笹井醇一

登録日:2009/06/22(月) 01:40:23
更新日:2023/01/04 Wed 08:54:44
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笹井(ささい)醇一(じゅんいち)
1919年2月13日~1942年8月26日

  • 所属:台南航空隊
  • 撃墜数:27機
  • あだ名:「ラバウルの貴公子」
     「軍鶏」
     「ラバウルのリヒトホーフェン」

第二次世界大戦中、大日本帝国海軍に所属したエースパイロット。撃墜数は海軍兵学校出身の士官搭乗員中トップである。
同台南空に所属した坂井三郎とは階級の垣根を越えた「血肉分けたる仲ではないが、何故か気があって離れられぬ」仲であったらしい。



【経歴的なもの】
造艦大佐の長男として東京に生まれる。
父親の転勤に伴って各地を転々とするも、18才で海軍兵学校に入学。
1941年11月に訓練課程を終了、台南空に着任。世情既に一面暗雲立ちこめており、翌12月には太平洋戦争開戦。
即戦力のみが求められる最前線において、先任の搭乗員である坂井三郎の指導の元、メキメキと技量を延ばしていく。

部隊の進出に伴い、フィリピン・蘭印・ラバウルと転戦。
坂井・西沢といったエース達サポートをうけ撃墜数を増やしていき、いつしか名実共に「台南空の中隊長」へと成長していった。
しかし、名だたるエースを連ねた台南航空隊も度重なる空戦により櫛の歯が欠けるように一人、また一人と減ってゆき…

ついに1942年8月2日。
師であり部下であり、また友であった坂井が負傷し内地に帰還。補給も滞りがちになり、戦略は落ちていく一方であった。

同年8月25日
笹井中隊が連日推して出撃。この日の敵基地上空航空戦で、遂に未帰還となる。
彼の撃墜は誰一人見ていなかったが、戦後米国の証言により彼の最期が明らかに。


その日、敵基地上空で零戦9機とF4Fワイルドキャット12機が交戦。
空戦も一段落した後、笹井は単機着陸体制に入ったワイルドキャットを追尾するも、撃破寸前で対空砲火に阻まれる。
しかし、笹井機は対空砲火を物ともせずに敵を失速、撃墜寸前に追い詰める。

だが、捨て身の反撃を受け、爆散した。









この敵パイロットのマリオン・E・カール大尉は、零戦全盛期のミッドウェー~ラバウルで名を上げた米海軍最強クラスのエースパイロットでもある。
終戦後、新兵訓練の際にこの一戦を上げ、笹井の勇敢な最期を称えた上で

「どんな絶望的な状況下でも、最後まで操縦桿を緩めない方に女神は微笑む」

と説いているとか。



【逸話的なもの】
坂井達の「敵基地上空編隊宙返り事件」に際し「やくざな事は嫌いだ」と諫めた笹井であったが、海軍兵学校時代、

「赤トンボ(複葉の練習機)にて、宙返りは可成るや?」

と話題にが盛り上がった際、真っ先に飛び上がって見事成功させたりする。


また常に部下等を気にかけており、内地から菓子など届くとこっそり坂井を呼び出して顔を真っ赤にしながら、

「俺からだって事は内緒だぞ」

と皆に配らせたりしている。
(もちろんバレてる)


坂井が負傷の為に内地入院を余儀なくされたとき、別れざまに自分のベルトのバックルを渡した。
バックルには咆哮する虎が浮き彫りになっており、笹井の父が戦争が始まったときにわざわざあつらえてくれたものらしい。

「虎は千里を行って千里を帰るという縁起だ。貴様も千里の内地へ行って、治してからもういっぺん帰ってこい。いいか、待ってるぞ!」

笹井は坂井にそう言って、別れの挙手をした。2週間後、坂井の誕生日に笹井はワイルドキャットとの交戦で戦死している。笹井の戦死を知った坂井は「俺がいれば中尉を死なせずに済んだのに…」と嘆き悲しんでいたという。
坂井が戦後まで生き抜く事が出来たのは、単に運や実力だけによるものではなかったのかもしれない。


なお、ググれば理解出来ると思うが、
とんでもない程の美男子。
カッコ良くて美しく、さらにツンデレ。

なにこれ萌える。


また、笹井中隊所属だった高塚飛曹長は、中尉戦死の際、嘆き悲しんでこう言った。
「我等が中尉は、もう飯を喰わんそうだ」
「今日から俺が中尉に代わって飯を喰らう!」
「中尉の箸箱は!俺が使うからなっ!!」


ストライクウィッチーズに登場する竹井醇子のモデルだったりする。




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最終更新:2023年01月04日 08:54