武藤金義

登録日:2010/07/13(火) 01:42:09
更新日:2023/12/30 Sat 16:19:46
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武藤(むとう)金義(かねよし)
1916年8月18日~1945年7月24日



実在した大日本帝国海軍最強クラスの武士であり、
「ミスター・ブシドー」


あの「大空のサムライ」こと坂井三郎と轡を並べる程の技量の持ち主。




  • 所属 大日本帝国海軍
  • 撃墜数 35
  • 最終階級 中尉
  • あだ名 『空の宮本武蔵』


第二次世界大戦時、大日本帝国海軍に所属していたエースパイロット。

往事の彼を知る人は「海軍の至宝」「グレートエース」「空の宮本武蔵」と賞賛を送ってやまない。


  • 経歴的な物
愛知県の農家兼扇子職人の三男に産まれる。
武藤家は七人兄弟で、家は貧しく金義も幼くして奉公に出される。

そんな生活から脱却すべく、19才で大日本帝国海軍呉海兵団に入団。
呉海兵団で教育後、駆逐艦『浦波』に配属。
翌年操縦練習生を志願、戦闘機搭乗員となる。
1937年日中戦争が始まると、第十二航空隊に配属。
南京、漢江と転戦しエースとなる。
この時後にエースパイロットとなる“大空のサムライ”坂井三郎や“零戦虎徹”岩本徹三と親交を深める。

特に、年も同じで経歴も似ている坂井とは「金ちゃん」「サブちゃん」と呼び合う仲になる。


翌1938年、内地に帰還。
御礼奉公として大村・鈴鹿・本山航空隊で教員として後進パイロットの育成に当たる。











世上暗雲広がりだした1941年9月、第三航空隊へと移動。
台湾南部の高雄基地へ勤務となり、猛訓練が始まる。

そして同年12月8日朝、クラーク基地攻撃が下知される。

しかし、この日は濃霧のため出撃が遅延。
この遅延が手ぐすね引いて待っていた敵の裏をかく形となり、燃料切れで着陸した戦闘機隊と攻撃準備中の爆撃機を一挙に叩く結果となった。

武藤も世界初のB-17共同撃墜の一機に加わるなど大活躍したようである。


1942年
新しい航空部隊設立の為、その基幹パイロットとして内地に招聘。
ラバウルへと進出した。


このわずかな内地勤務の際、小学校の教師だった堀田喜代子とお見合い、結婚している。

喜代子さんはこの時のことを

「~中略~視線があって一礼したのみ、向こうも無言でサイダーを飲み干した。其れだけで決めてしまいました。」

と回想しており、お互い一目惚れだったようである。
その後はお互い忙しく中々会えない日々で、文通による交際を続ける。


美文家で筆まめな武藤に喜代子夫人は
「ロマンチストな人…まるで渡り鳥みたい」
と言っていたとか。
武藤が人生の僅かな間に、どれだけの教養を身に付けていたかがうかがえる。


束の間の新婚生活の後ラバウルへと進出。
252空の一員として活躍。
しかし米軍の大兵力の前に南洋諸島は米軍の手に落ちる。

武藤は1943年内地に帰還。
消耗著しいパイロット錬成の為、教官を兼ねて横須賀航空隊に移動。
ラバウルで負傷し内地勤務になっていた『坂井三郎』と同隊で再会。


翌年には米軍の手が硫黄島まで延びてくる。
硫黄島防衛の為、実験部隊の横空にも出動がかかる。

しかしパイロットの技量低下が甚だしい海軍に、米軍の大兵力を払いのける力は既に無く、日に日に消耗していく。
横空上層部は『横空の名誉』にかけてパイロットに体当たり攻撃を命令 。
戦爆合わせて僅か十七機を白昼出撃させる。

当然レーダーにより事前に察知していた米軍の戦闘機隊に阻まれ一機、また一機と落とされる。
この日の出撃で生還したのは武藤と坂井小隊三機の計四機のみであった。





横空は硫黄島からの撤退を決定。
武藤も再度防空任務と新型機のテストパイロットとなる。


翌1945年、新型機のテスト中敵機が来襲。
武藤がこの時乗っていたのが『紫電二一型』通称『紫電改』。

既に実働機ではあるが、問題も多く未だに各種テスト中の新鋭機である。

武藤はそのまま飛び立つとグングンと高度を上げ敵編隊の上を取る。
敵はグラマン12機。
味方はなく1対12の大劣勢である。

しかし武藤は冷静に敵を見据え、攻撃態勢に移ろうと機首を上げた敵機を目掛けて急降下。
一連射で敵を落とすと再度高度を確保。

敵が燃料切れで帰って行くまでに計四機撃墜。
これが『空の宮本武蔵』たる由縁である。

同六月
坂井三郎と交換という形で『源田実』率いる三四三航空隊へ移動。

飛行隊長の二番機として奮戦するも、7月24日の呉大空襲にて帰らぬ人となる。

この日、飛行隊長含む六機が撃墜されており、誰一人六機の最後を知る者は居ない。

  • 余談
親友武藤の死を坂井は
「自分の代わりに死んだ」
と生涯気にしていたようである。
特に妻子持ちであったことが一層自責の念を強めていたようである。

娘の名前は凱子だそうである。

1978年、愛媛県の久良湾海底で機首以外損傷の少ない紫電改が発見され、翌年引き揚げられた。
フットバーの位置から彼の機体ではないかと考えられたが、遺骨などの決定的証拠がないため誰の機体かは不明。喜代子夫人は
「あの日帰ることの出来なかった6人のパイロット皆の遺品です」
と語っている。


ストライクウィッチーズの主人公、宮藤芳佳のモデルである。


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最終更新:2023年12月30日 16:19