コミックス・コード

登録日:2011/05/09(月) 10:23:32
更新日:2024/04/17 Wed 20:15:36
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アメリカン・コミックスの表紙で存在感を放っていたとあるモノが、2011年にひっそりと引退した。約60年間に渡り、業界に施行を強制してきたそれ。

人々はそれをコミックス・コードと呼んだ。


【コミックス倫理規定委員会】
コミックス倫理規定委員会(-りんりきていいんかい、the Comics Code Authority、CCA)は、
アメリカ合衆国のコミック・ブックの内容を取り締まるために設立された、
全米コミックスマガジン協会(the Comics Magazine Association of America、CMAA)の一部門である。
倫理規定委員会に加盟している出版社は委員会にコミックを提出し、
委員会はそれらのコミックがコミックス倫理規定(コミックス・コード)に従っているか否かを審査し、
規定を満たしているコミックには委員会の許可印の使用を承認する。

その影響の最盛期においては、コミックス倫理規定委員会はアメリカ合衆国のコミック業界における事実上の検閲機関であった。
参加していた中で最後の出版社アーチー・コミックは2011年に参加を中止し、コミックス・コードは廃止となった。


【何故、発足に至ったか】
コミックが誕生した1930年代の次点で既に論争が始まる。
最初に現れた批判団体は教育者達であり、学生の読書能力や識字への悪影響があるとした。
半裸の女性が描かれたものやヴィランを称賛するもの、そうしたものが子供の読本に選ばれてしまう事を危惧したのである。

多数のアメリカン・コミックに含まれた不適切と見なされる表現に対する公衆の関心を受けて、
コミックス倫理規定委員会は1954年に全米コミックスマガジン協会の一部門として発足した。
これらの表現には、クライム・コミック及びホラー・コミック内の暴力及び流血表現と、
熱狂的ファンからはグッド・ガール・アートと呼ばれていた性的表現が含まれていた。

精神科医フレデリック・ワーサムの著書『無垢への誘惑』 Seduction of the Innocent は、
これらの種類のコミック表現は主な読者層である子供に対し有害であると主張し、これらの表現に対する反対運動を引き起こした。
コミックを主に議論対象とした1954年の未成年者非行に関する連邦議会上院小委員会
(the United States Senate Subcommittee on Juvenile Delinquency)による公聴会は、
多数の出版社に政府によるコミック規制への懸念を抱かせ、それを防ぐべく自主規制団体の組織を促すこととなった。

コミックス倫理規定委員会による規定は、コミックマガジン出版社組合(the Association of Comics Magazine Publishers)により、
1948年に立案されたほとんど執行力の無い規定に基づいていた。
更にこの規定自体は1930年のハリウッドのヘイズ規制を大まかに原型としていた。
しかしながら、コミックス倫理規定はその先例よりも遥かに多くの制限を課していた。

過去の倫理規定と同様に、コミックス倫理規定は、
「確立された権威に対する軽蔑を引き起こすような手法で、警官、判事、政府機関、尊敬された社会制度等」を表現する事を禁じていた。
しかしコミックス倫理規定はそれに加えて、「いかなる場合においても善は悪を打ち負かす」事を要請し、
「犯罪者の活動の結果による法執行官の死の表現」を抑止していた。特に児童誘拐と隠匿凶器の描写規制には重点が置かれていた。

「戦慄を催させたり、不快であったり、不気味なイラスト」の様な「過激な暴力」描写は禁止された。吸血鬼、狼男、食屍鬼、ゾンビーを描く事は出来なかった。
更に、「horror(怪奇)」や「terror(恐怖)」という言葉はコミックのタイトルに使えなくなった。
単語「crime(犯罪)」の使用には厳しい制限が課せられた。

過去の倫理規定が「性的に淫らなコミック」の出版を禁じていた所へ、コミックス倫理規定委員会は遥かに厳密な規定を加えた。
「性的倒錯」「変態性欲」「不倫な性的関係」の描写や、同様に誘惑、強姦、サディズム及びマゾヒズムは特に厳しく禁止された。
ハリウッドの映画倫理規定の文言を反映し、恋愛物は「結婚の神聖さ」を強調する事が要求され、
愛情を描く場面では「劣情や情欲」をそそり立てる事を避けるよう求められた。

酒類、タバコ、ナイフ、花火、ヌードピンナップ、ポストカード、そして「いかがわしい化粧用品」の広告は全面的に禁止された。

コミックス倫理規定委員会は他の出版社に対する法的執行力こそ持っていなかったが、
雑誌販売業者はしばしば委員会の承認印が表示されていないコミックの取り扱いを拒否した。
いくつかの出版社がこれらの規制の下で繁栄し、別のいくつかの出版社はシリーズ作品を打ち切って倫理規定に適合するタイトルへ路線変更することで適応し、
いくつかの出版社は倒産した。

ECコミックを出版していたウィリアム・ゲインズは、
コミックのタイトルに「crime」「horror」「terror」といった言葉の使用を禁止する条項は、
彼の出版していた人気タイトル『クライム・サスペンストーリーズ』や『ザ・ヴォルト・オブ・ホラー』、
『ザ・クリプト・オブ・テラー』を意図的に標的にしたものだと信じていた。
これらの規制及び吸血鬼、狼男、ゾンビーの禁止は、ECコミックの収益を低減させた。
委員会発足に続く一年間で、『MAD』を除くECコミックの全タイトルが打ち切られた。

精神科医フレデリック・ワーサムは不適当な間に合わせの手段であるとして、コミックス倫理規定を認めなかった。

さて、こうした圧力に、はいそうですか、と素直に屈服できないのが人間である。
まさか自由を尊ぶあのアメリカ人達が、こうした理不尽な規制を前に全面降伏してしまうとは、まさか閲覧者諸君も思っていまい?
では彼らは一体どういう手段を取ったのだろうか?


【ノンコード・コミックス】
コミックス倫理規定に(準)抵触した最初のコミックが、早くも1956年に発行された。
この年、ウィリアム・ゲインズは『ワイアード・ファンタジー』誌18号(1953年)に掲載された作品『審判の日』 Judgement Day を、
『インクレディブル・サイエンス・フィクション』誌33号(1956年1-2月)に再掲載した。
『審判の日』は倫理規定により不適格とされた作品の差し替え掲載であったが、
『審判の日』自体もまた、「黒人を主人公としている」点により「不適格」とされた。

ジョー・オーランドの作画によるゲインズの物語は「人種的偏見の弊害に対する辛辣な寓話」であり、
「主人公が黒人でなければ、その内容は必然的に無意味なものとなっていた」。
ゲインズが委員会に対し、「委員会がこの号に承認印を与えないのであれば、世界がその理由を知る事となるだろう」と通告したことにより、
委員会は最初の決定を覆し、『審判の日』を認可することとなった。
しかしながら、倫理規定委員会により彼のコミックに与えられた厳しい規制に直面し、ニュー・ディレクションシリーズのタイトルを模索していたゲインズは、
やがて間もなく「パロディ雑誌『MAD』に専念するために、コミック・ブックの出版を断念した。」


【アンダーグラウンド・コミックス】
1960年代後半にアンダーグラウンド・コミックスの時代が到来し、漫画家らが倫理規定では明白に禁止された主題を取り扱ったコミックを制作するようになった。
しかしながら、これらのコミックはヘッド・ショップのような従来とは異なる販路で主に流通することによって、コミックス倫理規定の権威を回避し、
委員会の認可を受けることなくある程度の成功を収めていた。

コミックス・コード施行から(一部の人達が持論の立証によく利用する)ダークナイト・リターンズやウォッチメン登場までの期間にも、
過激な内容のアメコミは存在しており、
この二作品をあたかも「それまで幼稚な作品しかなかったアメコミ界に革命を起こしたミュータント的作品」とする論は甚だしい偏見に満ちていると言える。
確かに名作だが他の作品をけなしてはならない。

更に更に…


【倫理規定の改正】
1971年、マーベル・コミックの編集主幹スタン・リーは、合衆国保健教育福祉省から、薬物濫用に関する啓蒙コミックを発刊出来ないかとの打診を受けた。
リーはこの依頼を受けて、薬物使用を危険で魅力の無い行為として描いた3話分のスパイダーマンの原作を執筆した。
アーチー・コミックの社長ジョン・L・ゴールドウォーターの決定により、
コミック倫理規定委員会は物語の文脈とは無関係に、麻薬中毒者の登場を理由にしてこのストーリーの承認を拒否した。
(当時委員会理事のレオナルド・ダーヴィンが「病気療養中」であり、ゴールドウォーターの決定の履行を許すこととなった)

合衆国政府自らがその要請で自分に信頼を寄せたという確信と、マーベルの社長マーティン・グッドマンの許可により、
リーはこのストーリーをコミックス倫理規定委員会の承認無しで、『アメイジング・スパイダーマン』誌の96号から98号(1971年5月-7月)に掲載した。
この物語は好評を博し、承認を拒否したコミックス倫理規定委員会の議論は非生産的ではないかとの意見が呼び起こされた。
「あれは私たちが抱えた唯一の大きな問題だった」と、リーは1998年のインタビューで当時の倫理規定を振り返っている。

“私は委員会を理解していた。委員たちは物事を字義通りかつ形式的に取り扱う、法律家のような人々だった。倫理規定には薬物を扱ってはならないと書かれており、彼らのルールに従えば彼らは正当だった。だから、私はその時は委員会に腹を立てさえしなかった。私は「どうにでもなれ!」と言って、その三冊から承認シールを引っぺがしただけだった。そして、私たちは再び倫理規定に舞い戻った。私はコミックの原作を書いている時、倫理規定を気にした事は一度もなかった。私の心にとって暴力的や性的すぎる事はどんな事であれ、基本的にやりたいと思った事は一切なかったからだ。私は若年層がこれらの本を読んでいる事を自覚していたし、仮に倫理規定が存在しなかったとしても、自分の物語の書き方をいささかも変えるつもりはなかった。”

1971年の間に倫理規定は幾度か改正された。
マーベルの『スパイダーマン』の事件に先立つ1971年1月28日に、最初の「規制緩和」により、
「犯罪行為への同情」および(「それが例外的な物であり、犯人が罰せられるという前提で」)「公務員の汚職」の描写が解禁され、
同様に、ある程度の犯罪活動による法執行官の殺害と、「行動による誘惑ではない口説き」の描写が許可された。

更に、「フランケンシュタインやドラキュラ、その他にエドガー・アラン・ポーやサキ、コナン・ドイル他の尊敬された作家による世界中の学校で読まれている高品質な文学作品のような、古典的な伝統の上で取り扱われる場合において、吸血鬼、食屍鬼、狼男」が新たに解禁された。
要求された「文学的な」背景を欠いている事から、ゾンビーはタブーとされたままであった。
しかしながら1970年代中頃に、マーベルは一見死人の様に見える、ハイチの様々なスーパーヴィランの洗脳された従者達を、
「ザベンビース」と名付ける事によって、ゾンビーに対する規制を回避した。
この慣習はマーベルのスーパーヒーロー物に広く用いられた。
『アベンジャーズ』において、死の世界から甦った復活スーパーヒーローのワンダーマンは、「ザベンビー」とも呼ばれるようになった。

スタン・リーとマーベルは、DCコミックの編集総責任者カーマイン・インファンティーノから「倫理規定を無視している」との非難を受けた。
「DCは倫理規定が変更されない限り、いかなる薬物を扱った物語も発刊しない」と、インファンティーノは主張した。
しかしながら、合衆国保健教育福祉省がリーのストーリーを認可したことを取り巻く世論を受けて、
「有害な習慣」として提示される場合に限り「麻薬や薬物依存」の描写を認可すべく、倫理規定は改正された。


【社会問題とコミック】
1970年、DCは名作シリーズであるグリーンランタン/グリーンアローを開始している。
作中でも現実と同じくケネディ大統領とキング牧師が倒れ、差別や不正が横行する世の中を描いており、
黒幕(ドス黒い心の大人)に利用される超能力者の幼女がこれ以上誰も傷つけたくないと反抗して心中を図るシーン(一応助かった事を示唆しているが)や、
街を牛耳る犯罪者に立ち向かって銃や地雷で次々に虐殺されるシーンがある。

直接的な暴力描写の他にも「紫の肌の異星人の話は聞くが黒い肌の人間の話は聞かないのか?」とグリーンランタンが問い詰められるシーン、
押し込められた先住民の問題、環境破壊、薬物中毒に陥るグリーンアローのサイドキックetc…
今の基準で見ればそこまで新鮮ではないが、当時の世相を反映した社会派ヒーローコミックとしての原型がここにあったのは間違いない。
現代のヒーローコミックでよく見られる「時事ネタ・社会問題を取り入れつつ娯楽作としての楽しみも持たせる」というスタイルは、
もしかしたらグリーンランタン/グリーンアローなくして存在し得なかったのかも知れない。


【誰特誰望】
1980年、Avengers #200がリリースされるがこのコミックは…色々おかしかった。
征服者カーンと関わりを持つマーカスというヴィランにMs.マーベルが誘拐され、洗脳を受けた。
そして誘惑されて…しかも生まれてきた子供はやたら早く成長し、もう1人のマーカスへと成長した(!?)。
まるで日本のエロゲーのような展開だが、アメリカ人は未来に生きていたのだろうか?

当然だが大きな非難を受け、コミック史家キャロル・A・ストリックランドはこの件をThe Rape of Ms. Marvelと呼んで批難した。
原作者のクレアモントもさすがにこれは不適切なストーリーラインだったと認めている。
直接的な性描写ではないが、「名ヒロインが捕まって陵辱され、謎の子供を産み、一時的に記憶を失うが取り戻し、フォローしてくれなかったアベンジャーズに切ない怒りをぶつける」というこの展開は、本国のコミックファンからも史上最低のストーリーの1つとしてよく話題に挙げられている。


【「ウルフマン」と原作者名表記】
1974年にニューヨーク市で開催されたコミック・アート・コンベンションの討論会「マーベル・コミック、その秩序と狂気」において、
マーヴ・ウルフマンは聴衆に対し、彼がDCで原作を手掛け始めた時に、コミックス倫理規定委員会が狼男の使用を禁じていたため、
「ウルフマン」の名を使用する事を禁じられたと語った。
2007年にウルフマンがより詳しく述べたところによれば、『ハウス・オブ・シークレッツ』誌83号(1970年1月)で、
ナレーターはウルフマンのストーリーを「夢を形作る原材料」であり、「放浪のウルフマン」により物語られたと紹介した。

委員会はこのストーリーを却下し、「ウルフマン」への言及を規定違反であると指摘した。
編集者のゲリー・コンウェイは原作者の実名がウルフマンである旨を委員会に説明し、
それでもウルフマンの名前を1ページ目に記載する事が規定違反になるのかと問い質した。
委員会が規定違反ではない事を認めたため、コンウェイはウルフマンに原作者名を表記させた。
これ以降、他のDCの原作者らも自分の名前の原作者名表記を求め始めた。


【コミックス・コードにさよなら】
適切な内容に対する社会の意識の変化を反映した定期的な倫理規定の改正にも関わらず、
(例として、同性愛への言及の禁止は1989年に改正され、ステレオタイプ的でないゲイ及びレズビアンの描写が解禁された)
倫理規定の漫画メディアに対する影響力は弱まり続けており、出版されるコミックの表紙の上から承認印は徐々に目立たなくなっていった。
販売業の縮小部門であるニューススタンドを介した販売が衰退していく一方で、
新たな販売経路の発展、特にダイレクト・マーケットと呼ばれるコミック専門店は、ノンコード・コミックスを多くの読者の手に届ける別の手段を提供した。

1980年代から1990年代にかけて出現した新世代の出版社は、
コミック専門店のみを介して販売を行い、コミックス倫理規定委員会の会員資格や承認は求めなかった。
DCコミック、マーベル・コミック、その他の委員会の後援企業が、委員会の承認印の無い成人読者向けのコミック出版を開始した。
一例を挙げれば、1990年代にDCを通じて出版を行っていたマイルストーン・メディアのレーベルであるマイルストーン・インプリントは、
委員会に出版物を提出していたものの、委員会の規定とは関わり無く、認可された号にのみ承認印を表示して出版していた。

2001年には世界最大のコミック出版社であるマーベルがコミック倫理規定委員会から脱退し、独自のレイティングシステムを立ち上げた。
2007年の時点において、DCコミックとアーチー・コミックの2社のみが、倫理規定の承認のためにコミックを提出している大手出版社となっている。
DCはジョニー・DCとDCユニバースのスーパーヒーローラインのコミックのみを提出しているが、
DCユニバースのタイトルはしばしば倫理規定の承認無しで出版されている。

2011年2月からDCコミックとアーチー・コミックは全ての出版物にコミックス・コードをつけることを止め、独自のレイティングシステムに沿って出版している。
アーチー・コミックがコミックス・コードを廃止したため、コミックス・コードを付けたコミックを出す出版社がなくなり、
事実上コミックス・コードの廃止となった。

2011年9月29日に、the Comic Book Legal Defense Fundは消滅したCMAAからコミックス・コードマークの知的所有権を得たと発表した。


【最近の状況】
ちなみに上で挙がっている新世代の出版社は当然の如く、警官がヴィランに首を捩じ切られるシーンを堂々と描いている。
要はイメージのスポーンなどがそうである。
今現在、DCやマーベルでもそうしたかつては描けなかったようなものも描けるようになっているため、
ヒーローコミックでいきなり内臓が飛び出てビックリなんて事もしょっちゅう。それでいいのか。

もちろんアメリカの他のジャンルの例に漏れず、基本的にエログロ云々というものはそのコミックの対象年齢によって完全に左右される。
そのため、年少児向けのコミックなら絵本のような絵柄と単純明快なストーリーが楽しめ、
青少年向けや大人向けならそれより高度・過激なストーリーと描写が楽しめる。
(しかし年少児向けでもストーリーに多大な皮肉やブラックジョークが含まれている事もある、そこはまあアメリカだし)

大人向けのコミックはそれはもうヤバい方向へ突き進み、
自分の子供で児ポを撮る親の前にパニッシャーが現れるコミックや、
ウォーレン・エリスのゾンビコミック(なんと表紙で幼女がゾンビに食われて内蔵が飛び出ている)など、
なんというか18禁洋ゲーを思わすヤバめなコミックが存在している。

さて、アメリカが日本から輸入した作品がエロいだの不謹慎だので騒がれるのかはまさにここに原因がある。
アメリカは対象年齢区分を徹底するのがジャスティスなのだろう。
そのため少年ジャンプでよくあるパンチラその他ラッキースケベは全年齢対象とするにはうーん…となるのである。

微妙に規制の緩めな日本と、徹底した年齢区分制を取るアメリカ。どちらが正しいかはわからない。
コミックス・コードでアメリカのコミック文化が廃れたのかどうかは、自分で買って読んで確かめてみるのが一番だ。
TPPとコミックス・コードを絡めて偏見に満ちた論を展開するのは他国の文化への侮辱に他ならず、
同様に「都条例を許すとアメコミみたいになる」と、よく調べず他国の例を挙げるのも大変失礼である。

表現規制を扱った日本の漫画「有害都市」ではまさにその問題が蒸し返され、
「(コミックス・コードによって)アメコミには能天気なヒーローか能天気でないヒーローのどちらかが登場する作品しか無くなってしまった」という作中での発言を巡りアメコミクラスタを中心に炎上。
その結果、編集部が該当シーンを差し替える結果になった。
後にコレは、マーク・ミラーをモデルにした人物を作中に登場させるための単なる前フリだったと説明された。

我々日本人は大変素晴らしい漫画文化を持っているが、知らず知らずのうちに他国の漫画/コミック文化を一段下に見下してはいらぬ論争を読んでしまう。
そうしたアメコミを巡る論争はネット上で何度も繰り返されており、その背景にはアメコミへの不理解がある。

アメコミはヒーロー以外にも探偵・スポーツ・日常・ファンタジー・SFと色々なジャンルが存在している。
という事でまずはヒストリー・オブ・バイオレンスのコミック邦訳版をアマゾンで注文してみてはどうだろう?



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最終更新:2024年04月17日 20:15