TOSHI

登録日:2011/02/11 (金) 12:59:25
更新日:2023/04/29 Sat 02:22:42
所要時間:約 6 分で読めます




テメェら!!裸の付き合いしようぜ!!!

日本のミュージシャン。
千葉県館山市出身。
1965年10月10日生まれ。
本名は出山利三。
2010年2月名前の表記をTOSHIからToshl*1に変更。
近年では「龍玄とし」名義でも活躍する。

X JAPAN(以下Ⅹ)のボーカリストとして有名であるし、スキャンダルも余りに有名。

かなり癖の強い、切り裂くような、しかし澄み渡ったハイトーンボイスとシャウトが持ち味。
初期は荒々しく怒鳴り散らすような歌唱だったが、喉を手術した後年はタイトで澄んだ声質へ変化した。
ライブ中はYOSHIKIの後ろに回ってYOSHIKIを弄る。

髪を立てなくなった1994年以降はクワトロ大尉のようなサングラスがトレードマーク。

YOSHIKIとは幼稚園時代からの幼馴染みであり、少年時代は共にバンドを組むロックキッズだった。
といっても生活態度は真面目であり、不良のYOSHIKIとはその辺りの付き合いは無かったという。
ちなみに高校時代はバレーボール部に所属。

1989年にⅩがメジャーデビュー。
るろうに剣心沢下条張(というか彼もTOSHIもパンクシンガーかMORRYの真似)のようなインパクト満載のホウキヘッド、
そして暴走族のようなMCは全国のお茶の間に衝撃を与えた。
但し、コメント時は至って普通の地味なお兄さんに変身する。
1992年のⅩ活動休止と同時に真っ先にソロ活動に取り掛かり、シングルとアルバムをリリース。
シングルではHIDEがゲストギタリストとしてプレイ、
アルバムではTOTOやJUDAS PRIESTでもドラムをプレイしたプロセッションドラマーとして超有名なサイモン・フィリップスを起用している。

またこの頃自身が主演したミュージカルで共演した女優と結婚している。地獄の始まり)

Ⅹの時とは余りにも違い、ゲイリー・ムーアを思わせる色褪せた哀愁が漂う作風にファンは衝撃を受ける。
Ⅹがバンド名をX JAPANに改名して活動再開してもソロ活動は並行、外部ライターを起用していたこともあってかアルバムごとに異なる作風を打ち出す。

この頃になると、YOSHIKIから道具のように扱われる待遇が苦行となり、Ⅹでの活動に嫌気を感じ始める。
やがて嫁の手引きにより、今後のソロ活動の方向性を決定付けた自己啓発セミナーのホーム・オブ・ハート代表のMASAYAと出会った。
4作目の『碧い宇宙の旅人』で“癒しというのは何か”というものを感じ、Ⅹ脱退を表明。ボーカルを失ったⅩ自体も解散してしまう。

解散後はヴァイオリニストの葉加瀬太郎と共作アルバムをリリース。そこでは明るいようで何処かほの暗く病んでいるグランジロック路線を示している。

1998年以降はMASAYA作詞作曲プロデュースでシングルとアルバムを次々にリリース。
総てⅩの頃ともメジャーソロ活動の頃とも全く違い、そこにはアコースティックギター1本で啜り泣くように弾き語る出山利三さんがいた。

サングラスもメイクも無く、地味でアキバ系ファッションな姿は再びファンに衝撃を与える。さらに、全国を練り歩いてⅩ時代の不満をぶちまけた。

Ⅹ、あんなものは虚像です
ヴィジュアル系を流行らせてしまい、大変申し訳ない
顎のせいにすんなよ顎の、顎のせいにすんなよ!
僕は三男で兄貴から蔑まれ、Ⅹでも常に3番目の人気でした。どうしても1番にはなれなかった。そして、1番を目指すことにも疲れてしまった
よく、「帰って来て、戻って来い」なんて言われるんですが、僕はどこへ戻って来ればいいんでしょうか?(笑)
夢を掴む人生より、大地と共に生きたい
僕はかつてスターでしたが、自殺したい心でいっぱいでした
『そんな時僕を救ってくれたのがMASAYAなんです!』
これらに含めて、アゴアゴアゴアゴと自身のしゃくれたアゴのコンプレックスをひたすらネタにしたトークを繰り返している。
当時のMASAYAには心酔に近い絶対的な信頼を寄せていた模様。

では、“愛の詩をうたいたい”という歌を歌いま~す♪

主なコンサート会場はスーパーマーケット老人ホーム商店街ミカン箱の上トラックの荷台だった。
トラックの荷台?
テレビ番組では“TOSHIはMASAYAに洗脳されている”と報道され、MASAYAとTOSHIは何度も否定。
その番組ではTOSHI本人自ら“ⅩのTOSHIは死んだね…HIDEと一緒に”と、またもやファンに衝撃を与えるものとなる。
Ⅹの名もタブーになっていた。
もうかつてのロックボーカリストだったTOSHIを見るのは不可能と思われたが、
2007年に突如Ⅹの再結成を仄めかし、翌年にⅩ再結成と共にロックボーカリストとして復活
この時の歌声はヨレヨレだったが、チノパンポロシャツ姿のオッサンから再びヴィジュアル系に戻った姿にお茶の間に衝撃を与える。


MASAYAプロデュースのソロも並行していたが、流石に考慮したのかロック路線にシフト。
まぁ、コンセプトが“エコハードロック”とかいう訳解らんものだったが…。

ところが、ここで大きな転機が訪れる。
TOSHIの自己破産とMASAYAと不倫していた妻、守谷香との離婚を表明し、同時にMASAYAによる洗脳を認めた。
実はMASAYAがプロデュースを始めた1998年以降、その収入は総てMASAYAの懐に入っていた点に疑問を持ったのが切掛けだという。

これによって予定されていたコンサートはキャンセルされ、
その時のMASAYAの対応はと言うと、チケット料金払戻しは現金ではなくチケット料相当のグッズでというものだった。。

同時にMASAYAは、会員への金銭搾取で破産した者からの訴訟を受けた。
TOSHIもそれに加担していたのも事実であり、後日、弁護士を交えての謝罪会見を開く。

以下本人の語った所によると

『Ⅹ解散直後から夫婦生活は破綻してた。』
『守屋香氏(笑)はMASAYAと2人で軽井沢で生活してた。』
『交通費等の必要経費以外は一銭も渡されなかった。』
『前に住んでいたマンションにはHOHの見張りがいた。』
『病院に入院したとき守屋香氏等が押しかけてきた。』(病院側は面会を拒否、病院GJ!)
『以前は声が全く出せず、引退するつもりだった。』
『サングラスはⅩの契約で公の場では装着する義務がある。(笑)』

と、数々の爆弾発言が飛び出していた。


そんなこんなで、二度目の人生のやり直しに近い形でソロ活動に終止符を打ち、今後はⅩのボーカリストとして専念するという。


以前の僕はずっと自殺したい気持ちでいっぱいでした。だからね、今の僕は追記・修正によって生まれ変わったんです。

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最終更新:2023年04月29日 02:22

*1 最後の文字は大文字の「I」(アイ)ではなく小文字の「l」(エル)