小林可夢偉

登録日:2010/12/05 Sun 23:45:14
更新日:2020/09/27 Sun 21:42:55
所要時間:約 6 分で読めます



小林可夢偉(こばやし かむい)はザウバー・モータースポーツ所属のレーシングドライバー

生年月日/1986年9月13日
血液型/AB型
出身地/兵庫県尼崎市


  • 経歴
9歳からカートを始め実績を残し、フォーミュラ・トヨタを経てヨーロッパへ渡る。多数のフォーミュラカーレースに参戦し数々のレースで入賞や優勝を飾り、2009年のGP2アジアシリーズチャンピオンに輝きその実力を発揮する。


その結果同年トヨタF1チームのサードドライバー(所謂補欠)として起用される。
が、実戦でF1を走る機会はなく、シーズンも残り3戦というところで転機が訪れる。

当時トヨタのレギュラードライバーであったティモ・グロックが第15戦日本GP予選にてクラッシュしてしまい、脊椎を負傷。怪我自体は大したものではなかったが、大事を取って後のレースを欠場することに。

これにより残り2戦を可夢偉がグロックの代わりに戦うことになった。

次戦ブラジルGPで出走。このレースが世界に衝撃を与えた。
F1初レースながら、その時点でのポイントリーダーであり、このレース結果によっては自身初のワールドチャンピオンがかかったジェンソン・バトンを18周に渡って抑え続けたのである。
ちなみに、この時のバトンは念願のワールドチャンピオンが懸かっている大事なレースに、無名の日本人レーサーによる執拗なブロックを受けたことにイライラしたのか、無線にて怒りをぶちまけていた。

まぁ結果的にバトンは5位入賞を果たし、2009年のワールドチャンピオンを獲得したんですが…。



次戦のアブダビGPでも可夢偉は力を発揮する。
順調なレース運びをし、一時的に3位を走行するなどの活躍を見せる。
さらに上記の通り、2009年のワールドチャンピオンに輝いたバトンをオーバーテイクし、またもや注目を浴びることになる。

この2戦の活躍によって可夢偉はトヨタチームのレギュラードライバーになることが確実かと思われていたが、シーズン終了後に突然トヨタがF1撤退を表明。これには可夢偉も寝耳に水だったらしい。

他チームのシートを探すことになったが、ザウバー・モータースポーツ代表ペーター・ザウバーにその才能を買われ、2010年はBMWザウバーのレギュラードライバーに決定。

シーズンオフの全チーム合同によるテストではマシンも速く、好タイムを連発。更なる活躍が期待された。










いざ開幕してみればマシンの挙動が安定しない、ドライバーのミス、エンジン(フェラーリ製)がザウバーのマシンと相性が悪かったのか故障が多発し、リタイア連発。当初のマシンの状態に関して可夢偉は、「こりゃ最悪のマシンじゃないか」と思わずにはいられなかったと語っている。

だが、シーズン途中にマシンの改良が行われ、前半の8戦までは1ポイントしか獲得できていなかったが、後半戦では31ポイントを獲得しルーキードライバーでは最も多くのポイントを獲得した。

そのドライビングテクニックは世界でも高く評価されており、アグレッシブに攻めることもできれば、レースにおいて重要な要素となるタイヤを管理する能力も比較的優れている。



特筆すべきレースとはしてはヨーロッパGP。予選18位とかなり出遅れたものの、ハードタイヤで53周を走り、残り数周をソフトタイヤで走り切るという大胆な作戦を敢行。
その作戦が功を奏し、残り2周で2005・2006年のワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソをパスすると、最終ラップの最終コーナーでセバスチャン・ブエミをパス。見事7位でチェッカーを受けた。

初の母国GPとなる日本GPでは予選14位から追い上げを見せ、オーバーテイクポイントとは言えない鈴鹿サーキットヘアピンで5度もオーバーテイクを見せ、7位入賞。現地の鈴鹿のみならず日本全国のF1ファンを熱狂させた。なお、この時の地上波の実況はほとんど可夢偉の応援状態である。

3回目のオーバーテイクの際、マシンに傷を負いながらも果敢に攻め、パスしていく姿は非常に印象的であり、皮肉で有名なイギリスのテレビ局BBCは可夢偉に独占インタビューを行い、解説者から「その走りを変えないでくれ!」と大絶賛された。

そして、2010年イギリスAUTOSPORT誌及びautosport.comの読者投票によって、各モータースポーツカテゴリーで活躍したルーキードライバーの中から選ばれるAUTOSPORT Awardsルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。


名前の由来はアイヌ語でを意味するカムイという言葉に、
大な能にする」という願いも込めて、父親が可夢偉と名付けた。どう見てもDQNネームです。本当にありがとうございました。


実家は寿司屋であり、F1ドライバーになれなかったら寿司屋を継いでいたかもしれないと本人は話している。が、可夢偉自身は海老やカニのアレルギーを持っており、触ることすらできないらしい。
しかし、料理の腕は寿司屋の息子だけあって、なかなかのものらしく、イギリスBBCの企画でサーモンの照り焼きを披露したり、チーム関係者に手料理を振る舞った事がある。



余談だが、彼個人のスポンサーとしてねんどろいどやfigmaで有名なグッドスマイルカンパニーが付いている。2011年も引き続き契約し、彼のヘルメットにグッドスマイルのロゴが描かれる。


2012年にはまさかのねんどろいど&figma化が決定。


誰得とか言ってはいけない

また、CS放送の解説者である今宮純によると、2010年のマクラーレンのドライバー候補者リストに名前が挙がっていたとか。これは日本人初である。

2011年はザウバーのエースとして活躍。第2戦から5戦連続入賞の日本人記録を更新した他、6戦目のモナコでは最後の最後で抜かれたとはいえレッドブルのマーク・ウェバーを長周回に渡って抑え続け、モナコでの日本人記録更新となる5位入賞と世界に強烈なインパクトを与えた。

2012年もザウバーから出走。ドイツGPで4位に入った他、日本GPでは04年アメリカGPの佐藤琢磨以来となる3位表彰台を獲得した。

フジテレビが公募でキャッチフレーズを発表。「なにわの白い彗星」と名付けられた。


が、契約更新はできずシートを失う。シートを得るための資金集めをしようとファンに募金を募ったが、結局F1のシートを得ることは叶わなかった。
返金もできなかったので、一部では乞食と揶揄されることに。

またその年のモータースポーツ分科会からの表彰にて、オートバイ世界最高峰レースMotoGPにて日本人初の2位&国内レースのJSB1000クラス年間チャンピオンを得た中須賀克行氏を差し置いて最優秀選手賞に選ばれたこと(可夢偉は最高3位)からも非難された。




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最終更新:2020年09月27日 21:42