トモダチ作戦(Operation Tomodachi)

登録日:2011/12/15 (木) 21:22:33
更新日:2023/10/19 Thu 23:51:35
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2011年3月11日
東日本を襲った大震災


世界が救援の手を差し伸べてくれた中で


いち早い活動を開始してくれたのは


アメリカだった









トモダチ作戦(英:Operation Tomodachi)は、東北地方太平洋沖地震に関する米軍による救援作戦の名称。
その活動規模は極めて大きく長く、在日米軍を主体とし陸海空海兵隊の全てとブルネイに駐留していた英国軍海兵隊、カナダ空軍航空部隊、オーストラリア空軍部隊が投入された。

地震発生の翌3月12日に開始され、4月30日に現場活動は終了した。

トモダチ作戦という名称は、米太平洋軍司令部に北東アジア政策課日本担当として在籍中の米空軍退役軍人ポール・ウィルコックス氏を名付け親として、
米太平洋軍司令ロバート・F・ウィラード大将が採用した。

また、ウィラード大将は婦人を伴い宮城県石巻市の避難所へ、ルース駐日大使夫妻と被災者の慰問へ訪れている。


トモダチ作戦には在日米軍を主力とし陸海空海兵隊が参加した。
作戦には1万8000人を超える将兵が参加。
3月25日からは在ハワイの常設司令部組織JTF-519が横田基地へと移動、統合支援部隊(Joint Support Force)として指揮を執った。
最初の司令官として着任したのはウォルシュ海軍大将・太平洋艦隊司令官。

なお、アジア極東地域でこれだけの軍事部隊や艦船、軍用機が集結したのは、第二次世界大戦末期の太平洋戦争時を超える規模であった。
ちなみに、在日米軍はありとあらゆる人員や装備、艦船などなどが出払って「残っているのは必要最低限の人員だけ(当時の米空軍横田基地管制官の証言)」で、実際には米軍だけで8万人程度は動いていた計算になる。これに、カナダ、イギリス、フランス、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツの軍部隊に所属していた隊員が各在日米軍基地に応援に駆け付けたり、ハワイ太平洋軍総司令部の人員など後方部隊を入れると、軽く100万人はこの作戦に参加していたはずであると、アメリカ軍高官がアメリカ議会で証言している。



【各軍の活動】

【アメリカ海軍】
トモダチ作戦の中核を担ったのは、やはり海軍だろう。
海軍は空母ロナルド・レーガンを始めとし10隻の艦艇で救援活動に当たった。

米韓合同演習のために西太平洋を航行中のロナルド・レーガン空母打撃群は、本州東海岸域に展開。
震災翌々日の3月13日には海上自衛隊災害派遣部隊との震災対応に関する作戦会議を実施した。


【参加艦艇】

  • ロナルド・レーガン(空母)
米軍艦載ヘリのみならず、自衛隊のヘリコプターの為の洋上給油拠点として運用された。

  • エセックス(強襲揚陸艦)
  • ジャーマンタウン(ドック型揚陸艦)
沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊第31海兵隊遠征隊を乗艦させて日本海から日本の東海岸へ向けて機動。
エセックス艦内で行われたインタビューで、ジェフリー・ジョーンズ海軍准将は、
「先遣隊も今回の部隊も皆、志願者だ。艦内放送で呼びかけたが、定員を確保するのに、10分もかからなかったよ」と、
トモダチ作戦に対する米軍の士気の高さを述べていた。

  • マッキャンベル(ミサイル駆逐艦)
  • カーティス・ウィルバー(同上)
両艦の艦載ヘリコプターは、地震発生後、房総半島において捜索救難活動に投入された。

  • ブルー・リッジ(揚陸指揮艦)
地震発生後、寄港先のシンガポールにて急遽予定を変更し救援物資を積載して日本へ向けて出航。

  • トーテュガ(ドック型揚陸艦)
トーテュガは北海道から陸自北部方面隊の車両90台・人員500名を乗せて本州へ向けて輸送。

他、数隻の海軍艦艇が参加。

てか、在日米海軍の基地からは動ける艦船は全て派遣された。


【アメリカ海兵隊】
日本に駐留している海兵隊の殆どは沖縄に所在している為、直接的な震災の被害はなかった。
しかし他軍同様、迅速な救援活動を開始。

精鋭部隊である第31海兵隊遠征隊(31MEU)は、揚陸艦エセックスで被災地沖合いへと向かい、宮城県気仙沼市等で救援活動に当たった。

孤立した離島に上陸し、次々と救援物資を届けたりインフラを復旧していく様子はまさしく海兵隊の本領発揮である。

また福島第一原発事故に対して、海兵隊は対NBC兵器(核・生物・化学兵器)対策等を専門とする特殊部隊であるCBIRF(化学生物事態対処部隊)を派遣、
陸上自衛隊中央特殊武器防護隊らの支援をした。

第265海兵隊中型ヘリコプター飛行隊からはCH-46輸送ヘリコプター8機が、KC-130空中給油機2機と共に救助隊と器材の輸送を実施している。

また、ブルネイに駐留する英軍海兵隊も米軍海兵隊とともに被災地にて活動した。


【アメリカ空軍】
アメリカ空軍は嘉手納基地からKC-135空中給油機を交代要員と50名のエンジニアと共に三沢基地に派遣。

ルイス=マコード統合基地から2機のC-17輸送機(大型長距離輸送機)が救助隊と器材の派遣。

そして嘉手納基地の空軍第320特殊戦術飛行中隊は、C-130輸送機で移動し、残骸除去が進んでいた松島基地に着陸。
陸路でもって仙台空港へと移動した。

そして滑走路の津波による残骸を除去、米軍や自衛隊の機体に限られるが空港を利用可能にした。

そして確保した滑走路を使い、MC-130輸送機にて救援物資の輸送を開始。
この活躍により被災地へ届けられた救援物資は200万トン以上に及ぶ。

また3月16日には、オーストラリア空軍のC-17大型輸送機が嘉手納空軍基地に到着。
アメリカ空軍要員はオーストラリア空軍と陸上自衛隊第15旅団を援助し、オーストラリア空軍輸送機は物資と陸上自衛隊要員を積載して日本本土へ向けて機動した。

カナダ空軍もC-130輸送機を派遣し、ハワイを経由して被災地に物資を輸送した。


【アメリカ陸軍】
UH-60汎用ヘリコプターのうち数機を、救助活動に投入。
3月14日には合衆国本国から陸軍第1軍団から救助部隊が到着し、補給の為の前進後方支援拠点を構成した。



【被曝】

被災地で活動していた米軍兵士にも福島第一原発の放射能は降り注いだ。
被災地沖に展開していた海軍艦艇が被曝、乗員17人からも被曝が確認された。

放射線量は日常生活で1ヶ月に浴びる放射線量未満だったが、念の為艦艇は展開場所を移動する等対策を講じた。
これは汚染されると原子力艦の放射線が漏れてるか判別出来なくなるのを防ぐため。



【政治的影響】

今回の作戦は単なる被災地救済に止まらず、日米両国に大きな影響を与えた。



  • アメリカ
日本国民感情の親米化。
自衛隊員との交流を深めた。
JPロビイストからの評価向上(議員)。
原発事故データの入手→自国の原発事故・核研究に。


  • 日本
アメリカとの連携を再確認。
アメリカからの評価を上げる。



勿論他の国からも援助隊が来たが、それには大きな政治的影響はない。
援助する国の規模にもよるが、今回並の規模であると政治的影響が出ると言っていいのではないだろうか。
逆に、これまでのたゆまぬ日米同盟に代表される協力関係と事前準備という「背景」があったからこその「成果」とも言える。
デカイことやるにはそれなりの前振りがいるのだ。

●トモダチ作戦以外の各国の行動
  • トルコ
中東地域最大の友好国であったトルコ政府は、海外最大の36人の緊急援助隊を派遣、宮城県の三陸沿岸に部隊を派遣した。海外の援助隊としては最長の3週間も宮城県内に留まり、2016年現在も定期的に宮城県沿岸を当時来日した援助隊員が訪れている。

  • ロシア
チェルノブイリ原発事故をソ連時代に経験したロシアは、すぐに放射線の専門家を福島第一原発にフランスやアメリカの専門家とともに派遣したほか、原発事故により避難を余儀なくされた被災者への心のケアを行うべく、福島市や会津若松市、いわき市などで活躍した。

  • インドネシア
2004年のスマトラ島沖地震による大津波で甚大な被害を受けた同国からは、同じ被災した三陸沿岸と茨城県の被災者への心のケアを実践するため、20人規模で来日。ケア事業としては最長の2か月に及ぶ活動を行った。

  • イスラエル
何と、イスラエル軍の高度医療チームが来日し、大津波により甚大な被害を受けた、宮城県南三陸町の公立志津川病院の仮設診療所に応援に駆け付け、時価数千万円もする医療器具を惜しげもなく寄贈したほか、3週間にわたり被災者の治療に全力を挙げた。日本の災害で海外の医療チームが大規模に展開したのはこれが初めて。2016年1月、公立南三陸病院が開院した際には、当時活躍したイスラエルの医療チームとロシアの心のケアの専門家が来賓として招かれたほか、イスラエルの看護師が南三陸病院に特別在留許可をもらって着任した。

  • 中国
中国では初となる海外への国際緊急援助隊を被災地に派遣。生存者は発見できなかったが、多くのご遺体を収容した。帰国後、援助隊の隊員として被災地を回った消防隊員は「最初、東北がどれだけやられているか中国の人たちは分からなかったので、被災地の動画を見せたら、皆固まってしまった。まさか、こんなことになっているとは思わなかったのだろう」と日本テレビの取材に答えている。
また、人民解放軍の海軍部隊が地震発生後、艦船から全部武器を外したうえで、物資をありったけ積んで待機していた。





「謀略裏切りが常識の外交に、真の友など存在しない。
たが、海の向こうから差し伸べられた手は、確かに力強いものだった。」

――トモダチ作戦について とあるwiki籠り

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最終更新:2023年10月19日 23:51