような少女漫画を思わせる因縁の対決となった。

そんなわけで迎えたレース本番、1番人気はイージーゴアでサンデーサイレンスは2番人気に甘んじる。
しかしレースでは不良馬場を猛然と駆け抜け、イージーゴアに2馬身半差をつける完勝。前評判を覆す走りに多くのメディアやファンは度肝を抜かれただろう。

続く二冠目のプリークネスステークス。「ケンタッキーダービーはクソ馬場だったし参考にならん」「実力はゴアの方が上だ」とのことで1番人気はまたもイージーゴア。サンデーサイレンスは2番人気となった。
この時点ではもうサンデーサイレンスとイージーゴアが世代の2トップとみなされており、もはや他馬は勘定に入っておらず、完全に二強の一騎打ちといったムードであった。

そしてレース本番、2頭は向こう正面で馬体を合わせ、そのまま最後の直線に入って3番手以下を完全にちぎり捨てて白熱の叩き合いという名の取っ組み合いになる。イージーゴアに内から抜かせまいと内ラチに寄せ挟み殺さんがばかりに馬体を寄せ、噛みつかんがばかりに顔を寄せるNASCAR*5顔負けの喧嘩レースはゴールまで続き、2頭ほぼ並んでゴールイン。写真判定の結果、ハナ差7cmサンデーが凌ぎ切り、三冠に王手をかけた。
このレースは今でもアメリカでは伝説のレースとして語り継がれているらしい。

三冠目のベルモントステークスでは三冠達成の期待をかけられついに1番人気に推されたものの、ここではイージーゴア逆襲の激走の前に手も足も出ず、直線であっという間に置いてけぼりにされ8馬身ちぎられての2着。アファームド以来11年ぶりとなる三冠制覇は惜しくも成らなかった*6

ここでリズムが狂ったか、次走では単勝1.2倍の支持を裏切る2着。これで悪い流れに飲まれるかと思われたが休養を挟んで上手く立て直し、休み明けのスーパーダービーで6馬身圧勝。
一方のイージーゴアは二冠取り落としで失墜した名誉を取り戻すため、夏休み返上であちこちのレースを荒らしまわり、サンデー以外の同期と古馬勢をボコボコにした。なんとベルモンドステークスからG1を5連勝である。

そして、アメリカ競馬の祭典ブリーダーズカップ・クラシックへ。サンデーサイレンスとイージーゴア、4度目の対決。
このレースはマスコミから「10年に1度の大勝負」「勝った方が年度代表馬」と煽られるほどに大きな注目を浴びた。
1番人気は夏の連勝劇が評価されたイージーゴア。サンデーサイレンスは主戦騎手パット・ヴァレンズエラの騎乗停止によるクリス・マッキャロンへの乗り替わりなどが不安視されたか2番人気。
レーススタート。手ごたえが怪しいイージーゴアを尻目にサンデーサイレンスは3~4番手辺りの好位につける。これは楽勝……と思われた矢先、突如イージーゴアが伸び始める。これには鞍上もびっくり仰天、追い出しにかかった。そして残り200mで先頭に立ち、追い込んできたイージーゴアをクビ差凌いでコースレコードで勝利。
アメリカ競馬界の頂点を掴み、この年のアメリカ年度代表馬に輝いた。

1990年


この年も現役を続行したものの、故障に泣かされ出走は6月の2回のみ。
8月に再び故障が発見され、競走馬を引退した。14戦9勝、完全連対である。
ライバルのイージーゴアも脚部不安に苦しみ、ほぼ同時期に引退することとなった。
なおこの年、この2頭はどちらもこの年に勢いに乗ったクリミナルタイプという馬に敗れている。この馬はBCクラシック前に引退したが、最終的にGI4勝をあげ、強豪2頭に勝利したことも評価されて年度代表馬に輝いた。
そしてダービーとBCクラシックを勝って例年なら年度代表馬入りしていたであろうアンブライドルド*7は犠牲になったのだ……。

「期待されなかった雑草馬が超良血のエリートと何度も激突し年度代表馬にまで成り上がる」というアメリカンドリームを素で行くような競走馬生は、今でもアメリカ競馬ファンから多くの人気を集めている。
日本でいうとオグリキャップのような生き様であった。
一方、結果的に東西対立の象徴のようになってしまったイージーゴアとの力関係については、今でもファンの間で激しい論争が絶えず、アメリカの競馬場でこの2頭の話をするのはご法度なんだそうな*8
1999年に発表された『20世紀のアメリカ名馬100選』では、イージーゴアの34位を上回る31位にランクインした。

【引退後】


故郷のストーンファームにて種牡馬入りしたものの、血統的な魅力に乏しかったため苦戦。
実績にもかかわらず、初年度の種付け申し込みは僅か2件しかなかったという

そもそも、アメリカのサラブレッド産業はピラミッド型にランク分けされている超階級社会。
母系血統がCランク育ちの雑草血統サンデーサイレンス。
父系も母系も超Aランクの名門血統イージーゴア。
名門血統にこだわる現代のアメリカが、この二頭を種牡馬としてどう評価するか、どちらに高い投資をし、どちらに一流の繁殖牝馬を配合するかは目に見えていた。(参考文献『競馬の血統学』吉沢譲治・著)

種牡馬としての前途が危ぶまれる中、ここで冒頭で述べた保有権の4分の1を持っていたとある日本人が関わって来る────それが、今をときめく日本の大手競走馬生産牧場「社台ファーム」の創始者である吉田善哉氏である。
吉田氏はサンデーサイレンスの買取りを打診し、日本円にして16億5000万円という巨額での売却が決まった。*9



この話を聞いたアメリカの生産者たちは、「日本人ブリーダーが走りそうもない母系から生まれたヘイロー産駒を買っていった」と大笑いしたという。死亡フラグですねわかります
対照的にライバルのイージーゴアは巨額のシンジケートが組まれ、アメリカで悠々自適の種牡馬暮らしとなったが……見事に明暗が分かれた。

イージーゴアは1994年5月12日、ケンタッキー州のクレイボンファームで4世代目の種付け中に心臓発作を起こして亡くなった。僅か136頭(うち競走馬101頭)の産駒しか残せず早逝*11
そこからG1馬を3頭出しているので、生きていればそれなりの結果は出していたと思われるが……。
そして孫世代のライオンターマーが種牡馬として失敗したことにより、イージーゴアの直系は完全に絶えてしまった。

一方サンデーサイレンスはというと、実績で言えば当時の輸入種牡馬の中でも桁違いのものであったが、やはり血統的な魅力の乏しさが問題視され、期待されたほどの人気は得られなかった。
最も多く交配したのは社台ファーム自前の繁殖牝馬で、生まれてきた仔の評価もそれほど高くはなかったという。

……しかしその3年後、デビューした3歳馬(当時表記)たちがターフを席巻。32頭の初年度産駒が半年間*12で30勝をあげるという驚異的な活躍を見せ、生産界を仰天させた。社台の意地が実った瞬間であった。
その勢いのまま翌年にはリーディングサイアーを獲得。勢いは最後まで留まるところを知らずLSの地位を2007年までの13年間守り続け、数々の大記録を打ち立てた。
いつしか日本競馬の血統は、子から孫へ、孫から曾孫へとサンデーサイレンスの血で溢れ返ることとなった。現代日本競馬の父と言っても過言ではないほどに。
笑った米国生産者はいい面の皮である。なお英国ではその数年後ダンシングブレーヴでもっと酷いことをやらかすが、これはまた別のお話。

なお、サンデーサイレンス輸入の立役者である吉田善哉氏は1993年に体調を崩し、産駒のデビューを見届けることなくこの世を去っている。
日本競馬界に革命をもたらした、まさしく「最後の大仕事」であった。
以下は、善哉氏が生前に語ったという言葉である。


ノーザンテーストと同じくらい走ると信じてるサンデーサイレンスの子を走らせればね、そのうち、何十年したって、日本のあちこちでサンデーの血が走るわけだね。わたしは生まれ変われないが、わたしのね、馬屋の意地は生まれ変われるんだ。馬屋の全知全能を賭けた交渉だね、サンデーサイレンスは

吉川良『血と知と地−馬・吉田善哉・社台』412頁

そして、ノーザンテースト導入で勢いづいていた社台グループは、このサンデーサイレンスによって完全に天下を取るに至り、現在まで続く社台王朝繁栄の祖となったのだった。
それに対抗しようとして日高がラムタラで奇跡どころか地獄を見せられる目に遭うのもまた別のお話

【種牡馬として】


競走馬としても名馬と言って差し支えない成績を収めたサンデーサイレンスだが、それ以上に種牡馬としての活躍は驚異的の一言。
軽く抜き出しただけでも以下の記録が挙がる。

  • 最多連続リーディングサイアー
  • 最多通算勝利
  • 最多通算重賞勝利
  • 最多通算G1勝利
  • 最多年間勝利
  • 最多年間G1勝利
  • 最多年間獲得賞金
  • 最多通算クラシック勝利
  • 1日1場における最多勝利

ちなみに通算勝利数は3000勝を超えており、世界最多記録*13*14である。
重賞馬を輩出するのも容易ではない種牡馬の世界で、日本で種付けを行った全ての年度でG1馬を輩出したといえばその凄まじさが伝わるだろう。それも1995年産以外は複数頭である。

なによりの恐ろしさはその万能性。
ありとあらゆる条件で一流馬を出しまくり、なにかしらのケチがつくたびにそれを覆している。

  • 「クラシックは強いけど、早熟で成長性が無いよね?」
    皐月賞馬ジェニュインが古馬になってマイルチャンピオンシップを勝利。息の長い活躍を見せる。以降の産駒たちの古馬での活躍については言うまでもない。
  • 「中長距離は凄いけど、短距離はイマイチだよね?」
    ビリーヴがスプリンターズSと高松宮記念を制覇しスプリント界の頂点に立つ。その直後にはデュランダルがスプリンターズSを勝利しマイルCS連覇と、短距離王として君臨した。
  • 「芝は圧倒的だけど、ダートではダメじゃん?」
    ゴールドアリュールが競走馬としても種牡馬としても大暴れ。他の孫世代のカネヒキリやヴァーミリアンもダートGIを多数勝利。
  • 「ノーザンテーストの血を持つ牝馬と合わないよね?」
    デュランダルがGIを3勝。ダイワメジャーはGIを5勝し、種牡馬としても大活躍。
  • 「年度代表馬がいない! 超一流馬を出せてない!」
    ゼンノロブロイが秋古馬三冠達成。ディープインパクトは無敗でクラシック三冠を達成、競馬の枠を超えた社会現象を巻き起こした。
  • 「有力な後継種牡馬がいないし、サンデーサイレンス自身が死んだらそこで終わりでしょ?」
    ディープインパクトが天下を奪取。種牡馬入りするやいなや、あっという間に日本競馬界の勢力図を塗り替え、ついには日本のみならず海外にまでその血統を広げてしまった。さらにはステイゴールドまでもが三冠馬含むGI馬を多数輩出し、ハーツクライやダイワメジャーもリーディング上位に居座り続けた。

活躍の背景として「当時の日本の主流血統を持たず、ほとんどの牝馬と交配できた」*15「激しい気性をレース向きの形で遺伝させた」*16ことが挙げられるが、
それにしても異常としか言いようのない成績である。
ちなみに脚の曲がり方もしっかり遺伝させており、ある関係者は「あの脚でなんでみんなよく走るのかわからない」という発言を残している。
また父の名声からサンデーの息子達は引退後次々種牡馬入りしていき、重賞未勝利のミスキャスト(母ノースフライト)産駒から天皇賞(春)馬ビートブラックが輩出され、未出走馬のエイシンサンディ(1993年生まれ)すら種牡馬として中央・地方重賞馬を産出する程、日本中にその血は広まった。


ちなみに、ヘイロー産駒は他にもサザンヘイローが南米でこいつと同じ様な事をやらかしている
まあ、そっちは国内でポストディープインパクトが出なかった*17事もあってサンデーサイレンス程の一極支配にはならなかったけど。

現在はその血を受け継ぐ牡馬たちが覇を競っており、「サンデーサイレンス系」は競馬界のブランドの1つとなっている。
やり過ぎて子孫達が交配相手を確保するのに四苦八苦したり、SS系フリーの種牡馬・繁殖牝馬の価値が爆上がりしたりしているのはご愛敬。
ちなみに最後の現役産駒は中央では2012年引退のアクシオン(2003年生まれ、重賞2勝)、地方では中央から岩手競馬に移籍した2018年引退のビュレットライナー(2002年生まれ)。

サラブレッドの歴史において、一つの名馬の血に人間がむらがり血の勢力図を一変させても、いつかは血統の閉塞状況、飽和状態を生み出し興亡を繰り返す*18
あるいは、サンデーの血が産み出した牝馬が別の父系に活力を与え、勢力図が置き換わる可能性もある。
ただし、近年では世代が進んだことにより、サンデーのインブリードも盛んに行われるようになっている。
また、その血は今や日本を飛び超え、徐々にではあるが世界中にも広がっている最中である。
サンデーサイレンス購入目的の一つが「日本競馬界の血の濃度の拡散」であったというのは、皮肉としか言いようがない。

彼の血の栄華は、果たしていつまで続くのか……。

主なサンデーサイレンス産駒


初年度産駒にして朝日杯3歳ステークス*19を制し、父に初GⅠをプレゼントした孝行息子。
そのパフォーマンスからクラシック三冠までも期待されたが、脚を壊して早期引退に追い込まれた。
種牡馬としても安定した実績を残したものの、はっきり言って地味。初年度産駒ということもあり、活動時期が父の全盛期ともろに被ったから仕方がない。
しかし代用種牡馬的な扱いを受けながらも毎年のように重賞馬を輩出。内国産種牡馬としては重賞勝利数トップの記録を長らく保持していた。
父が逝った後、2005年に砂の不死鳥カネヒキリでようやく産駒G1初制覇を挙げ、その辺りからは育成ノウハウが分かって来たのかG1戦線を賑わす馬がぽつぽつ出るようになった。
産駒の活躍を見ると短距離での活躍馬が多く、6歳過ぎて開花した馬もいる、とSS産駒としては割と珍しい傾向。7歳にして高松宮記念を制したキンシャサノキセキ(オーストラリア生まれ)と牝馬初の7歳GⅠ制覇を果たしたストレイトガールが代表的。要するにフジキセキが年を重ねてから覚醒する可能性もあったという事であり、早期引退が尚更惜しまれる。
そして、ラストクロップ世代のイスラボニータが皐月賞を制し、自身の出走が叶わなかったクラシックタイトルをついに産駒が射止めた。
直系の存続はイスラボニータ次第。あるいはシュウジが種牡馬入りしたキンシャサノキセキ(2023年種牡馬引退)がここから大物を出せるか。

  • ジェニュイン
初年度産駒にして皐月賞を制し、父に初クラシックを(ry。フジキセキがいなかったからとかいうな
距離適性や風などの周囲環境に影響されやすい気性から秋天やマイル戦など長距離以下に移行。
上述の通りマイルCSを獲得するなど5歳まで活躍。SS産駒のしぶとい強さを証明した。
皐月賞馬の短距離路線進出の走りであったとも言われる。
種牡馬としては地方重賞程度で低調であったが、なぜかシャトル先オーストラリアでGⅠ馬ポンペイルーラーを輩出した。

  • タヤスツヨシ
初年度産駒にしてジェニュインを抑え日本ダービーを征し、この後続くサンデーサイレンス系ダービー馬の一番乗りとなった息子。
……だが、走破タイムでオークスのダンスパートナーに惜しくも負けた事や、その後勝てなかった事で当時の人気作にかけて「ツヨシ、しっかりしなさい!」と競馬雑誌でいじられ、結局菊花賞敗戦後の放牧中に屈腱炎で引退した。
種牡馬としても中央ではGⅢ止まりで地方重賞馬が多かったが、オーストラリアでGⅠ牝馬ホロービュレットを輩出。
また中央で駄目だったグランシュヴァリエが移籍先の高知で看板馬となり一時種牡馬入りし(現在は乗馬)、僅かだが産駒が地方でデビューしている。

  • ダンスパートナー
初年度産駒の牝馬代表。母ダンシングキイとする兄弟の一頭。
気性によるゲート難の弱点を白井最強の手で克服し末脚を武器にオークスを制し、父に初牝馬クラシックを(ry
白井最強すぎてフランス遠征したり菊花賞に出たり挑戦的な使われ方もあったが、エリザベス女王杯を制し牡馬相手にも接戦し二年連続でJRA賞を獲得するなどの成果を残した。
繁殖牝馬としては重賞2勝のフェデラリストが目立つくらいだが勝ち上がり率はなかなか。

初年度産駒で期待度も高かったがデビュー前に骨折と疝痛、デビュー戦直後にも骨折と不運に見舞われ、4歳にようやく本格化。
赤いメンコをトレードマークに古馬戦線ではマヤノトップガンや一つ上のサクラローレルと共に三強と呼ばれ掲示板をほとんど外さない活躍をしたが、ライバルに恵まれすぎ獲得GⅠは1997年宝塚記念にとどまった。
パドックからゲートインまでの間に尿をぶちまけるという変な性癖を持っていた。
種牡馬としては中堅レベルで馬場を問わない活躍で安定していたが、GⅠ級はキングジョイやマーベラスカイザーの障害重賞のみ。
重賞3勝のシルクフェイマスが一年だけ種牡馬入りしたものの産駒4頭(皆牡)で後継を残せなかったが、船橋競馬のセレンも種牡馬入りし僅かな産駒から大井の京浜盃を征したブラヴールを輩出。果たしてどうなるか。

  • ダンスインザダーク
96年クラシック世代サンデー四天王の一頭。母ダンシングキイとする兄弟の一頭で牡馬。
クラシックトライアルでは全勝し実際三冠への期待度も高かったものの、皐月賞は熱で回避、武豊に初の栄誉を与えるはずだったダービーはフサイチコンコルドの「音速の末脚」に惜敗。
菊花賞では末脚を発揮し遂に勝利を飾るも屈腱炎でそのまま引退。2017年まで種牡馬を続け、種牡馬引退から3年後の2020年に27歳でこの世を去った。
種牡馬としてはデルタブルースなど長距離を得意とする産駒が目立つが、安田記念優勝を含め色んな距離に出たツルマルボーイなどもいる。
ただ2010年代くらいから高速競馬に徐々に対応できなくなり、ツルマルボーイ等が早期で種馬引退・デルタブルースが引退後即乗馬行き等後継馬も確立できてない。むしろ母父としての方が期待できるかも。

  • イシノサンデー
96年クラシック世代サンデー四天王の一頭。栗毛四白流星というサンデー産駒では珍しい毛色の持ち主でもある。
ダンスインザダークが熱発で回避した皐月賞を征すも、菊花賞前のセントライト記念での敗北から長距離不向きとみなされ、なんとダートに挑戦。その狙いは当たり盛岡のダービーグランプリで勝利し、その翌年再び芝でも京都金杯を征したが、
川崎記念で砂の女王ホクトベガに、フェブラリーステークスで盛岡前の大井戦で勝利馬に噛みついていたシンコウウインディに敗れダートから撤退し芝でも勝てなくなり、1998年にひっそりと引退。
種牡馬としては日本軽種馬協会下で千葉・青森・鹿児島・北海道と転々と回るも地方重賞馬を数頭輩出した程度だったが、2022年現在も功労馬にしてサンデー産駒GⅠ馬最年長として健在である。

  • バブルガムフェロー
96年クラシック世代サンデー四天王の一頭。なお最後の一頭は重賞2勝馬ロイヤルタッチ(ダービー馬ウイニングチケットの半弟)。
朝日杯3歳Sを制し、やはり期待度は高かったが皐月賞は骨折回避。
そのまま三冠ではなく古馬戦に移行し、天皇賞(秋)でマーベラスサンデーを始めとする三強に勝利し戦後初のクラシック当歳による秋天勝利を果たした。
ジャパンカップで頭が壊れて13着大敗し古馬になってからは善戦マンに収まり、エアグルーヴピルサドスキーに屈することとなった。
種牡馬としてはダート寄りの傾向にあり、後に母父バブルガムなダンシングプリンスがJBCスプリント馬となったが、直系は低調気味。なぜかシャトル先でのオーストラリアから重賞馬が出てもいる。秋天挑戦といいジェニュインと被ってない?

サンデー産駒屈指のシルバー/ブロンズコレクター。その詰め甘っぷりは「ゴールドの前でステイ」と称され、(勝ち鞍である阿寒湖特別とかけて)アカン子特別など呼ばれカリスマ的な人気を博した。
しかし何故か海外では強く、ドバイシーマクラシック*20では世界最強馬ファンタスティックライトを撃破。
引退レースとなった国際GⅠ香港ヴァーズも勝利し、父に初の海外GⅠ勝利*21をプレゼントした。
競走馬としての成績以上に、SSと似たような種牡馬としての成り上がりぶりと活躍が目覚ましくSSは兎も角やっぱお前手抜いてただろ、グランプリ連覇を果たしたドリームジャーニーや2年連続凱旋門賞2着を決めた激情の三冠馬オルフェーヴル、宝塚記念連覇を初めて達成しGⅠレース6勝と芦毛最多勝/最大獲得賞金を記録した迷馬ゴールドシップ、障害競走の絶対王者オジュウチョウサンなどを輩出した。皮肉にも体格からステゴをナメていた社台が日高に渡した結果、日高の星にしてしまった。
母父をSSの恋人メジロマックイーンとした、通称「ステマ配合」は一時狂乱を生んだ事で非常に有名。
個別記事を見れば分かるが、有力な産駒は頑丈さと競走馬としての息の長さ、そして気性難をバッチリ引き継いでいる。
このため、「SSの最高傑作はディープインパクトだが、後継者はステイゴールド」などと言われることも。
キンカメと並びディープに次ぐ後継種牡馬の筆頭格にまで成り上がったが、2015年に大動脈破裂でこの世を去る。やっぱりそんなとこもオヤジに似るのね。
後継種牡馬は、期待されていたフェノーメノが早期引退、ドリームジャーニーは体格の問題で種付けがなかなか上手くいかず怪我も相まって半引退状態、ゴールドシップは活躍馬が牝馬に偏るとなかなか思い通りにはいかないが、オルフェーヴルが皐月賞馬エポカドーロやドバイWC馬ウシュバテソーロといった後継を輩出している。後にはインディチャンプも控えており、この馬の血は繋がっていくことだろう。

他馬を大きく引き離す逃げでファンを魅了し、そのまま天まで駆けて逝った悲運の逃亡者。
クラシックでこそゲート潜ろうとするような気性もあって振るわなかったものの、古馬になってからは、馬体の成長と持ち前のスピードを活かした大逃げの完成、そして彼の才能を見抜いた武豊騎手との出会いが重なりついに覚醒。
無敗馬やGⅠホースを相手に大差勝ちを決めた金鯱賞や、唯一のGⅠ勝利となった宝塚記念、そして、後に同年のジャパンカップ・有馬記念をそれぞれ制することになるエルコンドルパサーとグラスワンダーを完封した毎日王冠を含む6連勝(重賞5連勝)を記録し、それを受けて翌年のアメリカ遠征も計画された。
しかし、その後圧倒的1番人気で出走した天皇賞(秋)のレース中に故障発生。予後不良となり、海外遠征の夢を叶えることも、産駒を残すこともなく天国へ旅立ってしまった。
……皮肉にも、その悲劇は父の名を思わせる「沈黙の日曜日」とも称されている*22
GⅠ勝利こそ一度のみだが、その圧倒的なスピードから現在でも史上最強馬候補として名が挙がる。
関係者の評価も極めて高く、その早すぎた死を惜しむ声は今なお多い。当時鞍上を務め、この馬の可能性を誰より理解していたであろう武豊騎手にとっても、決して消えない心の傷となっている。

武豊に初めてダービージョッキーの称号をプレゼントした98年クラシック最強世代の一角。そして白井最強
同期には、凱旋門賞で2着に入ったエルコンドルパサー、有馬記念を連覇し宝塚記念も勝利したグラスワンダー、二冠馬セイウンスカイ、超良血馬キングヘイローなどそうそうたる面々がいた(直接対決はなかったが他にもマイル路線で活躍したエアジハード、初の国外2ヶ国GⅠ馬アグネスワールド、ダートで抜群の安定感を誇ったウイングアローなど)。
そんな強豪たちと噛みつきに来るステイゴールドを相手にしながらも、日本ダービーと春秋天皇賞、そしてジャパンカップとGⅠを4度も制し、一時は世界最多獲得賞金記録まで保持していた。なぜか2着によく不人気馬を連れてくるため万馬券製造機としても有名だった。
種牡馬としては種付けが嫌いという致命的過ぎる欠点を抱えていた一方で、産駒は牝馬の優秀さに定評があり、日米オークスを制し、繁殖馬になってからはGⅠホースを3頭産んだシーザリオ、2010年度に牝馬ながら年度代表馬に輝いたブエナビスタなどがいる。
牡馬の成績は牝馬に比べると芳しくなかったが、それでも2014年の菊花賞を芝3000mの世界レコードを叩き出して制した120億円事件の立役者トーホウジャッカルなどを輩出している。
直系から血を繋げるのはやや厳しい状況ではあるが、シーザリオ産駒のエピファネイアが種牡馬として大活躍しており、母系からスペシャルウィークの血がこの先も繋がっていく可能性は高いと言っていいだろう。
なお、臼田氏からセイウンスカイやニシノフラワーでお馴染みの西山氏へ権利が移り、現在社台と権利を分け合っているリーチザクラウンからは、2022年にUAEダービーを制したクラウンプライド(社台SS繋養時の産駒)が出てきており、ここにきて父系血統の存続に希望が生まれつつある。

二冠牝馬ベガを母とする牡馬。アドマイヤドンは半弟。
母の主戦毎度おなじみ武豊を背に、新馬戦降着したりテイエムオペラオーに皐月賞で敗北を喫したりしながら、ダービーでは末脚を発揮して勝利。母子二代のクラシック制覇を達成した。翌年屈腱炎により古馬戦には出ぬまま引退。
良血として期待されて種牡馬入りしてはわずか4世代を残して急性胃破裂で死亡。しかしそこから桜花賞馬キストゥヘブンやマイルCS馬ブルーメンブラットなどのGⅠ級を輩出しており、何とも惜しまれる早逝であった。後に似た血統のハーツクライが種牡馬として大成したことを考えても、ポテンシャルは高かったのかもしれない。

  • トゥザヴィクトリー
アドマイヤベガと同期の牝馬。
牝馬らしからぬ立派な体格で期待度は高かったが、GⅠの本番レースでは見事な手ごたえで先行しては最後に沈むというステイゴールド同様善戦馬であった。
芝のみでなくダートにも目を向け、海外遠征となるドバイワールドカップでは日本馬として初めて2着という成果を残した。
帰国後のエリザベス女王杯では初めて差し競馬を敢行しようやくGⅠ勝利を得た。
繁殖入り後はサンデー牝馬として海外由来の期待種牡馬の相手として活躍し、GⅠ馬こそいなかったが複数の重賞馬を出した。馬主が同じキンカメ産ばっか活躍しているが

  • スティンガー
アドマイヤベガ・トゥザヴィクトリーと同期の牝馬。
阪神3歳牝馬ステークスを勝ち世代G1馬第一号に輝き、その後もG1戦線でこそ勝ち星はないものの地味に旧4歳で天皇賞(秋)に出走してスペシャルウィークに敗れつつマイル・中距離路線でトゥザヴィクトリー等と競り合い6歳初頭まで現役を続け重賞4勝を記録した。
繁殖入り後は一時アメリカで繁殖活動をしたが結局帰国。目立った活躍馬こそいないものの産駒計11頭中勝利経験馬8頭と奮闘。2017年に繁殖引退した後は功労馬として過ごし、2023年に他界した

突然変異で生まれた白毛の牝馬。トゥザヴィクトリーと同期かつ同じ馬主で、日本白毛馬の最大派閥「シラユキヒメ一族」の祖。
レース成績には恵まれなかったが白毛を遺伝させる力が強く、仔は12頭中10頭が白い。
仔のユキチャンとブチコは勝ち星を挙げてメディアの注目を浴び、ブチコの仔である孫のソダシが白毛馬としては世界初のGⅠ勝利を挙げ、白毛フィーバーを巻き起こした。
また、ブチコの全弟シロニイは白毛にオッドアイというまるで漫画のようなビジュアルから、アイドル的人気を獲得している。
一方ユキチャンの孫メイケイエールは毛色を受け継げず白くない上にそのGⅠでソダシに敗れたものの、レース中は常にかかっているのが丸わかりだったり馬主が『ウマ娘』に出すと発言するなど奇行で注目を浴びている。
牝馬界ではこの白い血統が新たな旋風を巻き起こす。

  • アグネスフライト
オークス馬アグネスレディーを祖母に持ち、母に桜花賞馬アグネスフローラを、全弟には後述のアグネスタキオンを持つという良血馬。
主戦は祖母と母の手綱を握っていた縁で、大ベテラン河内洋騎手がつとめていた。
デビュー後のオープン戦で大敗したことが響き皐月賞へは出られなかったものの、その後京都新聞杯を制してダービーへ。フライトと河内は3番人気。一番人気は皐月賞馬エアシャカール。鞍上は河内の弟弟子であり、日本ダービーを2連覇中の武豊だった。
アグネスフライトは最終直線で抜け出したエアシャカールを追いかけ、そのまま叩き合いに。最後は完全に並んだまま2頭がゴール板を通過し、写真判定の結果アグネスフライトが僅かハナ差7cmで先着。河内騎手は17回目の挑戦で悲願だったダービージョッキーの称号を手にすることができた。
しかし、これ以降怪我に悩まされ再び勝利を手にすることなく引退。種牡馬入り後もアグネスタキオンがリーディングサイヤーにまでなる一方で自身の産駒から中央の重賞馬すら輩出できず、ダービー勝利以降はレースでも繁殖でも目立った成績を上げることが出来なかった。
唯一救いだったのは、競走馬を引退してから穏やかな余生を送れたことだろう。
ライバルだったエアシャカールや弟のタキオンが種牡馬入りしてから早逝した一方で、フライトは2011年の種牡馬引退後、しばらく乗用馬として活動した後に功労馬に。そして2023年に26歳で天寿を全うすることができた。

ヒップホップ東西抗争に斃れたアーティスト「2Pac」の本名から名前を取ったサンデーサイレンス産駒初の二冠馬。
そして三冠のうち敗北したダービーの勝ち馬アグネスフライトもまたサンデー産駒であり、「河内の夢か、豊の意地か!どっちだー!?」という実況もあわせてその対決は死闘として名高い。
クラシックの合間にはシリウスシンボリ以来の3歳でのキングジョージ6世&クイーンエリザベスS挑戦などもしていた。
……これで菊花賞まではよかったのだが、以降は5歳まで一度も勝つことなく(惜しいレースもあったが)引退。ついでにアグネスフライトも屈腱炎で苦しみ勝てなくなり、同世代(の内国産馬)の評価ごと二冠の名誉は地に落ちていった。
名誉を取り戻すべく種牡馬入りしてもなんと引退三か月で事故で骨折して安楽死。産駒はかろうじていたもののわずか4頭であり結果はお察し。
しかも仔は皆牡馬より繁殖入りのハードルが低い牝馬だったのに、繁殖入り出来たのがさらに半分の2頭という始末。
能力を認めていた主戦のまたお前か武豊にすら「サンデーサイレンス産駒の悪いところが全部集まった」「ドタマかち割って中身見てみたい」とまで言われる気性がよくなかったんだろうか……。

母のアグネスフローラは桜花賞馬、全兄が前述のダービー馬アグネスフライトという超良血馬。
デビューからの3レースはいずれも、他を寄せ付けない完勝。4レース目となった皐月賞も危なげなく制し、無敗での三冠も確実とまで言われた。
しかし、その直後に故障が見つかり無念の早期引退。それでも、彼が現役時代に対決したジャングルポケットマンハッタンカフェ、ダンツフレーム、クロフネらがその後のGⅠ戦線で活躍したことから、引退後も評価は上がり続けた。
種牡馬としては皐月賞馬キャプテントゥーレ、変則二冠馬ディープスカイ、そして牝馬ながら有馬記念を制した二冠牝馬ダイワスカーレットを輩出し、一時はリーディングサイアーにまで上り詰める。
しかし、本馬と同様産駒も脆い傾向にあり、ポキオン*23と揶揄されることも。実際、先述の3頭も怪我によって長期戦線離脱や早期引退を強いられている。
サンデーサイレンスの後継として確かな地位を築いたが、心不全によって11歳でSS産駒基準で言っても早世し、天下を取るには至らなかった。

タキオンと同世代の牡馬。
日本のGⅠでは全勝しているのにGⅡでは全敗、そしてラストランの凱旋門賞は惨敗という色々極端な馬。
引退は早かったが、種牡馬になってからも父親譲りの万能性を武器に2009年にリーディングサイアーを取るなど健闘している。主な産駒は秋華賞馬レッドディザイアやNHKマイルカップ馬ジョーカプチーノ、ラムタラの孫でもある天皇賞馬ヒルノダムール等。
しかし「早くに引退した強豪馬」はよりにもよって同期にアグネスタキオンというド派手な存在がいたうえ、種牡馬としてもステイゴールドやディープインパクトといったもっとヤバい連中の全盛期が直撃しているため、どうにも実績のわりに地味な印象は拭いきれない。
どちらかと言うと、容姿がサンデーサイレンスにそっくりだった事からドラマで彼の代役に選ばれた逸話の方が有名かもしれない。
しかし、世紀末覇王テイエムオペラオーのラストラン有馬記念で引導を渡し、ジャパンカップでのジャングルポケットと共に絶対王者の落日と世代交代の到来を告げたことは日本競馬を語る上でも欠かせないだろう。
2015年に病気を患って17歳の若さで死亡。そんなとこで父親再現せんでも…。

  • ビリーヴ
SS産駒初のスプリントGⅠ馬で牝馬。タキオン・マンカフェと同世代。
距離適性で試行錯誤してたせいで4歳6月ばまでは目立たない馬だったが、7月から重賞を含む3連勝を記録。その後のGⅠスプリンターズSでイン突きが功を奏しGⅠ初勝利。サンデー産駒として初めて、短距離のG1ホースとなった。
翌年には高松宮記念も勝利し、サンデー産駒初にして唯一の春秋スプリントG1勝利を記録している。
しかし連覇を狙ったラストランのスプリンターズSでは後述のデュランダルに屈し、世代交代と相成った。
この年前年はなぜかGI未勝利のダイヤモンドビコー(やっぱりSS産駒)に取られたJRA賞(4歳以上牝馬)も獲得した。名前のせいで牝馬なことが忘れられてたというウワサ。
引退後は米国で繁殖入りし産駒の多くが逆輸入されており、そのうちの一頭であるジャンダルムが、2022年にスプリンターズSを勝利。親子でスプリンターズSを制しているのは、2022年現在ビリーヴとジャンダルムの例のみである。
結局ジャンダルムは2022年限りで競走馬を引退してしまったが、スプリンターズSの勝利が評価されて種牡馬入りに成功。ビリーヴの血はこの先も繋がりそうである。

  • アグネスゴールド
アグネスタキオンと同厩舎・同馬主で同期。
デビューから4連勝を飾ったが、骨折で春クラシックは全休、復帰したら飛節軟腫と屈腱炎で早期引退…と、とにかく健康に恵まれず引退を余儀なくされる。
種牡馬入り後にアメリカに輸出され、さらにブラジルに移動。するとブラジルやアルゼンチンでGⅠ馬を多数輩出し、遂にリーディングサイアーにまで輝いた
また、日本にも繁殖として輸出された産駒がいたり。

  • ゴールドアリュール
SSファミリーのダート総大将。
芝では善戦マン止まりだったが、ダートに転向すると覚醒。
ジャパンダートダービーや東京大賞典といったダートの大レースを次々制覇し、3歳馬ながらJRA最優秀ダートホースとNARグランプリ特別表彰に輝いた。
4歳になっても勢いは全く衰えず、年明け初戦のフェブラリーステークスを楽勝し、ドバイ遠征へ向かおうとしたが、なんとイラク戦争のせいで飛行機が飛ばず遠征断念という憂き目にあう。ブッシュのバカヤロー!!
その後、泣きっ面に蜂とばかりに帝王賞で惨敗した後喉鳴りが発覚、無念の引退となった。
種牡馬としてはやはりダートの活躍馬が多く、砂のサイレンススズカことスマートファルコンや南部杯を3連覇したエスポワールシチー、史上初のフェブラリーS連覇を達成しGⅠ級競走11勝を成し遂げたコパノリッキー、3歳にして無敗のままダートGⅠを勝利したクリソベリルなど、ダートのスーパーホースを多数輩出した。
自身は18歳とまだまだこれからという時に亡くなったが、現在も子供達や孫達が日本各地のダートで活躍し、2022年にはナランフレグ(母母父タマモクロス)が高松宮記念で番狂わせを演じ、産駒初の芝GⅠ馬になった。
ダート馬は年を重ねてから強くなることも多いのでなおさら早期引退が惜しまれる馬である。
後継として特に期待されているのはクリソベリル。エスポワールシチーも産駒が地方で好成績を収めている。
近年の地方競馬の急成長やダート三冠設立によるダートバブル到来も追い風となるか。

伝承由来の厨二くさい名前の短距離馬。
だがその名に違わぬ鋭い切れ味の末脚による大外一気を武器に、短距離では不利な追い込み戦術をスタートに弱かったり馬群嫌いだったりするせいでもあるけど得意とし、スプリンターズSとマイルCSを制し、翌年にはマイルCS連覇。
度重なる怪我に苦しみながらも、二年連続でJRA最優秀短距離馬となった。
上述のようにサンデーサイレンス×ノーザンテースト配合を成功させ、短距離向けであったことも証明したのであった。
後に三冠ジョッキーおよび気性難使いとなる池添謙一騎手にとっても運命の出会いとなった馬。
種牡馬としては、自分同様厨二臭い名前のフラガラッハやオークス馬エリンコートなどの産駒を輩出。母父としては、チュウワウィザードがダートGⅠで4勝をあげ活躍を見せている。
なお本馬も14歳とサンデー一族らしく夭逝した。なかなかGⅠ馬を出せなかったところからの巻き返しを期待された矢先のことであった。

  • アドマイヤマックス
ゴールドアリュール・デュランダルと同期の牡馬で、デュランダルと同じサンデーサイレンス×ノーザンテースト配合馬。
デビュー2戦目で重賞勝利するも春クラシック・菊花賞での大敗後の数か月間と2回も故障で長期休養を強いられ、復帰後マイル・短距離路線に専念するもGⅠでは中々上位圏から先に行けない苦闘の日々に。
だが現役最後の年となる2005年に高松宮記念を制覇し、ビリーブ・デュランダルに続き血統の短距離志向を証明した。
後継は最初重賞馬のアドマイヤコスモスが予定されるも引退直後に予後不良となってしまったが、マックスが種牡馬引退した2022年にダートJpnⅠ3勝馬のケイティブレイブが種牡馬入りしている。
そして2023年2月、功労馬として余生を過ごしていたビッグレッドファームで事故死した。

サンデーサイレンス産駒2頭目の二冠馬で、皐月賞・ダービーを征しミルコ・デムーロ騎手に日本初の外国人ダービージョッキーの栄誉を与えた。
菊花賞はダンスインザダーク産駒ザッツザプレンティに敗れ逃すも最優秀3歳牡馬に輝いたが、翌年天皇賞(春)で敗れた後屈腱炎で引退。
種牡馬としてはダービー馬ロジユニヴァース・皐月賞馬アンライバルド・デムーロと共に日本馬初のドバイワールドカップ制覇を果たした皐月賞馬ヴィクトワールピサ等を輩出したが、2020年に種付け中の事故で死亡した。
後継の内香港でGⅠ馬となったネオリアリズムはオーストラリアに輸出され、桜花賞馬ジュエラーを輩出したヴィクトワールピサも2021年からトルコに輸出。
孫世代ではブレイブスマッシュがオーストラリアで活躍し現地で種牡馬入りしたが、果たして異国の地、あるいは日本に残る息子達やピサ産駒等から後継は生まれるのだろうか……。

実はSS産駒初の年度代表馬。天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念の史上2頭目の秋古馬三冠馬であり、2021年現在もなお有馬記念のレコードホルダーである。
ラストラン以外は全て掲示板入りで獲得賞金はSS直仔ではディープに次ぐ第2位。
しかし、同期がネオユニヴァースだった事もあり天下を取っていたのは2004年後半のみと短く、不幸なことに競馬人気自体が落ち込んでいた時期と重なっていた。
しかも2004年と言えば、秋古馬三冠どころか年間全勝グランドスラムを達成し、衰えてなお生涯掲示板を外さなかった世紀末覇王テイエムオペラオーの全盛期からわずか4年しか経っておらず、
同時によりにもよって後述のディープインパクトがデビューした年でもあり、ロブロイの全盛期が終わった瞬間に競馬界はその深すぎる衝撃に塗り潰された。
ついでに前世代にはGⅠ馬9頭をぶちのめして有馬記念を制し、その翌年の有馬を9馬身差で連覇して堂々引退したシンボリクリスエスまでいた。それでも相対的に地味馬扱いされていた辺りが上記2頭のイカレっぷりを物語っている。
普通に名馬と言っていいレベルなのだが、あまりにも時期が悪過ぎてその名が埋もれていった不憫な馬であった。
こいつらに囲まれてなお見劣りしない成績残せってのはさすがに無理難題だよ……
種牡馬としては、2010年のオークスでアパパネと同着で勝利を手にしたサンテミリオンをはじめ、重賞馬をそこそこ輩出というまずまずの成績を修めたが、なにぶんSSを父に持つ上に他の活躍が目覚ましいため直系を維持できるかは怪しい。ペルーサがやらかさなければなぁ……
2021年の種付けを最後に種牡馬を引退。翌年8月から加齢による心臓機能の低下で歩様が悪くなり、9月2日に老衰でこの世を去った。
名馬談議でもさっぱり名前が挙がらないが、彼もまた確かに名馬なのである。

  • スティルインラブ
ネオユニヴァース・ゼンノロブロイと同世代の牝馬で、メジロラモーヌに続く史上2頭目(3冠目が秋華賞になってからでは初)の三冠牝馬という栄誉を勝ち取った。
だが三冠達成以降は3タテしたはずの後述アドマイヤグルーヴにすっかり逆転され、勝ちに恵まれる事が無いまま2年後に引退。
繁殖入りするも第1子(牡で引退後乗馬)出産から数か月後腸重積により死亡。三冠牝馬史上最も短命な馬にもなってしまった。
ちなみに血統的には「ヘイルトゥリーズンの3×3」(父母双方の曽祖父が同じ)というかなり濃いインブリードになっており、これを三冠後の不調や早逝の理由と考察するファンもいたり。

  • アドマイヤグルーヴ
牝馬三冠すべて1番人気を背負いながら上記のスティルインラブに全敗した良血牝馬(母エアグルーヴ、母母ダイナカール)。
だがなぜか2番人気のローズS、そしてエリザベス女王杯では勝利し以降は安定して活躍。エリザベス女王杯に至っては連覇を果たした。
繁殖牝馬としてもスティルインラブよりは長続きしすべての産駒が中央で勝ちあがるという優秀な成績を挙げた…といっても5頭を遺しただけで亡くなってしまった。その最後の最後に生まれたのが最高傑作ドゥラメンテである。だがそのドゥラメンテも僅か9歳で…。
サンデーサイレンス産駒の中では第4位のセレクトセール高額馬であり、その中で獲得賞金額は第3位というお金的な意味でも派手な馬であった。他の高額馬の結果はお察しください。

  • ピースオブワールド
スティル・グルーヴと同期の牝馬で、2歳時は無敗4勝でファンタジーSと阪神ジュベナイルフィリーズ馬になった。
…が、クラシック期はスティルインラヴとアドマイヤグルーヴに押され勝てず(一応ピース・スティル・グルーヴで2・3歳G1及びエリザベス女王杯をSS産駒オンリー制覇という偉業は成し遂げたが)、その後も勝てないまま4歳春にひっそりと引退。
繁殖としては平凡だったものの海外輸出された9番仔のウルフィーがオーストラリアで重賞馬となり、2021年に繁殖引退後は故郷で功労馬として静養されている。

ネオ・ゼンノ・スティル・グルーヴと同期の馬で、かつグルーヴの母エアグルーヴの半姉カーリーエンジェルを母に持つ牡馬(母母父ノーザンテースト)。馬主は珍名好きで知られる小田切有一。
生まれた頃全姉の重賞馬エガオヲミセテが他の馬共々焼死する悲劇があり、姉と馬主も調教師も同じという因果を持ってデビュー。
中々重賞勝ちには恵まれない日々が続いたが、主戦騎手柴田善臣の薦めから挑んだ初スプリント戦高松宮記念で勝利。その後一回京王杯スプリングカップにも勝つもその後はまた勝てずに引退となった。
引退後は海外GⅠ馬ハナズゴールを輩出したが、娘のGⅠ勝ちを見る事なく2013年に腰萎症により他界した。

  • ヘヴンリーロマンス
スティルインラブ共々牧場「ノースヒルズ」の所有馬。なので勝負服も牧場の経営者の個人所有馬ビリーヴのものとコンパチレベルで似ていたり。
勝ち上がりが遅めで、やっと秋にクラシック戦線に乗りかけても同期アドマイヤグルーヴに一蹴されと苦労するが、一時クラス降格を乗り越え4歳で重賞初制覇。
5歳時は春シーズン大低迷するも、戦後初の天覧競馬でもあった天皇賞(秋)で、エアグルーヴ以来8年ぶりの牝馬による天皇賞制覇を達成。鞍上の松永幹夫騎手に騎手人生最後のGⅠを捧げ、その後2戦して引退した。
繁殖としてはダート系の産駒を輩出しており、殆どが調教師に転身した松永氏の厩舎入り。日本で種付けした第4仔のアウォーディーがJBCクラシックを制すも不慮の死を遂げたが、アメリカに行った後生まれサウジのUAEダービーを征した第6仔ラニが種牡馬に。
牝の仔でもダート重賞6勝したアムールブリエ等が繁殖入りしている等、彼女の血は順調に広まっている。

  • ダイワメジャー
デュランダルと同じく父サンデーサイレンス×母父ノーザンテーストの馬。
デビュー戦でパドックで座り込むという珍事を起こしたりしながらも皐月賞に滑り込み出走。10番人気から逆襲の勝利を挙げたが、その後は惨敗を繰り返し、一度はダメジャーという蔑称をつけられてしまうほど落ちぶれた。あのゲームは何ら関係ない。そもそもこっちが先。
実は、皐月賞以降は喉頭片麻痺*24に苦しめられており、引退も考えられたが、治療して2005年に復帰。復帰初戦でさっそく勝利するとマイルから中距離で好走を続け、2006年の天皇賞(秋)でついに復活のGⅠ制覇を果たす。そして次走のマイルCSも勝利してGⅠを2連勝。汚名返上を果たした。
その後も距離が合わないながら有馬では3着に入り、ドバイに行ったりもしながらコンスタントに活躍を続け、最終的にはマイルGⅠ三連覇を達成し、GⅠ計5勝という大活躍を見せた。手術を担当した獣医も「奇跡と言っていい」と語ったほど。
種牡馬入りしてからは、カレンブラックヒルやコパノリチャード、アドマイヤマーズ、レシステンシア、セリフォスなど、短距離とマイルでGⅠ馬を定期的に輩出している。
上記産駒のGⅠ勝利は4歳春以前に集中しており、そのためかこの馬の産駒は早熟傾向が強いとされている。
2023年現在は22歳という年齢故かプライベート種牡馬。翌年は種付けの予定がないことが社台SSから明言されており、引退して功労馬になる日も近いようである。
直系を残せるかは、社台SS入りしたアドマイヤマーズ次第か。カレンブラックヒルも、繁殖牝馬の質のわりに勝ち上がりは良く、地方重賞馬をちょくちょく出していたりする。現役競争馬の中で、種牡馬として有望視されている馬はセリフォスが筆頭だろう。
ちなみに、ダイワメジャーの半妹にダイワスカーレットがいる。そして彼女の父は先述したアグネスタキオンである。複雑な家庭環境…

ダイワメジャーと同世代のサンデー産駒。4歳の秋までにGⅠで2着が3回という惜しいレースを続けていたが、そんな中迎えた4歳末の有馬記念で、同じく当時善戦マンだったクリストフ・ルメール騎手と共に悲願のGⅠ初勝利をあげた。
このレースには無敗で三冠を決めたばかりのディープインパクトも出走しており、ダントツの1番人気だったが、2着に終わっている。
このことからハーツクライは「ディープインパクトに初めて黒星をつけた馬」として語られることが非常に多い。また、ディープインパクトは引退までこの有馬記念と3位入着から失格になった凱旋門賞の2敗しか喫していないため、国内レースでディープインパクトに先着した馬もハーツクライのみである。
翌年は海外遠征を決行。ドバイSCでは世界の強豪相手に逃げ切り圧勝、キングジョージでも凱旋門馬とドバイWC馬との死闘の末に3着に入る活躍を見せ、世界でも実力を高く評価された。しかし、帰国後のジャパンカップでは喉鳴りの悪化が原因で大敗し、これを機に引退。
その後は種牡馬として大活躍。現在も代表産駒としてあげられることも多いジャスタウェイが国内外のGⅠで3勝し、ドバイでのパフォーマンスが評価され日本馬初のWBRRレーティング1位に。
クラシックでも2014年にヌーヴォレコルトがオークス、ワンアンドオンリーがダービー勝利。この3頭の同時期の活躍により、産駒の価値は爆上がり。
2019年にはリスグラシューが海外GⅠ勝利と牝馬初のグランプリ連覇を達成、日本牝馬最高レートを記録し年度代表馬にも選ばれた。
アメリカに渡り、日本生産馬初の米国ダートGⅠ勝利を果たしたYoshida(ヨシダ)なんてのも。
他にも、息の長い活躍を見せたシュヴァルグランやスワーヴリチャード、第2のダービー馬ドウデュースなど、GⅠ馬をコンスタントに世に送り出した。
これらの活躍から、ステゴ・ディープと並びSS産駒の後継と目されていく。
このように種牡馬としても成功したハーツクライだが、ちょうど20歳を迎えた2021年限りで足腰の衰えにより種牡馬を引退して功労馬となり、2023年の3月9日に22年の天寿を全うした。
直系の存続は筆頭間違いなしと思われていたジャスタウェイが早々に社台から日高へ左遷されてしまったため、それに代わり大阪杯とジャパンカップを勝って社台入りしたスワーヴリチャードや朝日杯FSを勝ち同じく社台入りを果たした良血馬サリオス、朝日杯FSからダービーを制したドウデュースが期待されている。
他には米国のヨシダもあちらではそこそこ高い評価を受けているようだ。2024年から日本に戻ってくるけど

  • ダンスインザムード
ダメジャー・ハーツ同期の牝馬。母ダンシングキイからとする兄弟の一頭。
やや遅れたデビューながら3連勝を続けて乗り込んだ桜花賞を圧勝し、全きょうだいから計3頭のGⅠ馬という新記録を達成。
しかし姉ダンスパートナー同様気性の問題でレースでの折り合いに弱く、距離延長される残りの牝馬2冠は惨敗。
アメリカ遠征や初古馬戦での善戦もありJRA3歳優秀牝馬となるも迷走が続く。
5歳時にはヴィクトリアマイル初代女王として輝くなどマイル戦で活躍。レースの被るダイワメジャーが勝つときになぜか好走して2着に入ることが多かったのでその背中を追う禁断の恋*25ネタが囁かれていた。
繁殖牝馬としてはフェアリーS勝ちのダンスファンタジアが目立つ程度だが勝ち上がり率はそれなり。ダメジャー産駒はもちろんいません

  • スズカマンボ
ダメジャーハーツと同期の牡馬。
三歳まではハーツ以上に好走と凡走の波があるタイプだったが、4歳時の天皇賞春では1~3番人気が掲示板外にぶっ飛んだ中で13番人気から豪快な差し競馬で勝利した。
その後は再び不安定な馬に戻り翌年の大阪杯3着後に靭帯不全断裂を発症して引退。
種牡馬時代は体調の悪化もあり2015年に14歳で死亡。お前もそのパターンか。
しかしその中で芝(2冠牝馬メイショウマンボ)、ダート(牝馬唯一の中央ダートGⅠ馬サンビスタ)、障害(絶対王者オジュウチョウサンにも勝ったメイショウダッサイ)の3カテゴリーのGⅠ獲得産駒を筆頭に幅広い適性を見せた。
長生きできていたらあとどれ程GⅠ馬が増えていたのだろうか…。

  • ハットトリック
サッカー(ボーイは関係ない)由来の名を持つマイラー。
2歳時の骨折でデビューが遅れクラシックには不参加でマイル路線を進み、連勝と大敗を挟んで挑戦したマイルCSでデュランダルを撃破。更にその勢いのまま香港マイルの遠征も成功させ、ステゴ以来のSS産駒海外GⅠ馬の地位を得た。
翌年以降は力尽きたのかダメジャー復活の陰で大敗を繰り返し引退。
SS系GⅠ馬では珍しく米国輸出された種牡馬となり、オーストラリアや南米にもシャトルされ、最後にはブラジルに落ち着くなど、色んな意味で世界を股にかけ、その中から各国GⅠを制する産駒を輩出しサンデーサイレンスの血を世界に広げた。2020年に死亡。
そして彼もまたダメジャーハーツマンボタイドの世代。まさしく種牡馬の黄金世代であった。

  • ブラックタイド
ダメジャーハーツマンボハット同期の牡馬で、下記ディープインパクトの全兄
激しい気性や屈腱炎に悩まされたこともあり、めぼしい勝ち鞍はGⅡのスプリングSくらいで、2年間の休養もあってか期待されていたような成果を上げることは叶わず。
が、下記の全弟が歴史的名馬たる大活躍を見せた結果、血統だけで種牡馬入りすることに。
あくまで代替種牡馬と思われていたが、3年目になんとあのキタサンブラックを輩出し、一躍脚光を浴びることに。
後は続いていないものの重賞馬は他にも何頭か輩出しており、一定の種牡馬能力は持っていたようだ。
そんな一時の夢も一時では終わらず、種牡馬入りしたキタサンが初年度から大物を続々輩出。更なる次代へ繋がっていくことはもはや現実的となってきた。
一介の代替種牡馬からまさかの「ブラックタイド系」が確立されてしまうのか、要注目である。実質キタサンブラック系なのは禁句。

言わずと知れたサンデーサイレンス晩年の最高傑作。ちなみに馬主はトゥザヴィクトリー・シラユキヒメ・全兄ブラックタイドと同じ金子真人氏。
「飛ぶように走る」圧倒的すぎるレースぶりで無敗三冠を達成し、競馬界の枠を超えた社会現象を巻き起こした。が、蹄に不安があり万が一のことを考え、早くから種牡馬入りさせるために4歳で引退。
種牡馬としても初年度から多数の活躍馬を輩出し、サンデーサイレンス亡き後の玉座を手中に収める。これ以降、競馬界は彼の産駒同士が様々なレースでぶつかり合う戦国時代に突入。
2011年に初年度産駒のリアルインパクトが3歳で安田記念を勝利し、早速種牡馬としてのポテンシャルを証明。
2012年にはジェンティルドンナが牝馬三冠を達成し古馬王道路線でも活躍を見せ、牡馬の三冠馬輩出にも期待がかかった。
2013年にはキズナが武豊騎手を背にダービーを勝利し、凱旋門賞4着と健闘。その後も産駒達がクラシックを賑わせ、ディープインパクトの種牡馬としての信頼を確固たるものとしていく。
彼自身は17歳という若さでこの世を去ったがそんなんばっかだなSS産駒、その翌年にコントレイルが無敗でのクラシック三冠を達成。世界初となる親子で無敗三冠という大偉業を成し遂げた。
他にも、GⅠ6勝のマイル女王グランアレグリア、初の日本馬ブリーダーズカップ勝利&海外GⅠ年間3勝を決めたラヴズオンリーユーなどが印象的。
産駒のダービー勝利数はなんと6勝。輩出したGⅠ馬は60頭を超える。数字で見れば父をも超える成績である。
更には、海外に渡った産駒も複数がGⅠを勝利し、繁殖入りを果たしている。
後継もキズナが絶好調であり、他にもサトノダイヤモンドやリアルスティール、ダノンキングリー、コントレイルなどなど期待されている面々が勢ぞろい。海外でもサクソンウォリアーが好調であり、更にはオーギュストロダンも控えている。この血統はこれからも繋がっていくだろう。

  • スズカフェニックス
ディープと同期の牡馬。
クラシック期は中々条件馬から抜け出せずディープと対戦する事もなく苦労したが、ディープ引退後の5歳で重賞2勝・高松宮記念制覇と覚醒し、高松宮記念でサンデー産駒3年連続勝利という記録を達成した。
種牡馬としてはNHKマイルカップ馬マイネルホウオウを輩出するも誘導馬になったため後継は残せず、2016年に種牡馬を引退。現在は「うらかわ優駿ビレッジAERU」で余生を過ごしている。
いつも一緒の相棒だったタイムパラドックスに先立たれたりもしたが、それを乗り越えウイニングチケット(2023年2月他界)と仲良く過ごし、最近新しい仲間オウケンブルースリ・マイネルキッツ・ナカヤマフェスタも加わっている。

  • ショウナンパントル
ディープ世代の牝馬。
阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち世代G1馬一号に輝くも、その後牝馬三冠で全敗する等勝ちに見放され、地味に5歳まで現役を続けるも勝てないまま引退した。
また繁殖入りするも2011年に事故死し、計4回の交配機会で3頭仔が生まれるも血統登録に至ったのは牡重賞馬ショウナンアチーヴのみで、彼も乗馬行きとなったため後継を残せなかった。もし長生きしていればどうなっていたのだろう…。

  • エアメサイア
ディープ世代の牝馬で、上述エアシャカールの姪でかつ父サンデーサイレンス×母父ノーザンテーストの馬でもある。同期のSS産駒にはショウナンパントルや重賞馬のデアリングハート(後の三冠牝馬デアリングタクトの母母)・ディアデラノビアがいる。
クラシック戦線では2戦目の白梅賞でディアデラノビア・桜花賞でラインクラフト(母父サンデーサイレンス)・オークスでシーザリオ(父スペシャルウィーク)に屈するも、秋華賞でついに勝利。
だがその後エリザベス女王杯以降はまた善戦はすれど勝ちには届かず、ダンスインザムードが勝ちショウナンパントルが17着に沈んだヴィクトリアマイルでの2着後引退した。
繁殖としては11歳で早逝した事もあり計5頭と数自体は少なかったものの、その中から長く芝・ダートと現役を続けたエアスピネルを輩出。牝系も無事繋がっており第1仔エアワンピースの息子エアロロノアがリステッド競走勝ちする等奮闘している。

  • フサイチパンドラ
ラストクロップの一頭。
桜花賞こそ大敗したもののオークス、秋華賞を好走。
続くエリザベス女王杯では2位入線し、カワカミプリンセスの降着によって繰り上がり優勝を決めた。その後はダートに挑戦したり、札幌記念で牡馬にも負けず逃げ切ったり、エリ女でダイワスカーレットの2着に入ったりして引退、繁殖入り。
勝ち上がりはするものの大物を見ないまま2017年に死亡したが、その翌年にロードカナロアとの間に授かった7番仔アーモンドアイが牝馬三冠+ジャパンカップ世界レコード勝利を上げ、最終的にはシンボリルドルフの壁を越えてのGⅠレース9勝を達成している。

  • マツリダゴッホ
ラストクロップにして最後のGⅠ勝利産駒。
中山のラスボスと呼ばれる程とにかく中山競馬場で異様な強さを誇り、2007年の有馬記念ではダメジャーのラストランとダスカとの最初にして最後の兄妹対決を尻目に、「経済コースをするすると」抜けて空気を読まずに勝利した。
GⅠ勝利はそれ以降有馬記念ですら恵まれなかったが、オールカマーの三連覇や日経賞の圧勝など中山マイスターとしては最後まで名を残した。
どれくらい中山だったかというと、Wikipediaの生涯成績の欄でも中山とそれ以外の内訳が記載されているレベル。
引退後はレックススタッドで種牡馬をしていたが、重賞馬を複数輩出するも微妙な成績で2023年に引退。生まれ故郷の岡田スタッドで余生を過ごしている。


【最期まで運命に抗う】


だがそんなサンデーサイレンスもやはり生物。
最初の異変は牝馬を見てもあまり積極的に種付けに行かなかったところから始まり、食事も明らかに変化するなど厩務員は限界が来ているのではないかと悟った。
この年の種付け中だった2002年5月に右前脚に原因不明の炎症を発症、様々な検査をしたところ慢性感染性腱鞘炎と判明。
安楽死させることも考えたが関係者は経済的な事情もあり治療を続行したが、それ以上に痛みに耐えながら食事をするなど彼自身が諦めていなかった。
3度にもおよぶ手術後は回復傾向で、もし後遺症が残っても種付けが出来るように専用の施設を作り療養させることも考えられた。

だが右前脚を庇い続けたことで左前肢に蹄葉炎を発症、しかし彼はその痛みに耐え続け、寝たら死ぬと悟っていたのか最期の1週間は不眠不休で立ち続けた。
しかしこれを見ていた関係者が先に折れてしまい、強力な鎮痛剤を打たれるとついに横になり、翌日には息を引き取った。死因は衰弱性心不全、享年16歳。
種牡馬としてはまだまだこれから*26という時期の死だった。
しかし生まれて間もなく死ぬことを望まれ、蔑まれ続けたサンデーサイレンスが、最期には死を惜しまれる形で逝くことが出来たのは、彼にとっては幸福なことであったと思いたい。


【余談】


フィクション作品では『馬なり1ハロン劇場』に日本への輸入直後から登場。
名馬達の親として、時には種牡馬の繁殖&成績を会社に例えた「商社」もので「北味商事」(ノーザンテースト)を吸収合併した「日静」グループの創設者として現れ、没後も天上から孫達の様子を見ている。
しかしリアルでの気性の荒さを反映してか大抵怒っている様な感じでもあり、特に初期世代の子供達は彼の怒りを恐れ、オルフェーヴルの阪神大賞典後再調教審査時は天から頭の輪を使い物理的に干渉。
2012年ダービー時には1頭以外皆自分の孫な事で調子に乗り孫じゃない馬に迫るも、それを見かねた2代目三冠馬シンザン*27に連行される羽目に。

『優駿劇場』では第60回オークスの回でトゥザヴィクトリーの父親として登場。
結果を出さなければ容赦なく馬肉にされる日本で生き抜くという意思のもと、外国産種牡馬に押される内国産種牡馬の未来を憂うサクラユタカオーと娘達を巻き込んで火花を散らした。
ちなみにこの回、テーマがテーマなせいか濡れ場がある
青年誌のベッドシーンのノリで馬の種付け描いた漫画は本作ぐらいだろう

また『優駿の門』では初代主役馬「アルフィー」の父として名前が引用されており*28、『みどりのマキバオー』と続編の『たいようのマキバオー』では一部登場馬の血統図内にサンデーモデルと思しき「サンデーサイデンス」なる種牡馬が記されている。
余談だが『マキバオー』シリーズ中での「サンデーサイデンス」産駒はある意味モデルを上回っており、二冠馬・GⅠ勝利の白馬姉とGⅠ11勝馬の弟な双子(主役馬の半妹弟)・末っ子の三冠馬と錚々たる面子が揃い、
白馬の息子が主役で彼と同い年の末っ子三冠馬の雄姿から物語が始まる『たいようのマキバオー』では、彼らの同世代や後輩として二冠馬の子供達が多数登場している。
ちなみに『たいよう』後半のストーリーをSS関係で例えると、シラユキヒメの息子が友達になったディーブがパリでスズカの様な死を遂げたショックを乗り越え、オルフェーヴルを真面目にした様なフジキセキの息子と仲良くなり友が挑む前に果てた凱旋門賞に共に挑む話だったり。

なお現役時代からペパーミントキャンディが大好物で、現役時代からこれを喰わせると気性が落ち着いたとも言われており、末期の頃カイバの代わりにこいつを喰わせたら大層喜んだと言うエピソードがある(似たような話でピルサドスキーの遠征時に大量に持ち込まれたと言う話もある)。


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最終更新:2024年03月31日 15:14

*1 サンデーサイレンスの活躍後ですら「目をつぶって済むような軽い欠点ではなかった」「アレは突然変異だ」と言い続けている。アドバイザーを引退した後も「他の馬を見るのと同じ基準で評価を下したまで」と言ってこの評価を正当化したが、一方でサンデーサイレンスを育て上げた関係者には尊敬の念を表した。

*2 これがよりによって現地の大型連休である感謝祭シーズンであったため、休暇をフイにされた獣医がブチギレて「どうせ助からないならとっととくたばっちまえ」と言ったとか。酷い話である。

*3 後に馬運車の運転手が心臓発作を起こしたことが事故の原因だと判明しており、運転手もそのまま亡くなっている。

*4 詳しくは当該記事を参照してほしいが、簡単に言うとアメリカの三冠レースすべてでレコードを保持する怪物馬。2023年現在でもアメリカ競馬史上最強馬の呼び声が高い。

*5 アメリカで大人気且つ最大のストックカーレースシリーズ。ほぼオーバルコースで開催され、且つ速度を稼ぐ為に殆ど接近戦で密集し、その中でプッシング・クラッシュは当たり前と言うケンカレースでも知られる。

*6 次のアメリカクラシック三冠馬の出現は、37年越しとなる2015年のアメリカンファラオを待つこととなる。

*7 このアンブライドルドも日本と接点のある馬で、産駒のアンブライドルズソングが米G1で2勝をあげて種牡馬入りした後、母の父としてコントレイルやジャックドール、ノットゥルノといった日本のG1ホースを輩出している。

*8 事実、イージーゴアの英語版Wikipediaの記事は注釈の数が凄まじいことになっている。

*9 当時ストーンファームは牧場拡大に伴う負債を抱えていた。また、善哉氏の息子である照哉氏とハンコック氏の間に親交があったこともプラスに働いたとされる。

*10 この時も照哉氏から英国の厩舎を紹介してもらい、移動にはコンコルドに乗せてくれたと語っていた。

*11 原因は治療用薬物の投与によるアナフィラキシーショック。実はイージーゴアは癌を患っており、既に多臓器に転移していた。癌の進行自体は遅かったため、アナフィラキシーさえなければもっと長生きできたという意見と、どの道長くはなかったという意見で分かれている。

*12 3(2)歳しかいないので、新馬戦が始まる6月以降しか走れない。

*13 地方競馬まで含めると2位。

*14 サンデーが16歳で「夭折」したことを考えると当時の日本においてやはり圧倒的な存在だったことが分かる

*15 逆パターンが「神の馬」ことラムタラで、ノーザンダンサーの2×4という強いインブリードが想定以上に敬遠され配合相手を確保できなかった。

*16 いわゆる「勝負根性」の良さ。かの天才・武豊は「気性の悪さを見せるSS産駒はむしろ頼もしかった」と述べている。

*17 現状後継筆頭とされているのは北米へのシャトルで産まれたモアザンレディで、現在は主に北米とオーストラリアで勢力を広げている。

*18 なお、日本競馬がサンデーで血の閉塞を起こすことは早い段階から危惧されており、それを打開する切り札として導入されたのがキングカメハメハである。本来なら貴重なミスタープロスペクター系としてエルコンドルパサーやエンドスウィープがポストSSを担う筈であったがどちらも早逝、その穴埋めで導入したウォーエンブレムも栗毛の小柄な馬以外お断り(早い話が金髪フェチのロリコン)と言う厄介な性癖を持ち、社台が地獄を見た末の希望の光であり、'10,'11リーディングサイアーを獲っている。

*19 現在の朝日杯フューチュリティステークス。

*20 当時は国際GⅡ。賞金が高くGⅠに勝るとも劣らないレースだったが、このせいで惜しくも「海外GⅠ制覇」の称号は得られず。

*21 内国産馬としても史上初。

*22 ちなみに偶然ではなく、元ネタの実況は当時のアナウンサーが咄嗟に父親の名前を捩った物らしい。

*23 なお、当のタキオンの故障は屈腱炎なのでポキってはいない。

*24 喉鳴りの一種で、喉の筋肉の一部が麻痺してしまい、呼吸に支障が出る病気。喉鳴りの中でも治療の難易度が高く、ゴールドアリュールやハーツクライを引退に追い込んだのもコレ。

*25 兄弟ではないがさすがに同父で繁殖は普通ありえない。

*26 種牡馬としてのライバルと言えるブライアンズタイムは20代後半まで種付けを実施していた。まあ、これはちょっと元気すぎる例でもあるが……。

*27 ちなみにシンザンは競馬界を席巻し過ぎて父系が断絶しかけている事で有名なセントサイモンの直系でもある

*28 ちなみに、偶然だが現実でもアルフィーと同じ「父サンデーサイレンス・母サクラハツユキ」配合で生まれた「サクラケイザンオー」なる馬が存在するが(重賞馬サクラエイコウオーの半弟)、14戦2勝(1996年セントライト記念2着・菊花賞4着)と普通の成績に留まっている。