イラン・イラク戦争

登録日:2011/06/23(木) 23:27:03
更新日:2024/02/25 Sun 01:23:41
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「敵の敵は味方」

イラン・イラク戦争
期間 1980年9月22日~1988年8月20日


  • 主要交戦国
イラン

VS

イラク




『宗教』『歴史』『石油』と様々な利権が絡んで起きた戦争。
まぁぶっちゃけいつもの不和不和(ふわふわ)時間(タイム)である。


此方を「第一次湾岸戦争」、後のクウェート侵攻を「第二次湾岸戦争」と呼ぶ場合もある。






  • 前史
簡単なイラン革命解説

議会もあり、一応立憲君主制を布いていたイラン。

当時イランは国王制であり、『王>議会』で若干名ばかり議会政治であった。


しかし、『第二次世界大戦』で枢軸国側に付いて負け、イギリスにより現国王が引きずり降ろされ、新たに「モハンマド・レザー・シャー」が王位に就く。


シャーは国政を議会に一任。


このまま完全な立憲君主制に移行するかに思われた…


が、石油利権がすべてイギリスにあった1951年に、議会で『石油会社の国有化』を主張するモサッデグが首相に就任。

驚いたイギリスは
経済制裁
国王を脅して首相の強制退任
を行うも逆にイランは団結を強め、遂にシャーは亡命を余儀なくされる。

ちなみにこの制裁の際に日本のタンカーがイランに来て、同国産の石油を持ち帰った話が百田尚樹氏原作の「海賊とよばれた男」*1に書かれている。
小説なのでフィクションもあるが、この辺の状況やモサッデグの情熱も簡潔にまとめられているので、この時代の事を知りたい人はご一読を。

事態を憂いたアメリカはCIAを派遣。

裏工作により国王派によるクーデターが発生。
現政府は転覆し、イランは再び国王制に移行。


シャーは西側諸国に『石油を安定供給する事』を条件にアメリカに「経済支援」を依頼。

産油国かつ東側に隣接しているイランの親米化を喜んだアメリカはこれを快諾。




後に「白色革命」と呼ばれるアメリカ資本の流入により、農地改革、森林国有化、労働者への利益配分、国有企業の株式会社への転換、婦人の参政権実施、文盲退治等々、イランを急激に近代化させた。


しかしこの恩恵を受ける事が出来たのは都市部や一部の国民のみであり、結果として貧富の差が増大。

さらに「荘園制度」で甘い汁を吸っていた宗教家達がこれを取り上げられて反発。

「一部の人間が富を握っている」という現実に絶望した人々は、やがて政府を憎むようになる。
そんな中、「古き生活を取り戻そう」とイスラム原理主義が台頭。

その勢力は次第に力を増し、遂に1979年にイラン革命が発生し、国王は国外へ追放。

イランは頂点に「司法」や「立法」すら上回る「宗教指導者」を抱く

イラン・イスラム共和国
へと生まれ変わりましたとさ。

ちゃんちゃん



  • イラン革命結果

「中東をイスラムでまとめ上げ、ヨーロピアン共を叩き出そう」(中東人も白人である)
そんなイランの産声に、一つの国が立ち上がった。
サダム・フセイン率いるイラクである。

イラクは他のアラブ諸国や欧米諸国に「地球のみんなー!オラに力を分けてくれー!」と、イラン討伐の援助を要請。
この革命に危機を抱いた諸国は

ペルシャ湾を挟んで対岸のクウェートは大金を貸与ピコーン!フラグ発生。

この金で米ソから兵器を大量購入し、西独は化学兵器製造に転用できるプラントの建設を行う等、次々とイラクを支援。
着実に戦力を増強させていく。




一方、イランは革命により反対派の軍人や識者を粛正して政府の機能や指揮系統が麻痺。



さらに国内から外国人を一斉退去させた為、米製兵器の整備や予備部品が欠乏する等てんやわんや。


そんなこんなで1980年9月22日未明、
今が好機と踏んだイラクは夜明けと共にイランに対し全面攻撃を開始する。





  • 本編
1980年9月22日未明、
イラク空軍はイラン空軍基地を奇襲。
同時に陸軍を侵攻させた。


各所でボコボコにされたイランは持たざる国の最終奥義『ソ連式人海戦術』で対抗。


イスラム義勇軍の抵抗は凄まじく、さらにイスラエルがイラン側に参戦。
不足していた米制兵器の予備パーツや整備技術をget。

続いてシリアとリビアがイラン側で参戦。



オマケにこのタイミングで政治争いが起き、「メンドクセ」状態になったイラクはイランに停戦を提案。

イランはこれを一蹴するや、一気に大攻勢をかける。
士気がダルンダルンだったイラクは各所で敗れ、遂に自国領内まで攻め込まれる事態となる。

いい加減「ぷっちーん」ときたイラクはイラン軍に対し化学兵器(おもに毒ガス)を使用。

無差別な攻撃と見えざる恐怖によりイラン軍の志気がズドンと急降下。


と、ここでイスラエルはレバノンへ侵攻し、「レバノン内戦」が再発。
欧米の支援は次第に此方や自国の問題へ向いていき、イラクも息切れ。
双方にらみ合いを開始する。


も、すぐ戦闘再開。
互いに
「民間人を歩かせ地雷原を突破している」
とか
「自国民を毒ガスで弾圧してる」
とか、嘘か誠か互いに
「テロ国家」
と罵り合いながらスカッドミサイルの応酬戦を開始。



そんな中、何とシリアが
「アメリカ君がイラン君にイスラエル君経由で武器売ってまーす
いけないと思いまーす」
と、大暴露。

対してアメリカは
「こっちはイランに民間人人質取られて脅されてたんだから仕方ねぇだろボケシリア!!」
と、マジ切れして参戦。




いい加減滅茶苦茶になってきた所で国連が「経済制裁」をちらつかせつつ停戦を勧告。

これを受けイラクが和平の為、握手の手をそっと差し出す。

と、此処でイランが右フック。
ペルシャ湾へ大量の機雷をバラマいた。



ブチ切れたイラクはスカッドミサイルでイランを攻撃
すかさずイランも撃ち返す。


再度始まった泥沼の応酬戦にいい加減「イラッ☆」ときたアメリカが
「ええ加減にしなさい」
と突っ込み漸く双方停戦を受諾。

1988年8月20日をもって8年続いたイラン・イラク戦争は幕を閉じた。





  • 戦後
イラク
増強に継ぐ増強で世界第五位の軍備を持つ超軍事大国に。
フセインの野望が今始まる?


イラン
「生き残る」という当初の目的を達成。
長きに渡る人海戦術で人口が激減したかに見えたが、戦中出産を奨励した結果むしろ人口が増えた。
が、国民の半分が未成年に…



イスラエル
戦中「後の災いになる」と建造中だったイラクの原発を爆破したりと相変わらずのヒャッハーぶり。


アメリカ
二国を恐れた一部中東諸国がアメリカ贔屓に。
中東での発言力を増す。


日本
第二次オイルショックが起きて「まじイライラ戦争」とか言ってみる。
イランに現地在住の日本人が取り残されてしまうが...?
詳しくはエルトゥールル号遭難事件参照。






ヒゲ「我が世の春が来たぁぁ!!」




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最終更新:2024年02月25日 01:23

*1 2016年に岡田准一氏主演で映画化されている。