エーリッヒ・アルフレート・ハルトマン

登録日:2010/03/17(水) 11:39:41
更新日:2022/08/19 Fri 08:19:05
所要時間:約 7 分で読めます




エーリッヒ・アルフレート・ハルトマン

(1922年4月19日 - 1993年9月20日)
ドイツ空軍の軍人。人類史上、最も多くの航空機を撃墜したパイロット。
第二次世界大戦の撃墜王として知られる。
独ソ戦において、JG52に所属し、格闘戦を避ける一撃離脱戦法で撃墜スコアを重ね、1944年8月25日に前人未踏の300機撃墜を達成した。
最終撃墜数は352機、被撃墜16回。(ちなみに5機撃墜でエースの称号が与えられる)
敗戦後、ソビエト連邦での抑留を経て、1956年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)空軍に入隊し、JG71司令として現役復帰し、1970年に大佐で退役。
乗機メッサーシュミットBf109Gの機首に黒いチューリップ風のマーキングをしていたため、ソ連空軍から黒い悪魔と恐れられた。


初出撃は、1942年10月14日。その際に空中戦も経験している。
しかしいざ戦闘が始まると、彼はパニックに陥って僚機ロスマンを見失ってしまい、
ロスマンが彼をサポートするために接近してきたが、彼はそれを敵機の攻撃と誤認し、燃料切れになるまでロスマン機から必死に逃げ回るという大失態を演じた。

この為「坊や」の蔑称をつけられた。

ソ連占領地内で戦争終結を迎えた彼は、直ちにドイツに戻ることを指示されたが、
苦楽を共にした部下・隊員家族・避難民などを見捨てて自分一人戻ることをよしとせず、全員で移動し、アメリカ軍に投降した。
しかし、彼は戦勝国間の取り決めによりソ連に引き渡され、戦争犯罪人として10年半・11ヶ所の収容所に抑留されて強制労働に従事させられた。
ちなみに何故かルーデル閣下は引き渡されなかった。

NKVDによって虚偽の犯罪自白書類へのサインの強制、接収されたMe262に対する情報提供など、
彼本人は終始断固として拒否したものの、NKVDから様々な圧迫、脅迫を受けた。

そのため、戦後ハルトマンに再会した親友ギュンター・ラルは、
「彼の目からは輝きが失われた」
と語っている。


1944年8月24日、撃墜数が300に到達。
その翌日、偉大なる総統閣下自身からダイヤモンド騎士鉄十字章を授与される。
その恩賞として、1ヶ月余りの休暇を得た。
休暇中の9月10日に幼なじみで恋人だったウルスラ・ペーチュと結婚式を挙げた。

一説によると、彼が幼少時にウルスラ嬢を紹介されている。
が、初見にて、

「ボク、ハルトマン!」
と自己紹介しながら抱きついた事から交際が始まったらしい。
相手のウルスラ嬢も、


「素敵な殿方」

アレ?


なに?このリア充?


1945年に長男が誕生していたが1948年に流行り病にて夭折。
ソ連抑留中の彼は、一度も長男の顔を見ることはなかった。
つまり、彼は長男を「我が腕」に抱く事が出来なかった。

ちなみに、父親の死に目(1952年)にも会えなかった。

この事については晩年に彼はこう漏らしている。
「あの時、ガーランド中将に就いてけば……」
ガーランド中将麾下のJG44に就けば、彼がシベリア抑留するハメにはならなかった。

シベリア抑留後に、幼なじみで愛妻ウルスラと再会。長男と父の死に涙した。


だが、ただでは転ばない我らが「黒い悪魔」。
愛妻ウルスラちゃんとの熱愛が再び燃えあがり、ハッスルしまくって長女を得ました!



意外かもしれないが、彼はFw190に乗った事が無い。

「ダイブ&ズーム戦法」の模範的パイロットなのに?

もし、彼がFw190を駆ったらヨシフおじさんの可愛い空軍が全滅する。

ちなみに、ハルトマンはMe262の教導を受けているが使った事が無い。


ドイツ空軍時代の空戦法は「ダイブ&ズーム」戦法。
上空からの強襲、上昇からの突き上げ。

常に「ロッテ(二機編隊)」で行動するチーム戦が彼の強み。
当然、上空からの強襲役と下方からの突き上げ役は、すべて彼の小隊(四機編成)で組織されている。
新人パイロットでも理解しやすい戦法であり、失敗しても「ダイブ」で逃げれる空戦法なので、彼の僚機は生き延びる事が出来た。

ちなみに、僚機被撃墜は一機のみ(パイロットは無事脱出)。
だが自身も何度か撃墜されており、一時はソ連軍に捕らえらた事も。
だが収容所に送られる途中、輸送トラックがJu87に爆撃されて、脱出に成功したが…

まさか…あの御方が?

ギネスブックには、世界一の敵機撃墜記録保持者として掲載されている。
ちなみに、彼自身はウルスラちゃんに「歴代最高の撃墜数よりも、一度も僚機を失わなかったことの方が誇りだ!」なんて手紙を送っている。


男前軍団(イケメン軍団)で有名なドイツ空軍所属のパイロット達の誰もが認める、屈指のイケメン(最重要)。

一説に拠れば、ハルトマンが「全ての女性を惑わす凄まじいレヴェルの超絶イケメン」だった為、
ロンメルやマルセイユの様に戦後の「戦争映画」が造れなかったらしい。

つか、彼を演じる凡人イケメン役者がドイツもコイツも彼以下のショボい役者しか居なかったとか?


休暇中に街に繰り出せば、数多くの美女達(当時のグラビア誌の表紙を飾れるトップクラスレヴェル)に可愛がられる事もしばしば。
しかし、彼自身は幼なじみのウルスラちゃんに「操(重要)」を建てており、ちっとも見向きしない。

ハルトマンの部下達は、彼に寄ってくる美女達を美味しくいただいている。


ちなみに彼の部下のなかには、

「マヂでゴールイン」
した部下さんも居たりする。


「私を墜としたくばハルトマンでも呼んでこい」
急降下爆撃機で戦闘機を撃墜する「ロリコン破壊神閣下」を墜とせるのは、この人だけらしい。 
……なお、ハルトマンのルーデル評は「私は複数のチームで戦っているからこそ、彼の戦績を真似することはできる。だけど、ルーデル個人の真似なんて絶対無理。誰しもが無理」と事。


大戦中の搭乗機種は、Bf109G-6/G-14/K-4のみである。
ちなみに、Me262の機種変換の為の訓練を受けていたが、結局搭乗する事は無かった。
初めて搭乗したジェット戦闘機は、Me262ではなく戦後西ドイツ空軍JG71時代のCL-13BMk6セイバー(F-86F-40のカナダ生産型)である。
ちなみに西ドイツ空軍がF-104Gを導入するさいに、彼は「F-104Gは危険だからF-100DかF-102にしたら?」と導入に反対した。


ドイツ空軍で彼の実績や経験を活かす事無く、1970年、48歳という若さで退役。最終階級は大佐だが、退役時に少将に名誉昇進した。

その後、のんべんだらり(元々荒事はニガテ)と愛妻ウルスラちゃんとキャッキャウフフ、かつての部下達との子育て愚痴を言いあったりしながら余生を過ごし、
1993年9月20日に、家族に見守られながらポックリと亡くなった。

死ぬ時はポックリ。

ちなみにストライクウィッチーズのパン…ズボン泥棒こと、エーリカ・ハルトマンの元ネタの人であり、彼の妻はエーリカの妹ウルスラの元ネタである。


追記・修正お願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 軍事
  • 軍人
  • ドイツ
  • ドイツ軍
  • 大佐
  • リアルニュータイプ
  • 黒い悪魔
  • 独国無双
  • 守護騎士
  • エーリカの元ネタ
  • イケメン
  • メッサー
  • メッサー→セイバー乗り
  • 少将
  • エースパイロット
  • ギネス記録保持者
  • ブービー
  • チート
  • ブレイズの元ネタ
  • エーリッヒ・アルフレート・ハルトマン
  • エーリカ・ハルトマン

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2022年08月19日 08:19