突撃砲

登録日:2011/10/04 Tue 15:10:16
更新日:2022/01/17 Mon 01:18:22
所要時間:約 25 分で読めます




唐突だが、第二次大戦中、ドイツ軍で最も活躍した戦闘車両は何であろうか。

ティーガーIIIパンター
確かに伝説戦車と言うには相応しいが、生産性や信頼性の問題があっただろう。
ではIII号戦車IV号戦車だろうか?
いや、そうではない。

かつて、「世界一の記録を打ち立てた兵器」でありながら、現代では絶滅してしまった車両。

この項目では突撃砲について説明する。


III号突撃砲の登場

突撃砲、と言うジャンルを生み出した車両、それがIII号突撃砲である。

1935年、ナチスドイツで

マンシュタイン大佐(※最終階級は元帥)「大砲は歩兵と一緒に進軍できず中々前線に出したり撤退させづらいため、歩兵に対する支援が不足している。どうにかしろ。」

という提案があり、それに対してダイムラー・ベンツ社が

DB社「歩兵と同等以上の速度で前進後進が出来て、銃火に耐えられる装甲があって、前方にさえ撃てればいいんですね。大砲の代わりだし

とIII号戦車を改造して作成した自走砲が、III号突撃砲。
なので、車体は戦車なのだが、あくまで「砲」であり、所属は砲兵科だった。
III号突撃砲の役目は歩兵直協、即ち「歩兵と共に進軍し、その障害が現れれば直接照準で砲撃、粉砕する」こと。
これは本来戦車の役目(諸外国では歩戦協同、歩兵を普通科と称する陸自では普戦協同と呼ぶ)でもあるとも言えるのだが、この時のドイツの場合

装甲師団「電撃戦はスピードが大事なんだよ。それと戦車を最大限活かすにも歩兵部隊で敵砲をどうにかしなけりゃならん(トーチカなどの破壊工作)」

という思想・状況であった為、突撃砲と言うジャンルが作られた。
突撃という名称ではあるが、もちろん特攻ではなく電撃戦を想定しているために撤退速度についても求められていたため、やはり大砲ではどうにもならなかった。
電撃戦で活躍したあとは歩兵部隊の対戦車用兵器として活躍することになる。これについても想定されていた。

突撃砲兵の祖先に相当するのもWWI中に塹壕戦対策として編成された突撃隊の随伴砲兵で、やはり元は戦車の代替というわけではない。
構想段階では各歩兵師団に突撃砲大隊を編制する予定だったが、実際は独立した突撃砲中隊や突撃砲大隊(突撃砲旅団)として編成された。

III号突撃砲
写真のように砲塔が無いのは、戦車が「敵前線を突破し、右へ左へと対応する必要がある」のに対し、
「歩兵と共に前線を構築する役目なので、正面の敵にさえ対応できれば良い」と言う考えがあったからだ。
ただし砲自身の旋回角ではやはり射界が狭く、車体の位置を頻繁に変えて対応した結果、足回りの負担増加に繋がった。
他にも目標を照準に収める際は車体の転換のみで対応しないといけないため、軟弱地盤だと旋回砲塔よりも捕捉が遅れてしまう欠点はある。

砲塔が無いと言うのは、
  • 生産する際に手間がかからない
  • 車体に載せるなら、スペースが大きく取れるので、より強力な砲を乗せられる
と言うメリットがある。
後者については、実際III号戦車が5cm砲を主砲としており、装甲貫徹力に秀でた7.5cm砲の搭載はIV号戦車を待たなければいけなかったのに対して*1
同じ車体のIII号突撃砲は火力では同等の7.5cm砲(7.5cm StuK 40 L/43 or L/48)が標準装備となっている。

さらに、車高が低くなったことで、
  • 敵に発見されにくい
  • そもそも当てにくい
と言う副次的だが大きなメリットも生まれた。
もっとも東部戦線より平地の少ない地中海戦線や西部戦線では、これは裏目に出てしまう事もあった。
高地や砂漠地帯、窪地や生垣といった起伏の多い戦場で展開していた場合は、車高の低さが災いして射撃不能になりがちで、
側面を晒した敵戦車に付け入る機会の損失を招いたり、稜線射撃への支障をきたしたことから交戦面で問題視された。
ちなみにこれは、冷戦期以降に登場したStridsvagn 103(Strv.103)や74式戦車などの地形に恵まれない国のMBTが姿勢制御機構*2を備える一因にもなった。

そう、この車両、実は適応出来る戦地や戦況ならば攻撃力防御力生産性のバランスが高いレベルで整った名車なのである。

母体のIII号戦車は早晩に陳腐化してM4中戦車シャーマン(75mm砲型)やT-34-76中戦車にはとうてい及ばなかったが、
III号突撃砲はF型以降なら戦法さえ誤らなければ対処できたのだ*3
必要最小限の手間で再戦力化に成功した上、生産ラインの切り替えにも重大な支障をきたさなかったわけである。
歩兵からの評判も高く、戦車より当てにされた他、戦車部隊の再建や戦車猟兵の補強にも活用されたほど。

WWIIと突撃砲

そんなIII号突撃砲。実戦ではどうだったのか。

ティーガーやパンターほど強くはない?
いや、むしろその二台のように「期待させておいて、あまり活躍しなかった」?

いいえ、III号突撃砲はしっかり戦ってくれました。
そして、III号戦車もIV号戦車もやってのけなかったことを成し遂げました。

何を隠そう、WWII期間中、最も多くの敵戦車を破壊したのが、このIII号突撃砲なのである!
ドイツ一じゃなくて、世界一ですよ!

この記録には、III号突撃砲の利点と、環境と時代の流れを見ることができる。

一つ、ドイツ軍で最も多く生産された装甲戦闘車両も、III号突撃砲なのである。
各型(突撃榴弾砲も含む)を合計すると1万両を超え、III号戦車から改造・編入された物もあった。
頭数が多ければ、撃破数も自ずと増えるのは当たり前と言えば当たり前である。
しかし、その「最も多く生産できた」のにも前述した理由があるのを忘れてはいけない。
物量で勝ったと言われる米ソも、そこに至る理由や工夫、苦労が存在するのである。
フィンランドやスペインへ輸出されたり、東欧の枢軸国などに供与されていて、
特にフィンランドでは継続戦争中は大活躍したばかりか、戦後も1960年代まで現役だった( 北欧文化協会の記事 )。

二つ、ドイツ軍の劣勢である。
「劣勢であることがIII号突撃砲を助けたってのはおかしいのでは?」と思うかもしれないが、突撃砲の強みを思い返してほしい。
そう、「見つかりにくい」のである。突撃砲は待ち伏せをするのに最適なのだ。
連合軍、特にソ連は戦車を全面に押し出して進行してくる。
奇しくも、敵の攻勢下が、突撃砲の最も活躍できる舞台だったのだ。
そしてなにより、撃つべき「的」には事欠かない。
弾より多い敵は倒せないが、敵より多い撃墜マークをつけることもできないのである。

三つ、III号戦車の生産中止である。
1943年末、III号戦車は生産が止まったが、ではIII号戦車を作っていた工場はどうしたか。
パンターやIV号戦車を作った? 一部はそうだろう。しかし、大部分はIII号突撃砲の生産に回された。
昨日まで、III号戦車を作っていた工場が、今日になって「パンター作るから、はいよろしく」と言われても困る。
人の経験的にも、工作機械的にも。
その点、III号突撃砲は車体などがIII号戦車と同じで、すぐに生産ができたのだ。
なお組立工場が爆撃された際は、後述するIV号突撃砲やヘッツァーで穴埋めされた。

突撃砲のその後

WWII後については歩兵が対戦車用兵器(RPG-7など)を使用できるようになったため*4、出番はほとんど消えた。
歩兵用の対戦車兵器は使用後の安全が課題だが、だからと言って突撃砲を用いたところで対戦車用兵器を持っている相手だったら簡単に撃破されかねない。
対戦車兵器向けの装甲なども開発されているが、突撃砲にそれを施すぐらいなら装甲車や戦車にすべきだろうって感じ。

他の対戦車用兵器や対拠点破壊用の兵器も高性能化している(例えばミサイルなど)ためにWWII当時と違って短所ばかり目立つようになっており、
突撃砲については安いだとか技術力が不足している国でも作れる程度の利点は残っているが、総合的に見て厳しいと言わざるを得ない。
戦場にもよるが、歩兵よりも目立ちやすい分かえって危険という可能性すらある。
採用するにしても回転式砲塔ぐらいはつけるべきで、厳密な意味での突撃砲はやはり採用されることはまずないだろう。

現時点では、画期的な新発想やら、戦争が長期化&困窮するなりしなければ、陽の目を見ることはほとんどないだろう。

突撃砲に取って代わったもの

歩兵と共に進軍し火力支援を行うのは、歩兵戦闘車(IFV)や装輪戦闘車に。
待ち伏せて敵戦車を破壊するのは、魔法少女…ではなく、対戦車ミサイル(ATM)や攻撃ヘリコプター(AH)になっていった。

そして一番に、汎用性が高く高性能な主力戦闘戦車(MBT)の登場。
上位互換が生まれたのなら、下位の兵器の生産は足手まといでしか無いのである。

しかし、突撃砲は今日も記録を保持し続ける。
共に現代では消えた、重戦車や数多の名兵器と共に。


主要な突撃砲


ドイツ

  • III号突撃砲A型~E型(短砲身砲型)
III号戦車ベースの車台に、IV号戦車短砲身砲型の24口径砲を改造した7.5cm StuK 37を搭載した突撃砲。
最大装甲厚は50mmと、イギリスの2ポンド砲やソ連の46口径45mm砲53-K/20Kmの通常徹甲弾に対しては十分な防御力を有している。
T-34中戦車やKV-12重戦車相手に苦戦する戦車部隊を尻目に対戦車戦闘でも実績を重ね、独ソ戦初期の段階で既に片鱗を見せていた。

  • III号突撃砲F型~G型(長砲身砲型)
7.5cm PaK 40(牽引式対戦車砲)を車載用に改良した7.5cm StuK 40(43口径砲)に変更して、対戦車戦闘能力を改善した型。
F型の121号車以降で48口径砲を採用し、装甲も生産途中で最大80mm厚に強化された(最初期50mm、初期50mm+30mm、後期80mm)。
ドイツ突撃砲の中で最も多く量産され、突撃砲大隊(突撃砲旅団)の主力として前述の通り大金星を挙げた。

  • III号突撃榴弾砲42
III号突撃砲の歩兵直協機能強化型で、師団砲兵用軽榴弾砲の10.5cm leFH 18を基にした10.5cm StuH 42に変更された。要は某ゲームとかで言うところの10榴Ⅲ凸。
対戦車戦闘能力重視で長砲身化したIII号突撃砲F型以降と併用される形で、突撃砲大隊(突撃砲旅団)の各中隊に1個小隊ずつ配備された。
メタルジェット*5で装甲板に穿孔を生じさせる成形炸薬弾(HEAT)か装弾筒付徹甲榴弾(APHE-DS)を用いれば、対戦車戦闘もそれなり以上に行えた。

  • III号対空戦車(※突撃砲ではないが、III号突撃砲の派生型とも言えるのでこの場を借りて紹介)
突撃砲旅団用の自走高射機関砲で、ヤーボシュトゥルモヴィクからの経空脅威に対抗するため登場した。
III号突撃砲の車台にIII号戦車の旋回機構とIV号対空戦車オストヴィントI用の砲塔を組み合わせた車両で、いずれも急場凌ぎの流用品である。
計画当初の生産予定は90両だったが、見直しが入って18両に削減された。最終的な完成台数は不明。

  • 突撃歩兵砲33B
III号突撃砲の市街戦仕様で、主兵装を重歩兵砲の15cm sIG 33に換装している。
24両全てがIII号突撃砲からの改造車で、東部戦線に投入された。

  • IV号突撃砲
III号があるなら、IV号もある。当たり前だが、車体はIV号戦車から転用している。
アメリカ空軍の戦略爆撃でアルケット社のIII号突撃砲の組立工場が破壊された結果、ピンチヒッターとして急遽採用された。
その為シャーシはIV号、戦闘室や砲はIII号突撃砲の物を手直しと新規設計部分は少ない。
IV号駆逐戦車やIV号戦車/70(ラング)とともに敵戦車を撃墜した。
IV号突撃砲の改良版がIV号駆逐戦車とよく言われているが、設計はほぼ同時期で開発を担当したメーカーも違う。

  • IV号突撃戦車
突撃歩兵砲33BのIV号戦車版で、重歩兵砲ベースの15cm StuH 43と最大で100mm厚に達する装甲を備えた。
原型のIV号戦車より重いことから足回りの負担増に繋がり、機械的信頼性はやや低下している(走行系まで弄る余裕はなかった)。
突撃歩兵砲33Bとは異なり約300両が新造されて、突撃戦車大隊で火消し役として活躍した。
突撃戦車と称しているのは、グデーリアンの装甲兵総監就任後の交渉で、フェルディナントらとともに権限が砲兵科から移管されたためである。
ブルムベアはドイツ自身の命名ではなく、鹵獲した連合国軍が名付け親だとされている。

  • VI号突撃臼砲シュトゥルム・ティーガー
ティーガーIから砲塔を撤去して増加装甲を貼り、大元はロケット爆雷を前方投射する対潜臼砲だった38cm StuM 61を搭載したゲテモノ。
携行弾数はわずか14発で、車内への砲弾運搬用として手動式クレーンが取り付けられていた。
巨砲と呼べる口径だけに威力は絶大だったが、結果を残せたかというと…

イタリア

イタリア軍における主要兵器体系に突撃砲(Cannoni d'assalto)は存在しない。
ただしイタリア王国降伏後にイタリア半島へ武力進駐して同国の兵器を接収したドイツは、
セモヴェンテ(Semovente d'artiglieria)シリーズの一部を突撃砲(Sturmgeschütz)に分類している。

  • セモヴェンテ L40 da 47/32(独側呼称:Sturmgeschütz L6 mit 47/32 770(i))
L6/40軽戦車の車台に、ベーラー社製からライセンスを取得したCannone da 47/32 M35をオープントップ式で搭載した自走砲。
47mm砲は歩兵砲でありながらも対戦車戦闘が可能で、軽戦車や初期のイギリス製巡航戦車に対しては十分な火力だった。
約300両が生産され、イタリア王国降伏後はドイツやクロアチア独立国などで使用された。

  • セモヴェンテ M40 da 75/18(独側呼称:Sturmgeschütz M40 mit 75/18 850(i))
  • セモヴェンテ M41 da 75/18(独側呼称:Sturmgeschütz M41 mit 75/18 850(i))
  • セモヴェンテ M42 da 75/18(独側呼称:Sturmgeschütz M42 mit 75/18 850(i))
M13/40、M13/41、M14/41の三車種の中戦車車台に、Obice da 75/18 modello 34の車載版である75mm榴弾砲M35を搭載した自走砲。
最大装甲厚は25mm+25mmの50mmで、III号突撃砲(短砲身砲型)と同様に好評を博した。
合計で400両以上生産され、ドイツ軍でも供与品や鹵獲品が運用された。

  • セモヴェンテ M42 M da 75/34(独側呼称:Sturmgeschütz M42 mit 75/34 851(i))
  • セモヴェンテ M43 da 75/34(独側呼称:Sturmgeschütz M43 mit 75/34 851(i))
M14/41中戦車の車台に、Cannone da 75/32 modello 37から発展した34口径75mm戦車砲(P40重戦車の備砲と同じ)を搭載した自走砲。
装甲厚は50mmのままだが、III号突撃砲F型(増加装甲未装着時)に準ずる実力があり、ドイツ軍も価値を認めていた。
イタリア王国降伏の影響で、生産は90両に留まった。車台の異なるセモヴェンテ M43 da 75/34の製造数は諸説あって不明。

  • セモヴェンテ M43 da 75/46(独側呼称:Sturmgeschütz M43 mit 75/46 852(i))
後述のセモヴェンテ M43 da 105/25と同じ車台に、Cannone da 75/46 C.A. modello 34ベースの46口径75mm砲を搭載した自走砲。
被弾時に不都合が生じた防楯を内装式から外装式に変更している。ドイツの7.5cm PaK 40と同じ弾薬を使用し、火力も同等だった。
イタリア社会共和国で11両のみ製造された。

  • セモヴェンテ M43 da 105/25(独側呼称:Sturmgeschütz M43 mit 105/25 853(i))
M14/41中戦車の車体をやや拡張したM43車台に、obice Ansaldo 105/25を搭載した自走砲。
イタリア版III号突撃榴弾砲で、Bassotto(ダックスフント)という愛称がある。
イタリア王国では約30両、イタリア社会共和国では約60両が生産された。

  • セモヴェンテ M41 da 90/53(独側呼称:Sturmgeschütz M41 mit 90/53 801(i))
M14/41中戦車の設計を流用した車台に、海軍高角砲由来のCannone da 90/53を搭載した自走砲。
軽装甲かつオープントップ式構造と事実上の対戦車自走砲で、装甲貫徹力はティーガーIの8.8cm KwK 36を凌いでいた。
わずかに約30両が生産された。

他国

  • BT-42
フィンランドの突撃砲で、ソ・フィンの両方からクリスティーと呼ばれていた。
ソ連から鹵獲したBT-7軽戦車の車台に、イギリスとスペインから入手したBL4.5インチ中野砲Mark.II(114H18)を旋回砲塔形式で搭載している。
設計に問題があり、実戦投入されるも前線から引き上げられた。

  • Sav m/43
スウェーデンが第二次世界大戦中に配備した突撃砲。
チェコスロバキアの軽戦車LTvz.38(ドイツも愛用した38(t)軽戦車)のライセンス生産及び改良型であるStrv m/41の車台に、
当初は27口径75mm榴弾砲m/02を搭載していたが、後にボフォース社の21口径105mm榴弾砲m/44へ換装された。
IkvシリーズやPvkv m/43も似たような外見を持つが、前者は自走歩兵砲、後者は駆逐戦車に分類されている。

  • 44Mズリーニィ75
  • 40/43Mズリーニィ105
ハンガリーで開発された突撃砲で、イタリアのセモヴェンテと外見が似ている。
チェコスロバキアのシュコダ社製中戦車T-21のライセンス生産及び仕様変更型である40MトゥラーンIの拡張車台に、
駐退機の欠陥で倉庫に腐らせていた20口径105mm榴弾砲40Mを搭載した自走砲が40/43Mズリーニィ105である。
44Mズリーニィ75は備砲を43MトゥラーンIII用に開発された75mm戦車砲43Mへ変更、最大装甲厚を75mmから100mmに強化している。
40/43Mズリーニィ105だけ約30両完成して、実戦投入された(44Mズリーニィ75は砲調達上の問題で試作のみ)。
車体後部にドイツ製煙幕弾発射器もといロケットランチャーである15cm NbW 41の3連装版を2基載せたものも存在したという。

類似車種

本節の車種における共通点として、突撃砲と同様に前線へ展開して直接照準射撃による火力を提供する点が挙げられる。よって射程は重視されていない。
機械化砲兵が装備する自走榴弾砲や自走加農砲の任務は、長大な射程を生かした後方からの間接照準射撃による前線部隊の火力支援で、役割分担されている。
しかし戦況次第では自走榴弾砲や自走加農砲も直接照準射撃を強いられる場合もあり、火力戦主義の強いソ連軍は最前線への投入もお家芸にしていた。

SUシリーズ・ISUシリーズ(WWIIソ連)

東西冷戦前の労農赤軍は対空用のZSUシリーズや砲兵戦車のAT-1などを除き、自走砲類の詳細な分類はしていない。
よってIII号突撃砲に触発されて開発した自走砲とWWII中に登場した後継車両で、突撃砲の範疇と思われるものを載せている。
(余談だが、帝国陸軍はSU-76、SU-85、SU-122、SU-152、未制式のSU-203を自走突撃砲に分類していた)

例外的にSU-85は公文書でも戦車駆逐車と表記されたことがあるため、発展型のSU-100と同様に別の節で扱う。
SUはSamokhodnaya Ustanovka(自走砲架)、ISUはIstrebitelnaja Samokhodnaya Ustanovkaの略称で、
あとに付く二桁ないし三桁の数字は搭載砲の砲口直径(単位はmm)だが、小数点以下は省略されている。

  • SU-76
T-70軽戦車を原型とした車台に、ラッチェ・バムで有名な76mm師団砲Zis-3を搭載した軽自走砲。
軽装甲かつオープントップ式の設計で対戦車自走砲相当の性能だが、容赦なく歩兵直協に駆り出されている。
脆弱性と機関配置に起因する劣悪な居住性からСука(畜生)と叩かれたが、戦中戦後の累計で約16,700両も生産された。

  • SU-76i
祖国に一転攻勢を掛けたIII号突撃砲モドキくん。
ドイツも対戦車自走砲のマルダーシリーズ(76.2mm砲版はソ連製の鹵獲砲搭載)でブチ込んでやったしお互いさまだが。
III号戦車やIII号突撃砲の遺棄車両を回収・修理して、T-34-76用のF-34が原型である41.5口径76.2mm戦車砲S-1に載せ換えて拵えた。

  • SU-122
ドイツのIII号突撃砲に着目したソ連が、SU-76及びZSU-37やSU-152とともに開発した中自走砲。
T-34中戦車の車台に、師団砲兵用軽榴弾砲の車載版である122mmM-30Sを搭載した。
対戦車戦闘能力の乏しさが問題視されて、ロールアウトはソ連基準では少ない1,150両程に留まった。

KV-14を参考にしてわずか25日で設計を完成させた重自走砲。
KV-1S重戦車の車台に、軍団砲兵用榴弾加農砲の152mmML-20Sを搭載している。
戦果誤認が疑われているもののクルスク戦で当時対抗手段の少なかったティーガー(虎)I相手に健闘してみせたため、Зверобой(猛獣殺し)と渾名された。
ソ連側の射撃試験では徹甲榴弾を使用した場合、ティーガーIの前面を射程1500mで貫通可能と評価されている。

  • ISU-122
  • ISU-152
IS-2重戦車の車台に、軍団砲兵用加農砲の122mmA-19Sないし榴弾加農砲の152mmML-20Sを搭載している。
ISU-152はKV-1とともに量産が打ち切られたSU-152の後継、ISU-122はティーガーIへの対抗を目的として実用化された*6
制式化された派生型の内、ISU-122Sは備砲を発射速度が改善された122mmD-25S(IS-2重戦車の戦車砲と同じ)へ変更*7
ISU-152の問題点解消を目的としたオブイェークト704*8は備砲を152mmML-20SMに改良して車台をIS-3重戦車と共通化している(ただし登場が遅く量産中止)。

砲戦車・駆逐戦車・直協戦車(WWII日本)

帝国陸軍の国軍戦車体系に存在する車種。
ただし砲戦車を除き、量産・配備までには至らなかった。

砲戦車は、戦車部隊の主力である中戦車に随伴して、主に対戦車砲の制圧を担当する支援戦車(※後に対戦車戦闘も重視されるようになる)、
駆逐戦車は、固定砲塔かつ低姿勢の対戦車砲車(※ホニやホイの主砲を換装した対戦車戦闘車両が構想されていた)、
直協戦車は、固定砲塔かつ低姿勢の歩兵支援用突撃砲として整備する計画だった。
※上記の内容については、昭和18年における研究方針改訂前の段階で、修正後の砲戦車と駆逐戦車はコンセプトも整備内容も変更されている。

直協戦車がドイツ突撃砲に最も近く、完成時にはIII号突撃砲(短砲身砲型)やIII号突撃榴弾砲に匹敵する車両となったはずである。
同車は軍直轄の戦車団ないし戦車師団用として開発する予定だったが、軍直轄の装甲砲兵大隊へ配備することも検討されていた*9

本節では、本来は砲兵科用で後に戦車部隊へも配備されたという共通点から一式七糎半自走砲 ホニIのみ記載する。
ちなみにホニIとホニIIは『永年業務要綱』における構想段階だと砲戦車に分類されており、ホニIが一式砲戦車と呼ばれる一因になっている。

  • 一式七糎半自走砲 ホニI
  • 三式砲戦車 ホニIII
チハたんの車台に九〇式野砲と最大装甲厚50mmの防楯を取り付けた自走砲。
戦車師団の機動砲兵連隊用でオープントップ構造(曳火射撃や投擲兵器に弱い)だったが、戦車第14連隊にも砲戦車の代用として配備された。
三式砲戦車 ホニIIIは一式七糎半自走砲 ホニIの改修型で、主武装を三式七糎半戦車砲I型、戦闘室を完全密閉式に変更している。
ちなみに試製一式砲戦車とは日本版IV号戦車(短砲身砲型)であるホイの試作車で、後に車台を変更して二式砲戦車として制式化された*10

駆逐戦車(WWII独ソ)

ドイツでは戦車猟兵科(対戦車部隊)の装備器材だが、戦車部隊や突撃砲兵に配備された例もある。
牽引式対戦車砲の機動性欠如や、対戦車自走砲の防御力不足が問題視された結果、一部を除き新型突撃砲の開発計画からコンバートして登場した。

そうした経緯から車両設計面における突撃砲との差異は無いに等しく、WWII後に辿った運命もほぼ同じである。

西ドイツではHS30装甲車ベースの車台に40.8口径90mm砲を搭載したKJPz.4-5(Kanonenjagdpanzer 4-5)という駆逐戦車を採用し、
近~中距離の対戦車戦闘に充当していたが、装甲擲弾兵からは歩兵直協車両としての価値が見出されていて、WWIIの突撃砲に近い評価を受けていた。
中~遠距離の対戦車戦闘に従事するRaketenjagdpanzerと称する車種も存在したが、こちらは冷戦中に普及した対戦車ミサイルを主兵装にしている。

ソ連にも駆逐戦車(танк-истребитель)が存在し、73口径57mm戦車砲Zis-4/Zis-4Mに換装したT-34中戦車とKV-1重戦車が分類される。
従来搭載していた41.5口径76.2mm戦車砲F-34/Zis-5よりも貫徹力は優秀だが、榴弾使用時の不発弾発生率や費用の高さが問題視された。
設計思想も運用方法も戦車と変わらず、配属先も戦車部隊となっている。

ちなみにドイツ駆逐戦車と似た形式の車両は他国にもあり、イギリスのA39重突撃戦車、日本の試製四十七粍自走砲ホルなどが該当する。

戦車駆逐車(WWII米ソ)

主に、WWII期間中にアメリカで実用化されたGMC(Gun Motor Carriage)を指す。
GMCとは戦車駆逐大隊用のオープントップ式対戦車自走砲で、軽戦車以下の装甲防御が祟って想定通りの活躍はできなかった。
間接照準射撃による火力支援任務も行えたものの余芸に過ぎず、歩兵からも絶賛された突撃砲とは逆に失敗作だと判定されている。
とはいえ、M36ジャクソン/スラッガーのように一定の評価を得たGMCもあった。

ソ連ではSU-85を戦車駆逐車と称していた事もあり、中自走砲連隊以外に戦車駆逐大隊で運用されていた。
開発動機はティーガーI対抗で、高射砲ベースの51.6口径85mm砲D5-Sを採用している。
実際には貫徹力不足だったが、海軍砲由来の56口径100mm砲D-10Sに変更したSU-100であればパンターも含めて遠距離から正面撃破できた。
両方とも突撃砲形式のSU-122から派生した系譜だが、備砲は対戦車戦闘目的で転用・改造したものであり、やはり性格は駆逐戦車に近い。
冷戦時代にはSU-100の後継として、T-54ベースのISU-122-54が少数ながら配備された。

現代では、ソフトスキンや装甲車に対戦車ミサイルランチャーやAPFSDS対応の高初速砲を搭載した車両が戦車駆逐車と呼ばれる事もある。

アサルトガン(WWII米)

ハーフトラックや戦車の主武装として榴弾砲を搭載した装甲戦闘車両で、一部はHMC(Howitzer Motor Carriage)に分類されている。
本来は戦車部隊に随伴して直接照準射撃による火力支援を行う構想に基づいて開発されたが、機械化歩兵や機甲偵察部隊にも配備されており、
大戦後半には先述したGMCと同様に間接照準射撃も実施するようになっている。
邦訳上は突撃砲とも称されるが、IV号戦車初期型や二式砲戦車ホイに近い車両で、任務も戦車の脅威となる対戦車砲の制圧や煙幕展張が主眼に置かれていた。
(※ただし機械化歩兵に配属されたアサルトガンは歩兵直協用で、機甲偵察部隊のアサルトガンは威力偵察の支援に充てられた)。
朝鮮戦争休戦後にアサルトガンという車種は消滅したが、後述する装輪戦車が現代におけるアサルトガンとして同一視される事もある
(※LAV装輪装甲車の派生型には、スティングレイII軽戦車由来の105mm低反動砲塔を搭載した試作車があり、同車はLAV-Assault Gunとも称された)。

  • T30HMC
M8HMC実用化までのストップギャップとして、M3ハーフトラックにM116パック・ハウザー(陸自呼称:75mm榴弾砲M1A1)を搭載した簡易自走砲。
試作番号のまま1942年1月に採用されたが、同年9月に本命であるM8HMCの量産が開始されたため、受領前にM3ハーフトラックへ戻された車両も存在した。
ドイツは同種の車両(Sd.Kfz.251/9等)を重宝していたが、米軍にとっては応急品でしかなく順次引き上げられて少数が自由フランス軍へ供与されている。

  • M8HMC
M5軽戦車の車台に、M116パック・ハウザーをM2榴弾砲やM3榴弾砲へ改修してオープントップ式の全周旋回砲塔に収めて搭載した自走砲。
曲射も可能な構造で好評を博したものの次第に火力不足が顕在化し、機甲偵察部隊を除いてM4中戦車(105mm砲型)やM7HMCらに置き換えられている。
自由フランス軍やイギリス軍に供与されていて、後者からジェネラル・スコット(米墨戦争の国民的英雄ウィンフィールド・スコットに由来)と称された。

  • M4中戦車(105mm砲型)
M4中戦車の派生型で、主砲をM101榴弾砲(陸自呼称:105mm榴弾砲M2A1)ベースのM4榴弾砲に変更している。
M8HMCの後継として戦車部隊に配備されて、75mm砲型や76.2mm砲型のM4中戦車による機動打撃や陣地突破を支援した。
原型と同様に生産途中でサスペンションはVVSSからHVSSへ切り替えられたが、弾薬サイズの問題で湿式弾庫の採用は見送られている。

  • M45重戦車(WWII後に中戦車へ分類変更)
M26重戦車パーシングの派生型で、M4中戦車(105mm砲型)と同じM4榴弾砲を搭載している。
兵装重量が90mm戦車砲M3よりも軽量であるため、前面装甲の増厚(最大114.3mm→203.2mm)でバランス調整を図った。
第二次世界大戦には間に合わなかったが、朝鮮戦争で一部が実戦投入されている。

  • T30重戦車
ティーガーIIの対抗策として開発されたT29重戦車の派生型で、約40口径の155mm砲(T7→T7E1→T180)を搭載した。
開発の着手が1944年と完全に出遅れてしまった影響でテストベットに回されてしまい、当初の予定には無かったエンジンの換装も実施されている。
155mm榴弾の迅速な人力装填は困難で、半自動装填装置の導入や揺動砲塔(主砲の俯仰無く砲塔のみ上下させられる構造)へ換装する等の改良が試みられた。

対戦車自走砲/自走対戦車砲(WWI/II戦間期以降)

対戦車砲や高初速砲を軍用車両に搭載して、迅速な陣地転換と部隊の機動運用を可能にした自走砲。
成形炸薬弾(HEAT)による直射を前提とした搭載火砲(無反動砲や高低圧砲など)で対戦車戦闘を担う車両も含める場合がある。
両者はしばしば混同されるが、突撃砲は戦車と同様に歩兵直協兵器として出発して戦車迎撃も果たせるよう発達した経緯があり、
対戦車自走砲みたいに最初から対戦車戦闘能力を重視していた訳でもなく、後から役割が被っただけである
(III号突撃砲の携行弾薬で徹甲榴弾の占める割合は当初12%に留まり、対戦車戦闘も教範改訂前は止むを得ない状況のみとされた)。

Stridsvagn 103(WWII後スウェーデン)

縮めてStrv.103とも。直訳すると戦車103で、突撃砲(Stormartillerivagn)と称していない。
Sタンクの名で知られており、62口径105mmライフル砲L74を砲塔では無く車体に直接固定している。
あくまでスウェーデンは中立国であるので、国内の防衛用として開発された。
起伏の激しい土地なので、敵の進軍ルートが分かりやすく、待ち伏せし易い、ついでに傾斜装甲を採用しよう、と考えた結果がこれだよ!
撃ったらすぐ逃げる為、後部にも運転席があると言う、かなりの色物戦車である。
74式戦車に先立って導入された姿勢制御機構で稜線射撃も容易であり、突撃砲とは似て非なるものと言えよう。
なお同形式の後継車であるStridsvagn 2000は開発中止され、Stridsvagn 122(名前こそ違うが、ドイツのレオパルド2を輸入したものである)で置き換えられた。

装輪戦車(現代)

装輪装甲車の車台に大口径低反動砲を搭載した装甲戦闘車両。
あくまでも装甲車の一種だが、能力面から軽戦車や対戦車自走砲、火力支援用途から突撃砲として扱われることも多い。
装軌式装甲車よりも良好な戦略機動性や整備性が売りで、通常は威力偵察や治安維持の任務に就く。
管轄する戦闘兵科は国毎に異なり、日本の財務省は16式機動戦闘車を戦車に分類しようとした前科があった(26大綱で戦車の保有台数外とされた)。
アメリカのM1128機動砲システム(ストライカーMGS)や中国のPTL-02(砲兵科)及びZTL-09(装甲科)が突撃砲扱いされがちだが、
G3MBT(戦後第3世代型主力戦車)との性能格差が著しく、WWIIの突撃砲のような戦果はまず望めないし、そもそも期待されてない。


各種メディアでの活躍

仮想戦記の陸戦場面では戦車部隊をメインに据える作品が多く、突撃砲が活躍する場面は非常に少ない。
八八艦隊物語外伝(鋼鉄のメロス)では四式突撃砲戦車がサムライソードと畏怖される程T-34やM4相手に奮戦していたが、
駆逐戦車派生のラングもといIV号戦車/70のエンジンを換装してライセンス生産した代物で本来なら突撃砲に含まれない。

ガールズ&パンツァーでは歴女チームことカバさんチームがIII号突撃砲F型を使用。
ストーリー序盤~中盤ではチームの最大火力であり、大洗女子チームの文字通り「主砲」としてシリーズを通して活躍している。
また、OVA「これが本当のアンツィオ戦です!」ではアンツィオ高校チーム副隊長カルパッチョの乗車として
セモヴェンテ M41 da 75/18が登場。前述のIII突とド突き合い 一騎打ちを繰り広げている。





追記・修正は歩兵と共にお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 軍事
  • ナチス
  • ドイツ
  • 第二次世界大戦
  • 戦車←ではない
  • 自走砲
  • 縁の下の力持ち
  • 砲兵は歩兵の女神
  • 兵器
  • 突撃砲

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2022年01月17日 01:18

*1 III号戦車にも7.5cm KwK 40の搭載は検討されたものの断念しており、N型では以前のIV号戦車が搭載していた7.5cm KwK L/24を採用している。

*2 サスペンションを操作して車体を傾けられる機能。多少の起伏はこれを使って「砲塔周りだけ越える」ことができる。

*3 火力は条件にもよるが射距離1km前後から正面撃破可能で、装甲も初速600m/s台の75mm/76.2mm通常徹甲弾には中距離まで耐えられた。

*4 WWII後期ですらパンツァーファウストが開発・使用されている

*5 高温・高圧にさらされた事で液体「っぽく」なった金属。勘違いされがちだが一応は固体のままであり、実際に溶融金属をぶっかけているわけではない

*6 ISU-122の整備目的はISU-152の数的補完だったとされる俗説はあるが、両者の備砲の生産ラインは同一工場なので説として成立しないとされている。ちなみにティーガーIと遭遇する前にも122mm砲を搭載した自走砲の開発構想は存在したが、対抗想定はスターリングラードで鹵獲した12.8 cm Selbstfahrlafette auf VK3001(H)だった。

*7 122mm砲は重戦車・自走砲・牽引砲と需要が逼迫していたため、遣り繰りする形で量産されていたのが実態だった模様である。

*8 ISU-152 1945年型と呼ばれることもあるが、後世における便宜的な呼称である。

*9 ※『永年業務要綱』には「一般師団増強用として若干の突撃砲兵部隊を新設す」という記述があり、軍直轄の突撃砲兵団が編制表に存在する。

*10 ホイの新車台は、油圧サーボの実用化に難航した末に導入を断念した一式中戦車 チヘに流用された経緯がある。油圧サーボ機構はその後も開発が継続されて、四式中戦車 チトで採用された。