ゲイリー・ムーア

登録日:2011/02/08 Tue 20:27:10
更新日:2023/02/23 Thu 05:54:43
所要時間:約 3 分で読めます




一度ロックすると止められない
そうさ、もっと欲しくなる!
俺の名前通り、More(moore)っとね!


Gary Moore
北アイルランドのベルファスト出身のギタリスト。
1952年4月4日(生)~2011年2月7日(没)。

ボーカルも執るが、彼の持ち味はアイルランド人の自身による哀愁溢れる曲と、そのギターに生きている。

若かりし頃にブルースの影響を受けて育ち、SKID ROWのギタリストとしてイギリスでメジャーデビュー。
ボーカルのフィル・ライノットは脱退してTHIN LIZZYを結成、ゲイリーもSKID ROWを脱退してTHIN LIZZYに加わるが、すぐに脱退した。

後に元DEEP PURPLEのニック・シンパ―や日本のVOW WOWで活躍するニール・マーレイと、
同じく後にDEEP PURPLEで活躍するドン・エイリーらと共にジャズロックバンドCOLLOSEUMUを結成するが余りパッとせず、
ゲイリーはTHIN LIZZYから加入要請を受けてバンドは解散した。
THIN LIZZYで後世に語り継がれる名盤『Black Rose』をリリースするも、ゲイリーは結局これ1作でツアー中に失踪、アメリカでソロ活動に取り掛かることに。
色んな名義や共作でアルバムをリリース。広島原爆をハードロックで歌う『Hiroshima』は名曲。

1982年にゲイリー・ムーア名義で本格的にソロ活動を始め、その第1弾『大いなる野望』は何処よりも日本でバカ売れした
当時のドラマーは元DEEP PURPLEのイアン・ペイス。

何度も来日公演を行い、培ってきた技術をガンガンぶち込んだハードでヘヴィメタルなギターサウンドに、
そこはかとなく哀愁漂う雰囲気を織り混ぜた名曲を次々と発表。
87年には、アイルランド民謡を思わせるサウンドを大々的に取り上げ、そして最高傑作と称される『Wild Frontier』を発表。
音楽誌BURRN!では99点を獲得した。
けどあんな雑誌に評価されてもな~

ところが、ここで脱ハードロックを起こし、ブルースロックへ傾倒、これまでのファンは次々と離れていった。
それ以降の活動は縮小化し、89年を最後に来日公演も行わなくなる。
ゲイリーはハードロックには何の未練も残っておらず、本来やりたかった音楽というブルースロックに強く想いを馳せ、アルバムも多くリリース。
大人気を得たハードロック時代とは、ゲイリーにとって若気の至りに過ぎなかったのだ…。
最初にだしたブルースアルバムは200万枚のヒットと彼自身最高のセールスを記録している。

ブルース一筋とはいえ、亡き盟友フィル・ライノット没後20周年の時は、
自分の在籍した頃までの元THIN LIZZYメンバー全員を集めて一夜限りの再結成的な活動をする等、決してハードロックを絶対やらないというわけではない。

2010年に突如21年振りに来日公演を行い、あの頃のファンも熱狂した。
今や悠々とブルースロックをプレイする親父ゲイリー・ムーアであったが、2011年2月7日にスペインで宿泊先のホテルにて急死。
58歳…まだ旅立つには早すぎ、そして余りにも唐突な出来事だった。



俺は負け犬と思うなよ!
俺は敗者なんかじゃない!
…勝つのは俺だからさ!


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最終更新:2023年02月23日 05:54