風が吹くとき

登録日:2011/01/10 Mon 20:15:25
更新日:2024/04/09 Tue 04:09:45
所要時間:約 7 分で読めます




※注意!!
この項目ではネタバレ、鬱要素が含まれます。
ネタバレに敏感でない方、核が落ちてもポジティブに生きられる方のみ閲覧をおすすめします。






『風が吹くとき』(原題:When the Wind Blows)は、『スノーマン』などで知られるイギリスの作家レイモンド・ブリッグズが1982年に発表した漫画形式の絵本。




核戦争に巻き込まれた老夫婦を書いた物語。
と言ってもよくある核の悲劇を書いたものに対し直接的なグロ要素はほとんどない。
核爆発のシーンなど見開きで真っ白なだけ。しかし……。


【あらすじ】

イギリスの片田舎で老後を過ごすジムとヒルダの夫婦。

ジムは近々戦争が起きるというニュースを聞き、役所からもらった核兵器対策マニュアルを参考に、
家のドアを外して壁に立てかけ、周りをクッションで覆ったシェルターを作り、
役所と政府など出所でいろいろ食い違うマニュアルに四苦八苦しながら準備を始める。

そしてある日突然にラジオから流れた「核ミサイルが発射され、あと3分で到達する」というニュースを聞く。
ジムは洗濯物を取り込むために外へ出て行こうとするヒルダを慌てて抱えてシェルター(?)に転がり込む。

直後、閃光が閃き、爆風が吹いた。



町外れだったおかげでジムとヒルダは生き残り、家は熱風で半壊する程度で済んだ。
もうしばらくすれば救援が来ると生活を再開する2人。
しかし、それは死へのカウントダウンの始まりでしかなかった……。


電気も水道も止まってしまった。
ニュースを聞こうとしてもラジオもテレビも何も伝えない。
新聞配達も牛乳配達も来ない。

頭痛に悩まされる中、細々と少ない保存食で食いつなぐ2人。
妻を元気づけようと外に出てみるも、あたりの草は枯れ果て死の世界となっていた。
そこに雨が降ってくる。水が尽き喉が渇いていた2人は天からの恵みと雨水を溜めて、お茶を沸かして一息つく

やがて2人の体はますます衰えていく。体中に斑点が出る。
トイレにネズミがいたと泣きわめくヒルダ。そんな彼女を楽しませるためにおどけて歌うジムだが、言われるまで口から血を流していることに気づかない。
ついにはヒルダの髪が抜ける。

それでもまだ必ず政府の救援が来ることを信じ続けるも、衰弱しきった2人は、次の核攻撃に怯え、紙袋をかぶってシェルター(と思われるもの)に潜り込む。
ジムに神へのお祈りをせがむヒルダ。
ジムはそれに応え、たどたどしく暗記していた聖書の一節を読み上げ始める。


主は我を緑の野にふさせ、いこいの水際にともない給もう。
たとえ我死の影の谷を歩むとも禍害をおそれなじ、なんじわれとともに存せばなり、
なんじの鞭なんじの杖わが日々を慰む。
600の兵士は進む。

物語はここで終わるため、ジムとヒルダの顛末は描かれていないが……「描くまでもない」という作者の意図とも受け取れる。


【登場人物】

  • ジム
年金生活をしている老人。
政府の指示に非常に忠実な模範的市民。
しかし政府が今どのように戦争をしているのか等はいまひとつ理解が足りない(「コンピュータがすべて決めているのだろう」とも)。
幼少期に第2次世界大戦を経験しているが、直接被害を受けたことはないのか、戦争になっても英雄がやってきて敵を撃退してくれる、
自分は空襲の中、救助活動で大活躍して美女を救出するなど刺激的な非日常くらいの感覚しかない。
戦時中については思い出補正か「あの頃はよかった」とさえ言ってしまう能天気ぶりである(これは妻のヒルダも同様)。
放射能の悪影響についても全くの無知で、被爆後の放射能漂う野外で呑気に日光浴し、雨水をためて飲料水にしてしまう始末である。

ちなみに作者の過去作『ジェントルマン・ジム』の主人公でもある。

  • ヒルダ
ジムの妻。
家を切り盛りすることに熱心で、シェルターを作る夫に家を汚さないように注意する。
しかし目先のことしか考えられず、家事>>>>>(意識の範疇の壁)>>>>>世界情勢なくらいの認識の持ち主。戦争など完全に他人事。
どれほどかと言うと、核爆発が起きる直前、オーブンに入れていたケーキの心配をして「ケーキが焦げる!」と言い続けるほど。
ケーキどころか自分やジムも含めて全てが焦げるのだが…。
この通り核爆発への知識は全然ないが、被爆後に「地下室にいたほうが良かったんじゃない?」と言い出したり、
雨水を貯めるために豪雨降りしきる外に出ているジムに「死んじゃうわよ」と言ったりと、さり気無く察しが良いような面もある。

  • ロン
夫婦の息子で、街で家族で暮らしている。直接に登場はしない。
核シェルターの作り方において60°の角度がよく分からなかったジムが彼に電話をし、「分度器を買ってくればいい」とアドバイスをした。
戦争になると聞いて、シェルターも作らずのん気に笑っていた。もちろんその意味は……。*1


【備考】

タイトルは「風が吹いて枝が折れたら何もかも落ちる」という、権力者の暴走が国民をも巻き込むことを皮肉った趣旨のマザーグースから来ている。

ラストシーンで聖書の言葉の後に続く「600の兵士は進む」という文は、1854年に詩人テニソンが発表した詩の一節。
クリミア戦争でイギリスの軽装備旅団600人が下された命令の愚かさを知りながら、
ロシアの砲兵隊に突撃し全滅した悲劇を歌った詩である。


前述のとおり、この作品は『はだしのゲン』のような視覚的なグロ要素はない。
そのため日本の被爆者などからは「核の被害を軽く描いている」と批判された。
しかし、日本に落とされた原爆は現地に放射能汚染を残さなかったため、
「単に、日本の反核運動が放射能に汚染された大地で生きることの恐怖を意識していないだけだ」という見解もある。

また、こんな絶望的な極限状況下に追いつめられてなお無駄にポジティブな発言の数々が精神的に来る。

ちなみに作中に出てくる対策になってないマニュアルは、実際にあんな感じのクオリティのものが、50年代からイギリスでは配布されていた。この作品以外にも『THREADS』というテレビ映画にもそのマニュアルは出ている。
「ドアを壁に立てかけてシェルターとか有り得ない」とは誰もが思うが、劇中にも登場するパンフレットにはマジで書いてあるのである(流石にこの作品の公開の後で回収された模様)。
実際にこの作品には当時の対策マニュアルへの批判と皮肉の意味が隠されているとの評判。

ただし、実際には爆心地から遠く離れた場所では「閃光に気づいて窓に近づく→爆風で割れた窓ガラスを浴びる」で多数の死傷者が出ているため、少なくとも「何もしないよりは生存率が上がる」のは事実である。
というか、核爆発の熱線そのものはカーテン一枚でも間に挟めば殺傷力は大幅に減じるので、「家庭でできる咄嗟の核爆弾対策」としてはそこまで間違ってはない。実際爆風で家の中がメチャクチャになったにもかかわらず、シェルターに逃げ込んだ二人は爆発による怪我は一切せずに済んでいる。
ただ、それを当てにして汚染地域にいつまでも残り続けるのは明らかに間違っているが。
「核爆発そのものを生き残るための対策」と「放射能汚染を生き残るための対策」は別物である、という話。


1986年にはアニメ化され、実写の背景やオブジェの中にアニメキャラが動くというものになっている。
主題歌は音楽界の巨匠デヴィッド・ボウイで、非常に爽やかな名曲。それだけに余計に来るのだが。
日本では翌年に細々と公開され、吹き替えを森繁久彌と加藤治子が担当した。
分かりやすく言うと乙事主とマダム・サリマン。2人の淡々とした演技も高く評価されている。



核を過小評価してる毛唐pgr的な意味合いにも取れる作品だが、日本人も核爆弾が落ちたらどうなるかは自体は勉強で知っていても、
実際に放射能の恐怖や核攻撃の後にどうやって生き延びればいいかは知らない人が多いのではないだろうか。
この作品で語られていることは決して他人ごとではないのである。
(ちなみに、本作には第二次大戦当時の枢軸国と連合国の中心人物である
フランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリン、
アドルフ・ヒトラー、ヘルマン・ゲーリング、ベニート・ムッソリーニなどがジムの回想で登場しているが、枢軸国側で日本の代表であろう東条英機氏や昭和天皇が何故かいない。意図は不明である)

核の悲劇と恐怖を書いた作品と見るか、
政府をただ鵜呑みにして信じる情弱で愚かな夫婦を書いた作品と見るか、
どんな状況においてもお互いを励まし慈しむラブストーリーと見るか、
見る人によって感想が変わる点は、『火垂るの墓』と似ているかもしれない。


余談だが、現実的な対策が書かれたコピペがある。
ただそれもどこまで正しいか、実際にこの通りにできるかは分からない。





“本作は反核を宣伝するためでも、特別な政治的意図に基づいたものでもない。
核戦争が起こったらどうなるのか、その警告がどう取り払われるのか、人々は次に何をするのかを描きたかっただけだ。
この老夫婦はイギリスの労働階級の典型的な人々である。
誰もが彼らと同じで、私の両親がまだ生きていたら、彼らのように行動したに違いないだろう。“

  ―レイモンド・ブリッグズ




もういいわ、あなた・・・

ああ・・・もう、いいのよ・・・



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最終更新:2024年04月09日 04:09

*1 「ロンドンがやられたら終わりだ」というある意味開き直った考え。核ミサイルが落ちるとすれば首都ロンドンであり、爆心地の建物は容赦なく全てが吹き飛ばされるか、もしくは蒸発するのでシェルターなど地下壕以外は意味がない。