柴田勝家

登録日:2011/02/20 Sun 21:01:59
更新日:2023/12/27 Wed 20:30:43
所要時間:約 5 分で読めます




柴田(しばた)勝家(かついえ)
1522~1583
尾張国愛知郡上社村に生まれる。
通称・権六

織田家の家臣である。
信秀の時代より織田家に仕え、その死後は信長の弟・信勝に仕える。

信勝が謀反を起こすと信勝方として、信長とも戦ったが稲生の戦いで信長に降伏。
再度信勝が謀叛を試みた際には事前に信長に密告。
信長の器量に心酔したと考えられている。

尾張統一・美濃攻略には重用されなかったが上洛戦・畿内平定戦で再び頭角を現す。
その後は前任者が統治に失敗した越前攻めを任される。しかし、1万以上の大軍と歴戦の猛将勝家をもってしても越前一向一揆平定に4年の月日を費やすことになる。
平定後越前国八郡49万石を与えられ北陸方面軍軍団長となり、加賀・越中・能登・越後攻略を目標とする。

上杉謙信との手取川では大敗するも、その後謙信の死に伴い活発化。
織田家の筆頭家老として加賀・能登を攻略し越中の魚津城を攻略せんとする。

しかし、陥落寸前に信じられない報が入る。

本能寺の変であった。
上杉景勝の追撃を恐れ慎重に撤退するあまり、敵討ちを羽柴秀吉に果たされてしまう*1
変後、織田家の継嗣問題を決める清州会議に出席。
定説では烏帽子親である織田家の三男・信孝を後継者に推したとされるが、近年ではそれ程積極的ではなかったとされる。
(というのも信雄・信孝兄弟の後継争いを止める為に三法師を後継に据えたという説が有力であるので、争いを激化させかねない信孝推しを積極的にしたとは考えにくいため。)
それまで織田家の重臣筆頭として最大の発言権を持っていた勝家の影響力が低下し、代わりに秀吉が織田家の主導権を握った。
とはいえ、同じ重臣であったにも拘らず滝川一益がシカトされたのに対し*2
勝家は親秀吉派でないのに出席出来た事から、当時の秀吉をしても勝家は無視できない存在だったのは間違いない。

しかし、遺領分配問題では弔い合戦に参加してないのが響いたのか、
秀吉には従来の播磨・但馬・因幡・淡路国・備中の三郡に加えて山城国・河内国(と養子の信長の4男羽柴秀勝の取り分の丹波国を含めて)と、
28万石の加増で計100万石近い所領を得たのに対し、
勝家は従来の越前国八郡+秀吉の旧領である長浜城と北近江3郡の計12万石を得て計61万石になったに過ぎなかった。

その代わりに秀吉の仲介で信長の妹、お市の方と結婚している。
織田家の皆がうらやむ絶世の美女(バツイチ)と結婚出来た幸せ者…と言いたいところだが、勝家この時61歳である。
弔い合戦に不参加にも拘らず所領が加増されている(しかも一部が秀吉の旧領)事や、お市の方との結婚=織田家と血縁関係になるという事を考慮すると、秀吉の織田家乗っ取りを警戒してこういう結果になった可能性も高い。

その後家督相続できなかった信孝と結託し、滝川一益らと共に秀吉に対抗するが賤ヶ岳の戦いに敗れ越前北ノ庄にて自害。
享年六十二。

最期は妻お市の方を斬り殺した後、自らの腹を割いて五臓六腑を掻きだして自害したと伝えられる。
「夏の夜の 夢路儚き 後の名を
   雲居に挙げよ 山不如帰」

織田家の家督争いでは秀吉と対立したが勝家自身には野心は無く、専横を極める秀吉に対し織田家を守らんとした忠臣としてよく描かれる。
またどちらも悪く書くのを避けるときには、『織田信長の家臣』である秀吉と『織田家の家臣』である勝家という違いを強調する場合も。
終生織田家の忠実な家臣として有り続けたこと、織田家中最大領土を保持した筆頭家老で有ったことからであろう。


  • 異名
○鬼柴田
戦場におけるその凄まじき働きは織田家中最強とも目され「鬼」と呼ばれた。
丹羽長秀も「鬼五郎左」と呼ばれており、秀吉があやかったのもうなずける。

○掛かれ柴田
上同様。
その突撃は凄まじく、一瞬で敵を突き崩したという。
ちなみに他の家臣の評価は冒頭の文章の如くである。

○瓶割り柴田
長光寺城防衛時に包囲され、水の手を切られた時に全兵士に水を振る舞った上で「これ以上の水は不要!!」と瓶を全てたたき割り、
決死の突撃で敵軍を撃退した逸話から。

○猪柴田
猪突猛進ぶりから「脳筋武将」と嘲られる事も多い勝家公。
しかし、そんな脳筋なだけの武将を信長が重用するとは考えにくい。
実際には、難治で知られ織田家ゆかりの地でもある越前を任されていることから、彼の政治力は優れた物であったと考えられている。

ただし、ゲーム系でのステータスは個性を尊重して武力偏重。
特に太閤立志伝(初代)での扱いにより、ファンの間で失笑されながら愛されている。

  • 下手をすると本能寺の変すら起きない
  • 明智光秀の代わりに彼が本能寺の変を起こすことがある(ほかの候補に左遷させられた林君があげられる)
  • 威圧(降伏を強いる)が効く時がある
  • 部下になった時の扱い…

前述のように彼は有能な物理戦士であり、使い方さえ間違えなけらば確実に強キャラなので、あまりひどい扱いをしてはいけない。


  • 逸話
賤ヶ岳の戦いで無断撤退した前田利家の居城に敗走してきた柴田勝家。
利家は自身の無断撤退を責められるかと恐れていたが、勝家は一切の弾劾をせずに一杯の湯漬けを所望。
休息の後に秀吉への降伏を勧め、利家が預けていた人質を返還した上で北ノ庄へ帰って行った。
なお勝家は、利家が以前に信長の怒りを買って浪人となっていた時、彼の元を度々訪れて励ましたり、信長に罪の減免をとりなしている。
ちなみに利家には賤ヶ岳の前に「お前の好きにしていい」と言ったところ秀吉方に与された。


柴田勝家を取り扱った作品
「センゴク」
「センゴク天正記」
「境界線上のホライゾン」

戦国無双シリーズ
信長の野望シリーズ
太閤立志伝シリーズ
決戦3
戦国BASARAシリーズ
殆どの創作ではイメージ通りの猪武者として描かれるが、BASARAのみ例外で、儚げな美青年として描写されている。性格も皆のイメージする柴田勝家とは正反対。




夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす*3



追記、修正は最強の忠臣でも、そうでなくてもお願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 戦国時代
  • 戦国武将
  • 譜代
  • 武将項目
  • 愛知県
  • 鬼柴田
  • かかれ柴田
  • 瓶割り柴田
  • 猪柴田
  • 忠臣
  • 権六
  • 猛将
  • ロリコン
  • 柴田勝家
  • 日本史
  • お市

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年12月27日 20:30

*1 織田家臣筆頭の自分を差し置いて敵討ちをするとは思ってもいなかったという説もある。

*2 関東からの撤退中で参加できなかったわけだが、待つことすらしなかった。実際に滝川一益の領土は上野国と清州までには陸路ではクソ遠い上に北条氏に近く、惨敗して帰ってきたので兵も領土もなかった

*3 訳:夏の夜のようにはかない人生だったが、ほととぎすよ、俺たちの生きた証を高く(雲井に)あげてくれ(訳注:当時ほととぎすは「黄泉の国へと導く鳥」と考えられていた)