御殿場線

登録日:2013/03/06 Wed 14:16:53
更新日:2024/04/08 Mon 19:56:44
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御殿場線(ごてんばせん)は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経由して沼津市の沼津駅を結ぶ、JR東海の鉄道路線(幹線)である。
路線記号はCBで、ラインカラーはダークグリーン


●目次


概要

開業から昭和初期まではれっきとした東海道本線の一員で複線化も行われていたが、1934年12月1日に丹那トンネルが開通し、熱海経由になったことで御殿場線に改称された。
しかし、実際にはいちローカル線に降格したも同然で、戦時中には単線になってしまい、今でも多くの場所で複線の路盤が残っている。
1955年10月1日からは小田急との直通運転(片乗り入れ)が開始され、東京都と御殿場エリアを結ぶルートを形成するなど、東海道本線時代とは別の形で都心とつながるようになる。

国府津~沼津間の所要時間は東海道線と比ぶべくもないが、1992年6月28日に来宮駅構内で列車衝突事故が発生して熱海~三島間が運転見合わせになった際は東京発の「あさかぜ3号」などを含む寝台特急6本が当路線を経由して運行され、不通になった東海道線のバイパスとしての役割を持つことから、事実上の支線であることに変わりはない。

歴史的経緯により沼津方面が下り・国府津方面が上りになっている。1987年4月1日の国鉄民営化後はJR東海の管轄になり、同社の在来線では最東端の路線にして、唯一神奈川県に乗り入れる路線でもある*1

松田駅付近には小田急小田原線とつながる単線の連絡線があり、小田急からの列車はこの線路を通ってやってくる。
この連絡線は小田急や箱根登山鉄道が発注した新型車両の搬入にも使用されており、この際にJRの電気機関車が新松田駅まで乗り入れる。
両線はいずれも直流1500V電化であるが、変電所が異なることから電流の混触を防ぐために長さ10m程度のデッドセクション(無電区間)が設けられている。この関係上、セクション内の通過中は車内灯・空調・案内表示器が一瞬消灯するが、かつて使用されていた371系ではインバータ付直流蛍光灯だったことから点灯していた。

2010年3月13日からは御殿場~沼津間、2019年3月2日からは下曽我~足柄間、2021年3月13日からは国府津駅で「TOICA」が導入され、ICカードが使用可能になった。
ただし、東海道線はSuicaエリア・小田急線はPASMOエリアであることから定期券以外では各カードエリアをまたぐ利用はできない(「ふじさん」の特例については後述)。


歴史

上記のように1889年2月1日の開業時は「東海道本線」の一部分を形成しており、鉄道唱歌の歌詞にも登場した。小田原~三島間は山岳地帯で当時はトンネルを開削する技術に乏しく建設が困難だったためにこのルートが選定された経緯がある。
しかし、山越えは輸送上の大きなネックになっており、各列車には山越えのための補助機関車(補機)を下りは国府津駅・上りは沼津駅で連結し、途中の御殿場駅で解放する形を取っており、急行列車に連結していた食堂車は運転上の大きな足かせになるとして、国府津・沼津で補機と入れ替わる形で切り離し、山を登り終えてから再度連結せざるを得ず、1930年10月から運行を開始した特急「燕」は1秒でも無駄な時間を減らすため、登坂し終えた御殿場付近を走行中に無停車で解放するという荒業を行うようになり、以降同線の列車はこの方式を採用した。
その後、トンネル掘削の技術が進展したことなどから熱海線の建設が開始。1934年12月1日には難工事の末に丹那トンネルが完成し、熱海~沼津間が開通。これにより、東海道本線は熱海線を編入して熱海駅を経由した国府津~沼津間の短絡・平坦な電化されたルートになり、所要時間もコストも大幅に削減されることになった。

一方、既存の御殿場ルートは東海道本線の支線扱いすら受けない全くの別路線に降格してしまい、三島駅は名前と駿豆鉄道(現:伊豆箱根鉄道)駿豆線との接続を奪われる形で「下土狩駅」に改称を余儀なくされるなど、沿線地域は経済面で大きな打撃を被った。
このルートは「御殿場線」と命名された*2

戦時中の1943年には「不要不急線」に認定され、複線も単線になってしまったが、戦時中に東海道本線が爆撃を受けた際の迂回路線としての応用が構想され、大東急*3と相談が進められたものの実現には至らなかった。この構想は同社から分離・独立した小田急が引き継ぐことになり、駿豆鉄道との箱根をめぐる路線バス争いもあって御殿場方面への観光ルートにも注目し始めたことから計画は次第に現実味を帯びていき、1955年10月1日に新松田~松田間の連絡線が完成し新宿駅と御殿場駅を結ぶ直通列車(特別準急)が誕生した。
同時期には普通列車の気動車化に合わせて多くの新駅が開業するなど、御殿場線は次第に地域輸送にも配慮されるようになっていく。1968年4月27日には国府津~御殿場間が電化され、東京~御殿場間を結ぶ急行「ごてんば」の運行も始まったほか、7月1日には残る御殿場~沼津間も電化され、小田急との直通列車も気動車から電車に置き換えられた。

1987年4月1日の国鉄分割民営化後、御殿場線はJR東海が受け持つことになり、JR東日本の路線になった東海道線の東京方面とは列車運行の分断が進められる。一方、1991年3月16日のダイヤ改正からは「あさぎり」が特急に昇格し、小田急とJRがそれぞれ新車を導入した上で運転区間も沼津へと延長する相互直通運転が実現した。また、御殿場~裾野間の交換設備の新設によって普通列車の増発も行われたほか、1999年からはワンマン運転も行われている。
その後、2012年3月17日のダイヤ改正をもって相互直通運転は終了。特別準急・連絡急行時代と同じく小田急車の片乗り入れによる御殿場発着へと逆戻りし、さらに2018年3月17日のダイヤ改正からは「あさぎり」は「ふじさん」に改称され、現在に至る。


運行形態

現在の運行列車

小田急線と直通する全車指定席の特急ロマンスカー。松田駅を経由して新宿~御殿場間を毎日3往復が運行され、2022年3月12日のダイヤ改正までは土休日のみ4往復+不定期運行の臨時列車1往復(駿河小山通過)の計5往復が設定されていた。同駅で乗務員の交代が行われる。
小田急60000形「MSE」による片乗り入れで、全列車が6両編成で運行される。2022年11月15日以降は小田急線内のホームドア設置計画の関係で御殿場線内でも4号車がドアカットされている。
片乗り入れという形ではあるが、関東の大手私鉄がJR東海の路線に乗り入れる唯一の事例。

前述の通り路線でエリアが異なるため、ICカードは小田急線と御殿場線にまたがる利用はできない。
ただし、松田駅は運賃計算上新松田駅と同一駅扱いになっていることから、窓口には当列車を利用する乗客専用のICカード処理機が備えられており、新松田駅入場・出場の処理を受けることで小田急線方面との利用でもICカードを利用できる。


  • 普通
御殿場線内の各駅に停車。幹線ではあるが、基本的に全線通しの列車が毎時1本、御殿場~沼津間で運行される列車が毎時1~2本の運転と地方交通線や田舎のローカル線並みのダイヤになっており、神奈川県内より静岡県内の方が多く運行される。他にも国府津~山北・御殿場間の区間列車も運転されている。
日中時間帯の一部列車はワンマン運転を行っており、無人駅では一部の号車のみドアが開く。
また、朝夜を中心に沼津駅から東海道線に直通して三島・静岡発着、富士発・浜松に行く列車もあり、三島発着の列車については沼津で方向転換を行う。
2012年3月17日のダイヤ改正までは東海道線(JR東日本)からの直通列車や、JR東日本の車両による運行も行われていた。


過去の主な種別

  • 特別準急
1955年10月1日より運行を開始した、小田急線から直通する気動車準急列車。当初は「銀嶺」「扶養」による1日2往復から始まり、1959年7月2日からは「長尾」「朝霧」も登場し、1日4往復になった。座席定員制ではあるが号車指定制になっており、座席の指定は行われなかった。
当初は松田にしか停車しなかったが、「長尾」「朝霧」の登場後は沿線自治体からの要望により、一部が山北・駿河小山に停車するようになった。
御殿場線の電化に伴い、1968年6月30日をもって運行終了。

ちなみに、直通運転の際は両社の境界駅で乗務員が交代するのが原則だが、当時は国鉄の考査に合格した小田急の乗務員が御殿場まで乗務していた。
これは、当時の御殿場線の列車は全て客車列車で、御殿場線に気動車の乗務員はいなかったのが理由だという。


  • 急行「ごてんば」
1968年4月27日より運行開始。先行して国府津~御殿場間が電化されたことで、東京~御殿場間を結ぶ急行列車の運行が始まった。3.5往復(下り4本・上り3本)が運行され、土曜日運転の下り4号のみ全車、それ以外の列車は1両が指定席だった。
田町電車区が新前橋電車区から借り入れた165系による3両編成で、国府津以東は「東海」と併結して15両編成、または湘南急行「あまぎ」「はつしま」と併結して13両編成で運行された。
1970年10月1日からは全車自由席に変更され、1971年2月1日には下り3号・上り1号を定期列車に格上げする代わりに、下り4号を廃止して定期2往復・季節1往復の計3往復になり、併結列車も「東海」に統一される。
1980年10月1日には1往復が廃止されて1日2往復になるも、1981年10月1日からは167系4両編成に変更になり、「東海」と併結する東京~国府津間では在来線旅客列車最長の16両編成になった*4。このため、ホーム有効長の関係で一部の駅では後尾車両がドアカットされた。
しかし、所要時間が長かったことから乗客は定着せず、1985年3月14日をもって運行を終了した。これ以降は現在に至るまで、国府津~松田間は臨時列車を除いて定期的な優等列車は運行されていない。
なお、1973年4月1日には東京駅の東北新幹線乗り入れに伴う構内工事のため、「東海」ともども下り2号が品川始発で運転されたこともある。


  • 特別準急→連絡急行「あさぎり」
1968年7月1日より運行開始。御殿場線の全線電化開業に伴い、気動車に代わってロマンスカーSSEが乗り入れを開始し、4種類あった列車愛称は「あさぎり」に統一された。同年10月1日のダイヤ改正からは準急という列車種別が急行に統合される形で廃止になったため、小田急線内でも「連絡急行」扱いになった。
途中停車駅は引き続き松田・山北・駿河小山。気動車時代と同じく小田急線内は無停車だったが、1971年10月1日からは新原町田(現:町田)にも停車するようになり、1984年2月1日からは本厚木も追加されたほか、1・6号のみ谷峨にも停車していた。
号車指定による座席定員制で小田急の乗務員が全区間乗務する点は気動車時代と変わらず、繁忙期や団体利用時には2編成を連結して5+5両編成の「重連運用」もあったが、この場合は同じ号車が2両ずつ存在してしまうことから、「A号車」「B号車」として区別した。
車内サービスは、森永エンゼルによって小田急線内の特急ロマンスカーと同様の「走る喫茶室」のシートサービスが行なわれていた。
その後、特急昇格・沼津延伸・相互直通運転のプランが固まったため、1991年3月15日で運行を終了した。


  • 特急「あさぎり」
1991年3月16日のダイヤ改正で登場。連絡急行から昇格の上で両社による相互直通運転になり、行先も御殿場から沼津まで延長された。
一部列車は列車交換のために山北・谷峨・足柄で運転停車を行っており、特に谷峨駅では時間帯の関係で1号と2号が離合する光景が見られた。
その他、御殿場~沼津間のみ6号車は自由席になり、松田で乗務員が交代してそれぞれ自社の区間だけ乗務する形態に改められた。

その後、2012年3月17日のダイヤ改正をもって気動車・SSE時代と同じく御殿場発着の片乗り入れ形式に戻ることになり、車両も60000形「MSE」に交代した。
2018年3月17日のダイヤ改正より「ふじさん」に改称されたことで廃止となったが、MSE運行開始10周年を記念して同年12月2日に団体臨時列車「メトロあさぎり」が運行され、1日限りの復活を果たした。


車両

371系を含めた小田急線との直通列車の詳細については小田急ロマンスカーの項目も参照。


現行車両


(出典:Wikipedia

  • 313系2300番台・2350番台・2500番台・2600番台・3000番台・3100番台
御殿場線の主力車両。車内温度保持のために押しボタン式の半自動扉で、発車時以外は乗客自らボタンを押してドアを開閉する。
2両編成と3両編成があり、2両編成は2本連結して2+2編成で運行されることもある。貫通幌を備えているので各車両間は通り抜け可能。
一部列車はワンマン運転。トイレも備えられている。



(出典:Wikipedia)

  • 211系5000番台・6000番台
朝と夜の時間帯のみ、313系と併結して運用される。2両編成と3両編成がある。
トイレは備えられていない。



(出典:Wikipedia)

  • 小田急60000形「MSE」
「ふじさん」で使用される。
RSEと371系の引退を受け、2012年3月17日のダイヤ改正より乗り入れを開始。6両編成。ミュージックホーンを搭載しているが、御殿場線内ではJR東海の規定により使用されることはない。


過去の車両

  • 小田急キハ5000形・5100形
小田急唯一の気動車で、特別準急で使用されていた。
基本設計は国鉄のキハ17・キハ50形に準じているが、車体形状は当時の小田急の電車に近い。
御殿場線の電化に伴い、1968年6月30日をもって運行を終了。
引退後は関東鉄道に売却され、ロングシート・3扉化などの改造を経て同年12月よりキハ751・753形として常総線で1988年9月まで使用された。



(出典:Wikipedia)

  • 165系・167系
御殿場線が電化されたことで、1968年4月27日より東京~御殿場間を結ぶ急行「ごてんば」として使用。当初は165系による3両編成で、田町電車区が新前橋電車区から借り入れる形になっており、国府津以東は「東海」または湘南急行「あまぎ」「はつしま」(後に「伊豆」)と併結して運行されたが、
1985年3月14日のダイヤ改正で「ごてんば」が廃止となり、御殿場線での運用を終了した。



(出典:Wikipedia)

  • 小田急3000形「SSE」
小田急初のロマンスカー。元々は8両編成の「SE」だったが、御殿場線の電化によって直通運転を行うために5両編成の「SSE」に改造され、特別準急(後に連絡急行)「あさぎり」として1968年7月1日より乗り入れを開始。狭軌鉄道における世界最高速度を達成し、新幹線にもその技術が受け継がれた鉄道史上に残る名車である。
第1回ブルーリボン賞受賞車両だが、正確にはこの車両を表彰するためにブルーリボン賞が設けられたと言う方が正しい。
1991年3月15日をもって引退した。



(出典:Wikipedia)

  • 115系
1979年9月から2007年2月13日までの主力車両。当初は4両編成だったが、1984年2月のダイヤ改正からは3両編成になった。
一部列車は3+3の6両編成で運行されたことも。



(出典:Wikipedia)

  • E231系1000番台
2012年3月17日のダイヤ改正まで乗り入れており、国府津~山北間の2往復には国府津車両センター所属の付属5両編成が使用された。



(出典:Wikipedia)

  • 小田急20000形「RSE」
3000形「SSE」に代わる乗り入れ車両として1991年3月16日より運行開始。
371系とは編成・定員・構造などで共通設計になったため、小田急伝統の展望室や連接構造は廃止され、代わって2階建て車両やスーパーシート(グリーン席)が設置されるなど、今までの車両とは全く異なる構造が話題になった。そのため、ロマンスカーでは初めて普通席とグリーン席の2クラス制料金になっていた。
371系と異なりハイデッカー構造が採用されており、さらに4号車の1階にはセミコンパートメント席が設置されている。
7両編成2本が製造され、予備運用として「はこね」などの御殿場線に乗り入れない小田急線内運用も行われたほか、371系の検査時は当形式が「あさぎり」全列車を代走していた。
2012年3月17日のダイヤ改正をもって371系ともども引退。
その後は富士急行に譲渡され、「フジサン特急」になって現在も活躍中。
1992年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。



(出典:Wikipedia)

  • 371系
こちらもSSEの後継車両として1991年3月16日より運行開始。
JR東海の特急形車両では唯一の普通鋼製で、100系新幹線を思わせる塗装が特徴。
1編成7両のみが導入され、JRの特急用車両では東日本のE655系(1編成6両)に次いで少ない。
前述したRSEと同様に編成・定員・構造などで共通設計になったため、7両編成で3・4号車をダブルデッカーとし、2階にグリーン席を設けた点は同じ。ただし、こちらはハイデッカー構造ではないので2号車はバリアフリー対応になっており、あちらの4号車1階にあったセミコンパートメント席は設けられていない。
「あさぎり」以外では静岡地区のホームライナーにも使用されていた。
1編成しか製造されていないため、検査時はRSEが「あさぎり」、「ホームライナー」は165系や313系などの一般車両が代走で使用されていた。
2012年3月17日のダイヤ改正でRSEともども引退。その後は富士急行に譲渡され、「富士山ビュー特急」になって活躍中。
1991年グッドデザイン商品選定車両。


駅一覧

全区間単線。全19駅、総距離60.2km。ただし、起終点は東海道線の所属であるため、御殿場線所属駅は17駅である。
国府津~谷峨間は神奈川県、駿河小山~沼津間は静岡県に所在。相模金子・東山北・南御殿場・長泉なめり・大岡以外の駅では列車交換が可能。
主要駅以外は(夜間)無人駅や業務委託駅が多く、駅もかなり簡素な構造になっている。


  • CB00 国府津(こうづ)
起点駅。東海道線乗り換え。
JR東日本の国府津車両センターは当駅と下曽我の中間にあり、御殿場線の線路と出入庫線が併走する形になることから途中までは複線のように見える。
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームを持ち、御殿場線は基本的に3番線から発着するが、過去にE231系を使用した山北行き(日中時間帯の当駅始発と夜の東京駅からの直通)は2番線から発車していた。
東海道本線時代は「燕」や「櫻」といった当時の最速列車でさえも機関車連結のために停車していた主要駅だったが、熱海経由のルートが完成になったことでその役割を終えた。
2022年5月2日からは「みかんの花咲く丘」の発車メロディが導入された。奇数番線は曲の前半・偶数番線は後半のメロディが採用され、両方聞くことで1つの曲が完成する仕組みになっている。


  • CB01 下曽我(しもそが)
JR東海の在来線では最も東にある駅。新幹線が乗り入れる小田原駅・新横浜駅を除き、同社のみの在来線駅では唯一関東地方の市に属する駅でもある*5
島式ホーム1面2線を有し、駅員が配置されているが、夜間は無人駅になる。
上下両方の信号機が設置されており、沼津方面から来た列車は折り返しが可能。方向幕も用意されているが、当駅発着の定期列車はない。
当初は「下曽我信号所」として1911年5月1日に開業し、1922年5月15日に駅に昇格した。松田や山北などの開業当時からある5駅を除けば下土狩の次に誕生した駅になっており、丹那トンネル開通以前の東海道本線時代からある古参駅のひとつに変わりはない。
この他、臨時の車扱貨物を取り扱うこともある。


  • CB02 上大井(かみおおい)
1997年に無人駅化。相対式ホーム2面2線を有していて列車交換が可能で、下りのみ一部列車は2番線から発着する。
かつて駅員が日除けとして構内にひょうたんを栽培したところ、日本交通公社(現:JTB)刊の時刻表(1981年8月号)で表紙を飾り、ひょうたん駅として名を知られるようになった。
隣の相模金子ともども大井町にある貴重な駅で、あちらと違って町の名前を冠している。


  • CB03 相模金子(さがみかねこ)
単式ホーム1面1線で駅舎すらない小さな無人駅。当駅を挟む駅間距離は御殿場線内では数少ない2.0km未満になっており、最も短い*6
八高線にある同名の駅と被るのを避けるため、旧国名の「相模」を冠することになった。ちなみに、「相模」を含む駅はかつて多数存在したものの、名称変更や廃止によって年々減少してきており、残った大半も相模原市に所在するが、市外で「相模」を含むJRの駅は当駅が唯一の存在である。


  • CB04 松田(まつだ)
小田急線(新松田駅)乗り換えだが、運賃計算上同一駅になっている。途中駅では唯一の乗り換え駅にして、関東の大手私鉄とJR東海の在来線が接続する唯一の駅でもある。
松田町の中心駅であり、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。駅長所在駅で、神奈川県内の下曽我~谷峨間の6駅を管理している。
開業当初は明治時代になって衰退していた町を再び活気づかせたものだが、1927年4月1日に小田急線が開通して新松田駅が誕生してからは急速に衰退していく。
実際、新松田駅に近い南口はともかく北口駅前はやや寂れている。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持ち、普通列車は島式の2・3番線に入線する。「ふじさん」は1番線ホームに発着し当駅で乗務員が交代する。駅窓口には「ふじさん」の乗客専用のICカード処理機が設置されており、新松田駅入場・出場として処理される。
北口は1番線に隣接していて東山北方にあるが、2・3番線は国府津方に延びていて地下通路で線路をくぐった先に南口があり、道路を挟んだ向かい側に新松田駅北口が隣接している。よって、当駅南口と新松田駅北口の乗り換えは便利な一方、2つのホームは直接つながっていないため跨線橋が設けられている。
南口には自動改札機があるが、北口は簡易改札機になっている。

小田急線との連絡線があり、「ふじさん」はこの連絡線を経由して両線を直通する。前述の通りこの連絡線は1994年10月以降、小田急や箱根登山線の新型車両の甲種輸送時にも使用されており、この際に専用の資格を持つ小田急の運転士によるJRの電気機関車(EF65形)が新松田駅まで乗り入れる。
また、下曽我と同じく臨時の車扱貨物を取り扱うこともある。


  • CB05 東山北(ひがしやまきた)
無人駅。単式ホーム1面1線であるが、山北高校の最寄り駅であることから、町の中心駅である隣の山北よりも利用者数が少し多い。
向原新駅設置期成同盟會の請願運動で開業に至った経緯があり、ホーム上に石碑が立っている。


  • CB06 山北(やまきた)
山北町の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
東海道本線時代は下り列車に補機を連結する作業や石炭・水を供給する役割を担った拠点駅でもあり、補機の機関区が駅構内にあったことから、山間部ながらも鉄道の町として栄えていた。
しかし、丹那トンネルの完成後はやはり松田と同様にみるみる衰退していったのである。

島式ホーム1面2線の構造で当駅発着の普通列車が一部設定されている。気動車・SSE時代は特別準急→連絡急行の停車駅だったが、特急に昇格してからは普通列車のみ停車する。
当駅も無人駅になるはずだったが、地元のNPO法人に切符販売を委託する形で有人駅になった。
駅裏手の機関区跡地には公園があり、かつて使用されたD52形機関車が静態保存されているが、2016年3月18日には当列車を動態化させる町の「奇跡の復活事業」の一環として試運転が行われた。
山北町は新たな観光資源としてSL動態化をめざしており、最終的には復帰も考えられているらしい。


  • CB07 谷峨(やが)
無人駅。相対式ホーム2面2線で、普通鉄道の駅としては神奈川県最西端の駅でもある*7。御殿場線内では最も利用者数が少ない。
元々は信号所だったが、1974年に駅に昇格。連絡急行時代の「あさぎり」の一部列車が停車していたが、特急に昇格してからは普通列車のみ停車する。
鉄道唱歌第1集13番の「いでてはくぐるトンネルの 前後は山北・小山駅 今も忘れぬ鉄橋の」という歌詞は当駅付近の風景がモデルらしく、駅前にはその部分の歌碑が設置されている。


  • CB08 駿河小山(するがおやま)
当駅から静岡県に入る。県内最北端の駅で島式ホーム1面2線を有し、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
全盛期は富士紡績の工場が操業を開始し、日本全国から集められた工男工女が当駅に降り立ったと言われるが、御殿場線への格下げ後はやはり他の駅と同様にみるみる衰退していった。
気動車時代からの「あさぎり」停車駅で、現在も「ふじさん」の一部列車が停車する。2012年7月より無人駅になった。
駅名は「小山駅」から始まり、1912年7月1日の「駿河駅*8への改称を経て、1952年1月1日より両者を折衷する形で「駿河小山駅」になった。


  • CB09 足柄(あしがら)
島式ホーム1面2線の無人駅。東海道本線時代は信号場だったが、御殿場線降格の際に住民運動をして駅に昇格した。
御殿場間は6.6kmと御殿場線内では最も長く、標高も330m~455mとアップダウンが激しい。
なお、小田急線に同名の駅が存在するが、あちらは神奈川県であるため乗り換え駅でも何でもない。「足柄」は箱根の枕詞を意味しており、同じエリアを指す広域地名を名乗る同名の駅が全く別の県に存在する珍しい例。
一応、神奈川県と静岡県の県境には足柄山(金時山)や足柄峠があり、周辺の地名はそこから由来しているので決して無関係ではない。


  • CB10 御殿場(ごてんば)
御殿場市の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。
上りは単式ホーム1面1線、下りは島式ホーム1面2線を有する2面3線の駅。駅長所在駅で、駿河小山~富士岡間の4駅を管理している。
「ふじさん」の終着駅で、当駅発着の普通列車もある。
富士山のふもとだけあって多くの登山客でにぎわっており、標高455mと御殿場線内では最も高く、河口湖や箱根方面へ向かうバスも多い。
かつては「御殿場馬車鉄道」という馬車鉄道の停留所があった。東海道本線時代は当駅で補機の連結・切り離しを行っていた拠点駅でもあった。

ちなみに、よりによって開業日の午前3時頃に大火事が発生して多大な被害が出てしまったため、本当は華やかに行われるはずの開業式が泣く泣く質素なものにならざるを得なかったとか。


  • CB11 南御殿場(みなみごてんば)
単式ホーム1面1線。地方中核都市駅の隣駅というジンクスを見事に踏んで、簡素な待合室しか置かれていない無人駅。


  • CB12 富士岡(ふじおか)
名前の通り富士山がよく見える駅。島式ホーム1面2線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
陸上自衛隊東富士演習場・駒門駐屯地の最寄り駅。かつては陸軍重砲兵学校富士分教場だったからか、1944年8月1日に「富士岡信号所」から駅に昇格してからは軍関係者しか利用できなかったが、11月10日からは一般客の利用も始まった。
また、1968年7月1日の電化まではスイッチバック構造の駅でもあり、現在でもその跡が見られるほか、1989年10月からは列車交換設備が導入されている。


  • CB13 岩波(いわなみ)
裾野市と御殿場市の境界付近にある島式ホーム1面2線の駅。業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
電化前は富士岡ともどもスイッチバックの駅で、1944年12月8日に「岩浪信号所」が駅に昇格する形で設置された。
1969年7月から1982年11月まではトヨタ自動車専用線があり、鉄道による自動車の輸送が行われていた。


  • CB14 裾野(すその)
裾野市の中心駅で、丹那トンネル開通以前の東海道本線開業時代からある最古参の駅のひとつでもある。島式ホーム1面2線で駅長所在駅でもあり、岩波~大岡間の4駅を管理している。
開業当初は「佐野駅」だったが、南海本線(現:泉佐野駅)および両毛線・東武佐野線にも同名の駅があるということで、1915年7月15日に現在の駅名に改称した*9
「あさぎり」が沼津まで相互直通運転していた時代は停車駅であった。


  • CB15 長泉(ながいずみ)なめり
開業は2002年9月7日と御殿場線では最も新しい駅で、唯一ひらがなが入る駅でもある*10。1988年から始まった新駅誘致活動が実を結び、開業に至った。
単式ホーム1面1線で、ICカードのチャージどころか自動券売機すら設置されていない無人駅。
静岡県立静岡がんセンターの最寄り駅でもある。


  • CB16 下土狩(しもとがり)
島式ホーム1面2線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。
開業は1898年6月15日で、当初からある松田・山北・駿河小山・御殿場・裾野の5駅の次に誕生した駅であり、丹那トンネル開通以前の東海道本線時代からある古参駅のひとつでもある、初代「三島駅」。
豆相鉄道(現:伊豆箱根鉄道)駿豆線との乗り換え駅としてにぎわっていたが、熱海経由の新線が完成を控えた1934年10月1日に改称を余儀なくされ、開通した12月1日には駿豆線も取り上げられてしまった……。
当駅付近で新幹線と交差する。


  • CB17 大岡(おおおか)
単式ホーム1面1線の業務委託駅で、夜間は無人駅になる。太平洋戦争中に軍需工場への通勤者輸送を目的に開設された仮乗降場を前身としており、戦後の1946年1月15日に駅に昇格した。
1997年から2005年の間は1日平均乗車人員が1000人を切っていたが、現在は回復している。


  • CB18 沼津(ぬまづ)
終点駅。東海道線乗り換え。
一部列車は直通して三島・静岡・富士方面へ運行される。
静岡県東部の中心都市・沼津市の代表駅。島式ホーム3面6線で、御殿場線は基本的に5・6番線から発着するが、三島駅からの直通は3番線である。東京方面からのJR東日本の車両が乗り入れる最西端の駅でもある。
標高は7mと御殿場線内では最も低い。海沿いなので当たり前だが。
相互直通運転時代の「あさぎり」の終着駅だったが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって当駅への乗り入れは終了した。
ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地。東海バスの内浦地区方面の系統が集中する南口のバス8番乗り場はラブライブ仕様になっており、ラッピングバスも運行されている。


凡例
●…停車
▲…一部列車が停車
空欄…運行なし
駅番号 駅名

接続路線 標高
(m)
CB00 国府津 東海道線 20
CB01 下曽我 24
CB02 上大井 35
CB03 相模金子 45
直通運転区間 特急ロマンスカー「ふじさん」号は小田急線新宿方面へ
CB04 松田 小田急小田原線(新松田駅) 60
CB05 東山北 81
CB06 山北 107
CB07 谷峨 164
CB08 駿河小山 264
CB09 足柄 330
CB10 御殿場 445
CB11 南御殿場 416
CB12 富士岡 365
CB13 岩波 248
CB14 裾野 123
CB15 長泉なめり 76
CB16 下土狩 42
CB17 大岡 22
CB18 沼津 東海道線 7


廃止信号場

  • 酒匂仮信号所…山北~谷峨間。国府津駅から約18.4km。1916年廃止。
  • 酒匂仮信号場…山北~谷峨間。国府津駅から約18.7km。廃止日は不明。
  • 相沢仮信号所…山北~谷峨間。国府津駅から約22.2km。1915年廃止。
  • 松沢仮信号所…駿河小山~足柄間。国府津駅から約26.4km。1915年廃止。
  • 竹ノ下仮信号所…駿河小山~足柄間。国府津駅から約28.3km。1915年廃止。
  • 神山信号所…富士岡~岩波間。国府津駅から約42.4km。1911年廃止。


追記・修正は「ふじさん」に乗ってからお願い致します。


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最終更新:2024年04月08日 19:56

*1 新幹線も含めれば東海道新幹線が小田原駅・新横浜駅、および東京都の品川駅・東京駅に乗り入れている。

*2 線名は「箱根支線」「箱根線」「函北線」「富士山線」などさまざまな候補があったが、せめてもということで御殿場町(現:御殿場市)の請願が大きかったとされる。

*3 東急電鉄を筆頭に複数の大手私鉄やバス路線・陸運を併合した戦時合併グループである。

*4 80系電車以降、15両編成に荷物電車を連結した16両編成が存在したものの、16両全車両が旅客車両というのは他に例がない。

*5 上大井から神奈川県内最西端の谷峨までは足柄上郡の町の所属。

*6 上大井間は1.8km、松田間は1.9km。

*7 鉄道以外を含めると箱根ロープウェイの桃源台駅が最西端となる。

*8 当初は「六合駅」(ろくごうえき)になる予定だった。

*9 改称時に「裾野」を名乗る市町村はなく、富士山の裾野にあるため、あるいは箱根山・愛鷹山の山間にあるため「裾野」になったらしい。周囲の町が裾野町(裾野市の前身)になったのは1952年になってからで、当駅に由来しているという。

*10 「なめり」は地名に由来し、漢字で「納米里」と書く。