小田急江ノ島線

登録日:2011/08/16 Tue 00:34:24
更新日:2024/03/28 Thu 21:04:06
所要時間:約 28 分で読めます



小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)とは、相模原市南区の相模大野駅から藤沢市の藤沢駅を経由して片瀬江ノ島駅までを結ぶ、神奈川県内を走る小田急電鉄の路線である。
路線記号はOEOdakyu Enoshima)。


各駅停車片瀬江ノ島行きとして走行する、リニューアル工事前の8000形
(出典:日本の旅・鉄道見聞録)

●目次

概要

1929年4月1日開業。当時は町田駅が実質的な起点駅だったが、1938年4月1日に大野信号所が駅に昇格する形で通信学校駅(現:相模大野駅)が開業し、正式な起点および小田原線との接続駅になった。
相模原市から神奈川県を南下し、大和市や藤沢市を経由して江ノ島方面に向かう。

藤沢駅はスイッチバック構造になっているため、片瀬江ノ島間は向きが逆になる。ちなみに、本来は相武台前駅で分岐する予定だったが、当時の同駅付近には農業地が多かったため、山林が主だった相模大野からの分岐になったらしい。


特徴

住宅街や他社線接続駅を多数擁し、小田原線の支線ながら需要はかなり高いが、不遇な面もしばしば言われる。

まずは「各駅停車が6両編成」であること。
小田原線では新松田以西の区間で8・10両編成が走っていることもあってか、ラッシュ時はすし詰めになりやすい。
ただし、町田駅の引き上げ線やホーム有効長の関係でやむを得ない側面もある。

次に「急行が少ない」点。
江ノ島線は27.6kmと決して短いとは言えない路線距離を擁しているが、優等列車の本数は決して多いとは言えない。
日中時間帯は急行の運転がないため、特急ロマンスカーを除くと快速急行か各駅停車の2択であり、特に南林間と長後にとっては不便である。さらに、藤沢~片瀬江ノ島間に至っては一般列車としては朝上りの急行1本を除いてほぼ各駅停車一択である。

さらに、「特急ロマンスカーが短い・少ない」こと。
EXEおよびMSEで運用される一部の「(メトロ)えのしま」は、江ノ島線内では4両編成で走っている。特に下りの「メトロえのしま」が大和で10両編成の快速急行を通過していく姿はなかなかシュール。
これは相模大野で「(メトロ)はこね」「さがみ」との分割・併合を行い、江ノ島線発着は新宿方の4両で運行されるからである。
特急ロマンスカーそのものが箱根方面重視という事情もあるが、いかんせん日中時間帯の「えのしま」の本数自体が少なく、平日に至っては下り1本・上り3本のみの運行である。

最後に、「終電が早い」点。
2021年3月12日までの片瀬江ノ島行き(桜ヶ丘以南)の終電に接続する列車は新宿23:42発*1と小田急全線の中ではかなり早い部類にあった。
これは線内に車両基地や引き上げ線・留置線の類いが全く設置されていないことと、江ノ島線利用者には東海道線や東急田園都市線を使って都心と行き来する人も多いためだと考えられる。
翌日のダイヤ改正以降は10分程度繰り上げられ、現在は新宿23:34発の急行本厚木行き(新百合ヶ丘から各駅停車)が片瀬江ノ島行き最終列車(相模大野0:17発の各駅停車片瀬江ノ島行き)の接続列車になっている。


運行形態

特急ロマンスカー・快速急行の全列車と急行の大半は新宿駅まで直通するほか、「メトロえのしま」のみ代々木上原駅から東京メトロ千代田線に入って北千住駅まで乗り入れる。

平日朝上りの急行のみ相模大野で種別変更を行い、小田原線内では快速急行として運転される。中央林間を発車後に種別を変更し、相模大野からは快速急行として案内する*2。行き先は変更されない。
2008年3月15日のダイヤ改正までは、各駅停車も相模大野で種別変更し、小田原線内急行になる列車もあった。

平日7:30~9:30に新宿に到着する上り10両編成の急行の1号車は女性専用車両に設定される。実施区間は始発駅→新宿間。


現在の種別

快速急行と急行は全て10両編成、各駅停車は全て6両編成での運行である。
ホーム有効長の観点から8両編成の列車は乗り入れていない。
ダイヤ乱れ時は各駅停車のみの運行になることが多い。

有料・全席指定で特急券が必要な特急列車。新宿~片瀬江ノ島間の「えのしま」を中心に、新宿→片瀬江ノ島・藤沢間で運行される夜下りの「ホームウェイ」、朝上りに片瀬江ノ島・藤沢→新宿間で運転する「モーニングウェイ」、土休日のみ千代田線に直通して北千住~片瀬江ノ島間を結ぶ「メトロえのしま」の4種類がある。観光需要により、平日より土休日の方が多く運行される傾向にある。
基本的に片瀬江ノ島発着だが、「ホームウェイ」「モーニングウェイ」の多くは藤沢発着になっている。
平日の「ホームウェイ」は新百合ヶ丘には多摩線の3番ホームに停車し、各駅停車唐木田行きと接続している。

2010年からは、毎年元日に北千住駅から片瀬江ノ島までの下り限定で、千代田線からの臨時特急「メトロニューイヤー」が運行されている。


  • 快速急行
新宿~藤沢間で競合する湘南新宿ライン対策として、2004年12月11日のダイヤ改正から湘南急行を発展させて誕生した、一般列車では最速の種別。2018年3月17日のダイヤ改正より大幅に運用が変化した。
ダイヤが乱れない限り小田原線と直通し、全列車が新宿~藤沢間の運転。日中時間帯の優等列車はこの種別のみであり、毎時3往復設定されている。

かつては片瀬江ノ島発着の列車も設定されており、当初は平日1.5往復・土休日1往復のみだったが、2018年3月17日のダイヤ改正からは平日の同駅発着が全て廃止される代わりに、土休日は大半の列車が同駅発着になった。

2022年3月12日のダイヤ改正からは藤沢~片瀬江ノ島間の一般列車は朝上りの急行1本(平日は相模大野から快速急行)を除いて各駅停車のみに変更されたため、同駅発着の列車は全て廃止になった。


  • 急行
かつては終日運行されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正からは快速急行が日中時間帯に毎時3本運行されるようになったことで朝夜のみの運転になっており、現在は朝下り・朝夜上りのみ設定。
片瀬江ノ島・大和発の朝上り1本(後者は平日のみ。いずれも平日は相模大野から快速急行)を除く大半の列車が藤沢発着で運行される。

2018年3月17日のダイヤ改正までは6両編成(赤丸急行)も運行されていたが、改正後は全列車が10両編成になり、本鵠沼と鵠沼海岸が停車駅から外れた。
また、平日朝上り列車は全て相模大野から小田原線内快速急行として運行される。


  • 各駅停車
日中時間帯は相模大野~藤沢間で毎時6往復、藤沢~片瀬江ノ島間で毎時5往復が運行されている。
大和や長後で優等列車の接続・待避を行う列車も多いが、終点まで先着する場合もある。
2008年3月15日のダイヤ改正までは相模大野で種別変更し、小田原線内は急行になる列車もあった。
2018年3月17日のダイヤ改正からは小田原線の玉川学園前以東発の列車が消滅し、下りは全列車が町田・相模大野~片瀬江ノ島間の運行になった。これと同時に、平日朝1本あった片瀬江ノ島発新宿行きが復活したが、2019年3月16日のダイヤ改正で廃止され、完全に町田・相模大野~片瀬江ノ島間の運行になった。
2022年3月12日のダイヤ改正からは原則としてほぼ全ての列車が藤沢駅折り返しになり、全線を通して運行される列車は早朝と深夜の一部わずかのみになった。


過去の主な種別

  • 直通
小田急が開業した1927年4月1日より登場した、小田急最初の優等列車。準急の前身。江ノ島線でも開業日の1929年4月1日より登場しており、60分間隔で運行された。通称「江ノ島直通」。
直通という名前だが、別に他路線と直通していたわけではない。
設定当初の途中停車駅は、経堂~稲田登戸(現:向ヶ丘遊園)間の各駅と玉川学園前以西の各駅*3。その後、1937年9月1日のダイヤ改正より下北沢にも停車するようになった。
小田原線発着の直通とは停車駅が異なっており、あちらは経堂~稲田多摩川(現:登戸)間が無停車の代わりに稲田多摩川以西が各駅停車だった。
終戦直前の1945年6月に各駅停車に統合されて廃止され、終戦後の1946年10月1日のダイヤ改正より、小田原直通の停車駅に成城学園前を加えた「準急」として再登場した。


  • 準急
1946年10月1日のダイヤ改正で直通の後継として運行を開始して以降、2002年3月22日のダイヤ改正で廃止されるまで半世紀あまりに渡って存在し続けたが、晩年は定期列車としての設定はなく、年末年始の終夜臨上りのみで運行されていた。


  • 納涼ビール電車
1951年7月より運行した、座席指定制だが特急料金不要という特殊急行で、夜の時間帯に下り2本・上り1本が運行された。当初の途中停車駅は下北沢・経堂・成城学園前・稲田登戸だった。
文字通り、箱根特急の運行終了後にビールなどを積んで車内で販売し、利用者はそれを片手に片瀬海岸で夕涼みをしてから都心へ帰るというものであり、後に「えのしま」が定期列車化されると、夏期シーズンのみビールの販売や「ビヤホール列車」などという形で運転されたという。「いそ風」「すず風」などの愛称があった。
しかし、沿線の宅地化やダイヤの過密化によって設定が難しくなり、1970年代に運転休止。1990年代に一時的に復活したが、現在では行われていない。
公式ではこの列車が「江ノ島特急」の嚆矢になっている。


  • 通勤急行
1955年3月25日のダイヤ改正より運行を開始し、まだ急行の運行がなかった当時の江ノ島線では初の優等列車だった。
途中停車駅は下北沢・稲田多摩川・稲田登戸・新原町田(現:町田)・南林間・大和・新長後(現:長後)・藤沢・本鵠沼・鵠沼海岸で、当時の急行停車駅に稲田多摩川を追加したものである。朝上りと夜下りに運行され、上りのみ成城学園前にも停車していた。
1962年からは数年間のみ、朝の上り1本が六会(現:六会日大前)にも停車していたほか、1964年11月5日のダイヤ改正からは全列車が成城学園前に停車するようになり、急行と差別化された。
しかし、1959年4月から江ノ島線でも急行の運行が始まるようになると、南林間・大和・長後・本鵠沼・鵠沼海岸も順次急行停車駅に昇格していき、1970年11月9日のダイヤ改正で稲田多摩川、1971年4月19日のダイヤ改正で成城学園前も停車駅に加えられたことで急行との違いがなくなったため、統合される形で廃止された。


  • 快速急行(臨時列車)
こちらも現行種別とは別物。1957年から1960年代にかけて運行されていた、鵠沼海岸や江ノ島への海水浴客輸送を目的に登場した夏季限定列車。
新宿~片瀬江ノ島間で運行され、停車駅は年ごとに異なっていたが基本的には小田原線内は急行と同一で、江ノ島線内では藤沢・鵠沼海岸のみだったが、後者は1958年以降通過。
普段は優等列車に入らない車両も使用されており、前面の方向板(方向幕)は空色ベースで水色の円形という専用のデザインで、ヨットの絵柄が描かれた専用の「片瀬江ノ島」「新宿」の表示が存在し、これと種別表示幕(板)を掲出して対応していた。種別表示板は急行と兼用だったが、前述のように専用のデザインだったことから、判別は容易だった。
しかし、1970年代に入ると停車駅は急行と同様になり、快速急行という種別も使用されなくなった。


  • 湘南急行
2002年3月23日のダイヤ改正で登場。
種別カラーは、「湘南」がオレンジ色で急行が赤色という特殊なもの。
江ノ島線内の停車駅は快速急行、小田原線内では平日夜下りの急行と同じだったため両者を折衷したような種別であり、全列車が江ノ島線発着で運行された。
運行開始から2003年3月28日のダイヤ改正までは、土休日の4往復が片瀬江ノ島まで延長していた。
2004年12月11日のダイヤ改正で快速急行に昇格したことで廃止。
なお、フルカラーLEDが普及した現在でも8000形や3000形などで3色LEDが用いられており、快速急行においては「快速急行」と湘南急行と同じカラーリングで表示されているため、一応名残りとも言える。


停車駅一覧

凡例
●…停車
※…「メトロえのしま」以外は停車
▲…上りのみ停車
|…通過
↑…上りのみ通過
駅番号 駅名







接続路線
OH 28 相模大野
小田原線(本厚木・小田原・箱根湯本方面)
OE 01 東林間 | | |
OE 02 中央林間 | 東急田園都市線
OE 03 南林間 | |
OE 04 鶴間 | | |
OE 05 大和 相鉄本線
OE 06 桜ヶ丘 | | |
OE 07 高座渋谷 | | |
OE 08 長後 | |
OE 09 湘南台 | 相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄ブルーライン
OE 10 六会日大前 | | |
OE 11 善行 | | |
OE 12 藤沢本町 | | |
OE 13 藤沢 JR東海道線上野東京ライン湘南新宿ライン)、江ノ島電鉄線
OE 14 本鵠沼 |
OE 15 鵠沼海岸 |
OE 16 片瀬江ノ島


駅紹介

優等列車停車駅は10両編成・各駅停車のみの駅は6両編成分のホーム有効長だが、藤沢・片瀬江ノ島の両駅は両方備えている。相模大野・大和・長後は島式ホーム2面4線、藤沢・片瀬江ノ島は頭端式ホーム2面3線、それ以外の駅は相対式ホーム2面2線の構造になっている。

  • OH 28 相模大野(さがみおおの)
起点駅。小田原線との境界駅でもある。
地元民の間では『相模大野は町田の植民地だろ』ともっぱら評判である*4

江ノ島線は一部の特急ロマンスカーを除き、基本的に1・4番ホームからの発着である。2・3番ホームは小田原線が使用しており、下りは相互に、上りの江ノ島線→新宿方面への乗り継ぎは対面乗り換えが可能。
逆に、小田原方面と片瀬江ノ島方面の直通運転は配線上スイッチバックを行わなければならないため、定期列車の設定はない。
そのため、小田原方面から片瀬江ノ島方面、片瀬江ノ島方面から小田原方面に乗り継ぐ場合、当駅で必ず乗り換える必要がある。
ちなみに、ホームの内側には通過線が2線設けられているが、江ノ島線の列車は通ることができない。

前述の通り、当初は「大野信号所」で、1938年4月1日に駅に昇格する形で「通信学校駅」になり、当駅が起点になったが、戦争に伴って1941年1月1日に「相模大野駅」に改称された*5
なお、ホームが今の位置になったのは1997年12月28日で、それまでは現在の相模大野分岐点の場所にあった。
2022年6月から「相模女子大学 最寄駅」の副駅名がついた。


  • OE 01 東林間(ひがしりんかん)
江ノ島線では相模大野を除くと唯一の相模原市の駅。
地元から急行停車の要望が出ているが、利用者数はかなり少ないのでお察し……である。


  • OE 02 中央林間(ちゅうおうりんかん)
東急田園都市線乗り換え。当駅から大和市である。
利用者数は全70駅中第12位で、江ノ島線内では藤沢・大和に次ぐNo.3。駅長不在駅では最多を誇る。
当時は各駅停車・準急のみの駅だったが、田園都市線の開業後は急行停車駅になり、現在では快速急行も含めた全ての一般列車が停車するまでになった。


  • OE 03 南林間(みなみりんかん)
急行停車駅。以前は島式ホーム2面4線の構造で、特急ロマンスカーの待避や緩急接続が行われていたが、急行の10両編成化によるホーム延伸に際し、相模大野や大和に待避線が設置されたたことで不要になり、旧2番ホームが新1番ホーム・旧3番ホームが新2番ホームの相対式2面2線になった。待避線の跡地は駐輪場やエレベーターなどに転用されている。
その後も急行停車は継続しているが、裏では「停車しているのは小田急社長の最寄り駅だから」などの噂があったりなかったり……。


  • OE 04 鶴間(つるま)
大和市役所に近いのはこちら。
南林間との駅間距離は0.6kmと江ノ島線内では最も短いが、逆に大和間は2.5kmと最長である。
周辺には市役所や大和オークシティ(イトーヨーカドー大和鶴間店・イオンモール大和)があることもあってか、江ノ島線内の各駅停車のみの駅では最も利用者数が多い(第35位)。


  • OE 05 大和(やまと)
相鉄線乗り換え。
大和市の中心で、江ノ島線唯一の高架駅。利用者数は新百合ヶ丘に次ぐ第9位で、江ノ島線内では藤沢に次ぐNo.2である。
島式ホーム2面4線の構造になっており、緩急接続をする列車が多い。当駅発着の列車も一部存在する。
改札口は南側が小田急・北側が相鉄の管理になっているが、いずれの側にも両社の券売機が設置されているため、実際にはどちらからも入出場可能。
当初はノーラッチで接続していたが、利用者の経路判別の観点から2018年3月17日より中間改札が設置されている。
最近は駅周辺の店の閉店と開店が入り混じる複雑な状況。

以前は盛土による相対式ホーム2面2線の構造だったが、立体化工事と同時に行われた構内拡張によって高架駅になり、完成した1994年11月1日より島式ホームになった。
また、当初は相鉄線の前身である神中鉄道に大和駅があり、その西側に設置したことから「西大和駅」という名称だったが、接続駅になると同時に相鉄の駅が相模大塚方に0.2km移転したことで距離の差異がなくなったため、1944年6月1日より「大和駅」に変更された。


  • OE 06 桜ヶ丘(さくらがおか)
付近に「桜株」という地名があり、駅周辺が桜の名所だったことからその名がついたが、「桜株駅」にならなかったのは開業前に桜株の踏切で事故が発生したため。
後述する高座渋谷に対する長後の衰退っぷりは有名だが、その隣にある当駅も駅前の書店やODAKYU OXなどの店舗が閉店してゆき、過疎化が進行している状態。隣に嫉妬しているのは長後だけではない……はず。
駅の近くには自社でブランドも手掛けるミニカーショップ「KID BOX」もある。
駅構内は桜色になっている。


  • OE 07 高座渋谷(こうざしぶや)
かつては江ノ島線有数のド田舎駅として知られていた。
しかし、2000年代以降は再開発が進み、郊外型大型スーパーが多数出店したために長後と桜ヶ丘の買い物人口を吸収していき、2駅の衰退を加速させた張本人的位置づけになった。
米海軍厚木基地の最寄り駅でもあり、地元住民は有事の際には響き渡るエンジン音の断続性や規模で判別可能らしい ( ゚д゚)
駅の真下を東海道新幹線が通っており、新幹線の駅を作る構想も存在した。

ちなみに駅名の由来は、駅所在地の地名が「高座郡渋谷村」だったことから、東京の渋谷駅と区別するために「高座渋谷駅」になった。
渋谷村周辺は渋谷氏発祥の地であり、東京都渋谷区はこの渋谷氏がその一帯を領有したことに由来するという。
つまり、駅としては渋谷駅の方が先だが、地名としては高座渋谷の方が古く、東京の渋谷は当駅周辺がルーツということになる。


  • OE 08 長後(ちょうご)
急行停車駅。当駅から藤沢市に入る。
こちらも島式ホーム2面4線の構造で、一部列車は当駅で待避や緩急接続が行われるほか、湘南台方には渡り線があって折り返しが可能で、かつては当駅発着の列車が設定されていたこともある。
当初は「新長後駅」だったが、1958年4月1日に改称。

昔は大和~藤沢間で一番栄えていた駅だが、小田急の再開発事業計画が地主の (#゚Д゚)ゴルァ!! で頓挫してしまった結果、1990年代末頃には湘南台の、2010年代に入る頃にはかつては有数のド田舎と m9(^Д^)プギャー していたはずの高座渋谷の後塵を拝するほどに衰退。
駅周辺は寂れる傾向が継続しているため、地元民は高座渋谷か藤沢へ買い物に出かける状況に変わりはなく、悲哀は続いている。
また、現在湘南台を発着とする相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄線は、当初は当駅に乗り入れする予定だったが、地元商店街の猛烈な反対で頓挫し同駅に白羽の矢が立てられた。しかし、前述の通り1990年代以降に同駅が急激に発展していったため、この時反対した地主らは自らの行いを後悔したという*6
どうしてこうなった……。


  • OE 09 湘南台(しょうなんだい)
相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーライン乗り換え。
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス最寄り駅。
全70駅中第13位の利用者数で、江ノ島線内では藤沢・大和・中央林間に次ぐ第4位。2000年に行われた改良工事以降、小田急では初めてソーラーパネルを設置し、太陽光発電を行った駅である。
今でこそ快速急行停車駅だが、前述した2路線の延伸前は各駅停車と準急のみの駅だった。
しかし、1990年代中期頃から再開発事業で急速に発展し、上記2線の延伸もあって今では藤沢市内では藤沢に次ぐNo.2の利用者数を誇るほどになっている。
長後の買い物人口を吸収する形で成長しつつ、同駅を高座渋谷とともにオセロのコマのように挟み撃ちし、生命エネルギーを吸収して成長し続けている。
駅が建て替えられる1990年代中盤に差しかかる頃と現在の駅周辺を比較すれば、その違いは一目瞭然である。
前述の通り、上記2線は本来長後の予定だったところを地元の反対で当駅に変更になったが、それが今の発展につながることに……。


  • OE 10 六会日大前(むつあいにちだいまえ)
利用者数は70駅中第38位で、江ノ島線の各駅停車のみの駅では鶴間に次ぐ数である。
その名の通り日本大学湘南キャンパスが近くにあり、他にもいくつか高校などがあるため、利用者の年齢層が比較的若い。
開業当初は「六会駅」と名乗っていたが、日本大学から「湘南日大前駅」という改名案が出されると、現在は駅名にしか残っておらず歴史的に意味のある「六会」の名を残してほしいという要望が地元住民から出たため、両者を折衷して「六会日大前駅」になった。


  • OE 11 善行(ぜんぎょう)
急行通過駅だが、近隣の県立体育センターで行われる大会行事に合わせて、急行が臨時停車したことがある。
また、江ノ島線内の急行通過駅としては唯一待合室が備えられている。


  • OE 12 藤沢本町(ふじさわほんまち)
駅名からするとこちらが藤沢市の中心駅に見えるが、これは町名*7を反映しただけである。
当駅も周辺に県内有数の進学校である湘南高校をはじめとする高校が点在しており、学生利用が多い。
基本的に優等列車は通過するが、箱根駅伝のコースが当駅近くの県道30号線を通ることから、2004年~2007年1月2日・3日に臨時特急「箱根駅伝応援号」が大手町~藤沢・箱根湯本間に運転され、藤沢行きが当駅に臨時停車したことがある(2006年以降は1月2日の往路のみ)。


  • OE 13 藤沢(ふじさわ)
JR東海道線上野東京ライン湘南新宿ライン)・江ノ島電鉄線乗り換え。
藤沢市の中心駅で、小田急屈指の大規模駅でもある。
利用者数は新宿・町田・代々木上原に次ぐ第4位で、江ノ島線内では最も多い。
頭端式ホーム2面3線のスイッチバック式になっていて、さらにホームによって有効長が異なるため、構造が地味に複雑。
ちなみに、スイッチバックになったのは当時の鉄道省からの指示で、現在の江ノ電と完全に並行するのを避けるためであると言われている。


  • OE 14 本鵠沼(ほんくげぬま)
  • OE 15 鵠沼海岸(くげぬまかいがん)
いずれも、かつては小田原線の開成~足柄間と同じように6両編成の急行(赤丸急行)の停車駅だったが、2018年3月17日のダイヤ改正で全廃されたため、各駅停車のみの駅になった。
海からそう遠くない場所にあるが利用者数は少なく、本鵠沼が第58位と江ノ島線内最少、鵠沼海岸も第53位とワースト3になっている。

開業当時はすでに江ノ電に鵠沼駅があったため、「本鵠沼駅」と命名された。旧来の「本村」と呼ばれる集落に隣接するためで、本厚木駅と同じ発想である。
開業準備段階では「鵠沼本町」という案もあったとされており、実際にその駅名を記した1928年の道標が2箇所に残っている。


  • OE 16 片瀬江ノ島(かたせえのしま)
終点駅。名前の通り神奈川県屈指の観光地「江ノ島」の最寄り駅で、ホームを出れば江ノ島や新江ノ島水族館はすぐそこだ! ハワイっぽい雰囲気の店もなぜかやたらと充実している。
一応観光地ではあるが利用者はそれほど多くはなく、むしろ本鵠沼に次いで江ノ島線内ではワースト2(第54位)である。藤沢と同じく頭端式2面3線で、ホームによって有効長が異なっている。

開業時はすでに江ノ電に「江ノ島駅」があったため、片瀬海岸の近くということもあって「片瀬江ノ島駅」になった*8
江ノ電の江ノ島駅、湘南モノレールの湘南江の島駅は徒歩で10分弱かかるため、単純な乗り換えには適さない。
そのため、江の島へは江ノ電・湘南モノレールよりも当駅の方が近い。

竜宮城を思わせる駅舎が特徴で、関東の駅百選に選ばれたほど。
2018年2月より駅舎の改築が始まり、神社仏閣の技法である竜宮造りを取り入れることでより竜宮城感が増した駅舎が2020年2月28日より一部供用を開始、当初は5月に完成予定だったが、7月30日にずれ込んだ。
これにより、新江ノ島水族館の協力でコンコースに「クラゲ水槽」が設置され、日没後には季節やイベントなどに合わせたライトアップも始まった。


林間シリーズについて

東林間・中央林間・南林間の3駅は「林間」という一風変わった名前の駅になっているが、これは田園都市開発などに触発される形で小田急の創設者である利光鶴松によって計画された、「林間都市」という計画都市の名残りである。その名は周辺に平地林が広がっていたことに由来する。
手始めに「東林間都市駅」「中央林間都市駅」「南林間都市駅」を設置し、南林間~中央林間周辺の65万坪(約214.8ヘクタール)を住宅地として造成し、5000戸の住宅都市を建設するというものだった。
南林間都市を中心にして通りを碁盤上にはりめぐらし、住宅地の周辺には公園を配し、学園・松竹の撮影所・ゴルフ場・野球場・ラグビー場・テニスコート・相模場などのスポーツ施設や集会所を設けて「スポーツ都市」と銘うたれた。東林間地区には工場都市を誘致する計画だった。
南林間都市を中心に開発と宅地の分譲を開始し、購入者には3年間運賃無料などの特典で売り出していたが、当時としては都心から遠かったことや成城地区などでも宅地開発を始めたことから思うように進まず、戦争の勃発によって計画は頓挫し、1941年10月15日に駅名から「都市」が削除された。

かつての林間都市の施設で現存するのはゴルフ場(相模カンツリー倶楽部)と学園(大和学園聖セシリア)のみになったが、高度経済成長や優等列車の停車、そして東急田園都市線の開業により、南林間・中央林間を中心にめざましい発展を遂げた。「都市」を外された後に「都市」を名乗るのにふさわしいという事態になった。

ちなみに、「林間都市」計画発足以前はそれぞれ「中和田駅」「公所(ぐぞ)」「相模ヶ丘駅」 になる予定であった。


追記・修正は快速急行片瀬江ノ島行きにご乗車になってからお願いいたします。


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最終更新:2024年03月28日 21:04
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*1 小田原行きの最終列車である快速急行の発車時刻で、相模大野で最終の各駅停車片瀬江ノ島行きと連絡していた。

*2 車内LCDでは相模大野到着まで急行として表示され、扉が開いた瞬間に快速急行に変更される。

*3 ちなみに、当時の各駅停車は新宿~稲田登戸間のみの運行だったため、稲田登戸以西はこの種別を利用する必要があった。

*4 駅付近にあった三菱UFJ銀行の2支店が合理化の流れで2021年11月22日に町田支店へ移転・統合されたのがその一例か。

*5 「通信学校駅」だと敵からの攻撃の的になってしまうためである。

*6 横浜市営地下鉄の延伸は1963年には戸塚までだった計画を1965年の計画で長後までとした。一方で相鉄は1967年2月に長後を経由し終点を平塚とする形で免許を申請した。これが1968年12月に江ノ島線との交差が長後から湘南台に変更されたのは、すでに新駅として開業した湘南台を計画に組み入れていた横浜市が、相模鉄道の長後経由に反対したため。

*7 ただし、「ほんちょう」と読む。

*8 ちなみに、江ノ電は小田急線が開通する1か月前に「片瀬駅」から「江ノ島駅」に改称している。