黒夢

登録日:2011/11/02(水) 01:28:45
更新日:2022/04/08 Fri 20:05:00
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黒夢(くろゆめ)は1990年代に活躍した岐阜県出身の二人組ロックバンドである。

バンド名の由来はボーカル清春の「他のバンドが英語やフランス語のバンド名だから、自分達は漢字にしよう」という考えから、前身バンドGARNETの楽曲「黒夢」から名付けられた。


■来歴
  • インディーズ時代
1991年に清春とギタリストの臣の二人を中心に人時と鋭葵の四人で黒夢を結成。
DEAD ENDに影響を受けたサウンドと清春のビブラートを効かせた独特の歌声で人気を集め、同時期のバンドと共に現在にも続くヴィジュアル系バンドの主流を作ったと言われている。
また同時期に活躍したバンドとしてはLUNA SEAGLAYL'Arc~en~Cielなどが挙げられる。

その後、1992年に初代ドラマーの鋭葵が脱退し、1993年に二代目ドラマーHIROが加入するもこちらも三ヶ月で脱退。
その為、人によっては黒夢が四人バンドであった事を知らない人もいる。

ちなみに、当時のローディーには後にデビューするDIR EN GREYのボーカル京もいた。


  • メジャーへ

インディーズで二枚のミニアルバムと一枚のフルアルバムを発表した彼らは、1994年2月に東芝EMIからシングル「for dear」で満を持してメジャーデビュー。
その一月後に発表されたメジャーデビューアルバム「迷える百合達」はオリコン初登場3位を記録し、その人気にがつくものの……


  • 二人組バンド
1995年にバンド結成の中心メンバーであった臣まで脱退し、黒夢はボーカルとベースだけというバンドとしてはかなり変則的な構成となってしまう。

ちなみに臣が辞めた理由は、レコーディングに来なかったので迎えに行くとシンナーでラリってたから。

その為、当時のTV番組ではバンドではなくユニットとして紹介される事も増えていったが、本人達はあくまで「黒夢はバンド」という主張を通し続けていく。

また、当初は臣が黒夢のメインコンポーザーであった事も手伝い、彼の脱退以降はそれまであまり作曲に関わってこなかった清春がメインコンポーザーとなった為、黒夢はその音楽性をがらりと変えていく事になる。


  • 過酷なツアーと無期限活動休止
バンドのあるべき姿はライヴと考えた彼らは、1996年以降はTV出演のほとんどを断り、一年に百本ペースの異常な数のライヴをこなしていく。
1996 TOUR"FAKE STAR'S CIRCUIT(30公演)
   学園祭(5公演)
   ’96BITHDAY GIG FOR KIYOHARU(2公演)
   FINAL OSAKA / JUST ONE NITE(1公演) 計38公演 まあここまでは普通だった。

1997 TOUR"Many SEX Years" vol.0 under only gig"(3公演)
   TOUR"Many SEX Years" vol.1 ~live house gig~(21公演)
   TOUR"Many SEX Years" vol.2 Many SEX DRUG TREATMENT"(49公演)
   TOUR"college gig"(9公演)
   TOUR"Many SEX Years" vol.3 Many SEX DRUG ROCK'N' ROLL"(15公演) 計97公演 いきなり前年の3倍のライブ数をこなす。

1998 TOUR"Many SEX Years" vol.4// under only tour(6公演)
   TOUR"Many SEX Years" vol.5 CORKSCREW A GO GO! "(112公演) 計118公演
これを180日で行った為「1.5日に1回のライブ」という殺人スケジュールと化した。


しかし、この長く続くツアーに心を痛めた人時と彼の家族は、清春に脱退を直訴。
バンドとしての活動が不可能になった事を受けて、黒夢は1999年1月のライヴを最後に無期限の活動休止となった。

だが、この黒夢の無期限活動休止は事実上の解散であり、1999年以降の清春や人時は元黒夢のメンバーと紹介され、実際に清春も黒夢の再始動の可能性については全面的に否定していた。

なお、黒夢の活動休止直後に清春が新結成したSadsの1stシングル「TOKYO」ではのっけから
「途切れた黒い夢に今日も惑わされる」
という歌詞があったりする。



  • 解散、そして……
2009年1月29日、人時からの提案により一夜限りの復活&解散ライヴを日本武道館で行い、黒夢はその18年の歴史に正式に幕を降ろした。










……かに見えたが、解散ライヴから丁度1年後の2010年1月29日に黒夢の完全復活を発表。

2010年自体は清春のソロ活動の為に黒夢自体の活動は無かったものの、2011年に入ってからシングル三枚を立て続けにリリースし、そして同年11月には遂にファン待望の13年ぶりのオリジナルアルバムを発表した。

2013年にはライブ会場限定販売でシングルを発売、続けて初のシングル2枚同時発売を行う。

そして、2014年1月にはニューアルバム「黒と影」を発売。
デビュー20周年を記念するライブを次々に開催している。



■メンバー
  • 清春(ボーカル)
黒夢の中心人物。本名は漢字表記が違う「森清晴」。
バンドのほぼ全ての楽曲の作詞を手がけ*1、臣脱退以降は作曲数も半数以上を占める。

現在のヴィジュアル系ミュージシャンから敬愛されており、現在の脱ヴィジュアル系のスタイルになってからも、ヴィジュアル系ボーカリストの代表格として扱われている。
しかし、当の本人は後発のバンドに自分のスタイルを真似される事を嫌っていた。
ヴィジュアル系時代や一時期ポップス路線に進んだ当時の自分を歌詞の中で貶し、所属レコード会社さえも容赦なく皮肉り、自分達の歌をカラオケで歌われる事なども嫌っていた。

その尖りきったスタイルとファッションリーダーとしての人気から、黒夢の活動休止前は不良達のカリスマ的な存在であった。

黒夢の活動休止以降は新バンドSadsを結成し、その後Sadsも活動を休止してからは、清春名義でのソロ活動も行なっている。
また、このソロ活動以降は人間的にかなり丸くなっており、ファンへの感謝の言葉をストレートに発したり、前述のカラオケの一件も現在は考えが一周したらしく「(自分達の歌を)カラオケでじゃんじゃん歌って欲しい」と発言している。

そして、かつては自分の猿真似だと歌詞で皮肉っていた後輩ヴィジュアル系バンドにも寛容になっており、メリーのガラやシドのマオ、the GazettEのルキなどの彼のフォロワーとの対談をする姿を雑誌などでよく見かける様になり、後輩達に暖かいアドバイスをする様にもなった。

ちなみに、プライベートでは二人の娘を溺愛している優しいパパであり、ヘビースモーカーではある一方で酒が全く飲めない下戸という一面もある。
ミュージシャン同士の友人としては西川貴教や元PIERROTのキリトが特に親しい。
最初の事務所は拠点にしていたライブハウス「ミュージックファーム」の店長上がりのマネが立ち上げていたが、色々ゴタゴタがあったため自ら事務所を立ち上げた。
この経緯から、キリトが個人事務所を設立した際に「会社の作り方教えてください」と彼の元に直訴しに言ったエピソードもある(清春は驚きつつも、会社で書類を見せて説明してくれたとのこと)


  • 人時(ベース)
黒夢のサウンドを支える屋台骨。
芸名の名付け親は清春で「時を刻む」の意味からつけた。
こってりV系時代は黒ロング長髪がトレードマーク。
元はギタリストであったが黒夢結成時にベーシストに転向したという経歴の為、レコーディングや一部の楽曲ではギターを弾く事もある。

90年代当時の清春がかなり尖った発言や性格での攻撃的なスタイルに徹していたのに対し、彼は寡黙なスタイルを貫く事が多かった。
また、怪我をしやすい体質らしく、捻挫をした為椅子に座ったままライヴをしたというエピソードもある。

清春とは年が四歳程離れており、彼の事は「清さん」とさん付けで呼んでいる。


またGLAYやBOOWYなどを手がけたプロデューサーの佐久間正英が一時期黒夢のプロデュースを手がけた事もあり、ベーシストとしての師弟関係となっている。
解散していた時は多数のバンドやソロ歌手のサポートでも活動。


■主なサポートメンバー
プロデューサー兼任。初期の曲で聴こえるキーボードはこの人の演奏。
現在は故人。

  • 坂下たけとも (ギター)
後期から参加。後に清春とSADSを結成する。

  • 満園英二 (ドラムス)
同じく後期から参加。人期のソロバンドを経てSADSに加入する。

  • K-A-Z (ギター)
なんちゃって再結成から参加。後に同じく再結成したSADSに参加し、そのまま横滑りで黒夢にも参加。

  • GO (ドラム)
K-A-Zと同じ。

■元メンバー

  • 臣(ギター)
1995年に脱退。
初期の楽曲のほとんどの作曲を手がけており、現在もCDでその演奏を聴く事が出来る。
脱退時に「一度も働いたことがない人」と言われている。

脱退後もメンバーとの付き合いがあり、人時とは黒夢と別のバンド「SUPER DROP BABIES」を結成した。

黒夢ファンの中には彼のファンも未だに多く、2009年の黒夢解散ライヴに彼の参加も期待されたが、残念ながら実現はしなかった。

現在は鈴木新名義で音楽活動を行っている。

  • 鋭葵(ドラム)
1992年に脱退。現在は不明。

  • HIRO(ドラム)
元パンクバンド「STAR CLUB」のメンバーだったスキンヘッド兄さん。1993年に脱退。現在は音楽プロデューサー。



■代表作
○シングル曲
●カップリング曲
◎アルバム曲


○for dear
◎棘
◎autism-自閉症-
●S・A・D
◎CHANDLER
○優しい悲劇
○Miss MOONLIGHT
○BEAMS
○ピストル
●Walkin' on the egde
◎FAKE STAR
◎BARTER
◎S.O.S
○Like A Angel
●Suck me!
●“カマキリ”-1997 BURST VERSION-
◎MIND BREAKER
◎C.Y.HEAD
◎NEEDLESS
◎BAD SPEED PLAY
○少年
○MARIA
◎MASTURBATING SMILE
◎後遺症-aftereffect-
◎LAST PLEASURE
○ミザリー
○アロン
●BORN TO BE WILD
◎13 new ache
◎White Lush Movie
◎Love Me Do
○KINGDOM
○ゲルニカ
◎黒と影


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最終更新:2022年04月08日 20:05

*1 ライブ会場限定販売シングルKINGDOMのカップリング曲BLAND NEW LOVELESSとアルバム黒と影収録のCLARITYのみ人時が作詞を担当