イチロー

登録日:2010/06/25(金) 08:37:36
更新日:2019/03/25 Mon 18:57:20
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シアトル・マリナーズに所属していたメジャーリーガー。

本名:鈴木一朗(すずきいちろう)
生年月日:1973年10月22日
出身地:愛知県西春日井郡豊山町
背番号:51→ヤンキースに移籍後は31→マーリンズ以降は再び51
守備位置:右翼手
右投左打

愛工大名電高校から1991年のドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)に入団。

入団直後の1992~93年には二軍で2シーズンにまたがり46試合連続安打を記録したが、
代名詞である振り子打法を否定されるなど首脳陣との意見が合わず、一軍と二軍を行き来することとなる。

一軍では野茂英雄からプロ初本塁打を放ち、オフのハワイでのウィンターリーグでは推定152メートルの本塁打を放ちリーグMVPに選ばれる。

「鈴木」ではインパクトが無いと1994年には登録名を「イチロー」に変更。
当時のオリックス仰木監督にその才を見出され一軍に定着。
プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録し、史上初のシーズン200本安打の偉業を達成。最終的に残した210安打は16年後にマット・マートンに破られるまで不倒で、また2015年に秋山翔吾に破られるまで日本人最高記録だった。
打率も当時のパリーグ新記録となる.385で首位打者を獲得。

他にも最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・史上最年少でのシーズンMVPを獲得し、その名を全国に知らしめた。

1995年には全イニング出場での首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の五冠王を獲得*1。本塁打もこの年1位のダイエー・小久保裕紀と3本差だった。
以降2000年までプロ野球記録の7年連続の首位打者を獲得する。



2001年にはポスティングでメジャーリーグのシアトル・マリナーズに移籍。
同時期メッツに移籍した新庄剛志と共に初のメジャー日本人野手ということで注目を浴びる。

地元でのデビュー戦で7回に初安打、8回にはバント安打で逆転勝利を呼び込みメジャーデビュー。

4月11日には「レーザービーム」を初披露。
右翼から三塁へのストライク返球に思わず叫んだアナウンサーの言葉が発端となる。

オールスターには新人最多得票で出場。
最終的に首位打者・盗塁王・最多安打の三冠を獲得。
マリナーズのメジャー記録116勝の原動力になり、1975年のフレッド・リン以来史上二人目の新人王・リーグMVPのダブル受賞を達成した。

開幕前の3月には解説者のロブ・ディブルが「イチローが首位打者を獲得したら裸で(ニューヨークの)タイムズ・スクウェアを走ってやる」と発言。

さらに、オールスター前にイチローが打率トップに立つと「ヤツの背番号のタトゥーを尻に彫ってやんよ!」と自ら条件をエスカレート。

そして12月19日、ディブルはTバックのパンツ一丁、尻にはタトゥーではなくシールを貼り、雨の降る中、真冬のニューヨークの街を駆け抜けた。



2002年は前年の成績を受けて大きな期待を寄せられるも1年目ほどのインパクトは残せずに終わる。
それでもリーグ最多敬遠を記録し四球は前年から倍増。
打率もリーグ4位で史上6人目の2年連続200安打を記録する。



2003年には自身メジャー初の満塁本塁打を放ち、メジャータイの1イニング2補殺を記録。
オールスターにはケン・グリフィーJr.以来史上二人目の3年連続オールスターファン投票両リーグ最多得票を記録する。


2004年はオープン戦打率.421をマークして以降は例年通り低調なスタート。
5月には調子を上げて月間50安打を達成。この年、史上初となる月間50安打以上を三度記録。
8月26日には自己最速の200安打に本塁打で到達。

そして10月1日、本拠地のレンジャーズ戦でジョージ・シスラーの年間安打記録を塗り替え年間262安打の新記録を達成した。

この記録は日米で高く評価され、史上8人目となるコミッショナー特別表彰を受け、アメリカ野球殿堂には特別ブースが用意。
日本でも正力松太郎賞特別賞を受賞、国民栄誉賞の授与も打診され、
野球に関心の薄いイギリスを始めとする欧米・アジア諸国でも異例の取り扱いで記録達成が伝えられた。

また、彼は数度国民栄誉賞を受賞する機会を得ているが、現役の途中で受賞するともうそこまでな気がする、といった理由で全て断っている。


この年6月、シアトル地元紙コラムにて「イチローはもう見ていて楽しくない」という趣旨が掲載。

しかし8月31日付のコラムにて、「お許しくださいイチロー様、私は罪を犯しました。あなたは輝きを失ったと思ってしまっていたのです」との書き出しで謝罪した。


2005年は前年の安打記録達成を受け「打率4割の可能性」が大きな話題となっていたが、イチローには珍しく4月に.356の高打率。
逆に毎年調子の良かった5月に失速。
200安打は達成したが、最終的に打率は.303に終わる中、メジャー自己最多の15本塁打を記録。
“らしくない”シーズンを送る。



2006年は第1回WBCでベストナインに選ばれる活躍で日本代表の優勝に貢献。

マリナーズでは城島健司が新加入したこともあり、開幕直前には「(前年と)明らかに雰囲気が違う」とコメント。
しかし8月には「あんなに野球が難しいのか、こんなにしんどいのかと何度も思った」と振り返るほどの不振に陥る。

最終的にはリーグ記録の39連続盗塁成功とリーグ最多安打をマークするも、以降首位打者争いを繰り広げる天才捕手ジョー・マウアーの覚醒もあり、
首位打者の獲得はならなかった。


2007年は主に中堅手で起用。
オールスターではオールスター史上初のランニング本塁打を放ち、日本人初のオールスターMVPを受賞。
2年連続最多安打とリーグ2位の打率.351を残す。


2008年には日米通算3000安打到達・史上初の3年連続両リーグ最多安打を記録。
守備位置も右翼に戻る。

だが、チーム不振の影響を受けGMと監督が相次いで解任される最悪のムードに。
孤高の態度がチームワークを乱すとのバッシングが波紋を呼んだ。


しかし2009年にケン・グリフィーJr.がマリナーズに復帰しチームのムードが良好となってからはバッシングは沈黙。
胃潰瘍で開幕を出遅れるも療養中はドラクエで暇を潰し、復帰戦で張本勲の生涯通算安打の日本記録と並ぶ3085安打を満塁本塁打で達成。
7月には史上2番目の速さでのメジャー通算2000安打と自身メジャー初のサヨナラ打を達成。
また9月にはマリアーノ・リベラから自身メジャー初のサヨナラ本塁打を放った。
最終的にメジャー2位の打率.360・史上初の4年連続最多安打・メジャー記録の9年連続200安打を記録した。


第2回WBCにも出場し、極度の不振に陥るも、決勝の韓国戦では延長10回にセンターへの決勝2点タイムリーを放ち最後の最後に国民的ヒーローとなった。



別名「神の一撃」


この瞬間『2ちゃんねる』と『アニヲタ』のサーバーが落ちた。
決勝後のインタビューでの「ほぼイキかけました」は有名。


2010年は波のない調子を維持。
6月2日には憧れの選手でもある盟友ケン・グリフィーJr.の引退を受け「まともな状態でなかった」と語るもサヨナラ打を放ち引退に華を添えた。


2011年は5月に陥った不振から最後まで脱することができず、打率.272、184安打でシーズンを終えた。

メジャーデビュー以来続いていた打率3割&200安打&GG賞は10年でストップ。
規定打席に到達しながら打率3割を下回ったのはプロ入り20年目にして初と、ある意味メモリアルな年となってしまった。

2012年はメジャー2500本安打を達成したのち7月にニューヨーク・ヤンキースに移籍。川崎が怖いとかではないはず
背番号は31となった。
マリナーズの時よりも調子は上がり打率は.283となったが最終的には178安打に終わった。
ポストシーズンでは主に二番打者として走打で大いに活躍するもチームはワールドシリーズ進出ならず。

2013年は日米通算4000本安打に達するも過去最低の打率.262 136安打となった。
出塁率は始めて.300を切り、盗塁も20にとどまった。
固め打ちは減り、チャンスにも弱くなっていった。

2014年は控えからの途中出場ばかりで、安打数の過去最低を更新。
ただし打率はそこそこ持ち直した。(3割無いけど)
オフにFAとなりマイアミ・マーリンズに移籍。

2015年は開幕戦代打からスタート。
他の外野手の故障もあり出場はコンスタントにあるものの34打席連続無安打など全盛期からは遠く打率は.229で終わった。
王貞治の通算得点記録及び通算出塁記録を日米通算で抜く、MLB通算安打記録2位のタイ・カッブを日米通算で抜いて4200安打達成など稼働年数につながる記録は残した。メジャー通算で2935安打となり、3000安打への期待が高まった。
また最終戦では久々に投手として登板。143㌔を出すも2安打1失点で降板した。

2016年は前年度に比べれば持ち直し、休みながらの起用で固め打ちなどを重ね、打率.291 95安打で終えた。
記録としては4月にはメジャー通算500盗塁、6月には日米通算700盗塁
同じく6月には日米通算とはいえピート・ローズを超える4257安打を達成し、通算安打数世界一となった。
2つの国のリーグをまたがっているため日米通算は公式記録でなく参考記録になるものの、
選手の生涯戦績を示す数字としては十分に価値があり、ギネス記録としても認定を受けた。
なお、NPB記録補助者である張本勲も、MLB記録補助者であるピート・ローズも、
それぞれ公式記録上のトップは未だ破られていないと言ってはばからないが、
イチローが自分たちを越えた素晴らしい選手であることについては2人とも全面的に認めている。
8月にはアジア人初のメジャー通算3000本安打に到達。
三塁打数は日米通算119本に達し、福本豊の日本記録を超えた。
最終的には米3030安打、日米通算4308安打を残した。ちなみに4300本目はドジャースの前田健太から打ったものである。

2018年にはマリナーズに復帰。しかしシーズン中盤からフロント入りしてその年は実戦から離脱した。
2019年に改めて実戦復帰することとなったが、オープン戦から打撃が振るわず、日本の球場で開催した開幕シリーズの2戦を最後に現役を引退した。
2戦目は8回裏の守備にいったんついたところで監督が交代を告げ、イチローがスタンドを埋め尽くすファンに挨拶をしながらベンチに戻るという粋な演出がなされた。

イチローの引退についてマリナーズは公式Twitterで「イチローほど素晴らしい選手は他にいない」、
それに対してMLB公式は「誰だよタマネギ切ってるのは(涙が止まらない)」とジョークを交えながらリプを飛ばし、その引退を惜しんでいた。

【特徴】
打席から一塁までの到達スピードは3.9~3.7秒と非常に速く(左打者の平均は4.2秒)、
このスピードを生かしての内野安打が多いためパワーはないとの誤解を受けるが、
打撃練習では本塁打を量産している。曰く「2割台でいいなら40本打てる」。
先述の通り若手時代に推定152メートルの本塁打を放つなど強打者並の飛距離を生み出すことは可能で、節目の安打は本塁打を狙って打つ(1000安打、1996年オールスターでの先頭打者弾などが代表格とされることが多い)。

守備ではレーザービームと呼ばれる正確無比の強肩と「エリア51」と呼ばれる広い守備範囲が武器で、
守備能力を示すDRS(守備防御点)でメジャートップクラスの成績を残し続けている。


走・攻・守全てにおいてトップクラスの実力を誇り「メジャー最高の選手」との評価を受けているが、
打者としては本塁打と四球が少ない点から批判を受けることもあり、
連続200安打は米でも評価されているもののアルバート・プーホールズの後塵を拝してしまっている。

トレードマークである背筋を伸ばし右手でバットを垂直に構えるルーティンは、
バットへ焦点を変えることによって動体視力を一時的に上げる効果があると言われている。

【記録について】
NPBとMLBでプレイし、通算4308安打を積み上げたイチローだが、日米合算は公式記録ではなく、選手個人の生涯戦績を示す参考記録にしかならない。
NPB記録保持者である張本勲、NLB記録保持者であるピート・ローズのどちらもそれぞれ公式記録は自分が一位だと言っている。
ただし、両者ともイチローのことを大きく評価しており、張本勲は「参考記録にはなるが、イチローは私よりも打つ。4000本を超える(大意)」、ピート・ローズは「イチローはアメリカで野球殿堂入りする選手」*2と述べている。
特に張本勲はイチローが自分の記録を超えることを楽しみにしており、張本の記録を超える3086本目のヒットを打った試合ではわざわざアメリカで試合を生観戦して記録達成の瞬間を見届けていた。

【余談】
名前は「一朗」だが、実は次男。兄の鈴木一泰(かずやす)氏は建築家。

野村克也は、「今までの人生で天才だと思った人は三人しかいない。広瀬叔功長嶋茂雄、そしてイチローだ」と語っている。

彼が小学五年生の時に書いた作文は、努力の大切さを説く教材として、しばしば引き合いに出される。
「365日中、360日は練習だった」
「友達と遊べる時間は1週間に5、6時間しかないが、これだけ練習しているのだから、きっとプロになれると思う」
など、幼少時から並々ならぬ努力を続けてきたこと、そのために自分の時間を犠牲にすることを厭わない決意が描かれている。

ドラフト4位で入団したこともあり、プロ入り当初はあまり目立たない存在だったが、いずれ大物になることを予想していた者は少なからずいる。
イチローをスカウトした三輪田勝利は体が細いながらも非常に正確なバッティング能力に着目して、これがドラフト指名の決め手となる。
無名時代からイチローを指導した監督の仰木彬もその打撃センスの高さを見抜き、一軍登録を行なっている。
また、プロ野球解説者でありNPBで通算安打数の最高記録保持者でもある張本勲は、イチローがスーパースターになる前から「イチローならば自分の記録を超えられる」と常々評しており、3000本安打を越える前から「イチローは通算4000安打を越えるだろう」と言っていた。

かつては毎日弓子夫人手作りのカレーを食べていたが2009年からもうカレーは食べていないと発言。食べ続けていると雑誌に書いていた一部記者は仰天したとか。

余談だがイチローはバットを非常に大切にしており、ホームベース付近に転がっていたバットを審判が蹴って退かした際には審判を怒鳴ったほど。
三振後に苛立ってバットを地面に叩きつけたことが一度だけあったのだが、その行為を非常に恥じており、バットを製作した職人に謝罪の手紙を送ったというエピソードがある。
因みにマリナーズの本拠地のベンチにはイチローのバットを立てて置くための彼専用の穴が開いている。

【ある日のイチロー】

午前11時 起床
 トレーニング
正午 昼食
 トレーニング
午後3時 球場入り
 トレーニング
 打撃練習
 またトレーニング
 また打撃練習
午後6時15分 さらに打撃練習
 さらにトレーニング
午後7時10分 試合開始
帰宅
夕食
最後にトレーニング
マッサージ
午前3時 就寝

…わけがわからないよ…


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